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宙ぶらりん(2/2)

2018.08.26.Sun.
<前話>


「何時に帰る?」

 そろそろ日が沈むころ先生が時計を見て言った。

「晩飯食って行っていい?」
「俺はいいけど、親御さんは心配しないか?」
「早く帰ったら逆に心配される」
「どんな家庭だ」

 期待するなよ、と先生がキッチンに立って手料理を振るまってくれた。野菜炒めと味噌汁と豆と白米。家の食卓に並んだら文句言ってるメニューだけど、先生んちだから何も言わない。食べてみると意外とうまい。味付けがうちと違うせいかな。

「先生、料理うまいね」
「割と作るからな」
「彼女にも作ってあげてたの?」
「え? ああ、まあな」
「今頃彼女は後悔してると思うよ。先生振って別の男と結婚したこと」
「どうかな。相手は管理栄養士で料理上手って噂だ」
「へえ……?」

 かんりえいようしって職業がいまいちピンとこない。たぶん、調理師と似たような免許だろう。

 満腹になったら眠くなった。

「泊まっていっちゃだめ?」
「だめに決まってんだろ」

 さすがにそうか。

「ご飯食べるとなんで眠くなんの?」
「消化のために血液が胃に集まって脳にいく血液が少なくなるとか、色々言われてるな」
「三大欲求のひとつが満たされたら他のも満たそうとすんだろ?」
「ふはっ、食欲、睡眠欲、性欲?」
「ちょっとだけ寝たい。お願い、寝かせて」
「一時間だけだぞ」

 先生の許しをもらったのでベッドに移動して寝転がった。俺の布団とは違う匂い。先生の匂い。もっとおっさんくさいのかと思ったけど、ぜんぜんそんなことなかった。加齢臭とかってもっと年いってからなのかな。先生の布団はいい匂いがする。

 目を閉じたらすぐ夢の中だった。俺は学校にいた。教室で俺と先生、二人きりの授業。先生はいつもの無難な服装じゃなくて、男を主張した服で髪型もキメてた。いきなり教室の戸が開いて、ウエディングドレスを着た女が乱入してきた。

「やっぱりあなたしかいないの!」

 と涙を流して叫ぶ。きっと先生を捨てて別の男と結婚した彼女だ。顔は知らんけど。

 いまさら勝手すぎるだろ、と俺が口を挟む前に、先生は女の手を取って教室を出て行った。取り残された俺は、机の上のノートや教科書を手で薙ぎ払った。すごく腹が立ったし、胸が痛んだ。

「……きろ、おい、起きろ!」

 先生の声でハッと目が覚めた。目の前に先生の顔。どこにも行かず、ここにいてくれた。夢だとわかってほっとした。

「変な夢みた」
「どんな」
「先生がウエディングドレス着た女と学校からいなくなる夢」
「なんだそれ」
「もし、別れた彼女がやりなおしたいって言ってきたらどうする?」
「ねえよ、そんなこと」
「もしもだって」
「さあな」
「考えて」
「やり直すなんて、ありえないな」
「いまも好きなんだろ?」
「好きとは違うな。ひどい別れ方だったから混乱のほうが強い」
「別れたとき泣いた? 俺は泣いた」

 先生は俺をじっと見た。冗談で済まそうか、本当のことを言おうか、迷ってるように見える。本当のことを聞きたくて、俺も真顔でじっと見つめ返した。先生は「めっちゃ泣いた」と白状した。

 先生が泣いたところなんて想像できない。成人した大人が泣くほど、恋とか愛が辛いものなんて、夢がない。

「なんで人を好きになるんだろう」
「哲学的な疑問だな」
「だってさ、必ず成就するわけじゃないし、死ぬまで別れない保証もないわけだし」
「惹かれるのは本能的なものだろ」
「子孫繁栄的な?」
「それもあるけど、人に説明できる理由なんてない場合もあるだろ」
「例えば一目惚れとか?」
「一緒にいて、なんとなく好きになっていくとか」

 ふと、俺と先生が、日常の枠を外れて過ごすこの時間はそれに当てはまるのだろうかと思った。今日の約束をした日から、先生はただの担任じゃなくなった。学校の先生じゃなく、一人の生身の男として俺の目に映るようになった。生徒と教師って関係が曖昧な空間は居心地がよくて、年上の友達みたいな錯覚を抱いてしまう。

 さっきの夢でもそうだ。先生を連れて行った女に腹を立てた。俺を置いて行く先生にもむかついた。

 もしかして俺、先生のことを好きになれるのかもしれない。いや、もしかしたらすでにちょっと先生のこと好きになってるのかもしれない。

「俺が先生のこと好きだって言ったら?」

 先生は軽く目を見開いた。

「びびる」
「そんだけ?」
「気の迷いだって説得する」
「迷いじゃなかったら?」
「体が目当てなのか?」

 胸を隠す仕草で場をごまかそうとする。そうはいくか、と俺は真剣な空気を維持する。

「そうじゃないけど。でも、そうかも」

 先生の腕を掴んで顔を寄せた。先生の体が強張る。

「ちょ、おい」
「俺、先生とキスできるかも」
「できるかどうかじゃなく、必要かどうかだろ」
「この気持ち確かめるのに必要だと思う」

 先生がしまった、って顔をする。俺は男にしか見えない先生の顔を見つめながらキスした。彼女としたキスとかわらない。柔らかな感触。漂ってくる匂いが、女じゃなく男のものだってだけ。掴む腕がごついのも違うか。

「ばか、本当にするな」

 先生が俺を突き放す。慌てる姿が珍しいし、顔が赤いのもかわいい。かわいい? 先生相手にかわいいと思うのか、俺は。

 もう一回キスしようとしたら手で防がれた。

「もういいだろ、男として何が楽しい」
「好きな人とキスしたくなるの、ふつうだろ」
「好きな人ってお前なあ」
「俺、先生のこと好きだと思う、たぶん」
「たぶんて」
「先生がかわいいし、キスしたい。好きってことだろ?」
「んな短絡的な」
「先生は俺とキスしてどう?」
「どうもしない」
「顔赤いよ?」
「教師をからかうな」
「ちゃんと答えてよ」
「お前でもドキドキはする」
「俺のこと好き?」
「桶谷先生とキスしてもたぶんドキドキする」

 先生は生活指導のいかつい桶谷の名前を出した。つまり、キスしたら誰とでもドキドキするとごまかしたいわけだ。

「じゃ、もっかいキス」
「なんでそうなる」
「キスして勃ったら俺が好きってことで」
「嫌だよ!」
「自信ないんだ?」
「男の生理現象甘くみんな」
「ほんとに無理なら勃たないよ」

 先生の肩を掴んでベッドに押し倒した。先生がハッと息を飲んで俺を見上げる。羞恥と戸惑いと、ちょっとの怯え? そんな顔もするんだ。グッとくる。

「俺、キスうまいからね」

 唇を舐めて潤してから先生にキスした。うおって驚く口に舌を差し込む。歯の隙間を抜けて、ぬるっと触れ合った舌に頭がくらりとした。男同士の嫌悪感なんか心配する必要なかった。最初から最後まで、徹頭徹尾、俺は先生に興奮できる自信がある。

 膝でごりっと股間を押してみた。固くなってない? 目を開けたら先生と目が合った。俺の勝ちだね。目で笑いかける。肩を強く押されたと思ったらいきなり視界が反転した。いつの間にか俺が先生の下になっていた。

「先生?」

 先生は食いつように俺にキスしてきた。俺がしたより激しく深いキスは、さっきの仕返しだと言わんばかりだ。歯の裏、口蓋、頬の裏、舌の先から裏側まで、余すところなく先生の舌が這う。

 あまりの気持ち良さにうっとりしてたら、股間をギュッと掴まれた。

「大人を舐めるなよ」

 先生は俺の勃起をいい子いい子すると体を起こして立ちあがった。

「送ってやる。帰るぞ」
「えっ、ちょ、この状態で無理!」
「知るか。自業自得だ」
「先生だって勃ってたじゃん!」
「ゆる勃ちな」

 早くしろ、と先生が俺に背を向けた。先生の耳が赤い。俺はそれを見てまたかわいい、と思った。

 帰りの車の中、先生は今日のことの口止めをした。先生と二人の秘密だ。誰にも言うつもりなんかない。

 待ち合わせに使ったコンビニの駐車場に車を停めて、先生は大きな溜息をついた。

「あー、お前を家に呼ぶんじゃなかった」
「キスしておいて、それはないんじゃない」
「教え子に手を出すとか最低だろ俺」
「先に手を出したの俺だから」
「そういう問題じゃねえ」
「今度はもっとやらしいことするから」
「今度なんかねえよ」
「勃ったじゃん。俺のこと好きってことだろ」
「だから、ゆる勃ちな」
「同じだし」
「ちげえし」
「ガキかよ」
「ガキはお前だろ」
「ガキだから我慢しねえもん」
「都合よくガキになるなよ」
「俺のこと嫌い?」

 先生はぐっと言葉を詰まらせた。

「……卑怯な訊き方するなよ」

 ハンドルを握る腕に顔を埋めて先生は呻った。首筋を撫でたらビクッと顔をあげる。

「大丈夫、卒業までには好きになってもらうから」
「どっからその自信わいてくるんだ」
「先生の態度見て? 満更でもないっしょ」

 先生は困った顔で口をモゴモゴさせてたけど、最後は諦めたように頷いた。

「満更でもない」
「ねっ」

 先生の首に手をかけてキスをする。迷った末、先生がキスに応えてくれた。明日からまた学校の中では生徒と先生。傍目にみたらそう。でも俺たちはキスしてもいい関係。恋人って呼ぶにはまだ不完全だけど、いつかきっと先生を俺に惚れさせて、別れた彼女を忘れさせるし、彼女以上にメロメロにさせてみせる。





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