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インモラル 5

2019.07.31.Wed.
兄の仕事。

※殺し

 雇い主から仕事を頼まれ、他県に赴いた。相手も馬鹿じゃないようで、最初に聞いていた場所はもぬけの殻。おかげで余計な時間がかかった。弟のためのお土産を物色しながら、今回のターゲットの足取りを探った。

 見つけたのはこっちへ来て3日目。雇い主の息がかかった連中がいる繁華街から抜け出せない程度には馬鹿らしい。おかげでこっちは助かるわけだが。

 組から金を持ち出して逃げおおせると思う時点で、この世に生きてる資格がない。

 金をちらつかせて転がり込んだ風俗嬢の部屋に、そいつはいた。出勤前の嬢と乳繰り合ってる最中、部屋に忍び込んだ。突如現れた俺を見て、そいつはすぐ組の回し者だと悟ったようだ。

 女が悲鳴をあげる──その前に口を封じた。可哀そうで気の毒な女。だから何が起きたのかわからないうちに絶命させた。苦痛も感じなかったはずだ。

 男は逃げようと一瞬考えて窓に目をやった。ここがマンションの五階だと思い出し、今度は武器になりそうなものを部屋のなかに探した。逃亡中のくせに獲物の用意もしていない。萎れかけたペニスに呆れる。

 こんな奴のせいで哲郎は一人で留守番を強いられた。ちゃんと食事と睡眠を取れているだろうか。

「金はいくら残ってる」
「てめえ、蝉丸か」
「俺を知ってるのか」
「組長お抱えのヒットマンだろ。噂は聞いてる。やっとそのツラ拝めたぜ。何十人って殺ってんだろ。どんなサイコ野郎かと思ったら、ただ背がでけえだけの優男じゃねえか。てめえ本当に蝉丸か?」
「証明する術はない。必要もない──ちょっと待て」

 ポケットでスマホが震えた。哲郎からの着信。いまは学校のはず。なにかあったのか?

「どうした?」

 哲郎からの連絡はどんな時も無視できない。

『あ、お兄ちゃん? 仕事まだ終わらないの?』

 背後から聞こえる物音、複数の話し声。学校にいるのは間違いない。そうか。いまは昼休みか。

「もうすぐ終わるよ。それよりちゃんとご飯食べてるか?」
『食べてるよ。お兄ちゃんが用意していった作り置きがなくなったから昨日はハンバーガー食べた』
「ジャンクフード! まあ今回は仕方ない。俺がいないからってハメ外しすぎるなよ。夜更かししてないか?」
『もう子供扱いしないでよ。ひとりでちゃんと留守番してるから』

 まだ小/学生だった頃、テレビの心霊特集を見た哲郎は、ひとりじゃ怖くて眠れないと、数日俺と一緒に寝た。仕事で家をあけるとき、哲郎をひとり残していくのが不安になるのは、この出来事も影響している。俺がいなくて、ベソかいてやしないかと。

「今夜戻るよ。なにが食べたい?」
『オムライス』
「おっけー。フワフワ卵のオムライス作ってやるな」

 ずっと俺の隙を狙っていた男が玄関に向かって飛び出した。男の顔を蹴った。男が壁まで吹っ飛ぶ。行かせるわけない。

『なんの音? すごい音したけど』
「なんでもないよ。お土産楽しみにしてな」
『うん。早く帰ってきてよ。じゃあね、お兄ちゃん。気を付けて』

 俺が心配で電話してきてくれたのかな。ときどきすごく甘えん坊になるし、俺の声が聞きたくなったのかもしれない。どっちにしろ俺の弟はかわいい。

 スマホをポケットに戻し、男に向き直った。時間がもったいない。

「聞いてたよな? 急いでるんだ。金はいくら残ってる」
「しゃんれん、ろっひゃくまん」

 血が流れる口を手でおさえながら、男が不明瞭な声で言う。3600万。使ったのは400万。

「おまえにれんぶやる。らから、おえをみよがしてくえ」
「金はいらないし見逃さない。お前は売れる臓器を全部抜かれて死ぬ」

 男が鬼の形相で俺にとびかかってきた。躱し、背後にまわり、羽交い絞めにした。

「金はどこだ?」
「……ベッドのいた……たのむ、みよがしてくえ……」

 ベッドの下にバックパックが見えた。足で引きずりだす。開いていたチャックから札束が零れ落ちた。俺の仕事はここまでだ。男を締めあげ、気絶させた。処理専門の奴に電話をし、そいつに引き渡した。

 組に金を持って行き、スーパーに寄ってから哲郎の待つ家へ帰った。腕によりをかけて、愛情たっぷりのオムライスを作ってやろう。





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インモラル 4

2019.07.30.Tue.
やってごらん。

 勉強の合間、股間に手を伸ばした。触るのは気持ちいい。ペニスも大きくなる。でもそれ以上がなかなかむつかしい。

 先日兄にしてもらったときはすごく気持ちよかった。僕がいままでしてきたことはなんだったんだろう。天と地ほどの差があった。

 僕にとって自慰はある種の苦行だ。最初は気持ちいいが、だんだんそれが薄れて萎れてくる。勃たせるために扱くけど、やりすぎて痛くなってくる。腰のだるさとペニスの痛み。射精できないもどかしさ。快感なんかなくて、ただ苦痛でしかない。

 溜めるのは体い悪いと保健体育で習ったから、月に一度程度はなんとか抜くようにしているけど、必要ないならやりたくない。

 そういう認識だったのに、兄にしてもらったあの時は違った。

 大きな手で包まれるだけで気持ち良くなった。上下に擦られたら体が敏感に反応した。心拍数は上昇し、息遣いは乱れ、口から変な声が出た。兄が僕に見せたエロ動画の女みたいな声だ。

 腰の奥がじんじんと熱くなってギュウッと力が入る。気を抜いたらもう出そうな感覚だ。兄の手がそれを導く。射精の瞬間、背骨を伝って頭のてっぺんまで快感が走り抜けた。フワフワとした浮遊感が心地よくて、その余韻すら快感だった。

 あんな射精は初めてだ。

 いつもは、ダラダラと精液が垂れ流れるだけ。出し切った感じがしないから達成感もない。

 僕と兄のやり方、いったい何が違うんだろう。

 勉強はやめて部屋を出た。兄はキッチンで夕飯の後片付けをしている。

「先に風呂入んな」

 僕を見て声をかけてきた。僕は兄の後ろへ回り込み、抱きついた。細身に見えてしっかり筋肉がついている。

「どうした。甘えん坊」
「お兄ちゃん、大好き」
「どうしたどうした、俺も好きだぞ」
「じゃあまたしてよ」
「なにを?」

 答えるかわりに兄のペニスを揉んだ。勃起してないのに僕より大きい。

「こらこら、どこ触ってんの」
「お兄ちゃんにしてもらった時はすごく気持ちよかったのに、さっき自分でやったらぜんぜん気持ちよくなかった」
「うーん、慣れもあるのかなあ。触ってて一番気持ちいいところを擦ればいいんだよ」
「わかんない。またやってよ。勉強に集中できない」
「仕方ないなあ」

 兄は濡れた手をタオルで拭くと僕をソファに座らせた。

「見ててあげるから、自分でやってみ」

 腕を組んで僕を見下ろす。言われたとおり、自慰を開始した。兄の視線を感じる。少しだけいつもより気持ちいい気がする。

「勃ってるじゃん」
「ん……でも、これ以上は……っ」

 兄は僕の前に屈むと、まじまじ手元を観察する。

「そんなに見られたら、緊張してよけい無理」
「ああ、すまん。やり方は合ってるのになあ。なんでだろうなあ」
「お兄ちゃん、もう、苦しい……お兄ちゃんがやってよっ……」
「ちゃんと見て覚えんだぞ」

 兄がペニスを掴む。ゆるゆる上下に擦ってるだけなのに血液がギュンと集まる。

「はあっ、はあっ、きもちい、もっと」
「すごく敏感なのになあ」
「おにいちゃ、キスして、はやく、もう出ちゃうからっ」

 やれやれ、と兄はソファに片膝を乗せると僕の口を塞いだ。ひとつの独立した生物みたいに僕の口のなかで兄の舌が動く。痺れたみたいに腰がぞくぞくする。心臓が苦しくて痛い。

「あ──も、でるっ」

 兄の手に追いたてられて達した。出し切ったあとは体に力が入らなくてぐったりしてしまう。自分でやる時にはない、心地よい、癖になる脱力感だ。

「ついでに風呂入っちまえ」
「むり。立てない」
「まったく手のかかる。特別サービスだぞ」

 兄が僕を抱っこする。兄の首にしがみついた。そのまま風呂場へ行き、兄は僕の体を洗ってくれた。






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インモラル 3

2019.07.29.Mon.
お兄ちゃん教えて。

 悪戯心。先日、セックスを邪魔された腹いせだ。

「哲郎は彼女いないの?」

 うちの弟はどこに出しても恥ずかしくない美少年。彼女の一人や二人、もちろんいるだろうと思ってたんだが。

「いないよ」

 嘘をつかないまっすぐな目が答える。

「いやいや、モテるでしょ」
「まあね」

 謙遜もしない。潔い。

「好きな子は?」
「いないよ」
「彼女ほしくないの?」
「ほしくない」

 強がる必要がない。嘘じゃない。本心。やっぱりうちの子、複雑な人生のせいで歪んだんじゃないだろうか。

「女の子に興味はあるのか?」
「それなりにあるよ」

 ちょっと安心する。

「エッチなことしたいなって思わないの?」
「この前お兄ちゃんがやってたみたいなこと?」
「そうそう」
「しんどそう」
「しんどい?!」
「オナニーだけですごく疲れるんだ」

 もうオナニー覚えたんだあって、俺の親心が感動してる。

「やりすぎはダメだ」
「1ヶ月に1回程度なんだけど、多い?」
「少なっ。哲郎の年なら毎日しててもいいよ」
「毎日したら死んじゃうよ」

 いったいどんな特殊なオナニーをしているんだろうか。訊いてみたらごく普通のやり方。

「何分かかる?」
「30分かけても出ない時がある。その時はもう諦めてる」

 恐ろしく淡白な子なのかもしれないが。少し、心配だ。やり方がまずいのかもしれない。

「こっちおいで」

 胡坐の上に哲郎を座らせ、後ろから哲郎のペニスを触った。大きさも色も普通だ。スマホでエロ動画を探しだし、それを哲郎に見せながら扱いてみた。背中がビクビク震えるのが胸から伝わってくる。感じてはいるみたいだ。

「はあっ、ん、はあぁ、あ、ふ」

 喘ぎの混じった吐息。聞いてるこっちも変な気分になる。相手は哲郎。俺の弟だぞ。

「あ、あっ、やあっ、お兄ちゃん、へんっ」
「なにがへん?」
「だって、きもちいい」

 顔を赤くして、前髪をフルフル震わせる。切なげな唇。俺のキスを待っているようだ。だったらしてあげないと。哲郎の頬に手をかけ、こっちを向かせてキスした。拙く応える舌を絡め取って、手を動かし続ける。

「んんっ、ふぅっ、ん、はあっ、あ、や、おにいちゃ」

 哲郎が俺の胸を押し返した。

「あ、出ちゃう、もう、でちゃ……、あ、や、あ、あ──っ」

 体を硬直させながら哲郎は果てた。俺の手に熱い精液がドクドク吐きだされる。すべて出し切ると、ぐったりした哲郎がもたれかかってきた。蕩けた顔。焦点の定まらない目。かわいい弟。

「どうだった、哲郎。気持ちよかっただろ」
「ふぇ……うぁ、うん……きもちよかった……」
「お前はまだやり方が上手じゃなかったんだよ」
「お兄ちゃんは上手だね」
「俺は一人では滅多にしないよ」
「なにその見栄」

 クスクス哲郎が笑う。いやほんとだって。

「オナニーがこんなに気持ち良かったら、エッチはもっと気持ちいいの?」
「これの何倍も気持ちいいよ」
「僕もいつかお兄ちゃんとしたい」

 ぎゅっと哲郎が俺に抱きついてきた。哲郎はいい匂いがする。乳臭さが抜けきらない。だから余計、俺も甘やかしてしまう。とは言え、それとこれは別。

「俺じゃなく、好きになった女の子としなさい」
「こんなときだけ保護者面」
「保護者だもん」
「ケチ」

 まだ快感が残る顔が俺を睨む。ムラムラするからやめなさいって。ほんとに襲うぞ。





堕トシ合イ 壱


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インモラル 2

2019.07.28.Sun.
大人の時間。

※男女性描写あり。


 学校から帰って来たら玄関にハイヒールが揃えてあった。兄が連れこんだ女だ。

 初めてじゃない。僕がいるから控えてくれるけど、たまに、ある。

 足音を忍ばせ兄の部屋へ。そっと扉を開けたら、性交の匂いと音が漏れてきた。

「ただいま、お兄ちゃん!」

 わざと大声を出し、部屋の明かりをつけてやる。兄の上に乗っていた女が振り返った。

 ふうん。美人じゃん。胸も大きい。

「弟?」

 女は自分の下にいる兄に訊ねた。前に来た女はこれをしたら慌てて出て行ったのに、この女は平然と長い髪をかきあげている。

「哲郎、おかえり。悪いんだけどそこ締めてくれる?」

 兄は女の腰から顔を覗かせ僕に言う。僕は足で戸をしめてやった。

「いや、哲郎くん、君も出て行きなさいよ。いま何してるかわかるでしょ」
「お兄ちゃんおなかすいた。ホットケーキ作ってよ」
「私が作ってあげようか?」

 女が僕に笑いかける。赤い唇。長い睫毛。揺れる腰。嫌がらせが通じない。

「結構です」
「じゃあ、そこで見てる?」

 女は背中を丸めると兄にキスした。

「お兄ちゃんのばか、あほ、インポ」

 悪口を言って部屋を出た。自分の部屋で学校の宿題を始める。耳を澄ませば女の喘ぎ声が聞こえる。わざとかも。一時間ほどして今度はシャワーの音が聞こえてきた。やっと終わったようだ。

「哲郎、入るぞ」

 腰にタオルを巻いた兄が部屋にやってきた。勉強机に向かう僕の横に立って見下ろしてくる。

「なに怒ってんの」
「新しいセフレ?」
「そういう言葉を使いなさんなって。セフレじゃないよ。お友達。もう帰ったよ。ホットケーキ焼く?」
「いらない。あんなの見せられて食欲失せた」
「お前が勝手に入ってきたんでしょうが」
「汚い」
「お兄ちゃんは大人なの。汚いことも必要なの」
「僕もいつかあんなことするの?」
「そりゃいつかはするだろ」
「じゃあ、キスのしかた教えてよ」
「そんなの練習しなくたって、そのうちうまくなってくよ」
「僕とキスしてよ」

 兄はむ、と眉間にしわを作った。

「兄弟でなあ」
「血は繋がってないよ」
「未成年相手に」
「殺し屋が何言ってんの」
「それもそうか」

 顎を掴まれ、上を向かされた。顔が近づいて、唇が合わさる。驚く僕の唇を割って舌をいれてきた。歯の裏や口蓋を舐められたとき、腰がぞくぞくした。舌と舌が触れ合って、クチュクチュ絡め合うと頭がぼーっとして、なにも考えられなくなる。

「はあっ」

 離れた一瞬のすきを縫って息を吸いこむ。

「鼻で息すんだよ」

 兄が教えてくれた。鼻で呼吸する。ボディソープの匂いがする。

 兄の首に腕を回した。兄は僕の腰に腕をまわしてきた。上からグイグイ押しつけられて首が痛くなってくる。

「はあっ、あ、お、にいちゃ」

 息苦しくて顔を背けた。兄の口が追いかけて来てまた塞がれる。溺れる。キスに溺れてしまう。

「や、あ、もう、わか…、わかったってば」

 椅子からずり落ちた格好でギブアップ。兄は舌なめずりして勝ち誇った顔。

「今度から大人の時間を邪魔しちゃいけません」

 そう言うと部屋から出て行った。くそっ。





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インモラル 1

2019.07.27.Sat.
わけあって。

※殺し屋と被害者遺児。やおい。エロなし


 わけあって、赤の他人のこどもと一緒に暮らしている。まだ中/学生だ。

 本名は樋口哲郎。これもわけあって菊池哲郎と名前をかえた。

「お兄ちゃん、新しいゲームソフトが発売されるから欲しいんだけど」

 テレビを見ていた哲郎が急に振り返った。目鼻立ちのはっきりした整った顔立ち。頭もよくて成績優秀。俺が仕事で何日か家を空けるときも、ひとりで留守番できるしっかり者。

 とは言えまだ中/学生。ゲームなんかが楽しいらしい。

「ゲーム? この前買ってやっただろ」
「もう5回クリアした」
「6回目をやりなさいよ」
「買ってくれないの?」
「金がないもん」

 哲郎はため息をついた。

「僕の親の遺産があれば買えたのにね」

 さらっと言われて危うく聞き逃すところだった。

「親の遺産って?」
「そこそこ持ってたっぽいよね。生命保険ももらえてないし。まあ、事情が事情だから仕方ないけどね」
「事情って」
「僕の親を殺したのってお兄ちゃんでしょ」

 大きな目が俺をまっすぐ見つめる。怒りも悲しみも、なにも読み取れない無垢な瞳。

「知ってたのか?」
「知ってたっていうか、覚えてるよ。親の記憶も、僕の苗字が本当は樋口だってことも、お兄ちゃんが僕の家に来て、僕を連れて行った夜のことも」

 哲郎の両親は詐欺師だった。それで一財を築き、住む場所を点々と変えながらも裕福な生活を送っていた。

 欲は無限に尽きることがなく、行く先々で金持ち相手に詐欺を続けた。そのなかに俺の雇い主の身内がいた。詐欺師には金を持った愚かな主婦に見えたようだ。やくざの嫁と知らず億の金を引きだして逃走。

 俺が金の回収と始末を命じられた。強盗に見せかけて詐欺師夫婦を自宅で殺害。

 あのとき哲郎はまだ7歳だった。哲郎の親を殺したあとさっさと立ち去るはずが、トイレに起きてきた哲郎に見つかってしまった。天使のようにかわいい笑顔で、なにも知らない哲郎は「サンタさん?」と俺に抱きついてきた。殺す選択もあったが哲郎を連れて帰ってしまった。親の罪の道連れになるには、哲郎は幼すぎた。

 あれから7年。裏稼業仲間に頼んで適当な戸籍を手に入れ、俺と哲郎は兄弟として暮らしている。

 もちろん哲郎に両親殺害のことは伝えていない。ただ連れ帰り、「今日から俺と暮らすんだ」としか説明しなかった。哲郎もただニコニコして「うん」と頷いただけだった。

「小学校の名前を覚えてたから、そこから住んでた場所を特定して、僕の苗字で検索すれば事件の記事も出てきたしね」
「いつ知った?」
「中学に入る前」
「どうして今まで黙ってた?」
「お兄ちゃんが何も言わないし、ギクシャクするのも嫌だったし」
「警察に行こうと思わなかったのか?」
「そんなことしたらお兄ちゃん捕まっちゃうじゃん。僕も施設に行くのは嫌だし」
「それでいいのか? 親の仇を討とうと思わなかったのか? いつでもその機会はあっただろ」
「お兄ちゃんが嫌な奴だったらそうしてたかもしれないけど、僕、お兄ちゃんのこと好きだもん」

 本当にわかっているのかいないのか、哲郎は無邪気に笑った。あの時と同じ天使のような笑顔。誰を殺しても罪悪感なんか抱かない俺が、哲郎を歪めてしまったのは俺かもしれないと、少し後悔している。

「お兄ちゃんって殺し屋なの?」
「まあそうなるな」
「かっこいい。漫画みたい」
「いやいや、かっこよくないよ。すごく地味だから」
「かっこいいよ。僕もなりたい」
「ろくな死にかたしないから哲郎はやめなさい」
「やだ。ゲーム買ってくれなきゃ僕も殺し屋になる」
「そういう脅し方はやめなさいよ」
「どうする? ゲーム買ってくれる? 僕に人の殺し方教えてくれる?」
「ゲーム買ってあげるから、殺し屋になりたいなんて言うんじゃありません」
「やったー、お兄ちゃん大好き」

 と俺に抱きついてきた。親を殺されたとも知らずに、真夏のサンタを信じて抱きついてきた、あの夜みたいに。

 そして俺も、あの夜みたいに、哲郎を抱き返した。






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はじまる(8/8)

2019.07.26.Fri.


 長い時間をかけ夜遅くまで愛しあった僕たちは、早朝、電話の呼び出し音で起こされた。鳴っているのはムカイさんのスマホだ。相手が誰だかわかるとムカイさんは舌打ちした。

「クドウだ」

 ムカイさんはなんにもないと言うが、面倒臭そうな言い方に親密めいたものを感じてしまう。

「ほっとけ」

 と枕の下にスマホを隠し、ムカイさんは僕を抱きしめてまた目を閉じた。すぐさま枕の下でスマホが鳴る。しつこく、鳴る。

 大きな舌打ちのあと、文句を言いながらムカイさんは電話に出た。

「何時だと思ってるんだおまえは」
『もう六時だぞ』

 近くにいる僕にもいつものクドウさんの声が聞こえた。

「年寄りか。こっちはさっき寝たとこなんだよ」
『隣にいるのは渋樹か?』

 クドウさんは確かに勘がいい。

「そうだ。邪魔すんなよ」
『俺のおかげだろうが。晩飯いっしょにどうだ。ついでに渋樹も連れて来い』

 場所と時間を告げるとクドウさんは電話を切った。

「つくづく勝手な奴だ。どうする、渋樹。面倒だし、別に行かなくてもいいけど」
「いいですよ。行きましょう。クドウさん、他に誘う友達いないんだと思いますよ」

 割と本気で言った僕の言葉にムカイさんは声をあげて笑った。一見すると怖いくらいの仏頂面だが、笑うとかわいい。僕はこの人の笑顔に何度だって恋に落ちるだろう。

 その後、昼過ぎまで寝た。起きてシャワーを浴び、遅い昼食を軽くとって、夕方になるとふたりで待ち合わせの店に向かった。僕とムカイさんが初めてキスをした店だった。奇しくも前回と同じ部屋に通された。

 先に来ていたクドウさんはもう食事を済ませ、空になった皿を前に一杯飲んでいた。もちろんノンアルだろう。

「遅えぞ」

 もう目が据わりかけている。どうしたらノンアルで酔えるんだ。

 僕とムカイさんはメインの食事に鍋と、サイドメニューをいくつか注文した。クドウさんと三人で乾杯する。クドウさんが僕たちを見てニヤニヤ笑った。

「なんすか」
「昨日はヤリまくったのか? 俺のおかげだってわかってんのか」
「もー、ほんとデリカシーないわ、この人」

 ムカイさんは苦笑しながら煙草に火を付けた。

「おまえのおかげだってわかってるよ」
「わかってりゃいい。ここの会計、おまえ持ちな」
「またかよ。おまえのほうが稼いでるだろ」
「それとこれとは別だろうが。おまえらの恋のキューピッドだぞ、もっと崇め敬え」

 そういえばこのふたりの職業を僕はまだ知らない。訊いていいものか迷っていたら、「クドウは歯医者だぞ」とムカイさんが教えてくれた。

「歯医者?! ちゃんと患者さんと会話できるんですか?!」
「どういう意味だ、うり坊コラ」
「集荷に行ってる奴から聞く話じゃ、医院の中ではちゃんとまともにやってるらしいぞ」
「集荷って?」
「歯の詰め物とかインプラントとかを作るための模型を回収してるんだよ。俺は技工物を作る技工士」

 業種が近いって、そういう意味だったのか。ムカイさんがすんなり職業を明かしてくれたことがなんとなく嬉しい。付き合いたてだし、根掘り葉掘りきくにはまだ遠慮がある。

「手に職系ですね。僕と同じだ」
「渋樹は美容師だろ。今度切ってくれよ」
「僕、スタイリスト一年目ですよ。失敗するかも」
「構わねえよ。俺で練習すりゃいいだろ」
「いまの髪型似合ってると思いますよ。あ、でももっと短いのも似合いそう。昨日思ったんですけど、ムカイさんってきれいな頭の形してるんですよね」
「俺の前でイチャイチャしてんじゃねえよ」

 クドウさんがおもしろくなさそうに文句を言う。ムカイさんとこうなったからってのもあるけど、たくみと別れる原因になったクドウさんがもうぜんぜん憎くない。

「そういえばたくみはどうしてるんですか?」

 鍋をつつくついでにクドウさんに訊ねる。クドウさんも箸を伸ばしてきた。

「あいつどうにかしろよ。この前医院にまできたぞ、あのストーカー野郎」
「え、それやばくないですか」
「やべえどころじゃねえよ。他の患者の手前追い返すわけにもいかねえしよ。口んなか見たら虫歯一本ねえし。とりあえず歯石とってやったらあいつ、今度はホワイトニングの予約取って帰りやがった。また来る気だぜ」
「元はと言えばおまえが下手なちょっかい出したのが悪いんだろ」
「俺に説教すんな」

 とふくれっ面で僕たちの鍋の具をどんどん食べる。さっき食べたとこなんじゃないのかこの人。

「あのー、素朴な疑問なんですけど、たくみと付き合う気はまったくないんですか?」
「ねえよ、からかったら面白そうな奴だとは思ったけど、まさかあんなやべ―奴だとは思わなかった。だいたいあいつもタチだろ」
「えっ、クドウさんも?」

 僕が驚くとクドウさんにギロリと睨まれた。

「なんだよ、どう見ても俺はバリタチだろうが」

 興味がなさすぎてクドウさんがどっちかなんて、今まで深く考えたことがなかった。ただなんとなく、ネコなんじゃないかと、この見た目の印象で勝手にうっすら思いこんでいた。

「だったらたくみにもそう言えばいいんですよ。あいつ、自分が抱かれる側は想像できないって言ってたし」
「俺に抱かれたくて付き纏ってたんじゃねえのか」
「その可能性もなくはないですけど、クドウさんのこと守ってあげたいとか言ってたし」

 クドウさんは綺麗な顔を思いっきり歪めた。それこそ苦虫を噛み潰したように。

「そういうことは早く言え」

 たくみがまだ付き纏い行為を続けるようなら、またなにか策を考えようと話が纏まった。食事を終え、店を出た。どこかで飲むか、という流れ。

「ケン坊の店でいいだろ」

 僕とムカイさんは顔を見合わせた。

「なんだおまえら。ケン坊の店じゃいやなのかよ」
「おまえが変なこと言うからだろ」
「気にするこたねえだろ。ケン坊のせいで時間無駄にしてんだし、見せつけてやれよ。そしたらケン坊も諦めるしかねえだろ」

 僕たちはまだ気が進まなかったけど、強引なクドウさんに連れられてケンちゃんの店までやってきた。先にクドウさんが入る。扉がカランと鳴る。懐かしい音に胸が締め付けられた。

 次いでムカイさんが入った。中から明るいケンちゃんの声が聞こえる。ムカイさんに続いて僕が顔を出すと、ケンちゃんは思いきり目を見開いた。一瞬にして消えた笑顔を目の当たりにして、クドウさんが言っていたことは本当だったんだと確信した。

 ケンちゃんはすぐ笑顔を取り戻した。

「いらっしゃい、しーちゃん。久し振りだね」
「うん、この前は酔っぱらってごめんね」
「いいよ、いいよ。ほら座った座った」

 ムカイさんが待ち合わせのときにいつも座る、L字の短いほうへ僕たちは座った。ケンちゃんの笑顔が少しひきつったように見えた。

「珍しいね。この三人で飲みに来るなんて」
「ケン坊、こいつら付き合ってるから」

 クドウさんが僕とムカイさんの背中を叩く。ケンちゃんはもう驚かなかった。

「店に入ってきた二人を見て、そうじゃないかと思ってたよ」

 目を伏せて微笑む。ケンちゃんは本心を隠すのがうまい。僕にはもう、ケンちゃんがなにを考えているのかわからない。

「ムカイちゃん、しーちゃんのこと頼んだよ。それと、待ち合わせに使うんじゃなくて、たまにはうちで飲んで行ってよね。これは店の奢り」

 と僕たちの前にグラスを並べた。

 ケンちゃんの本心は僕にはわからない。ムカイさんのことは諦めたのか、僕を恨んでいるのか、いまもまだムカイさんが好きなのか、いつもの笑顔からは読み取れない。

 やっぱりもう、この店には来ないほうがいいんじゃないだろうか。

「しーちゃん」

 ケンちゃんに呼ばれて顔をあげた。

「良かったね。お似合いだと思うよ。幸せにね。俺も嬉しいよ」

 優しい言葉に目がじわっと潤んだ。何度も強く瞬きをして涙を散らした。切なくてたまらなかった。

 目聡いクドウさんが僕が泣いていることに気付いてからかう。それをムカイさんが窘める。ケンちゃんが笑う。常連客がやってきて、店が一層にぎやかになる。

 僕はこの店が好きだ。





非BL。癒し。

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はじまる(7/8)

2019.07.25.Thu.


 晴れてムカイさんと恋人になれた。というわけで以下の話は蛇足になる。

 あの夜連絡先を交換したあと僕とムカイさんは別れた。帰りのタクシーのなかでムカイさんから「おやすみ。気を付けて帰れよ」とメールがきた。まだ実感のなかった恋人気分がじわじわ込み上げてきて、タクシーのなかで僕はにやけるのを止められなかった。

 その後何度かメールのやりとりをした数日後、僕はまたムカイさんと会った。

 待ち合わせた場所はケンちゃんの店とは違う、別の店。ここもムカイさんの行きつけの店のひとつらしい。ケンちゃんの店より照明が絞られていて、間接照明の明かりが年季の入った木製カウンターを照らして温かい雰囲気を醸し出す。テーブルの数も多いが、ほとんど客で埋まっていた。かと言って騒がしくもなく、静かすぎることもなく。適当な雑音が、初めて来た僕を落ち着かせた。

 あれ以来、ケンちゃんの店には行っていない。待ち合わせに僕が知らない店を指定してきたムカイさんも顔を合わせずらいんだろう。

 クドウさんの言っていたことが全部正しいとは限らない。でも、間違っているとも言えない。ムカイさんとふたりでいるところをケンちゃんにはまだ見られたくなかった。

 ムカイさんを前に緊張した僕はさぞかし醜態をさらすんだろうと思っていたけど、あとから店に来た僕を見つけてムカイさんが煙草をはさんだ右手をあげたとき、五年前のゲイバーデビューの日を思い出して、不思議と緊張が和らいだ。5年の間に僕も成長した。あの夜をやりなおせる幸運を大事にしたい。

「迷わず来れたか?」

 ムカイさんの声も優しい。店の雰囲気と、僕たちのくすぐったい関係はしっくり合った。会話は途切れることがなかった。共通の話題はたくさんあった。でも意図的にケンちゃんの話題は避けていた。

 長い時間をかけて一杯飲むと、ムカイさんに「行くか」と促されて店を出た。腹は減ってるか? ラーメンでも食べるか? 店を一歩出たムカイさんは未知のムカイさんだった。いつもこうして待ち合わせの店を出たあと食事に行っていたのだろうか。

 ラーメンを食べ終わるともういい時間だった。ムカイさんは腕時計を見ながら「俺んち来るか?」と僕を誘った。いとも自然に。当たり前のように。心の準備がまだできていない。

「えっと」

 本当は行きたいくせに即答するのが恥ずかしいだとか、ムカイさんに迷惑じゃないだろうかとか、僕の悪い癖が出て言い淀んだ。ムカイさんは僕の肘を掴んで「来いよ」と言う。強引さはなくて、むしろお願いするような言い方だった。だから僕は頷いた。

 電車で移動し、N駅で下りた。

「僕の家、H駅なんですよ。N駅寄りなんで、ここからすごく近い」

 この偶然を単純に喜んでムカイさんに報告した。ムカイさんも「ほんとか」とびっくりした様子だ。

「あ、ムカイさんの家を調べて近くに来たとかじゃないですからね! ほんとにたまたまですから」
「わかってるよ。言っとくけど、俺も違うからな。」
「こんなに近かったのに、今まで一度もすれ違ったりしませんでしたね」
「まあな。平日は仕事だし、夜は家か、どっか出かけてるかだからな。じゃあ、次から渋樹んちに迎えに行けばいいな」
「えっ、いいですよ、僕が行きます!」

 ムカイさんに来させるのは悪い。しばらく歩いてからはたと気付いた。

「あ、ムカイさんに家を教えるのが嫌とかじゃないですよ」
「わかってるよ」

 苦笑するようにムカイさんが笑う。黒い服を着たムカイさんは夜の住宅街に溶け込んでいた。ムカイさんが住む街。きっと何往復もしただろう道のり。自分が隣を歩く不思議。また顔がニヤけ始める。

 オートロックを解除して自動ドアを抜けたムカイさんは、「こっち」と通路を曲がって一階一番奥の部屋を開けた。1LDK。開けっ放しの寝室にベッドが見えた。紺色のベッドカバーが少し意外に思った。

 リビングのソファを勧められて腰をおろしたが、ずっと私生活が謎だったムカイさんの自宅に招かれて、好奇心を抑えるのは大変だった。失礼にならないよう気をつけながら、やっぱり部屋をいろいろ観察してしまう。

 必要最低限の家具と物しかない部屋だった。ソファにテーブル、楕円形の絨毯、テレビ、窓の脇に大きめの棚があって、雑誌漫画小説、いろいろ並んでいるがまだ隙間がある。

 美容学校時代の友達の部屋はもっとごちゃごちゃしている。僕の部屋も物が多い。だからこざっぱりしたムカイさんの部屋は新鮮で、大人っぽく見えた。僕も帰ったら不用品を処分しよう。

「ほら」

 キッチンにいたムカイさんがビールを持って戻ってきた。

「さきに風呂入る?」

 きっとムカイさんは冗談のつもりで言ったに違いなかった。なのにガチガチに緊張した僕は真に受けて、しかも食い気味に「はい!」と元気いっぱい返事をして笑われた。

「落ち着けって。やる気なのは嬉しいけどさ」

 恥ずかしくてビールを煽る。

「飲み過ぎるなよ、また前みたいになるぞ。今日は泊まっていけるんだろ?」
「えっ、いいの?」

 ケンちゃんの噂のせいで、事が済んだらすぐ帰れと言われると思いこんでいた。

「なんのために今日誘ったと思ってるんだ。月曜は休みなんだろ?」
「そうです、月曜は定休日で……、よく知ってますね」
「ケン坊たちと話してるの、聞き耳立ててきいてたからな。明日、有給取ったんだぞ」
「もしかして僕のこと大好きですか?」
「そうだよ、悪いか」

 あっさり肯定されて次の言葉が出てこない。間抜けに笑う。また緊張が戻ってきて鼓動が早くなる。

 ゲイの世界に入って初めて好きになった人がムカイさんだ。それ以前も好きになった男はいたけど、本気にならないよう自制してたし、可能性がないと諦めていた。

 ケンちゃんの店に初めて行った夜、もう自分を抑えなくていい状況でムカイさんに一目惚れした。当たり前だが誰でもよかったわけじゃない。雷に打たれたというより、一目で心を盗まれた。いや僕が捧げた。

 静かに一人でお酒を飲む姿が気になって、ケンちゃんとの会話で見せた笑顔の落差に心臓が高鳴った。あの時と同じ高鳴りでいま胸が苦しい。

 そっとムカイさんの胸に手をあててみた。

「どうした?」
「僕はさっきからすごくドキドキしてるけど、ムカイさんはどうなのかと思って」
「俺だってびびってるよ。初めて会った日からずっと気になってた渋樹と付き合えることになったんだ。間違えたり失敗したくないって思ってる。おまえを家に呼んで正解だったのかわからないし、このまま押し倒して嫌われないか不安でしょうがねえよ」
「嫌うわけないじゃないですか」

 ムカイさんにキスした。軽く押し返しながらムカイさんが応えてくれる。もうそれだけで頭が蕩ける。肩を掴まれ、後ろへ押し倒された。キスをしながら僕たちは全身を相手に押しつけあった。

 ムカイさんの服を脱がした。期待と高揚をじっくり味わいながら、ムカイさんの上半身を見つめた。刺された傷なんかない、きれいな体だった。





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はじまる(6/8)

2019.07.24.Wed.


 目が覚めたら知らない場所だった。天井に照明。横を見ると壁。反対はテーブルの下に誰かの膝が見えた。

 どこかの店の個室っぽい。他の客の話し声が遠くかすかに聞こえる。会話を邪魔しない落ち着いた店のBGM。体を起こしたら少し頭がふらついた。

「あれ、ここ。僕どうして」

 正面に、煙草をふかすムカイさんがいた。その横では料理をがっつくクドウさんが。

「おまえ、途中で寝やがったんだよ。ここまで連れてくんの大変だったんだからな」

 咀嚼途中で喋るから口の中のものが飛び出して汚い。ムカイさんは慣れたものなのか、無言でテーブルを拭いている。やっぱ仲いいんじゃん。

「すいません、ムカイさん」
「なんでムカイにだけなんだよ! これだからブリッコは」
「前も言ってたけど、俺のどこがブリッコなんだよ」
「気付いてねえのか?! すいませんムカイさん僕! ムカイの前だからってかわいこぶってんじゃねえよ」
「かっ……! わいこぶってねえよ!!」

 ムカイさんの前でなんてこと言うんだ。しかも途中のやつは僕の真似か? すばやく窺ったムカイさんは、冷めた顔つきで煙草をくゆらせている。

「渋樹は俺のこと苦手だからな」
「苦手じゃないですよ!」
「そうか? すげえ距離感じるけど」
「そんなことないです」
「苦手の反対、好きすぎて嫌われたくねえからいつまでもムカイには敬語なんだろ? ブリッコ野郎」

 クドウさんの言葉にハッとした。気付いていなかった。僕は本当に無意識に使い分けていた。ムカイさんに対してだけ、敬語が崩せなかった。一人称も俺じゃなく、僕だった。本当に、クドウさんに言われるまで気づいていなかった。

 羞恥から一気に顔が熱くなった。怖々見たムカイさんはぽかんとした顔だ。煙草を吸う手も止まってしまっている。

「違います! だってムカイさんは年上だし」

 俺も年上だっつーの、とクドウさん。

「ケンちゃんの店の先輩だし」

 俺も先輩だっつーの。口の中のものを飲みこんだクドウさんは行儀悪い立膝でニヤニヤ笑う。僕の背中を変な汗が流れる。

「クドウさんは、敬語使うに値しないっていうか」
「それは聞き捨てならねえな。素直にムカイにブリッコしてたって言えよ」
「違う……それは本当に違いますよ……」

 もう顔をあげてられなくて俯いた。

「渋樹に嫌われてないんならどっちでもいいよ」

 笑いを含んだムカイさんの声がした。呆れられた? 変な奴って思われた? クドウさんが言うみたいにブリッコ野郎? 穴があったら入りたい。

「なんだこの空気。尻がムズムズする。俺は少し寝るから起こせよ」

 座布団を枕替わりにして、クドウさんは畳の上に横になった。眉間にしわの酔った不機嫌な顔で目を閉じる。こんな状況で、酒も飲んでいないのに眠れるのかと思ったが、しばらくしたら本当に寝息を立て始めた。

「いつも電池が切れたみたいにいきなり寝るんだ。起きたら体力完全回復してんだぜ。子供かよ」

 クドウさんを見下ろしながらムカイさんが微笑む。

「ほんとにクドウさんと付き合ってないんですか?」

 と思わず勘ぐってしまう。

「だから、こいつとはなんもないって。なんかあるわけないだろ、これと」

 その雑な扱い方も親しい証に思えて僕は嫉妬するわけですが。……嫉妬? とんでもない言葉が頭に浮かんでしまった。

「あの、今日は絡んじゃってすいませんでした」
「久し振りにやさぐれてる渋樹を見られて面白かったけどな。もう酔いは醒めてきたか?」
「あ、はい」
「彼氏とのことは残念だったな」
「まあ、クドウさんが相手じゃ仕方ないかなって。顔だけはいいですもん」

 と見たクドウさんは、難しい顔で歯ぎしりしながら眠っている。それでも美形が損なわれない。悔しいから落書きしてやろうかな。

「落書きしてやるか?」

 ムカイさんが同じことを言いだしたから思わず吹き出した。

「僕も同じこと考えてました」

 笑う僕を、ムカイさんは遠い目で見た。

「どうしました?」
「さっきクドウが言ってたことだけど、本当なのか?」
「えっ」
「いつも俺にだけ距離があるなって思ってたんだよ。他の連中みたいに砕けた感じではこないだろ。こないだも飯誘ったら断られるしさ。クドウのほうが打ち解けて楽しそうだし。だから俺は嫌われてんだろうなって思ってたんだけど、違うのか?」
「違いますよ! 嫌ってなんかないです!」

 中腰になって慌てて否定した。チラっとみたクドウさんはまだ寝ている。

「僕にとってムカイさんって憧れの人なんですよ。ムカイさんは覚えてないと思いますけど、僕がケンちゃんの店に初めて行ったとき、ムカイさんもいたんです。その時に、かっこいいなって、密かに思ってたんですよ。その時の印象が強くて、ムカイさんには敬語になっちゃうだけなんです。嫌いとか苦手とか、ぜんぜん、ないです」
「ならいいけど」

 納得したのかわからない顔でムカイさんは頷いた。

「渋樹が初めてケン坊の店に来た時のことは俺も覚えてるよ。ウブくてかわいくて、食っちまいたいって思ってた。俺もツレがいたし、なによりケン坊の牽制がきつくて手を出すどころか口も出せなかったけどな」

 笑いながらムカイさんは小鉢の料理をつついた。僕はそれを眺めながら、いま聞いた言葉を反芻した。ウブくてかわいくて食っちまいたいって? 本当にそう言った? ムカイさん、僕のこと良いって思ってくれてたってこと?

 これはきっとあれだ。リップサービスだ。僕がたくみに振られたばっかりだから、慰めるために持ち上げてくれてるだけだ。ムカイさんの噂を思い出せ。二股三股は当たり前。修羅場は何度も経験済み。ムカイさんの言葉を本気にしちゃだめだ。

「手が出せないのは、ムカイさんもですよ。すごくモテるじゃないですか」
「いい男だしな。って、いうほどモテてねえよ」
「いやいや、ケンちゃんの店に来る時いつも男連れじゃないですか」
「待ち合わせで使ってんだから、たいがい誰かと一緒だろ」
「毎回違う男」
「んなこたあねえよ。ミノルだって3、4回連れて行ってる」

 言われてみれば、僕が知る限りで2回は来てた。噂のせいで、悪い印象しか残らない。

「二股三股は当たり前って」
「二股なんかするかよ。されたことはあっても」
「修羅場は何度も経験済みで」
「一度もない」
「刺されたこともあるって」
「あってたまるか」
「だって、噂で」
「誰だそんなデマ流しやがったのは」

 デマ? 全部嘘? どっちが? 誰が? ムカイさんの噂を僕に教えたのは。

「……ケンちゃんだ」
「ケン坊が? なんでそんなデタラメを……まあ大方、俺を渋樹に近づけさせないためだろうな。渋樹のことを弟みたいにかわいがってるから、自分が認めた男じゃねえと嫌なんだろ。この前のイケメンカバディ野郎みたいな。俺と正反対のタイプ」

 言われてみれば。ケンちゃんが僕と仲を取り持とうとするのはいつもわかりやすいイケメンタイプ。僕にはこういう男がお似合いだって。最初は僕も夢中になるけど、いつもうまくいかなくて、半年程度で別れるを繰り返してた。

 ムカイさんの悪口を僕に吹きこみ、ムカイさんと正反対の男とくっつけようとする。

 もやもやする。なにか意図があるような。

「渋樹のこと狙ってんのかもな。さっきも、おまえを連れ出して店出るときのケン坊の顔見たか。独占欲の塊だったぞ」
「僕を? まさか!」
「ばか野郎、狙われてんのはおまえだ、ムカイ」

 いきなりクドウさんが起き上がった。目は充血して真っ赤。しかめっ面でガシガシ頭を掻きまわす。

「ケン坊はずっとおまえを狙ってんだよ。でもおまえが店にくるときはいつも男連れ。隙を窺ってるときに渋樹がやってきて、ムカイは涎を垂らしてるし、渋樹もムカイにホの字なのがダダ漏れ。あの腹黒野郎がおまえらを素直にくっつけるわけがねえだろ。与しやすい渋樹を手元に囲ってネガティブキャンペーンしまくっておまえから遠ざけてたんだよ。なんでそんなこともわからねえんだ、おまえらは」

 クドウさんは一気にまくしたてるとテーブルのソフトドリンクを煽った。ここではノンルコールのワインを飲まないのかとぼんやり思いながら、僕の頭の大部分はクドウさんの言葉とケンちゃんの今までの言動を思い返していた。

 たくみがクドウさんに落ちたといち早く気付いて僕にだし巻き卵を振る舞ってくれたケンちゃんなら、僕がムカイさんに一目惚れしたこともすぐに見ぬいただろう。常連客なら、ムカイさんの好みのタイプも知っていたはず。

 ケンちゃんは全部知ってた。全部わかってて──。

 ──初めてなら相手選びは慎重に。誰でもいいなんて考えちゃだめ。これから嫌でも長いゲイライフなんだから初めてだけは大事に、特別な人と。

「嘘だ、ケンちゃんがそんなことするはずない」
「信じる信じないはおまえの勝手だ。でもケン坊がおまえらの邪魔してたのは確かだ。おかげで何年無駄にした?」

 出会ってから5年。口をきくようになったのも2年前から。もしクドウさんの言ってることが本当だったら5年無駄にしたってことだ。

「これで元彼の件はチャラだからな。ムカイ、ここはおまえの奢りだぞ」

 膝に手をついてクドウさんは立ちあがった。いまはもうすっきりした顔をしている。うまくいったら飯奢れよ、と言い残し、クドウさんは帰った。

 うまくいったらって?

 ※ ※ ※

 クドウさんがいなくなったら急に部屋が静かになった。忘れていた店のBGMがはっきり聞こえる。

 間がもたないのはムカイさんも同じようで、ポケットから煙草を取り出し、空だとわかると苦い顔で握り潰した。

「あ、僕、煙草買ってきましょうか?」
「いや、いいよ」

 また沈黙。ムカイさんもクドウさんが落としていった爆弾の処理に忙しいんだろう。

「クドウの言ったことが本当なら、俺ってけっこうモテモテだよな。自覚ねえけど」
「ですよね。僕もケンちゃんも、ムカイさんが好きってことですもんね」
「えっ」
「えっ!」

 ムカイさんの慌てた顔で自分の失言に気付いた。さっきは憧れているといったその口で。舌の根も乾かぬうちに告白めいたことを。しかもたくみと別れたばかりの僕が。

 顔を赤くして俯く僕は、クドウさんが言う通り、ただのブリッコ野郎だ。

「俺のこと、好きか?」

 ムカイさんはゆっくりした口調で僕に訊いた。ムカイさんの声は温かみのある黒だ。落ち着いていて、安心する。迷ったのは一瞬。僕は素直に頷いた。

「さっきも言ったけど、俺は二股なんかしないし、修羅場の経験もないし、刺されたこともない。ひとりとできるだけ長く付き合いたいと思ってるし、別れたら落ち込むし、振られたからって人を刺したりもしない。渋樹がずっとイメージしてた俺と本物の俺は違うけど、それでも好きだって思ってくれるなら、俺と付き合ってくれるか?」

 噛んで含めるように言う。噂で聞いていたムカイさんと実物はぜんぜん違う。こっちのムカイさんのほうがいいに決まってる。僕は何度も頷いた。胸がいっぱいでなにも言葉が出てこない。

 照れたようにムカイさんが笑う。それは僕が初めて見る顔だった。

 ムカイさんはテーブルの上に身を乗り出した。クイクイと指で手招きされる。僕もテーブルに両手をついてのりあげ、ムカイさんと唇を重ねた。

 僕たちはやっと今日から始まるんだ。





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はじまる(5/8)

2019.07.23.Tue.


 予兆はあった。だし巻き卵の予感もあった。

 たくみからマメなメールが減った。僕から連絡をすることが増えた。会えない日が増えた。たまに会っても心ここにあらずって感じで、たくみは別の何かに囚われていた。

 そんな感じが二ヶ月続いて、ついにたくみから別れを切りだされた。

「好きな人ができた。俺が支えてあげないといけないと思った。放っておけない。目が離せない。そばにいて守ってあげたい」

 僕に囁いた愛の言葉より、より熱烈な内容。相手はクドウさん。一目惚れだったそうだ。キスされたことが決定打。身も心も、僕ではなく、クドウさんのほうへ向いてしまった。クドウさんにはムカイさんがいる。だから諦めようとこの二ヶ月もがいてみたが、どうやらあのふたりはまだ付き合っていないようだし、諦めきれなかった。だから、別れよう、と。

 クドウさんと付き合えるって決まったわけじゃないのに?

「構わない。ずっと片思いでもいい」

 あの人と付き合っても大変だと思うよ。恋人がいる男にキスするような人だよ?

「それも含めて、俺はあの人が好きだから」

 たくみは、クドウさんの欠点すら好きだと言う。しーちゃんは悪くない、俺が悪いんだ、とも。

 そこまで言われたら僕からなにも言うことはなかった。別れたくないと縋りついて駄々をこねる気力も湧かない。

 性格はあんなのでも、恐ろしいくらいの美形。凡人が太刀打ちできる相手じゃない。たくみのように、一目で魂を抜かれた人をいままでにも何人か見てきた。そういう人は外野がなにを言っても無駄だった。

 だから、たくみと別れた。

 一ヶ月くらいは何もする気にならなかった。仕事と自宅の往復。休みは一日中家で過ごした。ケンちゃんの店にも行ってない。

 内側から無気力に蝕まれている。泣いたり怒ったりしなかった自分を、大人のように落ち着ていると思っていたけど、ただショックが大きすぎて実感がなかっただけみたいだ。

 最近、ふと気が緩んだ瞬間に泣きそうになる。夜は布団のなかで一人で泣いてる。たくみを責める言葉が頭のなかでグルグルして眠れない。消せばいいのにたくみからのメールを読み返してしまう。一件残った留守電の声を何度も聴いてしまう。

 あの青い声はもう僕のものじゃない。大きい手も、筋肉質な足も、柔らかい天然パーマの髪も、先が尖り気味の耳も、優しい言葉も、愛情に満ちた眼差しも、僕のもとから離れてしまった。

 クドウさんなんか嫌いだ。どうしてあの日珍しく店に来たんだよ。俺にくれって言葉、ほんとになっちゃったじゃん。あの泥棒猫。ほんとにたくみが欲しかったわけじゃないくせに。ムカイさんと仲良くなっただけじゃなく、どうして他人の男にまで手を出すんだよ。

 クドウさんに骨抜きになった男は多いなか、ムカイさんだけは例外だった。いつからの知り合いかは知らないけど、僕がケンちゃんの店に通い始めた頃にはもう、あの二人は仲が悪かった。

 クドウさんがムカイさんのツレに「あんた、趣味悪いな」って失礼極まりない発言をしたり、ムカイさんも「黙れよ、尻軽」って顔も見ないで言い返したり。ノンアルで酔っぱらったクドウさんが絡んできても、ムカイさんは迷惑そうに顔を顰めるだけで相手をしなかったし。だから僕は安心をしていたんだ。

 なのに、ムカイさんまで自分の物にする気なのか。僕が好きになったもの全部、クドウさんに取られていく。

 一人で泣き暮らしていたら、ケンちゃんからメールがきた。

「最近来ないからすうさんたちが寂しがってるよ。久し振りにおいでよ、待ってるから」

 たくみのことには触れてこない。別れたことをもう知っているのかもしれない。いや、察しているんだろう。だって、たくみがクドウさんに一目惚れしたのにいち早く気づいてだし巻き卵を作ってくれた人だ。

 ケンちゃんに愚痴ろう。たくみとクドウさんの悪口もいっぱい言ってやろう。いっぱい飲んでいっぱい愚痴って、次の日は二日酔いで最悪の気分になったら、もうたくみのことは綺麗さっぱり忘れてやろう。

「今日行く」

 ケンちゃんに返事を送った。

 ※ ※ ※

 店に行ったら、すうさんとサスケが一緒に飲んでて僕を手招きした。すうさんの恋人も控えめな会釈をしてくる。ずっと一途にすうさんを想い続けて来た人。そんな相手に僕も巡りあいたい。

 ケンちゃんを入れた5人で乾杯した。この面子で飲むのは今夜が初めてだ。ケンちゃんが前もって言っていてくれたのか、誰もたくみのことは口にしない。

 だから自分から言った。

「もう知ってると思うけど、たくみと別れましたー!」

 ケンちゃんは目を伏せ、すうさんは頷いて、サスケは僕の背中を叩いた。すうさんの恋人だけが驚いた顔をした。

「しーちゃんとお似合いだと思ったんだけどね」

 残念そうにケンちゃんが言う。僕の恋を一番応援してくれた。

「ま、しょうーがない! だって相手はあのクドウさんだし、中身クソでも外側だけは最高級の人だからね! 初対面でキスされたら、耐性ない人はコロっと落ちるでしょ」

 つとめて明るく振る舞う。僕のせいでしんみりした空気になるのは申し訳ない。

「見る目がないんだよ、たくみくんは。だって俺じゃなくしーちゃんを選ぶんだし」

 とサスケ。まだ狙ってんのかよって、いまはそういう軽口がありがたい。

「ほんとほんと、クドウさんを選ぶって、たくみの奴見る目ない。あの人とうまくいくわけないじゃん。付き合えても大変そうだし。今頃後悔してんじゃない?」
「噂では、クドウさんを追っかけまわしてるけど、ずっと邪険にされてるらしいよ」

 顔の広いすうさん情報。追いかけまわすたくみと、あしらうクドウさん。目に浮かぶようだ。

「今日は朝まで飲むぞー!」

 キープしてたボトルを空にしてやる。たくみと最初に出会ったとき、ここから一杯奢ったんだった。思い出してちょっとしんみり。

 もともと残り少ないボトルが空になっても飲み続けた。すうさんが「そろそろ」と止めても飲んだ。ケンちゃんに「もうよしな」と止められても飲んだ。僕は今日泥酔したいんだ。

 店の戸がカランと鳴って反射的にそっちを見る。やってきたのはムカイさん。すでにベロンベロンに酔った僕を見て驚いた顔をする。

「ケン坊、飲ませ過ぎだろ」

 いつもの場所へムカイさんが座る。今日も誰かと待ち合わせ。誰と? クドウさん? ミノル? それともまた別の男?

「止めてるんだけど…、ほらしーちゃん、お水飲みな」

 ケンちゃんの声を無視して、僕はヨタつく足でムカイさんの隣に座った。

「僕がこんなに酔ってるのは、ムカイさんのせいでもあるんですからね」
「俺?」
「そうですよ。ムカイさんがしっかりクドウさんのこと捕まえてないから、たくみがクドウさんとこフラフラ行っちゃったんですよ」

 ムカイさんは僕から目線を外し、ポケットから出した煙草を咥えた。ムカイさんも僕がたくみと別れたことは知ってるみたいだ。親密なクドウさんから聞いたんだろう。

「俺とクドウはなんにもないぞ」
「じゃあなんで前は喧嘩ばっかりしてた人が急に仲良くなってんですか」
「たまたま業種が近いってわかっただけで、仲良くはない」

 ふうん。僕はムカイさんがなんの仕事をしている人なのかすら知らないけど、クドウさんは知ってるんだ。

「やっぱ仲良いじゃないですか。今日もクドウさんと待ち合わせですか? ミノルくんはどうしたんですか?」
「ミノルとはとっくに別れた。他に男ができたんだとさ。てか、なんでおまえにこんな話しなきゃいけないんだ。もう帰れ。そろそろクドウも来る」
「なんで僕を追い出そうとするんですか」
「そうじゃないだろ、飲み過ぎだって心配してやってるんだ」
「クドウさんにも言いたいことがあるんです。来るまで待ちますよ」

 ムカイさんは無言でため息をついた。

 ムカイさんのハイボールが空になるころ、クドウさんがやってきた。僕を見るなり指さして「おまえの彼氏、どうにかしろ!」と怒鳴ってきた。

「もう俺の彼氏じゃねえよ、あんたのせいで!」
「俺の行く先々であの野郎、待ち伏せしてやがる。おかげで馴染みの店に顔も出せやしねえ。元はついてもお前の彼氏だろ、責任もって回収しろ」
「知るか。あんたが下手にちょっかい出したのが悪いんだ。たくみのこと欲しいって言ってたでしょ。よかったじゃん、言った通りになって」
「くっそ、うり坊のくせに生意気なんだよ。ムカイ、どうにかしろよ」
「おまえが悪い」

 正面を向いたまま、ムカイさんは煙草の煙を吐きだした。「そうだそうだ」と僕は合いの手を入れる。クドウさんは地団太を踏んだ。

「なにが望みだ、うり坊」
「そのうり坊呼びやめてくださいよ。そんで今日は俺がいいっていうまで付き合えってもらおうかな。あ、俺明日仕事休みだから」
「俺は明日も仕事だ! くそったれめ!」

 クドウさんはポケットから一万円出してカウンターに叩きつけた。

「ケン坊、こいつの今日の飲み代、これで足りるか?」
「足りるけど……」
「おら、場所変えるぞ。ムカイ、おまえもだ。俺ひとりにこいつのお守りさせんじゃねえよ」「これ以上しーちゃんに飲ませるのはやめたほうが」

 ケンちゃんが慌ててカウンターから出てきた。クドウさんによっかかる僕に手を伸ばしてくる。

「大丈夫、コーラ飲ませとくって」

 ケンちゃんの手を、ムカイさんがやんわり払った。しばらくふたりは無言で見つめ合った。先に笑顔になったのはケンちゃんだ。

「ムカイさんのこと信用してるよ」
「ほんとに?」

 ムカイさんの意味深な笑み。僕にその意味を探る余裕はなかった。ふたりに支えられて、ケンちゃんの店を出た。




魔風が吹く 1

非BL。
ムカイの黒上下とクドウの名前はこれの番頭から。
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はじまる(4/8)

2019.07.22.Mon.


 店が定休の月曜日、一人で買い物に出かけた。たくみは仕事。誘う友達がいないわけじゃないけど、たまにはひとりになりたかった。

 靴下と下着を買ったあと、昼をどうしようかと考えていたらたくみからメールがきた。先日お泊りした時に、連休を取って温泉旅行に行こう、と誘われていた。いいね、と返事をしてから、たくみは自分で調べた旅先の候補をいくつかメールしてくれる。

 この温泉はここがいいとか。ここだとレンタカーを借りて他の観光地も見てまわれるとか。ここは評判がいいけどちょっと遠いから二泊する? だとか。

 マメだ。本当にマメだ。

 僕もマメに返事を送り返す。すぐさま長文のメールが返ってくる。気合い入れて送り返すためにビルの壁際に寄って文字を打つ。

「渋樹?」

 名前を呼ばれた気がして顔をあげた。歩道を歩く通行人。ひとりが立ち止まって僕を見ていた。黒い上下。中は白。

「ムカイさん」
「昼間に店の外で会うと誰だかわかんないな」
「ですね。ムカイさん、今日は休みなんですか?」
「休日出勤の振り替え。平日に休みって久しぶりだよ」
「今日はひとりなんですね」
「みんな仕事だからな。そっちも仕事のメール? トラブルか?」
「違いますよ」
「彼氏にメール?」
「あ、はい。今度温泉行こうって話してて、その打ち合わせっていうか」
「あいかわらずイチャイチャしてんのか」
「ムカイさんだってミノルくんでしたっけ? イチャイチャしてたじゃじゃないですか」
「そりゃあセックスする仲なんだから、イチャイチャしないでなにすんの」
「でしょ」
「温泉かあ。いいな。ヤリまくりだな」
「それが目的で行くんじゃないですよ」
「ビッチになりやがって」
「ビッチじゃないです。人聞きの悪い」
「このあと暇か?」
「えっ」
「昼飯は?」
「まだですけど」
「行く?」
「あー、僕まだ買い物終わってないから」
「そっか、じゃまたな」

 片手をあげると、ムカイさんは雑踏のなかへ消えていった。

 当初予定していた買い物はまだ終わってない。それは本当だ。でも別に急ぎじゃない。食事のあとでも良かったし、別の日でも構わない。

 ムカイさんの誘いを断ったのにはちゃんと理由がある。もしふたりでいるところを知り合いに見られて変な噂流されても困るし、たくみに悪いと思うし、ムカイさんのお相手のミノルくんにも勘違いされたくない。

 ていうのは僕のなかの良い子ちゃんな言い訳。

 本当の理由は、ムカイさんを好きになっちゃいけないから。

 僕のゲイバーデビューの日、ムカイさんも実は店にいた。結局その日は一言も喋らなかったけど、僕の一目惚れだった。あの人の顔や立ち居振る舞いが好きだな、とチラチラ盗み見してた。でもムカイさんは待ち人の男が来たら店を出て行った。あっけなく失恋。

 そのあとケンちゃんから、初めてなら相手は慎重に選んで大事にしなって言われてなかったら、僕はヤケを起こしてどこの誰ともわからない男と寝てたかもしれない。

 それにあとから聞いたムカイさんの噂はどれもこれも酷くて、僕にはとても相手がつと まるとは思えなかった。

 ムカイさんは付き合う相手をコロコロ変えるタイプだが、僕は一人と長くじっくり付き合いたいタイプ。

 二股されたら絶対許せないし、修羅場になったら僕もナイフを振り回すかもしれないし、さっきみたいに、彼氏がいるのに別の男を食事に誘うのも嫉妬するし。

 付き合いかたの価値観が違いすぎる。

 ムカイさんが僕を選ぶかどうかは別として、こちらからあえて踏みこまないし、適度な距離を保つようにしている。だって好きになっても、苦しくて泣かされるのはきっと僕のほうだ。

 合わないとわかっていても、悔しいことに、いまだに僕の目にムカイさんはかっこよく映るし、相手が変わるたびにモヤモヤするし、別れたと知ると喜んでしまうし、僕の方をちょっとでも見ないかしらと思ってしまう。

 本当に付き合ったらきっと大嫌いになって顔も見たくなくなるんだろうけど、一度お預けをくらった料理は、実際口にするまで期待値あがりっぱなしだ。

 いまはたくみと付き合っている。たくみを裏切るようなことはしたくない。ムカイさんの食事の誘いを断ったのは、間違いなく正解だ。

 胸を張ってたくみにメールの返信を送った。温泉旅行は箱根に決まった。

 ※ ※ ※ 

「これ、箱根のおみやげ」

 ケンちゃんに、僕とたくみから、うり坊饅頭を渡した。

「ありがと、悪いね、ていうか箱根行ってたの?」
「うん、連休取ってふたりで温泉行ってきた。超気持ちよかった」
「わあ、羨ましい。この仕事始めてから温泉とか旅行とか行けないからなあ」

 ケンちゃんはおみやげを開けると常連の客にも配った。いつも誰かにおみやげをもらうとケンちゃんは客にも配る。だから二箱買っておいた。

 うり坊を受け取ったなかに、珍しい人がいた。忘れたころに店にやってくるクドウさんだ。初めて見た時は顎が外れそうなくらいびっくりした。じろじろ見つめるのは失礼だってわかってても、目が吸い寄せられる。そんくらい美形の人。齢は29か、30歳だったはず。

 クドウさんは下戸なのでいつもノンアルコールのスパークリングワインを飲む。度数0パーセントなのに酔っぱらったような絡み方や暴れ方をするちょっと変な人だ。

「渋樹のみやげ?」

 すでにクドウさんはノンアルで酔っぱらっていた。目が据わっている。

「うり坊って。渋樹が食ったら共食いじゃねえか」
「どういう意味すか」
「だっておまえの頭の色、うり坊みたいだろ。それにいつまでもガキっぽい」

 ガハハ、と笑う。黙っていれば美形。口を開けば残念な人。

 今日初めて見たのか、たくみは圧倒されて苦笑い。

「渋樹って呼ばれてるの?」

 たくみが僕に耳打ちする。

「あ、うん。何人かは。年上の、古参メンバーが多いかな」
「ふうん」
「なにふたりでヒソヒソやってんだよ、俺も混ぜろ」

 クドウさんが僕たちの肩に腕をまわして寄りかかってきた。

「もー、重い! 面倒臭いなあ」
「お? 彼氏めちゃイケメンじゃん。渋樹にはもったいねえよ、俺にくれ」
「やだよ、酔っ払いはあっち行ってろ」
「ノンアルでどう酔っぱらえるんだよ、俺はそこまで器用じゃねえよ、馬鹿か」
「うるさいなあ、まじで邪魔」
「口悪いな、このブリッコ。ケン坊、あんたちゃんとこいつの教育やってんのか?」

 今度はケンちゃんに絡み出した。ケンちゃんも困り顔で「クドウちゃん、自分の席戻んなって」と扱いに困っている。

「ヘン、どいつもこいつも俺のこと邪険にしやがって」

 僕たちから離れたクドウさんはもたつく足で自分のテーブルへ歩き出した。足が絡んでつんのめる。

「危ないっ」

 咄嗟に立ちあがったのはたくみだ。床に手をついたクドウさんを助け起こした。

「大丈夫ですか?」
「やっさしー。やっぱイケメンじゃん。渋樹やめて俺にしろよ」

 止める間もなかった。クドウさんはたくみの後頭部に手をまわすといきなりキスした。たくみの目が見開かれる。僕も同じだ。

「もう、あんたなにやってんだよ!」

 慌ててクドウさんを引きはがした。勢いがよすぎてクドウさんが尻もちをつく。たくみは絶句して放心状態。してやったりの顔で舌なめずりするクドウさん。ちゃっかり舌まで入れやがったのか。

「クドウちゃん、ふざけすぎ。そんなことするなら出禁にするよ」
「ただの挨拶だろ。ケン坊は過保護なんだよ」

 クドウさんは立ちあがって汚れた尻を払った。そのタイミングで店の戸がカランと鳴った。みんなの視線が集中する。

 店の異様な空気に、いぶかしげな顔で入ってきたのはムカイさんだ。
 
「なんだ?」
「なんでもねえよ。おっせーんだよ、いつまで俺を待たせる気だ」
「おまえが呼び出したんだろう」

 ふたりはここで待ち合わせをしていたようだ。この組み合わせは意外だった。

「ムカイちゃん、もうクドウちゃん連れてって」

 ケンちゃんがしっしと手を払う。

「おまえまたなにかやらかしたのか」
「へへ、渋樹のイケメン彼氏にキスしてやった」
「ばかだろ」

 呆れ顔のムカイさんがクドウさんを連れて店を出て行く。扉が閉まる一瞬、ムカイさんと目が合った。

「台風一過っていうか、やっと嵐が去ったね」

 ケンちゃんの一言でなごやかな空気が戻る。本当にあの人は嵐のような人だ。巻きこまれる方はたまったもんじゃない。

「大丈夫? たくみ」
「あ、うん、びっくりしたけど」
「ちょっとあの人おかしい人だから」

 あはは、とたくみが苦笑い。もう笑うしかない? 目の前で彼氏が別の男とキスするのを目撃した僕はどんな顔すればいい? たくみを責めるのはお門違い。でも心穏やかではない。だってたくみはどこか上の空だ。

「トイレ行ってくる」

 とたくみはトイレに消えた。ずいぶん動揺している。

「クドウちゃんには困ったもんだね」

 注文していないのに、だし巻き卵が出てきた。これってやっぱり……。ケンちゃんを見る。ケンちゃんは僕と目を合わさない。

「そういえば、クドウさんとムカイさんって、仲悪くなかったっけ?」

 以前は、たまに顔を合わせるといつも口喧嘩していた。

「最近は悪くないみたいだよ。あいかわらず言い合いしてるけど、仲悪いのも乗り越えたっていうか。なんでも言い合えて楽みたい」
「へえ、そうなんだ。純粋に飲み仲間なの? クドウさん飲めない人なのに」
「いまはそうだと思うけど。まあ何かの弾みにくっつくことはあるかもね」
「あの二人が付き合ったら喧嘩も激しそう」
「ほんとに。でも案外、ああいう性格同士、意外とうまくいって長続きするのかもね」
「そうかもね」

 戻ってきたたくみと少し酒を飲んでから店を変え、食事のあと、たくみのマンションに移った。

 大好きな恋人といるのに、僕はこの時間にあまり集中できなかった。クドウさんを支えて店を出て行くムカイさんの姿が、何度も頭にちらついた。





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