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嘘 (3/7)

2016.07.31.Sun.
1話はこちら前話はこちら

 泡を洗い流したあと、中原は俺の体を拭いてくれた。そしてベッドに横たわった俺の足に跨って、はちきれそうなペニスを口に咥えこんだ。あの中原が!

「うっ、待っ……!!」

 熱い粘膜に包まれながら、軽く唇でしごかれただけであっという間に昇りつめた。自己最速記録で、中原の口の中に精液を叩きつけていた。

 さすがに予想外だったようで、中原は眉を寄せて俺を睨んだ。モゴモゴと口周りを動かしたあと、「早えんだよ、早漏が」と俺を揶揄することで飲みこんだことを証明した。

「飲んだ……」
「で、次どーする?」
「えと……、もう一回、口で」
「好きだなぁ、伊藤ちゃん。まさかずっとしゃぶらせる気かよ? さてはお前、童貞だな?」

 中原の口が近づいて、俺のペニスに熱い息が吹きかかったと思ったら、再び熱い口腔内に包まれていた。中原は頭を上下させて俺のペニスをしゃぶった。くらくらするような快楽。

 頬の形がへこんだり膨らんだり変形している。中原の口から溢れた唾液が、陰茎を伝い落ち下に溜まる。感じる刺激と、目の前の光景が結びつかない。

 高校時代の数か月、中原ときちんと話をしたことは一度もなかった。いつも一方的に嫌がらせをされていた。言い返せば嫌がらせがしつこくなるだけだとわかっていたから、「うん」とか「違う」くらいしか言ったことはないし、こちらから話しかけたこともない。面と向かい合ったこともなかったんじゃないだろうか。

 みんな、そんな感じだった。中原はクラスの嫌われ者だった。内心では馬鹿にして、見下して、罵詈雑言を浴びせかけていた中原が今、俺のものをうまそうにしゃぶっている。いまにも射精しそうな快感は、俺の高校中退の原因を作った中原によってもたらされているのだ。

「出る、かも」

 また早いと言われるかと思ったが、どうぞ、というふうに、中原は先端を二度吸った。一度目は中原の口に出した。二度目は違う場所がいい。

「君の、祐樹の、顔に出したい」

 熱を孕んだ目で俺をじっと見たあと、中原は軽く頷いて口を離した。亀頭を自分の顔に向けながら、手で扱く。金のためとはいえ、こんなことを甘んじて受け入れるなんて意外だった。本当は元からこういうことが好きだったのだろうか。

「祐樹は、いつから、この仕事してるの?」
「高校卒業してから」

 俺は中退したのに、中原はちゃんと卒業したのか。

「いつからホモなの?」
「早く出せよ」

 低い声とともに、鋭い眼差しが矢のように飛んできた。少し気圧されたものの、このタイミングを逃すまいと質問を続けた。

「高校の時は、もうホモだったの?」
「うるせえな、噛むぞ」
「好きな男、いた?」

 中原は口を閉ざして唇をへの字に曲げた。機嫌を損ねた駄々っ子みたいな表情だ。

「いたんだ?」
「いちゃ悪いか」
「誰?」
「聞いても伊藤ちゃんにはわかんねえだろ。てか、早く出せよ。腕が疲れて来た」
「名前だけ。知りたい」
「……門田。満足か?」

 挑発的な目が俺を睨む。門田という名前にはなんとなく聞き覚えがあるようなないような、曖昧な感覚しか持てない。同じクラスだった連中のほとんどの顔と名前を忘れてしまっているから思い出せないだけかもしれない。二年以降の中原のクラスメートだとしたら、俺にはわからない。

「かっこいい人?」
「しつけえな。まだ聞くのかよ。ぜんぜんかっこよくねえよ。俺、男の趣味悪いって言われてるから」
「口も悪いもんね」
「うるせえ」
「告白した?」
「できるわけねえだろ。もういい加減にしねえと、止めるぞ」
「ごめん、もう、出すよ」

 ちょっとほっとした顔で、中原は俺のペニスに視線を戻した。

 中原に見つめられながら俺はその顔へ射精した。目に入るのを避けるために中原は目を閉じる。眉間から鼻梁へ、その脇から口元へと、俺の吐きだした精液が中原の顔を汚している。

 征服感が尾てい骨のあたりからゾクゾクとこみあげて来て、俺の体はブルッと震えた。

 顔が俺の精液まみれの中原は、赤い舌が出し、唇に溜まる白い液体を舐めとった。目を開け、俺を見据えながら、口周りの精液を指先で口元へ運び、その指の汚れも俺に見せつけるように舐めた。

「次はどーする? 伊藤ちゃん」
「次……?」
「入れたい? 入れられたい?」
「えっ!」
「これで終わりでも、俺は別に構わねえけど」

 俺が中原に……、入れる? 入れられる?! 入れられるなんてまっぴらごめんだ。どうして俺が中原のちんこを突っ込まれなきゃいけないんだ。じゃあ、入れる? それもどうだろう。中原のケツに入れたいか? そこまでしたら完全に俺までホモじゃないか? 俺はただ、高校時代の憂さ晴らしをしたかっただけだ。

 これでもう充分なような気がする。でも、せっかくだから、という欲も出て来る。

 マンションのデブ男のように、中原をヒイヒイ善がらせるのも、面白いかもしれない。

「い、入れる……ほう、で」
「オッケー。じゃ、準備するわ」

 中原は体を起こすとホテルの備品のローションを手に出して、それを尻になすりつけた。俺のほうへケツを向けているから、中原が指を出し入れしているのが見えた。意外につるんと綺麗な尻だ。ローションのせいでそぼ濡れるアナルも、出張ホストをしている割に色づきは薄い。

 そっと尻を触ったら、中原は「わっ」と声をあげて背を逸らした。

「なんだよ、急に」
「スベスベしてる」
「あー、ケツだけは褒められる」
「ケツだけなんだ」

 と笑ったら「うるせえ、殺すぞ」と中原は口を尖らせた。自分が言ったくせに。

「伊藤ちゃん、3回目だけど、勃つのか? また口でやってやろうか?」

 必要に迫られた事務的な感じで肛門を解しながら中原が言った。

「もう、入れて大丈夫なの?」
「まあ、大丈夫っちゃあ、大丈夫だけど」

 大丈夫という言葉を聞いて、俺は中原の腰を掴んで背後から挿入を試みた。ぬめついた肛門に亀頭を押し当て、ぐぐっと押し込む。フェラしてもらう必要はなかった。中原が指を出し入れしているのを見ているだけで勃起した。

「ちょっ、待っ……!! あ、ううっ……!!」

 ベッドにうつ伏せになって、中原が呻く。狭くて突っ張る感じはするが、ローションのおかげで引っかかるような痛みはない。中原は違うのかもしれない。

「痛い?」
「伊藤ちゃん程度のちんこ、痛いわけ、ねえだろ」

 短小と言われたっけ。今更ながら傷つく言葉だ。それに、童貞だと言い当てられたし。なにがなんでも善がらせたい。マンションのデブ男にできたんだ、俺にだってできるはずだ。

 ゆっくり引いて、また戻す。という動作を何度も繰り返した。中原の中はとても暖かくて、狭くて、吸い付いて来る粘膜は動くたびうねって俺を奥へと誘い込むようだった。

 慣れているのかと思いきや、健気な緊張感も保っていて、それに味をしめた俺は猿みたいに何度も何度も出し入れした。

「うっ、ううっ、あ、あぁぁっ……!!」

 ベッドに顔を押し付けたまま、中原が声をあげる。デブのマンションで聞いた声と少し違う気がする。

「気持ちよくない?」

 確認したら、中原はシーツに額を擦りつけるように首を左右に振った。

「気持ちいいから、もっとして……!! いっぱい、突きまくって……!!」

 言われた通り、ピストン運動の速度と強度をあげた。陰茎を扱かれて俺のペニスがさらに充血する。

「あっ、ううっ……、んっ!! いいっ……! 気持ちいいっ!! 伊藤ちゃんのちんこ、気持ちいいっ!!」

 叫ぶように言いながら、中原は自分でペニスを扱いた。

「はぁぁんっ、あっ、あっ……ちんぽ気持ちいい……ッ! あっ、そこ……ッ……もっと、してっ!! あ……あっ……前立せ……あたって……ぁ……ああ……っ!! も……して……っ!!」

 前立腺。聞いたことがある。どこだと探しながら腰を振った。ある場所を擦ると中原は髪を振り乱した。きっとここだ。そこを徹底的に責めた。

「ああぁっ……だめっ、そんなっ……しちゃ……ぁ……だめっ……やだっ……ッ……気持ちよくて……イッちゃ……イッちゃうからっ……! はあぁんっ……いとう、ちゃ……あっあっ!!」

 中原の声が聞こえなくなると同時に、体が強張った。そして、大きく息を吐きだしながら弛緩した。ぐったりした背中が大きく上下している。

「イッたの?」
「……それ聞いてどーすんの」
「だとしたら、良かったと思って。俺、短小で童貞だから」

 首を捻って中原が俺を睨む。

「まぁ、確かに、短小で童貞で早漏でテクニック無しだけど、初めてのわりに良かったんじゃね?」
「テクニック無しが増えた」
「童貞なんだから当たり前だろ。何様だお前」
「でも祐樹、すごい喘いでた」
「全部演技だよ、バーカ」
「えっ、そうなの」
「冗談もわかんねえのか、バーカ。早くイケよ。今度は遅漏かよ」
「俺も出すよ」

 中原の悪口に苦笑しながらピストンを再開する。

 高校生の頃は苦手でしかなかった中原の口の悪さが今では平気に聞き流せるのが不思議だった。学校の教室という閉ざされた空間、逃げられない条件が揃っていたから、神経質になっていただけだったのだろうか。

 いや、確かに中には酷い中傷もあったから、やっぱり中原が人格異常者なのだと思う。

 そんなことを考えながら三度目の射精をする。出したあとで、中出しして良かったのかと不安になったが、中原は何も言わないから、これもサービスの内なのだろう。どうせ男同士で妊娠もしないのだし。




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嘘 (2/7)

2016.07.30.Sat.
<前話はこちら>

 エントランスに先回りした。中原がやってくる。俺に気付くとさらに顔を俯けて、中原はエレベーターの前に立った。ボタンを押したあと、微動だにせず、待っている。

 俺は後ろからまじまじと中原を見た。半袖のシャツから伸びる腕はほっそりしていて、シャツの余った腰まわりも、ベルトがなければジーンズは落っこちてしまいそうだ。

 こんなに細かったっけ。俺より背は高くてがっしりしているイメージだった。苦手意識が、そういう風に記憶を作り替えてしまったのかもしれない。

「あの」

 声をかけると、中原は首を少しだけ動かして、振り向く動作を見せた。でもまだ顔は見えない。

「この前は、どうも」

 さらに言葉をかけ続けると、やっとこちらに顔を向けた。肩越しに目が合う。

「××ピザの……、配達に……」
「……ああ」

 不機嫌そうな低い声が、中原の口から聞こえた。この前も、今も、中原が俺だと気付いた様子はない。高1のわずかな期間一緒にいただけのクラスメートなんて、こいつが覚えているはずもないのだ。

「今日はチラシのポスティングに。またご利用お願いします」

 ここにいる不自然さをごまかすために嘘をつく。中原は軽く頷いた。

「あの人は彼氏、ですか」
「関係ねえだろ」

 鋭い声が発せられた。一応、あれが恥ずかしい咎められる行為だと自覚はあるようだ。

「ああいうの見たの、初めてで。びっくりしました」
「あっっっそ」

 不機嫌さを隠さない、適当で吐き捨てるような相槌。

「このへん、配達エリアだから、よく通るんですけど……、余計なお世話だと思うんですけど、あの人、あの……あなたの、彼氏? 他に男がいるみたいですよ。若くて、ちょっとかっこいい系の子といるの、何度か見ました」

 喋っている途中で、頬が持ちあがるのを止められなかった。自然と湧きあがってくる笑みを抑えきれず、最後は完全な笑顔になっていた。

 言った言葉は本当だ。このあたりをウロついている時にあのデブの部屋を訪れる男が何人かいることに気付いた。みんな、中原のような見た目。あのデブのタイプらしい。中原もその一人。あんなに恥ずかしい真似をしているくせに、結局は、何股のうちの一人でしかない。

 中原はどんな反応をするだろう。嫉妬に怒り狂う? それを期待していたのに、中原は「ハッ」と笑い飛ばした。

「それが? お前、なんか勘違いしてるみたいだけど、俺、あいつと付き合ってねえから。金もらってヤッてるだけだから。余計なお世話」

 顔の半分をこちらに見せてせせら笑う。

「えっ、金……」
「売り専のボーイ。って意味わかる? ゲイの風俗。デリヘルの男版。今日も客に家呼ばれたから来てるだけ」

 中原はボディバッグを前に回すと、なかに手を入れてゴソゴソやりながら、こちらに近づいてきた。目の前で立ち止まったと思ったら、小さなカードを俺の鼻先に突き出した。

「興味あんなら、指名お願いしまーす」

 馬鹿にしたような軽い口調。わけがわからないまま、それを受け取った。中原はくるりと背を向けると、到着したエレベターに乗り込み、俺に手を振って上へと消えて行った。

 咄嗟に受け取ってしまったカードを見る。なんてことはない、ただの名刺だった。『出張対応ウリ専 ボーイミーツボーイ 祐樹』と電話番号だけが書いてある。

 中原はウリ専のボーイ。お金をもらってゲイとセックスしている。そんな世界や人達がいることは知ってはいるが、まさかあの、中原が。

 しかしこれで納得だ。あのモテそうにないデブがとっかえひっかえ若い男を家に呼び付けているのが不思議だった。他の男たちもお金で買われたボーイなのだろう。

 中原に一矢報いることが出来たと勘違いした高揚はすっかり萎れた。次なる復讐の手段を考え始めた。名刺を手に入れた瞬間から、もう、これしかないような気がしていた。

 60~90分程度で中原は出て来るだろうと思って、当初の予定通り本屋へ行って文庫本を一冊購入した。ファストフード店で文庫を読みながら時間を潰し、入れ違いになると嫌なので少し早めにマンションに戻った。

 マンションの周りをグルグル歩いていたら、中原がエントランスから出て来た。俺に気付かず、駅のほうへ歩いて行く。追いかけて、声をかけた。

「あのっ」

 振り返った中原はさっきの俺だとわかると、呆れたような笑い方をした。

「え、さっそく? 相当溜まってんなぁ」

 出て来るまで待っていた理由を中原は察したようだった。

「初めてなんで、ど、どうしたらいいか、わかんないんですけど」
「ほんとなら店通さなきゃなんないんだけど、今日は俺、直帰選んでるから、このままでいーよ。そのかわり、絶対店に内緒にしとけよ。とりあえず、ホテル探すか。こっから一番近いホテルってどこよ」
「えっ、ホテ……えっ、えーっと」
「配達まわって詳しいんじゃねえのかよ。使えねえなぁ。あんたの家でもいいけど?」
「ホテル、あります! ちょっと遠いですけどっ」
「じゃあ、案内よろしく」

 こっちです、と今更敬語を崩せないまま、幹線道路に近いホテルへと中原を連れて向かった。

「名前。俺は祐樹。おたくは?」
「あっ、俺、い……い、伊藤です」

 本当は今井だが嘘をついた。本名を名乗ったって中原が俺を思い出すとは思えなかったが、どうせなら知らせないまま、俺の方が優位だと安心したかった。

「伊藤、ね。苗字かよ」
「え、あ、下の名前?! 」
「どっちでもいいよ。で、まだ? 遠いんならタクシーで行こうぜ」
「もうすぐ、だから」

 タクシーで男二人、ラブホテルに乗りつけるのか? そんな恥ずかしい真似俺にはできない。それが出来るくらい、中原の羞恥心はすり減っているのだろう。ピザの配達スタッフに、事の最中を見せつけるくらいなのだから。

 中原に容赦ない文句を言われながら十分後にやっとホテルに到着した。夕方近いが、外はまだまだ明るい。躊躇する俺とは正反対に、中原は颯爽とホテルのなかに入って、慣れた様子で部屋を選んでしまった。

「男同士でも入れるんですね」
「文句言われたら、俺は女だって逆切れすりゃいい」

 確かにそう言われたら引っ込むしかないかもしれない。俺も客商売をしているから、そのあたりの難しさはわかる。

 部屋の中に入ると、効きすぎた冷房の肌寒さと、空気の乾燥が気になった。絞られた照明、外の言えない窓、閉鎖的な空間で息がつまる。

 中原は何も気にならないのかソファに腰をおろして足を組んだ。

「60分、90分、120分。時間はどれにする?」
「え、あ、えーっと、どんなコースがあるんですか」
「今回初めてだから、伊藤ちゃんの要望から聞くわ。どうして欲しい? なにがしたい?」
「なにが……」

 中原に屈辱を与えられるなら、なんだっていい。とりあえず、

「く、口……フェラを……」
「オッケー。じゃまず、シャワー浴びるか」

 ソファから腰をあげた中原に手招きされる。

「えっ、俺も? 一緒に?!」
「お前のムレムレになったきったねえちんこしゃぶらせる気かよ」
「そんなつもりは!」

 否定してから、そのほうが中原にダメージを与えられると気付いたが、もう遅かった。

「じゃ、来い。俺が脱がせてやろーか?」

 と、中原は俺の胸倉を掴んだ。終始中原のペースだ。これじゃ駄目だ。俺が主導権を握らなくては。

 中原の手を振り払って自分で服を脱いだ。それを見た中原もニヤッとして服を脱ぎ棄てた。全裸になって二人で浴室に入る。

 そういうマニュアルなのだろう。中原が俺の体を丁寧に、隅々まで洗ってくれた。貧相な体だとか、短小で早漏そうだとか、ここでも言いたい放題コケ下ろしてくれたが、体を撫でる泡だらけの手は優しくて、いやらしくて、からかうように乳首やペニスを触られると、ドッドッと心臓が高鳴って、たまらない気分になった。

「そーいえば、伊藤ちゃん、何歳?」
「あ、21」
「俺とタメじゃん」

 タメどころか、一時期、同じ高校に通ってたんだよ。偽名を名乗ったせいもあるだろうが、俺が元クラスメートだと気付く様子は微塵もない。

「もうちょっと待ってな」

 中原は勃起した俺のペニスに話しかけると、自分の体を洗い出した。中原も勃起していた。浴槽の縁に片足を乗せ、俺に見せつけるように尻の穴に指を入れてそこも綺麗にした。

 そこは使わない。と、思っても、口に出しては言えなかった。荒々しい鼓動が、のどに蓋をしてしまっていたのだ。




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嘘 (1/7)

2016.07.29.Fri.
※途中視点交代。交代後、重複箇所あり。

 配達を頼まれたマンションの部屋番号をもう一度確認してからインターフォンのボタンを押した。

『はーい』

 適切な音量で話せないのかと思うような大きくて野太い声が応答する。

「××ピザです」
『いま出まーす!』

 しばらくしてガチャガチャと鍵の開く音がして、扉が開いた。

「お待たせし――」

 俺は最後まで言いきることが出来なかった。最初に目に飛び込んできたのは、涙と鼻水でグチャグチャの若い男の顔。

「あっ、あ、す、いませんっ……いくらっ、ですか、はぁっ!」

 喘ぎ声としか思えないような声をあげながら話しかけてきた男は全裸だった。その男の後ろでにやついた顔で腰を振っているのも、どう見ても男だった。こっちは30代前半だろうか。

 パンパンパンパンと肉のぶつかる音と、グチュッブチュッと粘ついた水音が聞こえる。前に立つ若い男の股間では勃起したものがブラブラと揺れていた。

「えっ……、あの、これ……」

 俺は一歩後ずさった。

 ピザ屋でバイトを始めて、いろんな家に配達に行った。なぜか居留守を使って「遅い!」と電話でキレてくる頭のおかしい奴もいれば、「一人で食べきれないからご一緒にどう?」と言ってくる一人暮らしのお年寄りもいたりした。

 大半はまともで普通の客だが、たまにヤバイとこに来た、と思わせる客もいる。こいつらなんかはまさにそう。

「悪いねぇ、いまいいとこだったからさ。ほら、祐樹、金払え」
「あはぁぁ、あっ、い、いくらぁっ?!」

 祐樹と言われた男は、後ろのデブに体を揺さぶられながら、歪めた顔を俺に向ける。よく見ると涙と鼻水と涎に混じって白い液体も見える。おそらくどちらかの精液。

「えっ、と、あのっ! えーっと、さっ、3800円、です!」
「ほら、祐樹、これで払え。おつり、ちゃんと受け取るんだぞ」

 後ろのデブが五千円札を祐樹に握らせた。祐樹がそれを俺に差し出してくる。何かを訴えかけるような切ない表情で。

「あっ、はい、えっとじゃあ、1200円のお返しですね。しょ、少々お待ちください」

 ウェストポーチからおつりを出して祐樹の手に乗せた。それを狙っていたみたいに、後ろのデブが激しく祐樹を突きあげた。

「いああぁぁっ、あっ、ああぁんっ、だめ、やっ、そんな、しちゃ……だめっ……お金、落としちゃうっ」

 祐樹の言う通り、振動で小銭が手から滑り落ちた。転がった百円玉が俺の足にぶつかって倒れる。一刻も早く帰りたくてそれを拾い上げた。

「あ、これ」
「祐樹、ピザも受け取らなきゃいけないから、お金は口でもらいな」

 デブがニヤニヤしながら祐樹に指示する。祐樹は男の言いなりで「わかった」と頷いて俺を上目遣いに一度見たあと、だらしなく開きっぱなしの口から赤い舌を出して、震える俺の手から百円玉を舐め取った。

「ピラ……もらいまふ……」
「え、あっ、はい! どうも、ありがとうございました!」

 マニュアル通りにお礼を言って、急いで扉を閉めた。直後、中からガタガタと慌ただしい音がして、「あはぁっ、あぁんっ、だめぇ、もうイク! イク! イッちゃう!!」と祐樹の声が聞こえた。

 走ってマンションを出た。バイクに跨り、その場から離れる。心臓がバクバクと興奮している。

 デブに犯られてる祐樹の顔に、俺は見覚えがあった。

 高校一年の時、同じクラスだった中原祐樹。ヤンキーっぽい粗暴な奴で、高校生活始まってすぐの頃、自分の存在感を見せつけるためか、クラスのおとなしめな連中をいじりだした、幼稚ではた迷惑な奴だ。

 ブスな女子に「お前、なんで生きてんの?!」と言ったり、デブな男子に「温暖化はお前のせいだろ」と言ったり、自分より目立つ奴がいると突っかかって行って「キモイ」を連発、場の空気を悪くしたりしていた。

 中原祐樹と一年同じクラスだということをクラスの全員が憂鬱に思っていたはずだ。俺もそうだった。憂鬱が絶望に変わったのは、密かに可愛いなと思った女の子をこっそり見ていたこところを、中原に気付かれた時だ。

 中原はすぐ、クラス中に聞こえる声で、俺が誰を見ていたかを言った。変態的な目で、股間を膨らませていた、なんて嘘もついて。

 またいつもの中原の残酷ないじりだとクラスの大半は思ったようだが、俺が思いを寄せていた由里原は、眉間に皺を作って軽蔑する目で睨んできた。そこには敵意もあった。

 俺に見られていたことへの不快感と、中原に目をつけられたことへの憤怒。余計な真似しやがって、ということだったのだろう。その被害者意識はよく理解できる。誰だって中原に目をつけられたくない。

 中原はことあるごとに、俺と由里原をからかってきた。席替えをすれば隣同士にしてやれよと言ったり、由里原が男と話していたら俺がヤキモチやくぞと肘でこづいたり、体操服に着替えていたらパンツをずり降ろされて、早く由里原に突っ込めるといいなと下品に笑われたりした。

 鬱陶しいことこの上なくて、由里原にも申し訳なくて、こいつと同じクラスで一年我慢しなきゃいけないことが嫌でたまらなくて……俺は学校に行かなくなった。

 二年になったらまた戻るつもりで家で勉強はしてたけど、中原とクラスが別になっても学校には行かなかった。そのままずるずる休み続けて結局中退した。

 21歳の今までずっとフリーターだ。まともに就職できる気がしない。それもこれも、中原祐樹のせいだ。あいつと同じクラスにならなければ。

 こんな形で再会したのは、何の偶然だろう。運命か。啓示か。

 素っ裸で男同士のセックスをピザの宅配スタッフに見せつける性癖があったとは知らなかった。あの頃の中原からは想像もつかない。

「どっちが変態だよ」

 吐き捨てるように呟きながら俺は道順をしっかり頭に刻みこんだ。

 その日、バイトが終わってから中原を見たマンションに自転車で戻ってみた。外から電気のついたベランダを眺めてみたりして5分ほど過ごしたが、中原の姿は見られなかった。

 この日から気が向けば例のマンションの周りをうろついていた。中原とセックスしていたデブの男は何度か見かけたが中原はいない。一緒に住んでいるものだと決めつけていたが、そうではないようだ。

 3ヶ月ほど経った今日も、バイトが休みだから駅前の本屋に行くついでに、あのマンションを見に行った。いつも通り、玄関は閉まっているし、ベランダのカーテンも揺れやしない。

 数分留まってから、本屋に向かおうと通りの先へ視線を伸ばしたら、俯き加減に歩いて来る人影があった。明るい頭。ヤンチャそうな見た目。ドクンと心臓が高鳴る。近づいて来るそいつは、中原祐樹に違いなかった。




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行きつく先は(5/5)

2016.07.13.Wed.
<前話はこちら>

 数日後の夜、俺は実家に帰った。この時間なら父がいる。

 菱川くんから別れを告げられたあの日から、ある考えが頭から離れなくなっていた。このまま花井さんの言う通り結婚するのは嫌だ。俺だって愛情の持てない相手と一緒にいたくない。好きな人と一緒にいたい。菱川くんの言う通り、決断するしかないのだ。

 母が夕飯を作っている間、父はいつも通り一人で晩酌をしていた。いつもある小言がないほど上機嫌なのは、俺と花井さんがうまくいっていると思っているからだろう。

「お前も呑むか」

 勧められた酒を断り、膝を父のほうへ向けた。

「話があります」
「なんだ。日取りが決まったのか?」

 結納か結婚式の話をしているのだろう。黙って首を振り、俺は切りだした。

「花井さんと結婚はしません。今後誰とも、結婚はないです」

 緩んでいた顔を引き締めて、父はグラスをテーブルに置いた。

「彼女のなにが不満だというんだ」
「そういう問題ではないんです。僕は……ゲイなんです。男しか好きになれません。だから女性とは結婚できません。今まで黙っていてすみませんでした」

 頭を下げた。父がテーブルを叩き、上に乗っていたグラスや皿が音を立てた。

「ふざけたことを言うな! 冗談でもそんなことを言うんじゃない!!」
「冗談なら良かったんですが。僕は父さん達に孫の顔を見せてやることは出来ません」
「彰博、お前……ッ!!」

 父の拳が飛んできた。



 信号待ちで、腕に白い粒を見つけた。実家を追い出された時に撒かれた塩だ。

「二度と戻って来るな! 親子の縁を切る!! お前みたいな奴は俺の息子ではない!!」

 そう言われて。予想通り父は激怒し、母は泣いた。

「先方さんにはなんて言えばいいの」

 と。父も母も常識にとらわれ、世間体を気にする人だった。そこから抜け出た俺は世間体の庇護を受けないかわりに自由を手に入れた。

 菱川くんのバイト先へ向かい、いないとわかると家に車を走らせた。明かりのついた部屋のチャイムを連打し、急かすようにノックをする。驚いた顔で出て来た菱川くんに抱きついた。

「君が好きだ。だから俺は君を選ぶ」
「えっ、ちょっと、早瀬さん?!」

 靴を脱ぎ棄て彼に抱きついたまま奥のベッドに倒れ込む。彼の上に馬乗りになって服を脱いだ。

「早瀬さん、その顔……っ」

 殴られた跡を見て菱川くんは眉を顰めた。

「ハハ、ゲイだって言ったら殴られた」
「婚約者に?!」
「父に。母は泣いたよ」
「僕のせいですね」

 さっと顔を曇らせる。

「違うよ。俺が自分で決めた。花井さんなんかと結婚したくない。これでもう彼女に脅される材料はない」
「脅されてたんですか?」

 驚いて目を見開く彼にキスした。キスをしながら、菱川くんの服も脱がせていく。顔を見せた胸の突起を口に含み舌で転がした。

「早瀬さん……ッ、脅されたって、ちゃんと説明して……!」
「ゲイだってバラされたくなければ、結婚しろって花井さんに脅されてただけだよ」
「そんな……! 僕、知らなくて……どうして教えてくれなかったんですか」
「言わなかったのは俺の判断だ。それに、君が俺に決断させてくれたんだ」

 ズボンと下着をずりおろし、出て来たペニスにしゃぶりつく。今後のことはわからない。でも今はこれだけが欲しいと思う。人から遊ぶお許しをもらった男では満足できない。

 口の周りを唾液まみれにして彼を勃たせると、俺はそこへ跨った。

「あっ、待って、まだゴム……!」
「いらない。必要ない」

 菱川くんの肩につかまりながらゆっくり腰を下ろしていった。今までは病気の心配や後々の腹痛を理由にコンドームを使用していた。でも今日は生で欲しい。

「ふぅ……うっ……あ、はああぁっ……」

 奥深くまでこじ開けられていく感覚。ペタンと尻がくっついて腹の中にある熱い存在に震えが走った。腰を浮かせ、また下ろす。上げ下げを繰り返していたら少し潤いが出て来てスムーズになった。

「早瀬さん、辛くないですか」
「い……からっ……俺の、ちんこ触って……!」

 少しの痛みと腸を刺激する異物感から俺のペニスは萎れていた。それを菱川くんが握って優しい手つきで扱く。

「すご……奥まで……っ! 菱川く……ちんぽ、気持ちいい……?」
「俺は気持ちいいですけど……早瀬さんは苦しそう」
「菱川くんの精子……中に欲し……ッ……いっぱい、俺のなかに……注いで……!」
「だったらこっちの方が早いです」

 俺の背中と腰を支えながら菱川くんは体を起こし、俺の上になった。

「ほんとに中に出していいんですか?」
「君の精液まみれになりたい」
「……ほんと、早瀬さんて綺麗な顔してエロいですよね」

 苦笑した菱川くんが中で動く。慣れた正常位。俺の敏感な部分を熟知した動き。あっという間にペニスが立ちあがってしまう。

「奥まできていいから……菱川くんも、気持ちよくなって……」
「充分気持ちいいです」

 菱川くんの手が俺のペニスを扱く。ぬかるむ尿道に指の先を突っ込んでくる。

「はぁっ……あっ、あ……や、だ……ちんぽっ、そんな……したら……出るっ」
「僕も早瀬さんにいっぱい出して欲しいです」

 手つきが激しくなって、濡れた音が経つ。

「あぁぁ……あぁあんっ……だめっ……て、ばぁあっ……あ、ひぁ……し、かわくぅ……んっ! んあぁ……ほんと……出……ちゃ……っ!! ちんぽ、も…ぉ…いくっ、いくっ!!」

 熱い精液が駆け抜けていく。頭が真っ白になる解放感。無様なほどだらけきった顔をしているだろうに、菱川くんは愛しいものを見るように目を細めている。

「いっぱい、出ましたよ」

 菱川くんの手は俺の吐きだした精液まみれた。それを菱川くんはペロリと舐めた。

「……菱川くん、正直に答えて欲しいんだけど……ほんとに男と寝たことないの?」
「ないですよ」

 きょとんと菱川くんが答える。

「じゃ、どうしてそんな……慣れてる、気がする」
「笑わないでくださいね。早瀬さんに喜んでもらうために勉強しました」
「勉強?」

 俺の足を大きく広げると、菱川くんは体を前に倒してきた。

「ネットで調べたり、動画を見たり。ここ、前立腺ってとこですよね?」
「ひんっ」

 ぐりゅっと擦られて素っ頓狂な声が出た。菱川くんの笑みが濃くなる。

「そういう反応見せてくれるから、僕も止まらなくなるんです」

 言うと菱川くんはピストン運動を始めた。正確に俺の前立腺を責め立てる。

「やっぱり生だと違う……直で早瀬さんを感じられて、すごくいい」
「……俺、もっ!! ああぁっ……いつもよりおっき……いいっ! ああぁっ……はあぁ……ん……菱川くんのっ、ちんぽ……気持ちいいっ……!!」

 もっとして、とねだればその通りに動いてくれる。菱川くんに気持ちよくなってもらいたかったのに、それも忘れて俺は再び勃起したペニスから先走りを撒き散らした。

「ああぁん、あっ! あぁ!! また……キタッ……菱川くんっ、俺また、イク……!! 菱川くんのおちんぽで、射精する!!」
「待って……僕も、いきそう……っ」
「なかに出して……! 菱川くんの…ッ…ナマ中出し、欲しいぃ……!!」

 口を突きだすと菱川くんはキスをくれた。必死にそれに舌を絡める。俺たちはほとんど同時に射精した。



 二人一緒にシャワーを浴びた。浴室から出るとスマホの着信に気付いた。

「花井さんだ」

 俺の呟きに頭を拭いていた菱川くんがそばにやってきた。

「僕がかわりに出ましょうか?」
「俺が自分で言う」

 通話ボタンを押すなり『どういうこと!!』と怒鳴り声が聞こえた。スピーカーにする必要もなさそうな音量だ。菱川くんと顔を見合わせ、苦笑した。

『さっきお父様からお断りの電話が来たんですけど! 何かの間違いですよね?!』
「間違いではないです。あなたの夫にはなりたくありません」
『そんなこと言っていいんですか? どうなるかわかってるんですか? ご両親や職場の方たちにバレても……』
「両親には自分でバラしました。職場のほうは好きにしてください。もう、クビになってもいいです。高望みしなけば、食い扶持には困らない業界なので」
『……ッ!! でも、お相手の菱川さんはどうでしょうね?! 学校や親に知られたら……』
「僕なら平気です。もうカミングアウト済みだから」

 横から菱川くんが言った。ちゃんと聞こえたようで、電話の向こうで花井さんは絶句していた。

「そういうわけです。もう脅しの材料はなくなりました。あなたともこれきりということで。しつこいようだと、脅迫と名誉棄損で訴えることも考えます」

 ガサガサッと慌てたような音のあと、通話が切れた。

 結局あの人はなにがしたかったのだろう。男を自分の意のままに操るのが好きなタイプの人間だったのだろうか。ゲイである俺に執着したって、生産性などないのに。

「これですっきりした」
「でもまだ気を付けてください。早瀬さんが嫌な思いをするのは嫌ですから」

 心配そうに言って菱川くんは俺を抱きしめた。

 俺だって不安がないわけじゃない。職場や近所にゲイだと言いふらされるのは困るし迷惑だし、二次被害、三次被害がないとも言いきれないからやめてもらいたいのが本音だ。

 でもそらすら、どうだっていいと思えたのだ。菱川くんに振られた夜に感じた孤独と絶望に比べれば、数十人、数百人が俺を非難したって構わないと。大げさに言えば、世界中が敵にまわったって、菱川くん一人がいてくれればいい。

 こんな感情は一時的なものかもしれない。俺が冷めるより先に菱川くんに飽きられて捨てられるかもしれない。それでもいい。どんな結果になっても後悔しないと今なら言えるから。





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行きつく先は(4/5)

2016.07.12.Tue.
<前話はこちら>

 毎日電話してその日一日の行動を報告することを強制された。休みの日にはデート。たまに泊まることも強要された。「やっぱり女には興味がないの?」と一緒に入ったベッドの中で体を触られたこともある。ピクリとも反応しない俺を揶揄するように弄ぶのだ。

 監視のためなのか、花井さんは抜き打ちで病院や自宅へやってくることもあった。だからいつも気が落ち着かない。似たような背格好の女を見るだけでギクリと心臓が縮み上がり動悸が激しくなった。

 あの女から逃れたい。でも逃れられる場所がない。毎日が地獄のようだ。

 眠れなくなり、思考力も低下し、食欲も落ち、体重も減った。病院のナースから心配されるほどに変わってしまったらしい。

 今日も日課の花井さんへの報告を済ませると、職場の同僚に出してもらった睡眠薬を酒で飲みこんだ。眠れても花井さんが出て来る恐ろしい夢ばかり見る。寝ても覚めても、地獄のような毎日だ。

 缶ビールを2本空けた頃に電話が鳴った。見ると菱川くんからだ。これで何度目だろう。

 街中で偶然会ったあの日から、菱川くんから何度か電話をもらっていたが無視を続けていた。会った時に携帯電話のチェックも当然のようにされるから、彼との通話の記録は残せない。

 メールは毎日来ている。

 連絡がないことを心配する内容。電話に出てください。声を聞かせて。怒ってるんですか? 説明してください。無視は辛いです。
 そんな文面に「いまは仕事で忙しい」とだけ返し、花井さんに読まれる前に削除していた。

 今日も呼び出し音が止まったあと、菱川くんはメールを送って来た。

『マンションの前にいます。会えるまで、待ってます』

 ぎょっとしてベランダへ走った。下の往来は遠い上に暗くてよく見えない。どこかに菱川くんがいるのかと目を凝らしてみると、外灯の下で手を振る人影があった。

『帰ってくれ』

 とメールを送った。

『会えるまで帰りません』

 頑固な返事が来た。

 花井さんへの報告は済ませた。こんな時間だし、いきなりやってくることはないだろう。少しくらいなら、菱川くんと会ってもバレないはず。そんなことを思いながら、『じゃあ少しだけ。入ってきて』と焦る指先で打った。

 少ししてインターフォンが鳴る。モニターに映る菱川くんを見つめながらオートロックを解除した。菱川くんが来る前に部屋を片付けた。もう寝るつもりだったから寝間着も着替えた。鏡の前で髪の毛をチェックしていたら、玄関チャイムが鳴った。

 菱川くんを出迎えるために玄関へ向かう。開いたドアから菱川くんが現れた。偶然会ったあの日から3週間ほどしか経っていないのに、3ヶ月離れていたような感覚で緊張する。

 中に足を踏み入れた菱川くんが正面から見つめて来る。

「少し、痩せましたか?」
「最近、忙しくて」
「僕の電話に出られないほど?」

 優しい口調で責められる。口元に笑みは浮かんではいるが、凄く寂しげで悲しげな目をしていた。

「やっと会ってくれましたね」

 俺の手を取って呟いた。

「すまない。時間がなくて」
「花井さんって人と会ってるからですか?」

 菱川くんは誤解をしている。でも間違ってもいない。現に休みの日は花井さんと会っている。

「これには事情があるんだ」
「結婚するんですか?」
「したくない」
「でも、話、進んでるんですよね?」
「勝手に進められてるんだ。俺の希望じゃない」
「前に早瀬さん、言ってましたよね。やむにやまれぬ状況になったら結婚するかもしれないって。いまがそうなんですか?」

 言葉に詰まった。確かにそういう状況なのかもしれない。弱みを握られ、逃げられない状況で結婚を迫られている。逃げれば身の破滅、他に選択肢は残されていない。

 俺が黙り込んだのを肯定と取ったようで、菱川くんは横を向いてため息をついた。

「結婚して欲しくないけど、そこまで僕がわがままを言っていいのかわからないです。だって早瀬さんの人生だから。僕はまだ差別だの世間体だの実感がないけど、早瀬さんの言うこともわからなくもないし」

 力の抜けていく菱川くんの手が不安になって強く握り返した。

「あの人とは付き合ってると思っていいんですか?」

 俺のほうを向いて、菱川くんは言った。痛いくらいまっすぐな目だ。首を横に振った。

「じゃあ、結婚はしないんですか?」

 返答に困り俯いた。そこへまた長い溜息が降りて来る。

「やっぱりそういうの、僕には理解できないです。相手の人にも失礼だと思うし。好きでもない人と結婚するなんて正しいことだと思えません」

 今回はその相手から脅迫という手段で結婚を迫られているんだ。拒めば人生をめちゃくちゃにされる。だから言う通りにするほかない。

「空気読めなくてすみませんでした。早瀬さんはこのままフェードアウトするつもりだったんでしょ? それなのに何度も電話したり、会いに来たりしてすみません。もう電話もメールもしません。これで終わりにします」
「えっ」

 手を離されて顔をあげた。

「これで、終わり……?」
「はい。早瀬さんが結婚するのに、付き纏うわけにはいきませんから」
「結婚なんか……したくない……」
「決断するのは僕じゃなく、早瀬さんだと思います。どっちも手に入れるなんて、無理なことだと思うから。できればちゃんと早瀬さんの口から聞きたかったです。あんな形で知らされるんじゃなく」

 つらそうな顔で言うと、菱川くんは踵を返し、部屋を出て行ってしまった。




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行きつく先は(3/5)

2016.07.11.Mon.
<前話はこちら>

 言われた通り一週間以内に嫌々花井さんに電話をし、指定された場所へ車で迎えに行って、彼女のショッピングに付き合わされたあと、ドライブに行きたいとねだられ、海のほうまで足を伸ばした。

 その帰り道に、丘の上の隠れ家的レストランで食事をした。なにを見ても何も思わないし、なにを食べてもおいしいとも感じない。

 先日のやり取りなんかなかった顔で恋人のように振る舞う花井さんがひたすら不気味で悪態をつく気分にもならなかった。

 家まで送ってくださいと言われるまでもなく、そう来るだろうと覚悟はしていたので「わかりました」と運転手にでもなったつもりで事務的に答え、彼女の自宅マンションまで車を走らせた。

「お茶でも飲んで行きません?」

 シートベルトを外した花井さんが俺の顔を覗きこむ。

「いえ。今日は疲れたので」
「だったら尚更、少しお休みになったほうがいいと思うわ。事故でも起こしたら大変」

 と俺の太ももに手を乗せた。叩き落としそうになるのをなんとか堪えた。

「何が目的なのか、そろそろ教えてくれませんか」

 いろんな感情を押し殺した低い声が出た。

「目的? そんなもの、ありませんけど」
「とぼけるのもいい加減にしてください。何が望みですか? 金ですか、僕の謝罪ですか」
「そんなこと言われるなんて……ショックです」

 胸に手をあて、悲しそうな顔をする。すべてが芝居がかってわざとらしい。怒鳴りたくなるのを奥歯を噛みしめて我慢した。

 その時、俺のスマホが鳴った。花井さんはすばやく音源を探し当て、冷たいまでの無表情で「出て」と言った。

「切れてしまいますよ、早く」

 高圧的な言い方で反発したくなるが、それも大人げないのでポケットからスマホを出した。画面を覗きこんだ花井さんにも、相手が菱川くんだとバレてしまった。

「出てください」

 言葉遣いこそ丁寧だが命令のような口調だ。思わず睨みつけたら睨み返された。花井さんが素早く動き、通話ボタンを押した。

『早瀬さん』

 菱川くんの声が聞こえて来る。仕方なく耳に当てた。花井さんも耳を寄せて来た。

「どうしたんだ?」
『声が聞きたくなって。いま、電話しても大丈夫ですか?』
「……少しなら」
『いまバイトが終わったところなんです。今日って会えませんか?』
「今日は無理だ」
『じゃあ明日は? 明日はバイト休みなんです』
「悪い、明日も無理だ」
『……いつなら会ってもらえますか?』
「最近忙しくて、いつになるかわからない。時間が出来たら俺から連絡する」
『わかりました。お疲れのところ電話してすみません』

 電話越しに伝わってくる菱川くんのがっかりした声。見なくても、落胆した彼の表情が目に浮かぶ。

「悪かったね」
『いえ。声を聞けただけで良かったです』
「おやすみ」
『おやすみなさい。早瀬さん、大好きです』

 焦って隣の花井さんに視線を走らせる。会話を盗み聞きすることに集中しすぎているのか、俺の視線に気付かず、花井さんは眉間に皺を寄せていた。

 おやすみ、と通話を切ってポケットに戻した。

「あれから会っていないみたいですね。私との約束を守ってくれているようで嬉しいです」

 体勢を戻して、花井さんは教師のような口ぶりで言った。ふと、以前彼女が言っていた言葉を思い出した。

 ――どういうわけか、私と付き合った男性って、みんなMっぽくなっていくんです。どうしてかしら?

 過去に付き合った男にもこういう態度だったのだとしたら納得だ。この女は付き合った男を自分の支配下に置きたがるタイプなのかもしれない。

「彼は関係ないでしょう」
「関係なくないです。だって彰博さんの浮気相手なんですから」
「浮気もなにも、あなたと僕は付き合ってもいない」
「酷いことをおっしゃるのね。私たち、夫婦になるのに」

 目玉が飛び出しそうになった。なにを言い出すんだ、この女は。ゲイが何なのか、実はよく知らないんじゃないのか?!

「そんなに驚いた顔をしないでください。私、彰博さんの不機嫌で傲慢なところが好きなんです。そんな彰博さんを傅かせて、従順でかわいい夫に仕立てるのが妻である私の役目なんですから」
「なっ……、なにを言っているんですか……?」

 眩暈がするようなことを言われて、無意識に花井さんから離れ、距離を取っていた。俺には彼女の言っていることが理解できない。あまりにおぞましいことを言われた気がする。

「菱川さんって方のおうちの前で聞いてて確信したんです。彰博さんは見た目はSっぽいけど、中見はMだって。きっと私たちの夫婦生活はうまくいくわ。彰博さんは私にとって理想の旦那さまですから」

 今までのものが作りものだったとわかる彼女の欲望丸出しの笑顔を見て全身総毛だった。目の前にいる女が人間ではない別の生き物に見えた。怖くてたまらない。悪寒が走ったのを認めたら体の震えが止まらなくなった。

「その怯えた顔、本当に可愛い」
「ひっ」

 爪の赤い指で頬を撫でられ、悲鳴のような声が漏れた。

「次のお休みは私の部屋でデートしましょう。手料理をごちそうさせてください。こう見えて料理は得意なんです。それじゃあ、また。おやすみなさい」

 悪魔か妖怪のような笑みを残して、花井さんは車をおりた。サイドガラス越しに手を振っている。恐ろしくて逃げるように車を出した。事故らず帰れたのが奇跡に思えるほど動揺していた。



 今まで相手をしてきた男のなかにも、俺のことをMだと思いこんだ奴はいた。菱川くんと出会った夜に引っかかった男もそうだった。

 容姿なのか言動なのか、俺はある種の連中の嗜虐心を刺激し煽ってしまうところがあるようだった。自覚がないから直しようがない。

 俺は奉仕することより、奉仕されることのほうが好きだ。それは偽りのない本心だ。あいつらに言わせれば、自分で気付いていないだけ、もしくは自分を偽っているだけ、ということになるのだろう。馬鹿馬鹿しい話だ。

 これまではそんな相手に出くわしても逃げればよかった。だが今回はそうはいかない。名前や連絡先も知らない一夜限りの相手じゃない。父の知り合い。名前はおろか、実家の場所も親の名前も知られている。逃げても追ってこられる。しかも俺がゲイだと知っている。職場までおしかけてくるような女だ。不興を買えばなにをされるかわからない。

 あの女の言いなりになるしかない。まさか本気で結婚しようなどと考えているとは思えない。思いたくない。これも俺への嫌がらせ。しばらく付き合えば気が済むだろう。

 そう考えて、次の休みにまた花井さんと会った。料理を作る前に買い物をしたいというので彼女指定のカフェへまず向かった。そこでコーヒーを飲みながら、一方的に話しかけて来る彼女の話を聞いた。それがやっと終わると食後のデザートにとケーキを買い、カフェを出た。 

 すぐそこにスーパーがあると言うので徒歩で向かった。その道中、思わぬ人物に出会った。

 リュックを担いで、友人らしい二人の男と談笑しながら前から歩いてきたのは、学校帰りらしい菱川くんだった。

 最初に気付いたのは俺だった。3メートルの距離になって菱川くんも俺に気付いた。彼は俺を二度見して、ぱっと顔を明るくさせた。

「早瀬さん」

 俺の名を呼びながら駆け寄ってくる。会うのは酷く久し振りな気がする。

「今日は仕事休みなんですか」

 隣の花井さんが目に入らないのか、彼はひたむきに俺にだけ視線を送ってくる。こんな場所で顔を合わせた偶然に素直に喜んでいる様子だ。

「ああ。君は学校の帰り?」
「そうなんです。このあとどっか行こうかって話してたんですけど……」

 菱川くんは俺にすり寄る花井さんへ視線を移した。

「彰博さん、こちらは?」

 名前もバイト先も知っているくせにと花井さんぬけぬけとそんなことを言う。菱川くんの笑顔が陰る。説明を求める目が俺へ向けられた。いまここですべてを打ち明けることは無理だ。

「友人の菱川くんです」

 俺の紹介に、菱川くんは少し不満そうな顔をしたが、すぐ笑顔になって「こんにちは」と花井さんへ会釈した。

「ずいぶんお若いお友達なんですね。私、花井といいます。彰博さんの婚約者です」
「ちょっと、花井さん!」

 掴まれていた腕を振り払った。なんてことを菱川くんに言ってくれるんだ!

「本当でしょ? 結婚を前提にお見合いをしたんですから」
「それはっ……だから、俺はいま結婚する気はないと……!」
「私とは理想の夫婦になれそうだと言ってくれたじゃないですか」
「言ってません! それを言ったのはあなたでしょう」
「彰博さん、訂正しなかったじゃないですか」

 思わず言葉に詰まった。確かに訂正をした覚えはない。しかしそれは同意見だったかじゃなく、花井さんがひたすら不気味で怖くてそれどころじゃなかったからだ。

 なにを言っても裏目に出る。慎重に言葉を選んでいたら、

「じゃあ、僕はこれで」

 と菱川くんが声を発した。

 咄嗟に菱川くんの手を掴んだ。まだなんの弁明も出来ていない。誤解されたまま別れるなんて嫌だ。

「菱川くん、待っ……!」
「お邪魔して、すみませんでした」

 俺の腕を引き剥がして、菱川くんは少し離れたところで待つ友人たちのもとへ走って合流した。そのまま振り返ることなく離れていく。

 花井さんに向き直り「どういうつもりですか」と声を抑えて詰め寄った。

「婚約なんてした覚えはありません、どうして嘘なんか」
「したも同然ですよ」

 菱川くんの後ろ姿を冷然と見送りながら花井さんは言い放った。

「少しの男遊びは許してあげます。でも、私がいいと言った相手だけ。あの子は駄目。もう二度と会わないで。連絡も禁止。約束を破ったら……どうなるかおわかりよね?」

 言い終わると、花井さんはわざとらしく肩を持ち上げて「ふふっ」と笑った。

 この女は俺の理解が及ばないはるか彼方の世界の住人だ。正気じゃない。気が狂ってる。

「どうして菱川くんは駄目なんだ」
「あの子が好きなんでしょう? 本気はダメ。浮気じゃなくなっちゃうもの」

 行きましょう、と花井さんが腕を組んできた。咄嗟にそれを振り払うと、彼女の顔は般若のように変わった。

「彰博さんのお父様に言いつけましょうか? あなたが同性の男とどんなことをして、どんなことを口走っているのか、詳しく、聞いていただいたほうがいいかしら?」

 脅しやはったりじゃなく、この女ならやるだろう。俺の知らないことも調べ上げていそうな空恐ろしさもある。

 しばらく睨みあいが続いたが、弱みを握られている俺が先に目を逸らした。

「さっ、買い物に行きましょう。彰博さんも少しはお手伝いしてくださいね。一緒に料理をする夫婦っていいと思いません?」

 尻尾を丸めて項垂れる俺に満足し、花井さんはにこりといつもの笑顔で言った。飼い主がペットに首輪をつけるように俺の腕に腕を絡めて来る。もうそれを振り払うことは出来なかった。




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行きつく先は(2/5)

2016.07.10.Sun.
<前話はこちら>

 こちらから連絡しないでいたら、花井さんが病院まで会いに来た。しかも患者としてやってきたから追い返すこともできず、看護師たちのいる前で「先日はごちそうさまでした」なんて言われてしまい、何時間で噂が広まるのだろうと思うと頭が痛くなった。

「ここ最近、食欲がなくて、あまり充分な睡眠も取れてないんです。気が付くとボーッとしていたりして。なにかの病気でしょうか?」

 顎に人差し指を当て、花井さんは小首を傾けた。確かに可愛い女の部類には入るが、二十代後半の女がやる仕草じゃない。

「もしかすると、恋煩いかもしれないですね」

 ベテラン看護師が俺を指さしながら茶化すように言う。花井さんは口の前で手を広げて「やだぁ! でも、言われてみるとそうかもしれない」とアイメイクでさらに大きくなった目を俺に向けた。

「お疲れなんじゃないですか。とりあえず血液検査と心電図取りましょう」
「そんな、大げさです、彰博さん」

 彰博さん?! なぜ急に下の名前で呼ぶんだこの人は。

「ビタミン剤飲めばそのうち治ると思いますから。ほんと、彰博さんって心配性なんだから」

 ウフフ、と花井さんは笑う。まるで俺たちが恋人同士で、しかも俺が過剰に心配をするほど彼女に惚れこんでいるかのような口ぶりだ。こうやって周りから固めていく気かこの女。

「花井さん、もうすぐ午前の診療が終わるので、申し訳ありませんが会計が終わったあと、待ち合いで待っていてもらえませんか。お話があります」
「ちょうど良かった。私も彰博さんにお話があるんです」

 花井さんは赤い唇を左右に釣りあげた。



 昼休みに会計窓口のほうへ行ってみると、花井さんは椅子に座って待っていた。会計も終わっているというので病院を出て、中庭のほうへ連れて行った。ひと気のない隅のベンチに彼女を座らせた。

「仕事場に来られるのは困ります」
「白衣は脱いでしまったんですね。白衣姿の彰博さん、格好よかったのに」

 とニコニコしていてまるで話が通じない。世間知らずのお嬢さんと言ったって幼過ぎる。

「この際だからはっきり申し上げると、今回の見合いは断るつもりでした。僕はまだ結婚する気はないので」
「いつになったら結婚する気になるって言うんですか?」
「結婚したいと思う時期に結婚したいと思える相手に出会えた時でしょうね」
「その方と彰博さんは結婚できるんでしょうか?」

 なんだか含みのある言い方だった。にこりと微笑んだ花井さんは、鞄をゴソゴソやると、中からスマートフォンを取り出した。幼い印象の彼女らしい、キャラクターのデコレーションがされたスマホだ。それを操作して、俺のほうへ掲げた。

 画面に映し出されたのは、ブレブレの映像。なんだかわからず眉を顰める。一瞬手ぶれの止まった映像に、見覚えのある風景が映っていて凍り付いた。

 菱川くんのハイツ。少し離れた場所から撮影したものらしい。階段を上っていく人影は俺だ。菱川くんの部屋の前で立ち止まり、ドアが開くと同時に彼に抱きつき、キスしている姿が、遠くから、しかりばっちり映されていた。

 全身から血の気が引いた。膝から崩れ落ちそうになった。これは世界の終わりを意味していた。俺の人生の終焉。

 映像が一旦途切れ、次に映し出されたのは菱川くんの部屋の薄茶色のドア。音を拾おうと近づけているのがわかる。ガサゴソという音しか聞こえないが、花井さんは中でなにが行われていたか知っているのだろう。

「彰博さんがお急ぎの様子だったから、ちょっと気になってあとをつけてみたんです」

 スマホを鞄に戻して花井さんは顔をあげた。俺と目が合うといつものように首を傾げてにこりと笑う。二度目に会った夜、彼女をタクシーに乗せて送りだした直後、俺もタクシーを止めて菱川くんの家へ向かった。そのあとを着けてきたのだろう。まったく気付かなかった。

「日本の法律がかわらない限り、結婚するのはちょっと難しいんじゃないでしょうか」
「……どういう、つもりですか」

 動揺が声に出て震えた。

「お見合いなさるぐらいだから、きっと誰にも秘密なんですよね? お父様にも、病院のみなさんにも、誰にも言わないでいてさしあげます」

 そのかわり、と花井さんは幼い印象の笑顔を一変させ、邪悪な笑みで言った。

「またデートに誘ってくださいね? 今度はちゃんと彰博さんが私に電話してきてくれなきゃ駄目ですよ。今までみたいな態度も改めてもらわなくちゃ。女性に対して失礼でしょ?」

 俺がゲイだとわかった上でまたデートに誘えだと?! なにを考えてるんだこの女は。全く理解できない。

 俺が言葉を失って立ち尽くしていると、花井さんは余裕の表情でベンチから腰をあげた。

「それでは、ご連絡お待ちしております。照れ屋の彰博さんのために、一週間以内と期限を決めておきますね。それを過ぎてしまったら、またこちらにお伺いして、みなさんの前でお話させて頂きましょう」

 言い終わると持っていた日傘を広げた。

「あ、しばらく菱川さんとは会わないでくださいね。コンビニに会いに行くのも禁止です」

 名前とバイト先まで知っているのか! 愕然とする俺ににこりと笑いかけ、花井さんは背を向けて去って行った。

 その姿が見えなくなってから、俺は力が抜けたようにベンチに腰を落とした。背中に張り付くワイシャツで、びっしょりと汗をかいていたことに気付いた。

 なんなんだあの女。底の知れない恐ろしさを感じる。俺の性癖に気付いた上でまだ執着する意図は何だ? なぜ菱川くんのバイト先まで調べ上げる必要がある? そんな話をするために仕事場にまでやってきて、行動すべてが尋常じゃない。

 俺を脅すつもりか? いくらかの金で解決するなら払ってやる。だがあの女は金に不自由はしていないだろう。では一体何が目的だ。見会い相手がゲイで、しかも振られたからその腹いせに嫌がらせがしたいのか? だったら頭の一つでも下げれば気が済むのか?

 色々考えていたら気分が悪くなってきた。食事をしても吐いてしまいそうだ。

 あ、そうだ、菱川くん。彼にも花井さんのことを話しておくべきだろうか。見合い相手に俺たちの関係がバレて、また今度デートする羽目になったと?

 カミングアウトしていないからだとまた口論になったり、心配されるのも厄介だ。それに嫉妬した菱川くんが俺には会わないと言い出すかもしれない。それは避けたい。

 しばらく菱川くんに会うなと花井さんは言った。言う通りにしなければゲイであることをバラすと言外にほのめかす言い方だ。あの女がなにを考えてるのか、その目的がわかるまでは菱川くんに会うのは控えた方が無難だ。それだと、嘘をつく必要もなく、黙っていられる。




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行きつく先は(1/5)

2016.07.09.Sat.
「今日の相手は」「今日の相手も」

※出番:当て馬女子>攻め

 海の見える洒落たレストラン。見渡す限り男女の二人組ばかり。そのうちの一組が、俺たち。

「早瀬さんから、是非もう一度会いたいって連絡をもらった時、正直に言うと驚いてしまったんです」

 ワイングラスの縁を指でなぞりながら、見会い相手の花井さんは赤い唇を左右に持ち上げた。

「勝手に連絡をしてしまったのは父ですが」

 引きつる笑みで返したが、花井さんは気にも留めずクスクスと笑う。

 見合いのあと、俺の父親が先方へ連絡を取り、勝手に話を進めてしまった。断ってくれればいいのになにを思ったかこの人は承知して、約束の日時を決めてしまった。

 勝手な真似をした父には当然抗議したが、おまえがいつまでも愚図愚図しているからだと逆に怒られ、約束してしまったものは仕方がないのでこうして会うことになった。

「息子は恥ずかしがり屋でどうしようもないっておっしゃっておいででしたわ。でもそれを聞いて納得しました。お見合いの時、照れていたからあんなに不機嫌そうだったんですね」
「照れる年でもありません。あれが僕の地ですよ」

 デザートに出されたアイスを、スプーンでぐちゃぐちゃとかき混ぜる。俺を嫌いになれ。俺に幻滅しろ。

「女性とのデートはいつもあんな感じなんですか?」

 花井さんは首を傾げ、目をくりっとさせて俺を見る。そんな小賢しいテクを駆使されたって俺には通じないというのに。

「だいたいそうですね。時間の無駄だと感じてしまう」
「私とこうしておしゃべりしている時間も無駄ですか?」
「そうですね。花井さんも、僕なんかといても、楽しくないでしょう?」
「そんなことありません。実はここだけの話なんですけど」

 花井さんは体を前に倒すと、口の横に手を当てた。

「私、どちらかというとMッ毛のあるほうなんです。だから早瀬さんみたいな男の人、嫌いじゃないんです」

 ひそめた声でとんでもないことを告白してきた。会って二度目だぞ。知り会って数時間の相手とベッドインする俺が言えたことじゃないが、この人には羞恥心や良識というものはないのだろうか。

「僕もMなんですよ」

 とにかく彼女の好みの真逆をいけばいい。

「どういうわけか、私と付き合った男性って、みんなMっぽくなっていくんです。どうしてかしら?」

 と、肩を持ち上げて首を傾げる。なにを言っても無駄だと悟り、ナフキンで口元を拭って立ちあがった。

「出ましょうか」
「はい」

 にこりと微笑む花井さんと店を出た。大通りでタクシーを拾い、彼女を押し込むつもりが逆に背中を押された。

「早瀬さんもご一緒に」
「帰る方向が逆ですから」
「良かったらお茶でも飲んで行ってください」
「仕事を残しているので」
「一時間くらい平気でしょう」

 イラッとして、彼女の腕を引き、肩を押してタクシーに放り込んだ。強引なやり方だが、もともと嫌われるのが目的だから構わない。出てこようとする花井さんを遮るためにドアを乱暴に閉めた。

 さよならも言わずに歩き出すと、「連絡お待ちしてます」と窓をあけた花井さんの声が聞こえたが、無視した。

 こんな日はまっすぐ帰る気にならないから、菱川くんに電話した。今日はバイトではないのか、すぐに電話に出た。

『はい』
「今からそっちに行ってもいいかな?」
『僕は大丈夫です』
「じゃあ今から行く」

 ちょうど見えたタクシーを止めて、菱川くんの家へと向かった。

 出迎えてくれた菱川くんに抱きついてキスする。性急に服を脱がせようとしたら「どうしたんですか」と手を止められた。

「しないなら帰る」
「帰る必要はないです」

 掴まれた手を引かれ、奥にある安物のベッドへ連れて行かれた。俺の上に跨った菱川くんが、俺にキスをしながら服を脱がせていく。俺も腰を浮かせながら彼の服を脱がせた。お互い全裸になると、菱川くんは俺の両足を左右に開き、その中心へ指を入れて来た。

「よかった。ここ、使ってないみたい。僕以外の誰かとしてきたのかと思った」

 ローションを継ぎ足しながら菱川くんがほっとした顔で言う。彼と「恋人」のような関係になってから俺は他の誰とも寝ていない。彼の嫉妬を引きだすために、他の男を匂わすような発言を度々してきたから、それを真に受けた菱川くんが心配するのも無理はない。

「しようと思ったけど、出来なかったんだ。やっぱり好みじゃないって気付いて……だから疼いて仕方ない……、早く入れて……君のが欲しい」
「僕だけじゃ駄目ですか?」

 指を増やして菱川くんは不安そうな顔をする。そんな顔を見ると俺は安心する。

「束縛は嫌だって言ったろ」
「束縛じゃないです、嫉妬です。早瀬さんが僕以外の男と寝るのは嫌です。それに早瀬さんが心配だから言ってるんです」
「説教は聞きたくない。萎える前に、早く入れろよ」

 菱川くんは諦めたのか口を閉ざし、抜いた指のかわりに硬いペニスを入れて来た。律儀に毎回コンドームを着けている。

「ふうぁ……あ、ああっ……!!」

 刺し貫かれる充足感に勝手に背がしなる。咽喉を晒して声をあげた。

「狭い……、前に僕としてから、誰ともしてないんですか?」

 嬉しそうな菱川くんの声。誰ともしてない。でもそれを正直に言うつもりはない。

「たまたま仕事で忙しかったんだ」
「他の誰ともしないで下さい」

 俺の腰を抱えもって菱川くんが動きだす。俺のなかを硬くて太く熱いものが出し入れされる。それに熱中している間、俺は性器を受け入れるだけの入れ物に成り果てることが出来る。女に興味のある振りをしなくていいし、結婚しろとうるさい親の相手もしなくていい。

「あっ……そ、こ……菱川くんの…あたって……あっ、ああっ! もっとして……っ!!」
「僕のこれ、好きでしょ?」

 心得たとばかりに彼は俺の前立腺を擦りあげた。

「ぅああっ……んっ、あぁぁんっ……すき…っ…好き! はあぁっ……あぁ……菱川くん、すっ……ご……いい……!!」

 彼の当て勘は素晴らしいものがある。本当に俺としか経験がないのだろうか。疑いたくなるほど、見えもしない前立腺を探し当てるのがうまいし、具合よくカリで擦ってくれる。

 彼くらいの年齢だと生中出しに幻想を抱いてそうなのに、毎回ちゃんとコンドームをつけるし、もしかしたら、嘘をつかれているのは俺のほうなのかもしれない。

「浮気したら……殺す、から……ッ!!」
「しませんよ。こんなに好きなのに」

 さんざん浮気を匂わす言動をしている俺には文句も言わず、菱川くんはにこりと笑って言った。

 菱川くんの顔が近づいて来る。口を開いたら唇がくっつくより先に舌が入って来た。それに舌を絡め、濃厚なディープキスをする。キスしながら菱川くんは俺の足を持ち上げ、折りたたむように頭のほうへ持ってきた。

「自分で持ってて」

 言われた通り自分の足を持った。菱川くんが腰を振る。ペニス付け根の裏側がゴリゴリ擦られる。ほら、見事な当て勘。ペニスの先にセンサーでもあるのか?

「ああぁ! あっ、あ! きもち、いいっ……!! 前立せっ……菱川く、の……ちんぽ、あたっ……て…ッ…ヒッ、い、あはぁあっ……あぁんっ! もっと、してぁああっ!!」
「も……、トロトロになってきましたよ、早瀬さんの、ここ」

 ここ、という言葉に合わせて、菱川くんのペニスが中からグイと押してくる。自分でもわかるほど中がじんじん熱くなっている。膀胱も押されてるもんだから、あやうく漏らしてしまいそうなほど、下半身が緩んでしまっている。

「グチャグチャにしてっ……君のおちんぽで、俺を馬鹿なメスマンコにして……っ!!」

 俺がどんな下品な言葉を口走ろうと、菱川くんは受け止めてくれる。40手前のおじさんの乱れっぷりが、ただ哀れなだけなのかもしれないが。

 慈愛溢れる優しい微笑を浮かべながら、菱川くんは俺の望み通り、精液まみれでグチャグチャのドロドロになるまで犯してくれた。




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電話が鳴る(7/7)

2016.07.04.Mon.
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 試験に合格して池田は正社員として働くことが決まった。ささやかながらそのお祝いをして、腕時計をプレゼントさせてもらった。池田はとても喜んでくれた。

「もらってばかりで、北村にどうやって返せばいいのかわからない」

 困ったふうに言われて「喜んでくれるだけでいい」と答えながら、だったら一度でいいから相手してよ、という別の言葉が頭に浮かんだ。口に出したら最後、今のこの良好な関係が破綻する破滅の言葉だ。

 正社員になり、3万の返済もなくなった今、池田が貯金できる額は以前よりだいぶ増えたはずだ。ここを出て部屋を借りるためのお金がたまるまで、条件次第ではあるが最短で2か月。長くても半年はかからないだろう。

 実際、半年もかからない4ヶ月目にして、池田は準備金が貯まったから俺に部屋を探して欲しいと言ってきた。

 心の準備はしていたつもりだったから、俺は平静を装いながら池田を客として迎え入れた。池田から聞きだした条件以上の物件をピックアップして、大家にも家賃交渉してやると胸を叩いた。

 いくつか気になった物件を俺の運転する車で見に行った。広告を出すまでもなく、見た人ほとんどが気に入るような掘り出し物だ。

 駅にもほど近く、築浅で綺麗な内装、広さに対して充分な収納、まわりは住宅で静かな環境。管理会社の手入れも行き届いていて女性でも安心して暮らせる申し分ない物件。

 池田も気に入ったようだった。トイレや風呂をのぞいたあと、ベランダに出て外の景色を眺める池田の口許に満足げな笑みが浮かんでいた。

「悪くないだろ」

 隣に並んで言うと、池田は「うん」と大きく頷いた。

「ここならなんとか家賃も払えるし、店にも近いから通勤が楽だ」
「家賃は共益費込みでなんとかならないか交渉してみるから」
「助かるな」

 普段なら、さっさと店に戻って契約の手続きを、と思うところだが、こうやってぐずぐずしている間に、他の誰かが契約してしまわないかと思う自分がいる。物件を探し続ける間は、池田と同居が続けられる、とケチな希望を繋いでいる。

「決めた。ここにする」

 池田は部屋に戻って俺を振り返った。

「よし、じゃあ店に戻って契約書書いてもらわないと」

 俺も部屋に戻ってベランダの戸締りをした。部屋の明かりを消し、ブレーカーを落とす。靴を履こうとして振り返った。池田は部屋の真ん中で立ったままだ。

「どうした?」
「最後に言っておきたいことがある」
「なに、怖いな」

 長くなるのか、池田はそこに座り込んだ。俺も部屋に戻り、池田の前に腰をおろした。

 考えるように床の一点を見つめている。そして池田は顔をあげた。

「北村のことが好きだ」

 言葉の意味より先に、近くでまっすぐ見つめて来る黒い瞳に戸惑った。高校時代を思い出すような目だった。

 平常心の鎧でガチガチに武装していたおかげで、池田の言葉を聞いてもみっともなく狼狽えることは免れた。冷静に、池田の次の言葉を待つほうが賢明だと判断して、俺は黙って池田を見つめ返した。

「卒業式の日から今日まで俺なりに色々考えた結果だ。正直自信を持てないところもあるけど、これは好きっていう感情なんだと思う」
「どういう意味の好きなの?」

 ちゃんと確かめられるほどには俺は落ち着いている。

「恋愛の意味だ」
「勘違いだと思うよ」

 いつの間にか前のめりになっていた体を元に戻した。冗談で終わらせられるように笑顔も作った。夢でさえ聞くことのできなかった言葉を、現実の世界で池田の口から聞かされるなんて、にわかには信じがたい。

「池田はさ、俺のことホモだって思ってるだろ? それに俺に恩義も感じてる。なんとか報いなきゃって焦ったせいで、そう思いこんじゃったんだよ」
「卒業式のあと、ずっと思ってたんだ。男が男に好きだと告白するのは相当な勇気が必要だっただろうなって。それをした北村は、どんな覚悟だったんだろうって。男を好きになるってどんな感覚なのか、ずっと考えてた」

 俺の声なんか聞こえないみたいに池田は続ける。最初から話すことを決めていたみたいに。

「わからないまま北村と一緒に暮らし始めて、ある時、それが少しわかった気がした。北村の誕生日プレゼントを買いに行った日、北村の仕事場の前を通った。その時、俺のいない空間で笑ってる北村を見て、嫌だなって思ったんだ。俺なんかがいなくても、北村の生活は成立するんだって気付かされて、無性に悲しくなった」

 その時の感情を思い出したみたいに池田は寂しく目を伏せた。睫毛越しの眼差しに胸が締め付けられた。

「泊りで嫁と子供に会いに行った時も、俺のいないうちに誰かと一緒だったんだと知って、すごく嫌な気分になった。それがただの友達でも、俺は嫉妬してたと思う」
「いやほんとにただの友達だし」

 一瞬疑うような目で俺を見たが、それを自覚したのか池田はすぐ目線を落とした。確かに疑われても仕方のない状況だったかもしれない。池田は俺をホモだと思ってたし、乱れたベッドを見たら、致したのだろうと誰もが勘違いするだろう。

「自棄酒で、いろいろ愚痴ってたから泥酔しちゃったんだよ。他に寝る場所ないし、もう一緒に寝ちゃえって。それだけ」
「それを聞いてさらにモヤモヤするのは、北村のことを好きってことじゃないのかな?」

 胸に手を当てて北村は顔をあげた。こんな風に切ない表情は初めて見る。全身の毛穴が開くような感じがした。

「俺は北村が好きなんだと思う。それを最後に伝えておきたかった」

 そう言うと池田は立ち上がった。話は終わり。これで、終わり?!

「俺の返事聞かないの?」
「好きだと言ってくれるような気がしてる」

 図星をさされて絶句した。

「だけどもう少し時間が欲しい。今はまだ自分の気持ちを確かめることで精一杯なんだ。気持ちに頭がついていかない」
「もう少しって」

 膝立ちになって池田の腕を掴んだ。さらっとした手触りで俺より少し華奢な手。振り払われないことに気をよくして、ぎゅっと握った。

「確信を持てるまで。俺たちはもう大人だから、そのあとの、覚悟が持てるまで、もう少し待って欲しい」

 池田は自由なほうの手を顔を隠すように口元にかざした。顔に少し赤みが差している。握った手も、だんだん熱くなっていく。

 最初言ってることの意味がわからなかった俺も、池田のそんな様子を見て思い当たった。そうしたら俺まで体が熱くなって来た。

 俺たちは大人だ。手をつないで一緒にいるだけでは終わらない。

 これこそ池田という男の性格だ。妙に頑固で、自分の手で触れて確かめたことじゃないと認めない。自分が納得するまで先へ進まない。立ち現れたかつての姿を見て俺は身震いした。

「だったら、部屋探す必要ないだろ? このまま一緒に暮らせばいいんだから」
「振られたとしても、引っ越せば会うこともないって逃げ道が欲しかったんだ。こんな怖いこと……高校生でできた北村はすごいな」

 凄かない。後先考えられないほど、好きだっただけだ。

 池田の手を握ったまま立ち上がった。近くで見ると池田の顔は真っ赤になっていた。お伺いをたてるようにそっと顔を寄せる。池田は咄嗟に顎を引いた。でもすぐ自分から顔をあげ、そろそろと俺に近づいて来る。閉じられる瞼を見届けてから唇を合わせた。

 池田は体を強張らせた。唇もぎゅっと強く閉められている。それをこじ開けるつもりはない。その存在を腕に抱くだけでも溢れるほどの幸福感を味わえる。

「北村……っ」

 胸を押されて口を離した。恥ずかしがって、戸惑う顔の池田が腕の中にいる。

「俺とキスするの、嫌だった?」
「嫌じゃなかった」
「少しは確信持てた?」
「まっ……待って、急がせないでくれ。もう流されたくない。自分でちゃんと考えたい」

 俺の胸に手を当てたまま、池田は下を向いた。その耳やうなじまで赤くなっているのが見える。

「待つよ。いつまでだって。ここまで来るのに10年以上かかってるんだから」

 池田の手を取り、口づける。それを見た池田がさらに顔を赤くして目を泳がせる。

 俺を罵ることのない口、慌てる目、拒絶しない体温。もう悪夢を見ることはないだろう。




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電話が鳴る(6/7)

2016.07.03.Sun.
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 翌朝、セットしていたアラームの音で目を覚ました。起き上がった途端酷い頭痛に顔を顰めた。もぞもぞと体を起こした友引も同じようでこめかみを押さえながら呻いていた。

 這うようにベッドを出て、散らかったままのリビングは視界に入れないよう洗面所へ移動し、歯を磨いて顔を洗った。少し覚醒した頭でキッチンへ行って、とりあえず二人分のコーヒーを淹れた。

 熱くて苦い液体を胃に流し込みながら、昨夜の記憶を辿ってみる。池田が外泊したこと。それを友引に愚痴ったこと。卒業から昨日までのあらましを打ち明けたこと。ほんの少し、心が軽くなっていた。

 気だるげにコーヒーを飲んだ友引と一緒に家を出た。歩きたくないとごねる友引をつれて駅へ向かい、そこで別れた。満員電車に乗ったら確実に具合が悪くなる、と友引はタクシーで仕事場へ向かった。

 頭痛は昼に飲んだ二度目の鎮痛剤がようやく効いて治まった。全身のだるさは最後までなくならないまま退社時刻になり、残業をする元気もなく、仕事を持ちかえることにして帰宅した。

 食欲はわかなかったが、あっさりしたものをとスーパーの惣菜コーナーで寿司をカゴに入れた。池田の顔が浮かんだ。あいつは今夜、どうするつもりだろう。食べて来るのか、うちで食べるつもりなのか。

 連絡が一切ないから、きっと食べてくるつもりだと決めつけて、一人分の食料をレジで精算した。

 マンションのエレベーターを待ちながら、重たい瞼を瞬かせる。食べるより先に少し眠りたい。ベッドが恋しい。寝転んだらすぐに寝てしまえそうだ。

 目を閉じて立っていたら、「いま帰り?」と聞き慣れた声がした。振り返ると、リュックを肩に担いだ池田が近寄ってくる。

「そっちも?」

 意外に早かったな、という言葉は飲みこんだ。

「夕飯は?」

 俺は無言でスーパーの袋を広げてみせた。それを覗きこんで、「蕎麦をもらったから茹でるよ」と俺に笑いかけて来る。なんとも清々しい笑顔。

 到着したエレベーターに二人で乗り込んだ。蕎麦をもらったって、誰からもらったのか、俺が聞きださなきゃいけないのか? どうせ彼女だろ? わかりきった答えを、どうしてわざわざ聞かなきゃいけないんだ。

 反発してあえてスルーした。焦れたのか、池田が俺を見上げる。

「具合悪そうだな」

 恋人ができたと打ち明けるタイミングを探るために、まずは当たり障りない会話をしようって魂胆か。

「少し飲み過ぎた」

 ああ、って納得したように言うと、池田は扉の開いたエレベーターからおりた。通路を歩いて部屋の前で立ち止まり、合鍵を使って鍵をあけ、先に中に入っていった。俺はその後ろをついて部屋に入った。

 部屋に残る酒臭さで、片付けていなかったことを思い出した。肩のリュックをおろした池田が、散らかった部屋を見渡したあと、テーブルの空き缶や皿を片付け始めた。

「いいよ、俺がやる」

 怒りに似た意地からそう言って、池田の手から皿を奪い取った。呆気にとられた顔をする池田から目を逸らし、皿と空き缶を流しへ運ぶ。池田はテーブルの上のゴミを集めてゴミ箱へ入れていた。他のゴミを探す目が、隣の俺の部屋へ行きついて止まった。

 磨りガラス風の間仕切り引き戸は開けっ放しで、朝、抜け出したままの乱れたベッドが丸見えだった。一緒に寝はしたが友引と何かあったわけじゃないのに、生々しいものを見られた気がして恥ずかしさからカッと顔が熱くなった。

 洗い物を放って、濡れた手のまま引き戸を閉めた。

「片づけは俺がやるから池田は蕎麦作ってよ」
「わかった。……これは、北村のじゃないよな?」

 と持ち上げた池田の手には、昨夜飲んでる最中に友引が外したネクタイが握られていた。

「それっ……友達の……、忘れ物。飲んでる時に外して、置いてっちゃったんだな」

 池田からネクタイを受け取り、置き場所に困ってポケットに捻じ込んだ。そんな雑に扱っていいのか? という目で池田が俺を見る。

「早く、蕎麦。お腹すいた」

 池田の背中をキッチンへ押しやった。そちらへ足を踏み出した池田が、ふと振り返って、

「一緒に飲んだ相手って、北村の恋人?」

 なんて言い出した。頭のてっぺんから何かが噴き出しそうになった。

 池田は俺がホモだと思っている。あの告白が、行き過ぎた友情だったという俺の誤魔化しも通用していなかった。卒業式の日から今日に至るまで、徹頭徹尾、池田は俺のことをホモだと思っていたわけだ。

 許せない、顔も見たくない、失せろと言うほど毛嫌いしていたくせに。世間話するみたいに、俺が男と付き合って当然って口調で、いきなり、土足で。

 自分が女と一晩過ごして幸せだからホモにも寛容になれたって? 次には「お前にも幸せになってもらいたい」とか言い出すのか? 冗談じゃない。俺がホモだとわかってるなら、あの告白の意味だってわかっているだろうに。ここまで池田にお節介を焼いたのも、単なる友情だけじゃないと気付いているはずだろうに。

 ホモに対して免疫が出来たから? 俺に借金肩代わりの恩義があるから? だから自分へ向けられる好意も気付かないふりで許容しつつ、俺が男とデキることにも理解を示してくれるって? ああ、そうか、自分に向けられる矢印を他の男へなすりつけたいわけか。そういうことか。

 俺は息を吐きだした。ゆっくり、長く。そして、

「池田に関係ないだろ」

 不愉快な笑顔を池田に向ける。それを見た池田の口元が引き絞められた。悲しそうにも見える目で俺を見つめたあと、「ごめん」と前に向き直ってキッチンに立った。

 水の流れる音を聞きながら、俺は部屋の片づけを始めた。言った言葉を後悔した。だけど、触れられたくないと意思表示しておかないと、幸せのお裾分けという池田のお節介は止まらないだろう。

 好かれてると知ってる男から、彼氏を作れと急かされる。残酷すぎる仕打ちだ。次そんなことを言ってきたら、お前のことが好きだと言ってやるぞと決めて部屋の片づけを終えた。

 見計らったように池田がテーブルに箸を並べる。

「もう少しでできるから」

 とまたキッチンに引っ込んで鍋をかき回したあと、そばつゆの入ったお椀を二つ置いて、またキッチンへ戻った。俺はスーパーで買った寿司の蓋をあけ、テーブルの真ん中に置いた。

 手持無沙汰になり、冷蔵庫から酎ハイを二本出した。

「まだ飲むのか?」

 ザルに麺をあげながら池田がからかうように言う。飲むよ、と返して蕎麦が出来上がるのをリビングで待った。

 蕎麦を盛った皿をもって池田もやってきた。いただきます、と蕎麦に手を伸ばす。コシがあって蕎麦の風味が口に広がる。たまに駅で食べる立ち食いとは大違いだ。

「おいしいだろ?」

 俺の表情を見ていた池田が得意げに言った。

「おいしい」
「前の奥さんの実家が長野なんだ。たくさんあるから、持って帰ってって」

 長野と言えば信州そば。だからこんなにうまいのか。じゃなくて。

「元嫁に会ってたのか?」
「子供にも会って来た。もう小学/生になる」

 ズズ、と蕎麦を啜って、池田は「うまい」と頷いた。

「泊まりで?」
「たぶん、もう会えなくなりそうだから、最後にちゃんと時間取りたかったんだ。小学校に入る前に、再婚するつもりらしい。少し前に電話してきて、そういう事情だから離婚届けを送って欲しいって言われた」
「離婚してなかったのか?!」

 驚いて大きな声が出た。

「あの頃俺は妻子を養える状態じゃなかったけど、いつか治るかもしれないから、いますぐ決断する必要はないだろうって、向こうの親御さんが。娘の戸籍にバツをつけたい親なんていないよ」

 池田も一人の親の顔になって優しい笑みを浮かべた。そして何もなかったかのようにまた蕎麦を啜る。

 この二連休、池田は嫁と、子供に会っていた。しかも、離婚届けを持参して。この先よほどのことがない限り、子供には会えなくなると、そんな覚悟と共に。

 たしかに女には違いないが、勝手に恋人だと早合点した。友引に愚痴って、池田はもうすぐ出て行くと悲嘆して、自分が誰よりも不幸になった気になって池田に八つ当たりしたりして。

 振り返りたくない自分の愚かさが走馬灯のように脳裏を走り抜ける。居心地が悪い。

 先に蕎麦を食べ終わった池田は、自分の皿を片付けると、床に置いていたリュックを開け、中から封筒を取り出した。

「残りの借金、これで足りると思う」

 テーブルに置かれた封筒を見、池田へ視線を戻した。

「えっ」
「どうしようもなかった俺を助けてくれて本当に感謝してる。こんな俺を信じて大金を貸してくれたことは一生忘れない。本当にありがとう」

 何も言えずに茫然となる俺へ深々と頭を下げた。次に頭を上げた時、池田は重荷をおろしたような晴れやかな笑顔だった。

「これでやっと、全部のけじめがついた」

 妻と正式な離婚。子供との最後の触れ合い。俺への借金返済。確かにすべてにけじめがついた。

「そんなに急いで返してくれなくてもいいのに」
「早く返したかったんだ。貯金はゼロになったけど」

 池田は両手を広げて肩をすくめてみせた。お金は働けばまた入る。正社員になれば収入も増える。

「いつまでも北村に甘えてるわけにはいかないから、出来るだけ早く、ここを出るようにする。貯金使い果たしたからもう少し居候させてもらいたいんだけど、いいかな」
「いいに決まってる。最初は最低3年は一緒に住むつもりだったんだから」
「そんなにはかからないよ」

 苦笑した池田は、リュックを肩にかつぐと、「先に風呂入っていいか?」と聞いてきた。頷いたら、一度自分の部屋に戻ってから、池田は風呂に入った。

 小さく聞こえるシャワーを音を聞きながら、感動の薄れた残りの蕎麦を啜った。

 借金も全額返済され、新たな借金もなく、俺の監視下に置いておく必要がないほど池田も元気だし、引き留める理由が俺にはなにもない。もうここで一緒に住む必要はなくなった。女の影は俺の勘違いだったが、池田がここを出て行く予感は正しかった。




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