FC2ブログ

電話が鳴る(7/7)

2016.07.04.Mon.
第1話はこちら前話はこちら

 試験に合格して池田は正社員として働くことが決まった。ささやかながらそのお祝いをして、腕時計をプレゼントさせてもらった。池田はとても喜んでくれた。

「もらってばかりで、北村にどうやって返せばいいのかわからない」

 困ったふうに言われて「喜んでくれるだけでいい」と答えながら、だったら一度でいいから相手してよ、という別の言葉が頭に浮かんだ。口に出したら最後、今のこの良好な関係が破綻する破滅の言葉だ。

 正社員になり、3万の返済もなくなった今、池田が貯金できる額は以前よりだいぶ増えたはずだ。ここを出て部屋を借りるためのお金がたまるまで、条件次第ではあるが最短で2か月。長くても半年はかからないだろう。

 実際、半年もかからない4ヶ月目にして、池田は準備金が貯まったから俺に部屋を探して欲しいと言ってきた。

 心の準備はしていたつもりだったから、俺は平静を装いながら池田を客として迎え入れた。池田から聞きだした条件以上の物件をピックアップして、大家にも家賃交渉してやると胸を叩いた。

 いくつか気になった物件を俺の運転する車で見に行った。広告を出すまでもなく、見た人ほとんどが気に入るような掘り出し物だ。

 駅にもほど近く、築浅で綺麗な内装、広さに対して充分な収納、まわりは住宅で静かな環境。管理会社の手入れも行き届いていて女性でも安心して暮らせる申し分ない物件。

 池田も気に入ったようだった。トイレや風呂をのぞいたあと、ベランダに出て外の景色を眺める池田の口許に満足げな笑みが浮かんでいた。

「悪くないだろ」

 隣に並んで言うと、池田は「うん」と大きく頷いた。

「ここならなんとか家賃も払えるし、店にも近いから通勤が楽だ」
「家賃は共益費込みでなんとかならないか交渉してみるから」
「助かるな」

 普段なら、さっさと店に戻って契約の手続きを、と思うところだが、こうやってぐずぐずしている間に、他の誰かが契約してしまわないかと思う自分がいる。物件を探し続ける間は、池田と同居が続けられる、とケチな希望を繋いでいる。

「決めた。ここにする」

 池田は部屋に戻って俺を振り返った。

「よし、じゃあ店に戻って契約書書いてもらわないと」

 俺も部屋に戻ってベランダの戸締りをした。部屋の明かりを消し、ブレーカーを落とす。靴を履こうとして振り返った。池田は部屋の真ん中で立ったままだ。

「どうした?」
「最後に言っておきたいことがある」
「なに、怖いな」

 長くなるのか、池田はそこに座り込んだ。俺も部屋に戻り、池田の前に腰をおろした。

 考えるように床の一点を見つめている。そして池田は顔をあげた。

「北村のことが好きだ」

 言葉の意味より先に、近くでまっすぐ見つめて来る黒い瞳に戸惑った。高校時代を思い出すような目だった。

 平常心の鎧でガチガチに武装していたおかげで、池田の言葉を聞いてもみっともなく狼狽えることは免れた。冷静に、池田の次の言葉を待つほうが賢明だと判断して、俺は黙って池田を見つめ返した。

「卒業式の日から今日まで俺なりに色々考えた結果だ。正直自信を持てないところもあるけど、これは好きっていう感情なんだと思う」
「どういう意味の好きなの?」

 ちゃんと確かめられるほどには俺は落ち着いている。

「恋愛の意味だ」
「勘違いだと思うよ」

 いつの間にか前のめりになっていた体を元に戻した。冗談で終わらせられるように笑顔も作った。夢でさえ聞くことのできなかった言葉を、現実の世界で池田の口から聞かされるなんて、にわかには信じがたい。

「池田はさ、俺のことホモだって思ってるだろ? それに俺に恩義も感じてる。なんとか報いなきゃって焦ったせいで、そう思いこんじゃったんだよ」
「卒業式のあと、ずっと思ってたんだ。男が男に好きだと告白するのは相当な勇気が必要だっただろうなって。それをした北村は、どんな覚悟だったんだろうって。男を好きになるってどんな感覚なのか、ずっと考えてた」

 俺の声なんか聞こえないみたいに池田は続ける。最初から話すことを決めていたみたいに。

「わからないまま北村と一緒に暮らし始めて、ある時、それが少しわかった気がした。北村の誕生日プレゼントを買いに行った日、北村の仕事場の前を通った。その時、俺のいない空間で笑ってる北村を見て、嫌だなって思ったんだ。俺なんかがいなくても、北村の生活は成立するんだって気付かされて、無性に悲しくなった」

 その時の感情を思い出したみたいに池田は寂しく目を伏せた。睫毛越しの眼差しに胸が締め付けられた。

「泊りで嫁と子供に会いに行った時も、俺のいないうちに誰かと一緒だったんだと知って、すごく嫌な気分になった。それがただの友達でも、俺は嫉妬してたと思う」
「いやほんとにただの友達だし」

 一瞬疑うような目で俺を見たが、それを自覚したのか池田はすぐ目線を落とした。確かに疑われても仕方のない状況だったかもしれない。池田は俺をホモだと思ってたし、乱れたベッドを見たら、致したのだろうと誰もが勘違いするだろう。

「自棄酒で、いろいろ愚痴ってたから泥酔しちゃったんだよ。他に寝る場所ないし、もう一緒に寝ちゃえって。それだけ」
「それを聞いてさらにモヤモヤするのは、北村のことを好きってことじゃないのかな?」

 胸に手を当てて北村は顔をあげた。こんな風に切ない表情は初めて見る。全身の毛穴が開くような感じがした。

「俺は北村が好きなんだと思う。それを最後に伝えておきたかった」

 そう言うと池田は立ち上がった。話は終わり。これで、終わり?!

「俺の返事聞かないの?」
「好きだと言ってくれるような気がしてる」

 図星をさされて絶句した。

「だけどもう少し時間が欲しい。今はまだ自分の気持ちを確かめることで精一杯なんだ。気持ちに頭がついていかない」
「もう少しって」

 膝立ちになって池田の腕を掴んだ。さらっとした手触りで俺より少し華奢な手。振り払われないことに気をよくして、ぎゅっと握った。

「確信を持てるまで。俺たちはもう大人だから、そのあとの、覚悟が持てるまで、もう少し待って欲しい」

 池田は自由なほうの手を顔を隠すように口元にかざした。顔に少し赤みが差している。握った手も、だんだん熱くなっていく。

 最初言ってることの意味がわからなかった俺も、池田のそんな様子を見て思い当たった。そうしたら俺まで体が熱くなって来た。

 俺たちは大人だ。手をつないで一緒にいるだけでは終わらない。

 これこそ池田という男の性格だ。妙に頑固で、自分の手で触れて確かめたことじゃないと認めない。自分が納得するまで先へ進まない。立ち現れたかつての姿を見て俺は身震いした。

「だったら、部屋探す必要ないだろ? このまま一緒に暮らせばいいんだから」
「振られたとしても、引っ越せば会うこともないって逃げ道が欲しかったんだ。こんな怖いこと……高校生でできた北村はすごいな」

 凄かない。後先考えられないほど、好きだっただけだ。

 池田の手を握ったまま立ち上がった。近くで見ると池田の顔は真っ赤になっていた。お伺いをたてるようにそっと顔を寄せる。池田は咄嗟に顎を引いた。でもすぐ自分から顔をあげ、そろそろと俺に近づいて来る。閉じられる瞼を見届けてから唇を合わせた。

 池田は体を強張らせた。唇もぎゅっと強く閉められている。それをこじ開けるつもりはない。その存在を腕に抱くだけでも溢れるほどの幸福感を味わえる。

「北村……っ」

 胸を押されて口を離した。恥ずかしがって、戸惑う顔の池田が腕の中にいる。

「俺とキスするの、嫌だった?」
「嫌じゃなかった」
「少しは確信持てた?」
「まっ……待って、急がせないでくれ。もう流されたくない。自分でちゃんと考えたい」

 俺の胸に手を当てたまま、池田は下を向いた。その耳やうなじまで赤くなっているのが見える。

「待つよ。いつまでだって。ここまで来るのに10年以上かかってるんだから」

 池田の手を取り、口づける。それを見た池田がさらに顔を赤くして目を泳がせる。

 俺を罵ることのない口、慌てる目、拒絶しない体温。もう悪夢を見ることはないだろう。




関連記事
スポンサーサイト
[PR]