FC2ブログ

Phantom (9/15)

2016.09.05.Mon.
1話2話3話4話5話6話7話8話


 順番でシャワーを浴び、寝支度を済ませた。芳明は先にベッドに入った。リビングの明かりを消した樫木もあとからやってきた。掛け布団をめくって、芳明の隣に身を滑り込ませる。

「明かりは全部消したほうがいいか?」

 照明を絞りながら樫木が声をかけてきた。

「真っ暗じゃないと眠れない」
「わかった」

 ピッと音がして、部屋は真っ暗になった。カーテンも閉めているから本当に視界ゼロの真っ暗闇だ。遠近の感覚さえ掴めず、目の前に天井が迫っているような感覚に陥る。

「おやすみ」

 隣の樫木が言う。芳明も「おやすみ」と返した。

 寝返りを打ち、枕の下に手をいれ、アトマイザーを取り出す。蓋を外し、噴射口に鼻を近づけた。真新しいあの匂いがする。新鮮すぎて、監禁されてすぐの、男の匂いを認識した頃を思い出した。

 あの頃は恐怖しかなかった。強/姦されるのはもちろん、触られることも嫌悪でしかなかった。屈辱と恐怖の中、ただ無事に帰れることだけを祈り続けていた。

 今もそのころの恐ろしさを思い出すことは出来る。一生忘れられない恐怖を植え付けた男なのに憎みきれない部分もある。正確には、その怒りや憎しみが持続しないと言ったほうが正しいかもしれない。

 一度も顔を見なかったせいもあるだろう。憎むべき姿形を知らないのだ。匂いと、皮膚による感触と、たまに聞く息遣いしか知らない。本当に存在していたのかさえ怪しくなる時がある。

 それに感覚が麻痺していたとは言え、最後の一ヶ月あまりは恋人同士のような蜜月を過ごした。男はいつも優しく、慈しみに溢れていた。自分が反抗しなければ乱暴されない確信もあった。

 素直でいれば男が喜んでいるのが伝わってきた。媚びれば確実に男は喜び興奮していた。それは身をもって証明されている。

 ただの欲望の捌け口として使われていただけかもしれない。だが、大事には扱われていた。セックスをすれば男より気をやる回数は多かった。前戯も、後始末も、雑にされたことは一度もない。

 だから尚更、本当は悪い奴ではないのではないか、なんて間違った擁護をしてしまう。自分がただ男の嬲り者にされたという現実を受け入れられたくない心理が働いているのかもしれない。大事にされていた、愛されていたということにして、暴力と変わらない凌辱に意味を持たせたい一心かもしれない。

 どうであれ、芳明は男を恐れつつも、飼いならされたあの頃に特別な郷愁を抱いてしまうのを止められなかった。

 持て余す感情の着地点を探るように、何度もアトマイザーから男の匂いを吸いこんだ。微量な匂いに鼻が慣れてしまった。このあたりで切りあげて眠ることに集中しなければ。

 アトマイザーを握り締め、枕の下に手を隠した。すぐ匂いが欲しくなる。もう我慢の限界がくる。

 目の前、手のなかに男の匂いがあるのに、寝るなんて無理な話だった。そろりと手が下半身へ伸びる。直接刺激はしない。ただ、上から触るだけ……

「眠れないのか?」

 突然の声にぎくりと心臓が震えあがった。芳明が何度もため息をついていたせいだろう。声の硬さから、樫木も寝ていなかったとわかる。

「飲み過ぎたせいかな、目が冴えちゃって」
「やっぱり俺は別の部屋で寝たほうが……」
「平気だって」

 身動きする気配に、芳明は振り返った。思いがけず至近距離に樫木の顔があった。息がかかるほどに近い。自分をじっと見つめる二つの目が、暗闇のなかぼんやりと見える。

「無理をするな。俺に嘘はつかなくていい」
「無理なんてしてない」

 胸の苦しさを感じながら芳明は喘ぐように言った。

 手の中に収まる容器を強く握りしめる。なぜこれを持ってベッドに入ってしまったのだろう。こんなものを枕元に置いて、寝る直前まで匂いをかいでいたら男の夢を見そうなものなのに。

 むしろ、夢を見たかったというのだろうか。

 それとも────。

 ああ、そうか。ここが着地点だったのか。

 何かに操られるように手が動き、樫木の胸元に香水を一吹きしていた。

「えっ、なに……これ、さっき渡した……?」

 いきなりの行動に驚いた樫木が布団をめくりあげ、体を起こした。自分の胸元に手をあて、困惑した眼差しを芳明に向ける。

「やっぱり……、この香水、犯人が身につけていたものと同じなのか……?」
「同じ、だと思う」

 確信していながら、最後の悪あがきで意味もなく言葉を濁した。

「それは俺が預かっておく」

 取りあげられる前に芳明は腕を反対側へ伸ばした。それを追いかけて樫木も腕を伸ばす。樫木の体が芳明の顔の前を覆う。ちょうど、香水を振りかけた胸元が目の前にくる。芳明は飢えたもののように、樫木の胸倉を掴んで引きよせると匂いを吸いこんだ。

「久世、やめろ!」

 肩を掴まれ、ベッドに押し戻された。強い力で引き剥がされてカッと頭に血が上る。

「……なんでもっ……してくれるんじゃなかったのか!」

 押さえつけられながら芳明は声を荒げた。

「力になれることがあったらなんでも言えって、そう言ったのはお前だろ!」
「この香水は……! 事件を思い出すだけじゃないか!」
「思い出したいんだよ俺は!」

 はっと樫木が息を飲んで絶句する。

「ネットでなんて書かれてるかお前も知ってるだろ?! その通りなんだよ! 毎日毎日! 寝て食ってる時間以外、俺はずっと犯されてたんだよ!」
「そんなこと言わなくていい!」
「ケツに突っ込まれて中出しされまくって! あいつのちんこしゃぶって! アンアン喘いでたんだよ俺は!!」
「もういい!」

 樫木にぎゅっと頭を抱きしめられた。

「わかったから、もう何も言うな」

 押し殺した樫木の声。乱れた息遣いが聞こえる。それを聞いていると、記憶が揺さぶられた。芳明は荒く息を吸った。鼻腔に男の匂いが充満する。さらに深く吸いこんだ。細胞の隅々へ行き渡る。

 樫木の背中に腕をまわし、目を閉じた。意識があの部屋へ飛んでいく。あの時間へ戻って行く。胸が締め付けられた。

「なんでも……してくれるって……」
「確かに言った。俺が悪かった。俺はなにをすればいい?」

 思考が渦巻いた。ひとつに絞るためにまた深呼吸する。

「このままでいい。このまま、いさせてほしい」
「わかった。少し体勢をかえてもいいか?」

 樫木は芳明の上から退くと、横に寝転がり、腕を広げた。その腕のなかに芳明は収まった。樫木にぴたりとくっついて、気の済むまで匂いを吸いこんだ。

 懐かしくて、白い微粒子のような粉っぽさがあって、冷たさと、甘さと、上品ささを感じさせるあの匂い。

 芳明は再び目を閉じた。すぐ、あの頃へ戻った。あの部屋の、男の腕の中へ。

 薄い生地越しに感じる肉体の厚みと体温。全身で感じたくて体に手足を巻きつけた。お互いを隔てる布が邪魔だと思った。

 甘えるように頬を擦りつけた。頭を撫でられた。いつもなら、もっと強い刺激をくれるのに。

「……っ! 久世……っ」

 逃げるように腰から下が離れていく。それを足を使って引きよせた。

「久世……、当たってる……っ」

 芳明の股間は熱く滾っていた。

「……はぁっ……っ……ぁっ……」

 それを樫木の太ももに押しつけるだけで気持ちいい。男の匂いを取り込んで、熱い息を吐きだす。

 切羽詰まった呼吸を繰り返した。

「ん……っ……は……はぁ……あ……っ……ど…ぉ……して……?」

 触ってこない。キスもない。動かない肉体がもどかしくて泣きたくなる。物足りない部分は自分で埋めるしかない。芳明は股間へ手を移した。

 樫木が身じろいだ。横向きになり、芳明の手の隙間から割り込んでそこを触って来た。待ち焦がれていた感触に、芳明は嘆息を漏らした。

 大きな手が股間を包みこむ。すでに引き返せない状態にまで育っている。さらに育てるように手が動いた。

「あっ、あっ」

 樫木に抱きついて声をあげた。咽喉から勝手に出て来る色のついた声だ。樫木も芳明の体に回した腕を引きよせ、しっかり抱きとめた。

「もっ……と……ちゃんと、触って……」

 一瞬動きを止めた手が、芳明のズボンと下着をずらした。直接握り、上下に擦る。すでに鈴口には水溜りが出来ており、指でそれを掬い取って潤いとした。

「これでいいか?」
「いい……気持ちいい……っ」

 布団の中からグチュグチュと音が聞こえ始めた。大量のカウパーが樫木の手を濡らし、滑りを良くした。竿は少し強めに、カリのあたりは柔らかく。強弱つけて扱かれると腰が蕩けて何も考えられなくなった。

「あっ、ああ……っ……す、ご……気持ち…ぃ……ん……はあんっ……!」

 芳明は無意識に腰を揺らしていた。胸に甘酸っぱいものが広がる。樫木の首にしがみついて耳に唇を掠め当てた。熱い息とともに嬌声をそこへ吹きこむ。

「久世…………ッ!!」

 いきなり体をベッドに押さえつけられた。同時に腕の中にあった体が離れていく。中断されて芳明は目を開けた。

「樫木……?」

 そこにいたのが誰であったか今思い出したような口調だった。目を閉じている間、芳明の頭にいたのはあの男だった。



関連記事
スポンサーサイト
[PR]