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Phantom (2/15)

2016.08.29.Mon.
<前話はこちら>

 解放は、突然だった。

 寝ていた芳明は誰かに揺り起こされた。いつもの男とは別人であるとすぐわかった。匂いが違った。大丈夫ですか、と呼びかける声。外された目隠し。男の言いつけを思い出し、咄嗟に顔を伏せ、目を瞑った。

 相手は警官であると名乗った。通報を受け、大家と共に様子を見に来た、と。

 理解が追い付かなかった。気が付くと足音と気配が増えていた。芳明は目を開けた。蛍光灯が眩しい。目を細めて確かめたのは初日に見たワンルーム。そこに制服の警官が二人いた。

 サイレンの音が入り混じる。部屋に入ってきた担架に乗せられ、芳明はいつぶりかに外の世界へ出た。夜だった。広がる視界。解放感に眩暈がする。

 つれていかれた病院で検査を受け、個室のベッドへ移動した。連絡を受けた実家の両親がやってきて、芳明の姿を見ると泣き崩れた。

 三ヶ月。

 あの部屋に監禁されていた期間を、この時知らされた。それを聞いて長いとも、短いとも、思った。

 両親との再会のあと、また軽く医師の診察が入って、次に警察がやってきた。拉致監禁事件として捜査するためだ。

 先の念入りな診療で芳明の体に性交のあとが認められている。そのことを両親の前で話すのは憚られたので、警察以外の人間には出て行ってもらった。

 芳明は自分の身に起こったことをすべて話した。

 会社が終わって帰る途中に襲われたこと。スタンガンを使われたようであること。気が付くとあの部屋にいて、今後のルールが書かれた紙が落ちていたこと。複数ではなく犯人は一人だと思われること。助かりたい一心で、目隠しをし、男の言いなりになっていたこと。自分がレ/イプされたこと。それも、何度も何度も、繰り返し行われたことを話した。

 不思議と恥ずかしいだとか屈辱だとか、そういった感情は生まれなかった。他人事のように、見て来た映画のあらすじを聞かせるように、淡々と刑事に話した。

 翌日にまた医師の診察を受けた。事情を知らされたのか、両親はただ「良かった。命が助かって良かった」と目を濡らした。

 数日で退院し、そのまま実家に帰った。会社は退職になっていた。親が手続きを済ませてくれていた。それだけでは申し訳ないので、芳明も一度上司に電話をした。

 成人男性の失踪だけでは報道もされないが、三ヶ月も監禁されていた事件となってはワイドショーが放っておかず、保護されてからは連日テレビで取り上げられていた。

 ほとんどの人が、被害者がレ/イプされていたと察しただろう。週刊誌では、全裸だったことやロープで繋がれていたこと、体には怪我一つなかったことなど、踏み込んだ記事も書かれていた。

 芳明が行方不明になっていた期間と、報道される事件の被害者が監禁されていた期間が同じだということと、その後の警察の聞き取りで、上司もあの事件の被害者が部下だった芳明だということには気付いていて、口重たく「大変だったな。ゆっくり休め」と労わりの言葉のほかに何も言うことが出来ない様子だった。

 一人暮らししていたマンションは引き払われ、荷物はもう実家へ送られている。家の前までタクシーで乗りつけた時、近所の人が窓を開けて見ていたり、わざわざ外まで出て来て「大変だったわね」と声をかけてくる人もいた。

 芳明こそあの事件の被害者だと察しているらしかった。

 親が言葉を濁しつつ対応をしているうちに家に入った。懐かしい実家の匂い。和室から漂う線香の匂い。台所に染みついた調味料やら油やらの匂い。自分の部屋はカーテンが閉められて空気が籠っていた。

 親が用意しておいてくれた布団の上に横になる。フカフカしていて安心する。

 芳明は深く長い溜息をついた。やっと帰ってこられた。無事に、生きて、安全な場所に、帰ってこられた。

 ※ ※ ※

 芳明の事件は、一人の異常な男の犯行というそれ以上の発展はなく、血なまぐさい猟奇性もなかったことから二週間ほどで報道は落ち着いた。

 近所の人たちがいまだ好奇心旺盛な目や、哀れみ同情の目を向けてくるのは仕方がないと諦めて、芳明も無理に明るくも暗くもせず、普通に挨拶をして、散歩をしたり、買い物に出かけたりした。

 病院の検査の結果で性病関係は陰性。健康状態も良好。運動不足による筋力低下が少しあるだけだ。

 カウンセリングに通いながら、たまにやってくる刑事相手に話をした。来るのはいつも同じ二人組。運ばれた病院で最初に話を聞いてきた二人だ。

 一人は小田崎という父親くらいの年の刑事、もう一人は芳明と同い年という金子という刑事だ。

 金子は、芳明が保護された直後、不器用な言葉で励ましてくれたことがある。同情や哀れみでなく、事件と犯人に対して憤ってくれているのが伝わってきて、好感を持った。

 二人の話では、犯人に繋がる手掛かりがあの部屋には何も残されていないのだそうだ。

 解放の直前、芳明が飲んだ水のなかに睡眠薬が入っていたのだろう、と二人は教えてくれた。睡眠薬で芳明を眠らせたあと、犯人は証拠隠滅のための大掃除をしたということだ。

 芳明が監禁されていた部屋は、音大生向けの防音されたワンルームで、本当の住民である学生は彼女の部屋に転がり込んで長く留守にしていたらしい。家賃は、学業に励んでいると息子を信じていた親が払い続けていた。

 なぜ自由に部屋に出入りできていたのかは、推測になるが、事件発生前に一度部屋の鍵を落としたことがあったと男子学生が思い出した。外出から彼女の部屋に戻ったときに気付いて探し回り、その日に寄った喫茶店の植え込みで見つけた、と。

 時間にして数時間。スペアキーを作るには充分な時間だ。あくまで可能性の話だが、その線が濃厚ということだ。

 学生の荷物は何者かによってトランクルームに移動させられていた。空になった部屋に芳明が監禁された、ということだ。トランクルームは4ヶ月という短期契約で、使用料は先払いだったため、口座による引き落としはなかった。

 4カ月を過ぎても荷物を取りに来ないので、契約書に書かれた連絡先に電話をしたら電話の相手はまったく身に覚えがないと言うので警察に連絡がいった。

 トランクルームの契約者となっている会社員の男の元へ事情を訊きに行くも、寝耳に水で本気で驚いている様子だった。詳しく調べていくうち、以前彼が紛失した財布に入っていた健康保険証が使用されたということがわかった。

 いずれも、事件発覚より数か月前の出来事で、トランクルーム業者は契約にきた男の人相を何も覚えておらず、防犯カメラの記録期間も過ぎていて手掛かりはゼロ。

 マンションのエントランスに一か所だけある防犯カメラでは怪しい出入りは確認されず、普段閉めているはずの非常ドアから犯人は出入りしていたと思われる。

 住人の誰も怪しい男を見ておらず、みな疑心暗鬼に陥っているという話だ。

 部屋に男の指紋も、残留物も、何も残されていないことから、芳明の拉致から解放まで、すべて男の計画通りだったというのが警察の考えだ。芳明発見のきっかけとなった通報も、犯人によるものと考えるのが自然というのだ。

 通報してきたのはホームレスの男で、近くの防犯カメラから人物を特定。話を聞いて通報した本人だと確認できたが、その時は酷く酔っていて何も覚えていないと言う。

 防犯カメラの映像には、ふらついて歩くホームレスの男が公衆電話で電話をかける様子が映されていた。

 ホームレスは手元のメモらしき紙を見たり、離れた場所の誰かへ話しかけたりしていた。その人物は映っていない。防犯カメラの存在を知っていて距離を取っていたのだろう。

 ホームレスの男に指示を出していたその人物こそ、芳明を拉致監禁して暴行した犯人だと警察はみている。

 手がかりらしい手がかりは何もない状況。芳明の交友関係を洗っても疑わしい人物は出て来ず、警察も八方塞がりという感じのようだった。

 何か覚えていることはないか。思い出したことはないか。気になったことは、気付いたことは。質問責めにされても何も出て来なかった。

 体は自分より一回り大きい印象で、触って気付くような傷も特徴もなかった。男は一度もしゃべらなかったから年齢さえわからない。体力はあったようだから、それほど年寄りじゃない、それも「たぶん」の話だ。

 幅広で遮光性の高い目隠しをしていたから、男の顔はもちろん、時間もわからない状態だった。だから男がやってくる時間が昼か夜かもわからない。規則性があったのかも、確かめようがない。そんな気にもならなかった。

 一度、男は部屋にやってくるなり、熱を計るように芳明の額に手を当てたことがあった。急に何だと訝しんだ直後、部屋で一人だった時に咳き込んだことを思い出し、凍り付いた。

 男は監視カメラでその様子を見ていたのだ。目隠しを少しでもずらしていたらどうなっていたか。

 解放される数日前から、男はコンドームを装着していた。あれも、芳明の体内に自分の体液を残さない意図があったのだろう。

『計画は用意周到だ。』

 紙に書かれていた男の言葉を思い出した。

 確かにその通りのようだ。




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