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Phantom (7/15)

2016.09.03.Sat.
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 芳明の一家は春に引っ越しをした。引っ越し先は父親の勤め先の近くにある中古マンション。リノベーションされたとかで設備はよくなり内装は新築同然で綺麗だった。部屋は一階だから値段も安く抑えられた。

 歩いていける距離に、駅、スーパー、銀行、病院があって利便性は高く、将来的に手放すことになってもすぐ買い手が見つかりそうな物件だ。

 年を取ったら平屋かマンションに引っ越すつもりだったと親は言っていた。確かにそういう話を聞いた記憶がある。でもこんなに早い予定ではなかっただろう。

 通路側の6帖の部屋が芳明にあてがわれた。荷ほどきのついでに衣替えも済ませた。引っ越しの荷造りの際に、不要なものはあらかた処分した。小学校入学から使っていた勉強机がなくなった分、部屋は以前より広くなった。

 机や棚に入っていた小物や本は急いで使うものもないので、クローゼットの空スペースに段ボールのまま仕舞った。

 古くなったベッドも買い替えた。木製で頑丈なベッドだったから捨てる時に苦労したので、今度は捨てやすそうなパイプベッドにした。

 ある程度片付けると芳明は新しいベッドに寝転がった。ギシッという軋みにぎくりとした。あの部屋で使っていたベッドも、そういえばパイプベッドだった。

 脈が早くなるのを感じながら芳明は静かに呼吸を繰り返した。それはすぐに治まった。

 夕方近くに刑事二人が挨拶にやってきた。年の近いもの同士、小田崎はリビングで両親とお茶を飲み、金子は芳明の部屋を見に来た。

「前よりすっきりしましたね」

 部屋を見渡して金子は笑顔で言った。

「そうでしょ。ミニマリストになろうかな」
「あー、いま流行りの? 断捨離? だっけ?」
「そうかな? 身も心も軽くなりますよ。ヤなことも忘れられるかも」

 金子は笑顔を消して、神妙な面持ちになった。

「本当に、久世さんには申し訳ないです。引っ越しまですることになってしまって」
「もともと親は年取ったらマンションに住むつもりだったらしいですよ」
「なんとしても、犯人を見つけ出して法の裁きを受けさせてやりますから」
「もう無理でしょ。ぶっちゃけ」

 芳明は半笑いで肩をすくめた。金子は難しい顔で口を結んだ。

「手がかりゼロ、目撃者ゼロ、容疑者ゼロ、ホームレスのおじさんは何も覚えてないし、俺も何も見てないし、聞いてない。警察だって、諦めムードなんじゃないですか?」
「いや、自分はまだ諦めてなんかいません」
「捜査はとっくに打ち切られてるし、金子さんたちだっていまは別の事件の捜査してるでしょ」
「確かに中断している状態です。しかし決して諦めたわけではありません。新しい証拠や情報があればすぐにでも捜査を、」
「そんなの出る可能性は低いって金子さんだってわかってるでしょ」
「低いかもしれませんが、ゼロじゃないですよ。人間ですから、必ずボロを出すんです。思わぬ展開で逮捕に至った例はあります。例えば、別件で逮捕された犯人から事件に繋がる証言が出たりとか」
「あんまり期待はしてないからさ、金子さんも、もう俺に気を遣って会いに来てくれなくていいですよ。せっかく引っ越したのに、刑事が出入りしてるのを見られるのも、ね。悪いですけど」
「……いえ、仰る通りです。軽率でした」

 金子は折り目正しく、深々と頭を下げた。ちくっと胸が痛んだ。

 事件解決の進展が望めないのは事実だ。死人が出たわけでもない、世間も忘れ去った事件をいつまでも捜査し続けてくれるほど、警察は暇じゃない。

 だからこそ、気を遣わないで欲しかった。こちらはもう諦める心構えは出来ている。ならばもう事件とは関わらずに生きていきたい。両親と自分の生活を守りたい。もう好奇の目に晒されるのは嫌だ。

 沈黙を破るノックの音がした。

「金子、そろそろ失礼するぞ」

 外から小田崎の声がした。「はい」と返事をした金子が部屋を出る。親と一緒に二人を玄関まで見送った。

 金子は厳しい刑事の顔に戻っていた。もう打ち解けた様子はない。そんな金子を見ることは二度とないだろうという予感がした。

「小田崎さん、金子さん、今までありがとうございました」

 芳明は二人に頭を下げた。

※ ※ ※

 5月になってすぐ、樫木からドライブに行かないかと誘われて出かけることにした。迎えに来てくれるというので新しい住所を伝えた。樫木は引っ越したことを驚きつつ、以前より20分短縮される、と感想をそれだけに留めた。

 マンションの前に到着した樫木の車に乗り込む。

 構えていたのにあの男の匂いはしなかった。安心すると同時に落胆する部分もある。あの匂いに惹かれている。何も考えずに済んだあの部屋が恋しいだなんて、どうかしている。

 樫木は郊外のほうへ車を走らせた。

「どこに行くんだ?」
「ちょっと見てみたい物件があるんだ。そのあとご飯でも食べに行こう」
「樫木も引っ越すのか?」
「いや。今から見に行く物件の近くに複合商業施設が出来るらしいんだ。周りの環境を見てから買うかどうか決めようと思って」
「不動産投資ってやつ?」
「そういうやつ」
「住んでる世界が違うって感じ」
「同じだろ」

 と樫木は笑った。手首には高級腕時計。さらりと羽織っているジャケットも、どこぞの有名ブランドのものだろう。靴だって、いったいいくらするのやら。ニートの自分とは大違いだ。

 そう考える自分に嫌気がさして、芳明はサイドウィンドウに目をやった。

 いまは事件のあとだからと親が許してくれているが、2年、3年と経てばそうもいかなくなるだろう。いつまでも無職ではいられないという現実問題が眼前に突きつけられ、気が重くなった。

 パーキングに車を止めると樫木は外へ出た。スマホで地図を見ながら歩き始める。芳明も続いた。

 このあたりのメイン道路なのだろう。道幅は広く、両脇にはイチョウが植えられている。秋が深まれば黄色く色づいたイチョウ並木が見物だろう。石畳の歩道。若者向けの洒落た店と、昔からある味わい深い店が混在している。変化の途中にある街のようだ。

 駅から少し離れた場所で樫木は立ち止まった。

「もしかして、これ?」
「うん」

 マンションの一室か、中古の戸建てを買うものだと思っていた芳明はそれを見上げて驚いた。樫木が買おうとしているのは4階建てのビルだった。

「いくらすんの、これ」
「一億切ってる」
「いっ……あ、そう」
「どう思う?」
「どうって俺に聞かれても」
「少し行けば住宅街でマンションも多い。そのわりに医療機関や学習塾が少ないんだ。狙い目だと思わないか?」
「まぁ、いいんじゃない。俺にはよくわかんないけど」
「久世がそう言うなら決めようかな」
「俺のせいにするなよ」
「しないしない。最後の一押しをして欲しいだけだよ」

 笑って言って樫木はスマホをポケットに仕舞った。パーキングに向かって来た道を戻る。

「ついでに法務局に行ってもいいか? 所有者がころころ変わっていないか調べておきたい」
「あー、いわくつきの物件とか」
「うん。やっぱり人が一番怖いだろ」
「金持ってると、人のこと信用できなくなりそうだな」
「まぁ、色んな種類の人は見てきたよ。悪い奴ほど優しくて親切だ。その点、久世は信用できる」
「言うね」
「悪い意味じゃない。久世は裏表がなくて正直だろ。久世になら、例えば俺が入院したとき、家の鍵を渡して通帳の暗証番号を教えられる」
「無職の俺に? 持ち逃げするかもよ」
「しないよ、久世は」
「なんで俺、そんなに信用されてんの」
「久世だけだったんだ。俺がIT系の小さい会社を興すって話を聞いても馬鹿にせずに応援してくれたのは。それがうまくいって利益をあげるようになっても、態度をかえずに純粋な友達のままでいてくれた。そんな奴は久世だけだった」

 樫木が起業する話は友達伝手に聞いた。在学中に起業するのは珍しくはあったが、ない話でもない時代だった。同い年の、しかも知っている男が挑戦すると聞いて感心したし、応援したいと思った。

 だから講義室で見つけた時に、「頑張れよ」と声をかけた記憶はある。そしてそれが成功したと聞いた時もやったな、と嬉しい気持ちになった。確かに周りには、どう見てもやっかみとしか取れないような陰口を叩く奴もいた。

「あの頃は嫉妬するほど樫木のこと知らなかったし、そんなに親しくもしてなかっただろ」
「友達だと思ってたのは俺だけか?」
「どっちかっていうと、たまに飲みに行ったりご飯行ったりするクラスメート的な感覚だった」
「それ友達って言わないのか?」
「言うのかな」
「終電逃して俺の部屋に泊まったこともあっただろ。オールナイト上映してた映画を見に行ったこともある」

 言われて段々思い出した。いつもべったりつるんではいなかったが、たまに二人で遊ぶことになると閉店時間まで店で喋っていたり、次の日朝から講義があっても、どちらかの部屋に行って明け方までゲームをしたり飲んだりしていた。

 他の友達とは違う、密度の濃い時間の過ごし方だった。

「ごめん、友達だったわ」
「良かった。俺の一方通行じゃなくて」

 パーキングの料金を払って車に乗り込んだ。カーナビを操作する樫木を見ながら、自分がとてもリラックスしていることに今頃気が付いた。

 卒業してから一度も会わなかったのに、電話一本で会う気になった。事件直後で神経質になっている時期だったはずなのに、こいつなら大丈夫だという安心感もあった。

 学生の時は気付かなかったが、実は樫木とはかなり相性が良かったのかもしれない。きっと最初からあまりに自然に馴染んでしまったから、その自覚が遅れたのだ。

「俺も樫木のこと信用してるって言えるかも」
「さっきまで友達以下だったのに?」
「いや。うーん、そんなにベタベタした付き合いをしなくても、樫木なら何年経っても今と同じ付き合い方が出来そうって意味で。樫木とは反りが合うんだろうな。一緒にいてすごく気が楽だし、何時間いても苦じゃない」
「嬉しいな。俺も同じ気持ちだ」

 にこにこと樫木が笑う。それを見たら急に気恥ずかしくなった。

「男同士で褒め合って気持ち悪いな」
「そうか? 俺は久世の本心を聞けて良かった」
「言うんじゃなかった」

 芳明は唇を尖らせた。「もう遅い」と樫木は笑った。




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