FC2ブログ

行きつく先は(1/5)

2016.07.09.Sat.
「今日の相手は」「今日の相手も」

※出番:当て馬女子>攻め

 海の見える洒落たレストラン。見渡す限り男女の二人組ばかり。そのうちの一組が、俺たち。

「早瀬さんから、是非もう一度会いたいって連絡をもらった時、正直に言うと驚いてしまったんです」

 ワイングラスの縁を指でなぞりながら、見会い相手の花井さんは赤い唇を左右に持ち上げた。

「勝手に連絡をしてしまったのは父ですが」

 引きつる笑みで返したが、花井さんは気にも留めずクスクスと笑う。

 見合いのあと、俺の父親が先方へ連絡を取り、勝手に話を進めてしまった。断ってくれればいいのになにを思ったかこの人は承知して、約束の日時を決めてしまった。

 勝手な真似をした父には当然抗議したが、おまえがいつまでも愚図愚図しているからだと逆に怒られ、約束してしまったものは仕方がないのでこうして会うことになった。

「息子は恥ずかしがり屋でどうしようもないっておっしゃっておいででしたわ。でもそれを聞いて納得しました。お見合いの時、照れていたからあんなに不機嫌そうだったんですね」
「照れる年でもありません。あれが僕の地ですよ」

 デザートに出されたアイスを、スプーンでぐちゃぐちゃとかき混ぜる。俺を嫌いになれ。俺に幻滅しろ。

「女性とのデートはいつもあんな感じなんですか?」

 花井さんは首を傾げ、目をくりっとさせて俺を見る。そんな小賢しいテクを駆使されたって俺には通じないというのに。

「だいたいそうですね。時間の無駄だと感じてしまう」
「私とこうしておしゃべりしている時間も無駄ですか?」
「そうですね。花井さんも、僕なんかといても、楽しくないでしょう?」
「そんなことありません。実はここだけの話なんですけど」

 花井さんは体を前に倒すと、口の横に手を当てた。

「私、どちらかというとMッ毛のあるほうなんです。だから早瀬さんみたいな男の人、嫌いじゃないんです」

 ひそめた声でとんでもないことを告白してきた。会って二度目だぞ。知り会って数時間の相手とベッドインする俺が言えたことじゃないが、この人には羞恥心や良識というものはないのだろうか。

「僕もMなんですよ」

 とにかく彼女の好みの真逆をいけばいい。

「どういうわけか、私と付き合った男性って、みんなMっぽくなっていくんです。どうしてかしら?」

 と、肩を持ち上げて首を傾げる。なにを言っても無駄だと悟り、ナフキンで口元を拭って立ちあがった。

「出ましょうか」
「はい」

 にこりと微笑む花井さんと店を出た。大通りでタクシーを拾い、彼女を押し込むつもりが逆に背中を押された。

「早瀬さんもご一緒に」
「帰る方向が逆ですから」
「良かったらお茶でも飲んで行ってください」
「仕事を残しているので」
「一時間くらい平気でしょう」

 イラッとして、彼女の腕を引き、肩を押してタクシーに放り込んだ。強引なやり方だが、もともと嫌われるのが目的だから構わない。出てこようとする花井さんを遮るためにドアを乱暴に閉めた。

 さよならも言わずに歩き出すと、「連絡お待ちしてます」と窓をあけた花井さんの声が聞こえたが、無視した。

 こんな日はまっすぐ帰る気にならないから、菱川くんに電話した。今日はバイトではないのか、すぐに電話に出た。

『はい』
「今からそっちに行ってもいいかな?」
『僕は大丈夫です』
「じゃあ今から行く」

 ちょうど見えたタクシーを止めて、菱川くんの家へと向かった。

 出迎えてくれた菱川くんに抱きついてキスする。性急に服を脱がせようとしたら「どうしたんですか」と手を止められた。

「しないなら帰る」
「帰る必要はないです」

 掴まれた手を引かれ、奥にある安物のベッドへ連れて行かれた。俺の上に跨った菱川くんが、俺にキスをしながら服を脱がせていく。俺も腰を浮かせながら彼の服を脱がせた。お互い全裸になると、菱川くんは俺の両足を左右に開き、その中心へ指を入れて来た。

「よかった。ここ、使ってないみたい。僕以外の誰かとしてきたのかと思った」

 ローションを継ぎ足しながら菱川くんがほっとした顔で言う。彼と「恋人」のような関係になってから俺は他の誰とも寝ていない。彼の嫉妬を引きだすために、他の男を匂わすような発言を度々してきたから、それを真に受けた菱川くんが心配するのも無理はない。

「しようと思ったけど、出来なかったんだ。やっぱり好みじゃないって気付いて……だから疼いて仕方ない……、早く入れて……君のが欲しい」
「僕だけじゃ駄目ですか?」

 指を増やして菱川くんは不安そうな顔をする。そんな顔を見ると俺は安心する。

「束縛は嫌だって言ったろ」
「束縛じゃないです、嫉妬です。早瀬さんが僕以外の男と寝るのは嫌です。それに早瀬さんが心配だから言ってるんです」
「説教は聞きたくない。萎える前に、早く入れろよ」

 菱川くんは諦めたのか口を閉ざし、抜いた指のかわりに硬いペニスを入れて来た。律儀に毎回コンドームを着けている。

「ふうぁ……あ、ああっ……!!」

 刺し貫かれる充足感に勝手に背がしなる。咽喉を晒して声をあげた。

「狭い……、前に僕としてから、誰ともしてないんですか?」

 嬉しそうな菱川くんの声。誰ともしてない。でもそれを正直に言うつもりはない。

「たまたま仕事で忙しかったんだ」
「他の誰ともしないで下さい」

 俺の腰を抱えもって菱川くんが動きだす。俺のなかを硬くて太く熱いものが出し入れされる。それに熱中している間、俺は性器を受け入れるだけの入れ物に成り果てることが出来る。女に興味のある振りをしなくていいし、結婚しろとうるさい親の相手もしなくていい。

「あっ……そ、こ……菱川くんの…あたって……あっ、ああっ! もっとして……っ!!」
「僕のこれ、好きでしょ?」

 心得たとばかりに彼は俺の前立腺を擦りあげた。

「ぅああっ……んっ、あぁぁんっ……すき…っ…好き! はあぁっ……あぁ……菱川くん、すっ……ご……いい……!!」

 彼の当て勘は素晴らしいものがある。本当に俺としか経験がないのだろうか。疑いたくなるほど、見えもしない前立腺を探し当てるのがうまいし、具合よくカリで擦ってくれる。

 彼くらいの年齢だと生中出しに幻想を抱いてそうなのに、毎回ちゃんとコンドームをつけるし、もしかしたら、嘘をつかれているのは俺のほうなのかもしれない。

「浮気したら……殺す、から……ッ!!」
「しませんよ。こんなに好きなのに」

 さんざん浮気を匂わす言動をしている俺には文句も言わず、菱川くんはにこりと笑って言った。

 菱川くんの顔が近づいて来る。口を開いたら唇がくっつくより先に舌が入って来た。それに舌を絡め、濃厚なディープキスをする。キスしながら菱川くんは俺の足を持ち上げ、折りたたむように頭のほうへ持ってきた。

「自分で持ってて」

 言われた通り自分の足を持った。菱川くんが腰を振る。ペニス付け根の裏側がゴリゴリ擦られる。ほら、見事な当て勘。ペニスの先にセンサーでもあるのか?

「ああぁ! あっ、あ! きもち、いいっ……!! 前立せっ……菱川く、の……ちんぽ、あたっ……て…ッ…ヒッ、い、あはぁあっ……あぁんっ! もっと、してぁああっ!!」
「も……、トロトロになってきましたよ、早瀬さんの、ここ」

 ここ、という言葉に合わせて、菱川くんのペニスが中からグイと押してくる。自分でもわかるほど中がじんじん熱くなっている。膀胱も押されてるもんだから、あやうく漏らしてしまいそうなほど、下半身が緩んでしまっている。

「グチャグチャにしてっ……君のおちんぽで、俺を馬鹿なメスマンコにして……っ!!」

 俺がどんな下品な言葉を口走ろうと、菱川くんは受け止めてくれる。40手前のおじさんの乱れっぷりが、ただ哀れなだけなのかもしれないが。

 慈愛溢れる優しい微笑を浮かべながら、菱川くんは俺の望み通り、精液まみれでグチャグチャのドロドロになるまで犯してくれた。




【続きを読む】
関連記事

電話が鳴る(7/7)

2016.07.04.Mon.
第1話はこちら前話はこちら

 試験に合格して池田は正社員として働くことが決まった。ささやかながらそのお祝いをして、腕時計をプレゼントさせてもらった。池田はとても喜んでくれた。

「もらってばかりで、北村にどうやって返せばいいのかわからない」

 困ったふうに言われて「喜んでくれるだけでいい」と答えながら、だったら一度でいいから相手してよ、という別の言葉が頭に浮かんだ。口に出したら最後、今のこの良好な関係が破綻する破滅の言葉だ。

 正社員になり、3万の返済もなくなった今、池田が貯金できる額は以前よりだいぶ増えたはずだ。ここを出て部屋を借りるためのお金がたまるまで、条件次第ではあるが最短で2か月。長くても半年はかからないだろう。

 実際、半年もかからない4ヶ月目にして、池田は準備金が貯まったから俺に部屋を探して欲しいと言ってきた。

 心の準備はしていたつもりだったから、俺は平静を装いながら池田を客として迎え入れた。池田から聞きだした条件以上の物件をピックアップして、大家にも家賃交渉してやると胸を叩いた。

 いくつか気になった物件を俺の運転する車で見に行った。広告を出すまでもなく、見た人ほとんどが気に入るような掘り出し物だ。

 駅にもほど近く、築浅で綺麗な内装、広さに対して充分な収納、まわりは住宅で静かな環境。管理会社の手入れも行き届いていて女性でも安心して暮らせる申し分ない物件。

 池田も気に入ったようだった。トイレや風呂をのぞいたあと、ベランダに出て外の景色を眺める池田の口許に満足げな笑みが浮かんでいた。

「悪くないだろ」

 隣に並んで言うと、池田は「うん」と大きく頷いた。

「ここならなんとか家賃も払えるし、店にも近いから通勤が楽だ」
「家賃は共益費込みでなんとかならないか交渉してみるから」
「助かるな」

 普段なら、さっさと店に戻って契約の手続きを、と思うところだが、こうやってぐずぐずしている間に、他の誰かが契約してしまわないかと思う自分がいる。物件を探し続ける間は、池田と同居が続けられる、とケチな希望を繋いでいる。

「決めた。ここにする」

 池田は部屋に戻って俺を振り返った。

「よし、じゃあ店に戻って契約書書いてもらわないと」

 俺も部屋に戻ってベランダの戸締りをした。部屋の明かりを消し、ブレーカーを落とす。靴を履こうとして振り返った。池田は部屋の真ん中で立ったままだ。

「どうした?」
「最後に言っておきたいことがある」
「なに、怖いな」

 長くなるのか、池田はそこに座り込んだ。俺も部屋に戻り、池田の前に腰をおろした。

 考えるように床の一点を見つめている。そして池田は顔をあげた。

「北村のことが好きだ」

 言葉の意味より先に、近くでまっすぐ見つめて来る黒い瞳に戸惑った。高校時代を思い出すような目だった。

 平常心の鎧でガチガチに武装していたおかげで、池田の言葉を聞いてもみっともなく狼狽えることは免れた。冷静に、池田の次の言葉を待つほうが賢明だと判断して、俺は黙って池田を見つめ返した。

「卒業式の日から今日まで俺なりに色々考えた結果だ。正直自信を持てないところもあるけど、これは好きっていう感情なんだと思う」
「どういう意味の好きなの?」

 ちゃんと確かめられるほどには俺は落ち着いている。

「恋愛の意味だ」
「勘違いだと思うよ」

 いつの間にか前のめりになっていた体を元に戻した。冗談で終わらせられるように笑顔も作った。夢でさえ聞くことのできなかった言葉を、現実の世界で池田の口から聞かされるなんて、にわかには信じがたい。

「池田はさ、俺のことホモだって思ってるだろ? それに俺に恩義も感じてる。なんとか報いなきゃって焦ったせいで、そう思いこんじゃったんだよ」
「卒業式のあと、ずっと思ってたんだ。男が男に好きだと告白するのは相当な勇気が必要だっただろうなって。それをした北村は、どんな覚悟だったんだろうって。男を好きになるってどんな感覚なのか、ずっと考えてた」

 俺の声なんか聞こえないみたいに池田は続ける。最初から話すことを決めていたみたいに。

「わからないまま北村と一緒に暮らし始めて、ある時、それが少しわかった気がした。北村の誕生日プレゼントを買いに行った日、北村の仕事場の前を通った。その時、俺のいない空間で笑ってる北村を見て、嫌だなって思ったんだ。俺なんかがいなくても、北村の生活は成立するんだって気付かされて、無性に悲しくなった」

 その時の感情を思い出したみたいに池田は寂しく目を伏せた。睫毛越しの眼差しに胸が締め付けられた。

「泊りで嫁と子供に会いに行った時も、俺のいないうちに誰かと一緒だったんだと知って、すごく嫌な気分になった。それがただの友達でも、俺は嫉妬してたと思う」
「いやほんとにただの友達だし」

 一瞬疑うような目で俺を見たが、それを自覚したのか池田はすぐ目線を落とした。確かに疑われても仕方のない状況だったかもしれない。池田は俺をホモだと思ってたし、乱れたベッドを見たら、致したのだろうと誰もが勘違いするだろう。

「自棄酒で、いろいろ愚痴ってたから泥酔しちゃったんだよ。他に寝る場所ないし、もう一緒に寝ちゃえって。それだけ」
「それを聞いてさらにモヤモヤするのは、北村のことを好きってことじゃないのかな?」

 胸に手を当てて北村は顔をあげた。こんな風に切ない表情は初めて見る。全身の毛穴が開くような感じがした。

「俺は北村が好きなんだと思う。それを最後に伝えておきたかった」

 そう言うと池田は立ち上がった。話は終わり。これで、終わり?!

「俺の返事聞かないの?」
「好きだと言ってくれるような気がしてる」

 図星をさされて絶句した。

「だけどもう少し時間が欲しい。今はまだ自分の気持ちを確かめることで精一杯なんだ。気持ちに頭がついていかない」
「もう少しって」

 膝立ちになって池田の腕を掴んだ。さらっとした手触りで俺より少し華奢な手。振り払われないことに気をよくして、ぎゅっと握った。

「確信を持てるまで。俺たちはもう大人だから、そのあとの、覚悟が持てるまで、もう少し待って欲しい」

 池田は自由なほうの手を顔を隠すように口元にかざした。顔に少し赤みが差している。握った手も、だんだん熱くなっていく。

 最初言ってることの意味がわからなかった俺も、池田のそんな様子を見て思い当たった。そうしたら俺まで体が熱くなって来た。

 俺たちは大人だ。手をつないで一緒にいるだけでは終わらない。

 これこそ池田という男の性格だ。妙に頑固で、自分の手で触れて確かめたことじゃないと認めない。自分が納得するまで先へ進まない。立ち現れたかつての姿を見て俺は身震いした。

「だったら、部屋探す必要ないだろ? このまま一緒に暮らせばいいんだから」
「振られたとしても、引っ越せば会うこともないって逃げ道が欲しかったんだ。こんな怖いこと……高校生でできた北村はすごいな」

 凄かない。後先考えられないほど、好きだっただけだ。

 池田の手を握ったまま立ち上がった。近くで見ると池田の顔は真っ赤になっていた。お伺いをたてるようにそっと顔を寄せる。池田は咄嗟に顎を引いた。でもすぐ自分から顔をあげ、そろそろと俺に近づいて来る。閉じられる瞼を見届けてから唇を合わせた。

 池田は体を強張らせた。唇もぎゅっと強く閉められている。それをこじ開けるつもりはない。その存在を腕に抱くだけでも溢れるほどの幸福感を味わえる。

「北村……っ」

 胸を押されて口を離した。恥ずかしがって、戸惑う顔の池田が腕の中にいる。

「俺とキスするの、嫌だった?」
「嫌じゃなかった」
「少しは確信持てた?」
「まっ……待って、急がせないでくれ。もう流されたくない。自分でちゃんと考えたい」

 俺の胸に手を当てたまま、池田は下を向いた。その耳やうなじまで赤くなっているのが見える。

「待つよ。いつまでだって。ここまで来るのに10年以上かかってるんだから」

 池田の手を取り、口づける。それを見た池田がさらに顔を赤くして目を泳がせる。

 俺を罵ることのない口、慌てる目、拒絶しない体温。もう悪夢を見ることはないだろう。




関連記事

電話が鳴る(6/7)

2016.07.03.Sun.
第1話はこちら前話はこちら

 翌朝、セットしていたアラームの音で目を覚ました。起き上がった途端酷い頭痛に顔を顰めた。もぞもぞと体を起こした友引も同じようでこめかみを押さえながら呻いていた。

 這うようにベッドを出て、散らかったままのリビングは視界に入れないよう洗面所へ移動し、歯を磨いて顔を洗った。少し覚醒した頭でキッチンへ行って、とりあえず二人分のコーヒーを淹れた。

 熱くて苦い液体を胃に流し込みながら、昨夜の記憶を辿ってみる。池田が外泊したこと。それを友引に愚痴ったこと。卒業から昨日までのあらましを打ち明けたこと。ほんの少し、心が軽くなっていた。

 気だるげにコーヒーを飲んだ友引と一緒に家を出た。歩きたくないとごねる友引をつれて駅へ向かい、そこで別れた。満員電車に乗ったら確実に具合が悪くなる、と友引はタクシーで仕事場へ向かった。

 頭痛は昼に飲んだ二度目の鎮痛剤がようやく効いて治まった。全身のだるさは最後までなくならないまま退社時刻になり、残業をする元気もなく、仕事を持ちかえることにして帰宅した。

 食欲はわかなかったが、あっさりしたものをとスーパーの惣菜コーナーで寿司をカゴに入れた。池田の顔が浮かんだ。あいつは今夜、どうするつもりだろう。食べて来るのか、うちで食べるつもりなのか。

 連絡が一切ないから、きっと食べてくるつもりだと決めつけて、一人分の食料をレジで精算した。

 マンションのエレベーターを待ちながら、重たい瞼を瞬かせる。食べるより先に少し眠りたい。ベッドが恋しい。寝転んだらすぐに寝てしまえそうだ。

 目を閉じて立っていたら、「いま帰り?」と聞き慣れた声がした。振り返ると、リュックを肩に担いだ池田が近寄ってくる。

「そっちも?」

 意外に早かったな、という言葉は飲みこんだ。

「夕飯は?」

 俺は無言でスーパーの袋を広げてみせた。それを覗きこんで、「蕎麦をもらったから茹でるよ」と俺に笑いかけて来る。なんとも清々しい笑顔。

 到着したエレベーターに二人で乗り込んだ。蕎麦をもらったって、誰からもらったのか、俺が聞きださなきゃいけないのか? どうせ彼女だろ? わかりきった答えを、どうしてわざわざ聞かなきゃいけないんだ。

 反発してあえてスルーした。焦れたのか、池田が俺を見上げる。

「具合悪そうだな」

 恋人ができたと打ち明けるタイミングを探るために、まずは当たり障りない会話をしようって魂胆か。

「少し飲み過ぎた」

 ああ、って納得したように言うと、池田は扉の開いたエレベーターからおりた。通路を歩いて部屋の前で立ち止まり、合鍵を使って鍵をあけ、先に中に入っていった。俺はその後ろをついて部屋に入った。

 部屋に残る酒臭さで、片付けていなかったことを思い出した。肩のリュックをおろした池田が、散らかった部屋を見渡したあと、テーブルの空き缶や皿を片付け始めた。

「いいよ、俺がやる」

 怒りに似た意地からそう言って、池田の手から皿を奪い取った。呆気にとられた顔をする池田から目を逸らし、皿と空き缶を流しへ運ぶ。池田はテーブルの上のゴミを集めてゴミ箱へ入れていた。他のゴミを探す目が、隣の俺の部屋へ行きついて止まった。

 磨りガラス風の間仕切り引き戸は開けっ放しで、朝、抜け出したままの乱れたベッドが丸見えだった。一緒に寝はしたが友引と何かあったわけじゃないのに、生々しいものを見られた気がして恥ずかしさからカッと顔が熱くなった。

 洗い物を放って、濡れた手のまま引き戸を閉めた。

「片づけは俺がやるから池田は蕎麦作ってよ」
「わかった。……これは、北村のじゃないよな?」

 と持ち上げた池田の手には、昨夜飲んでる最中に友引が外したネクタイが握られていた。

「それっ……友達の……、忘れ物。飲んでる時に外して、置いてっちゃったんだな」

 池田からネクタイを受け取り、置き場所に困ってポケットに捻じ込んだ。そんな雑に扱っていいのか? という目で池田が俺を見る。

「早く、蕎麦。お腹すいた」

 池田の背中をキッチンへ押しやった。そちらへ足を踏み出した池田が、ふと振り返って、

「一緒に飲んだ相手って、北村の恋人?」

 なんて言い出した。頭のてっぺんから何かが噴き出しそうになった。

 池田は俺がホモだと思っている。あの告白が、行き過ぎた友情だったという俺の誤魔化しも通用していなかった。卒業式の日から今日に至るまで、徹頭徹尾、池田は俺のことをホモだと思っていたわけだ。

 許せない、顔も見たくない、失せろと言うほど毛嫌いしていたくせに。世間話するみたいに、俺が男と付き合って当然って口調で、いきなり、土足で。

 自分が女と一晩過ごして幸せだからホモにも寛容になれたって? 次には「お前にも幸せになってもらいたい」とか言い出すのか? 冗談じゃない。俺がホモだとわかってるなら、あの告白の意味だってわかっているだろうに。ここまで池田にお節介を焼いたのも、単なる友情だけじゃないと気付いているはずだろうに。

 ホモに対して免疫が出来たから? 俺に借金肩代わりの恩義があるから? だから自分へ向けられる好意も気付かないふりで許容しつつ、俺が男とデキることにも理解を示してくれるって? ああ、そうか、自分に向けられる矢印を他の男へなすりつけたいわけか。そういうことか。

 俺は息を吐きだした。ゆっくり、長く。そして、

「池田に関係ないだろ」

 不愉快な笑顔を池田に向ける。それを見た池田の口元が引き絞められた。悲しそうにも見える目で俺を見つめたあと、「ごめん」と前に向き直ってキッチンに立った。

 水の流れる音を聞きながら、俺は部屋の片づけを始めた。言った言葉を後悔した。だけど、触れられたくないと意思表示しておかないと、幸せのお裾分けという池田のお節介は止まらないだろう。

 好かれてると知ってる男から、彼氏を作れと急かされる。残酷すぎる仕打ちだ。次そんなことを言ってきたら、お前のことが好きだと言ってやるぞと決めて部屋の片づけを終えた。

 見計らったように池田がテーブルに箸を並べる。

「もう少しでできるから」

 とまたキッチンに引っ込んで鍋をかき回したあと、そばつゆの入ったお椀を二つ置いて、またキッチンへ戻った。俺はスーパーで買った寿司の蓋をあけ、テーブルの真ん中に置いた。

 手持無沙汰になり、冷蔵庫から酎ハイを二本出した。

「まだ飲むのか?」

 ザルに麺をあげながら池田がからかうように言う。飲むよ、と返して蕎麦が出来上がるのをリビングで待った。

 蕎麦を盛った皿をもって池田もやってきた。いただきます、と蕎麦に手を伸ばす。コシがあって蕎麦の風味が口に広がる。たまに駅で食べる立ち食いとは大違いだ。

「おいしいだろ?」

 俺の表情を見ていた池田が得意げに言った。

「おいしい」
「前の奥さんの実家が長野なんだ。たくさんあるから、持って帰ってって」

 長野と言えば信州そば。だからこんなにうまいのか。じゃなくて。

「元嫁に会ってたのか?」
「子供にも会って来た。もう小学/生になる」

 ズズ、と蕎麦を啜って、池田は「うまい」と頷いた。

「泊まりで?」
「たぶん、もう会えなくなりそうだから、最後にちゃんと時間取りたかったんだ。小学校に入る前に、再婚するつもりらしい。少し前に電話してきて、そういう事情だから離婚届けを送って欲しいって言われた」
「離婚してなかったのか?!」

 驚いて大きな声が出た。

「あの頃俺は妻子を養える状態じゃなかったけど、いつか治るかもしれないから、いますぐ決断する必要はないだろうって、向こうの親御さんが。娘の戸籍にバツをつけたい親なんていないよ」

 池田も一人の親の顔になって優しい笑みを浮かべた。そして何もなかったかのようにまた蕎麦を啜る。

 この二連休、池田は嫁と、子供に会っていた。しかも、離婚届けを持参して。この先よほどのことがない限り、子供には会えなくなると、そんな覚悟と共に。

 たしかに女には違いないが、勝手に恋人だと早合点した。友引に愚痴って、池田はもうすぐ出て行くと悲嘆して、自分が誰よりも不幸になった気になって池田に八つ当たりしたりして。

 振り返りたくない自分の愚かさが走馬灯のように脳裏を走り抜ける。居心地が悪い。

 先に蕎麦を食べ終わった池田は、自分の皿を片付けると、床に置いていたリュックを開け、中から封筒を取り出した。

「残りの借金、これで足りると思う」

 テーブルに置かれた封筒を見、池田へ視線を戻した。

「えっ」
「どうしようもなかった俺を助けてくれて本当に感謝してる。こんな俺を信じて大金を貸してくれたことは一生忘れない。本当にありがとう」

 何も言えずに茫然となる俺へ深々と頭を下げた。次に頭を上げた時、池田は重荷をおろしたような晴れやかな笑顔だった。

「これでやっと、全部のけじめがついた」

 妻と正式な離婚。子供との最後の触れ合い。俺への借金返済。確かにすべてにけじめがついた。

「そんなに急いで返してくれなくてもいいのに」
「早く返したかったんだ。貯金はゼロになったけど」

 池田は両手を広げて肩をすくめてみせた。お金は働けばまた入る。正社員になれば収入も増える。

「いつまでも北村に甘えてるわけにはいかないから、出来るだけ早く、ここを出るようにする。貯金使い果たしたからもう少し居候させてもらいたいんだけど、いいかな」
「いいに決まってる。最初は最低3年は一緒に住むつもりだったんだから」
「そんなにはかからないよ」

 苦笑した池田は、リュックを肩にかつぐと、「先に風呂入っていいか?」と聞いてきた。頷いたら、一度自分の部屋に戻ってから、池田は風呂に入った。

 小さく聞こえるシャワーを音を聞きながら、感動の薄れた残りの蕎麦を啜った。

 借金も全額返済され、新たな借金もなく、俺の監視下に置いておく必要がないほど池田も元気だし、引き留める理由が俺にはなにもない。もうここで一緒に住む必要はなくなった。女の影は俺の勘違いだったが、池田がここを出て行く予感は正しかった。




関連記事

電話が鳴る(5/7)

2016.07.02.Sat.
第1話はこちら前話はこちら

 今日は俺が休みで、池田は仕事という日だった。朝から洗濯機をまわし、部屋の掃除をして、昼頃買い物へ出かけた。夕飯は何がいいかと考えながらスーパーを歩く。秋の食材が店頭に並ぶ季節になっていた。

 池田と暮らし始めて二度目の秋だ。去年の今頃、池田を強引に連れて来た。あれから毎月3万の返済を続けている。鮮魚コーナーでバイトをするようになって給料が増えた分、生活費としてさらに2万を上乗せした金額を毎月きっちり渡してくる。それ以上の金額は俺が受け取りたくないと断っている。

 これの他に、毎月別れた嫁へ、養育費としていくらか送金しているようだ。残りは貯金しているのか質素倹約な暮らしぶり。物欲がないのか、この部屋を早く出るための準備なのかは考えないようにしている。

 買い物を終え、少し昼寝をしたあと、乾いた洗濯物を取り入れた。数少なかった池田の服は一年で少しは増えた。畳んだものを池田の部屋へ運ぶ。

 以前は物置として使っていた部屋だ。池田が来る前に片付けた。あるのは折りたたまれた布団と、あとから買い足した小さな棚。備え付けのクローゼットがなければ今より狭くなっていただろう。棚の上に洗濯物を置いて部屋を出た。

 暗いなと思って窓の外を見れば灰色の雲が広がっていて雨が降りそうだった。もうすぐ池田が帰ってくる頃だ。車のカギを持って外へ出た。

 スーパーへ向かう途中、雨が降りだした。細かく静かな雨がフロントガラスを濡らしていく。

 スーパーには17時ちょうどについた。従業員用の裏口のある通りに車を停めた。

 池田の頑張りが認められたのか、少し前に研修に行った際、社員登用の話をされたそうだ。そうなれば給料は単純にいまの倍にはなるだろうし、福利厚生の恩寵も受けられる。そのためには研修のあとの実技試験で合格しなければならないらしく、最近食卓に魚料理が増えていた。

 もちろん応援しているが、社員になったら池田は家を出て行ってしまうだろう。池田の自立は喜ばしいことなのに、それを寂しく思ってしまうのは隠しようのない本音だ。

 裏口の戸が開いて、主婦らしき女性が一人出て来た。後ろの誰かへ向かって話しかけながら傘を広げる。続いてまた一人が出て来て、二人は店の駐輪場で別れると雨のなか自転車で走り去った。

 それから数分後に池田が出て来た。右手を耳にあてている姿を見て、クラクションを鳴らす手を止めた。池田は電話中だった。もしかしたら俺に迎えに来て欲しいと電話しているのかもと携帯電話を確かめたが着信は一件もなし。

 再び池田へ視線を戻した。駐輪場の軒下へ雨宿りの場所を移した池田は誰かと通話中らしく、口元が動いているのが見えた。白い歯が零れた。雨が降り続ける空を見上げながら電話の相手へ向かって笑いかけている。きっと俺の好きな目尻の笑い皺を作りながら。

 親しい人間なのだろうと、池田の穏やかな笑顔と頷き方を見て思った。池田の友達は俺だけじゃないし、俺以外に親しい付き合いをする人間がいてもおかしくない。そんな当たり前のことに気付かされた瞬間だった。

 まだ鬱を引きずっているような、生きる気力を失って、存在そのものが半透明で幽霊のようだった池田が頼り心を開く相手は俺だけなのだと、無意識に思いこんでいた。

 しかし最近の池田は自分から喋るのは当たり前、よく笑うようになったし、社員登用を持ちかけられるほど仕事も頑張っている。すっかり回復したと言っていい。学生時代の溌剌さが戻りつつある池田が、いつまでも自分の中に閉じこもっているわけがないのに。外からのアプローチがないわけがないのに。

 もしかしたら電話の相手は恋人。またはそうなりそうな人なのかもしれない。

 いつまでも止みそうにない雨。いつまでも終わりそうにない電話。

 ギアをドライブに入れ、俺は静かにその場から離れた。



 数日後の朝、向かい合ってトーストをかじっていた時だった。池田は気になることでもあるのか食事の手が遅かった。なにかのタイミングを探っているようで、俺は嫌な予感がした。

 意を決したような目が俺を見据え、池田は口を開いた。

「今日、ちょっと出かけて来る」

 これまでも休日になると一人で映画を見に行ったり遠くへ買い物へ行ったりはしていたようだが、こんなふうに前もって宣言されたのは初めてだ。

「わかった」

 と池田の顔を見ずに返事をして、残りのトーストを口に詰め込んだ。

「泊まるつもりだから、帰りは明日になると思う」

 スーパーまで迎えに行った雨の日から、いつかこんな日がくるだろうとは予測していた。泊まりのデート。女の影。

「一応、行き先を知らせておく」
「いいって、そんなの」

 早口で遮った。

「大の大人が一泊するくらいでおおげさだって。わざわざ教えてくれなくていいよ。いちいち報告の義務なんかないんだしさ」
「でも」
「楽しんで来いよ。俺もたまには一人でのんびりするから」

 最後に添え物のプチトマトを口に放り込んで「ごちそうさま」と手を合わせて席を立った。まだ話は終わってないと言いたげな目を無視して、自分の皿を流しへ運ぶ。

「じゃあ、行ってくる」
「もう?」

 壁の時計を見て池田は眉をひそめた。

「朝一で内見の予約入ってるんだ。じゃあ、戸締りよろしく」

 逃げるように部屋を出た。ついに池田との共同生活終了のカウントダウンが始まったのだ。

 最初から期限付きだったことは百も承知だ。俺の意思で引き延ばせることではないことも。池田次第では、それが早まることもあるとわかっていたはずなのに。

 朝起きると池田がいて、仕事が終わって帰ると池田が出迎えてくれる。食後の二人きりの時間がこの上なく居心地が良くて幸せだった。テレビを見て笑ったり、レンタルしてきた映画を見たり、暇な時は本を読んだり、コンビニへ行くついでに散歩したり。

 家事はそれぞれ得意なこと、出来る方が分担して、共同生活は順調だった。不便や不満は何一つなかった。今更池田のいない生活なんて考えられない。

 初恋を引きずっている自覚はあった。でも、学生の時のようには好きにならないでいようとした。淡い淡い恋心に留めて、憧れるだけの、いい思い出になるように、理性と節度を持って、踏み込まないよう近づきすぎないよう、注意してきたつもりだった。

 なのに、カウントダウンの足音を聞いた途端、どうだこの恐れようは。卒業式の時みたいに耳を塞いで目を閉じて一目散に逃げだした。

 もともと好きだったのに、好きにならないでいるなんて不可能だったのだ。

 池田は今夜、愛する者と一緒に過ごす。その事実に、胸が潰れそうになる。



 今晩飲まないか、と友引にメールを送ったら、迎えに来てくれるなら行くと返事があった。仕事が終わったあと一旦家に帰り、車で友引を迎えに行った。自宅へ向かうと、「店じゃないんだ?」と友引が言った。

「今日はとことん飲みたいから」

 友引はちらりと俺を見ただけで深くは追及してこない。俺もまだ話せる気分じゃない。

 池田のいない部屋に友引を入れ、さっそくテーブルに酒を並べた。なにかつまみを、と腕まくりした友引がキッチンに立つ。その姿が池田とダブる。それを見ただけで心が痛んで泣きそうになった。

 手際よくつまみを作った友引と宅飲みが始まった。俺はすぐ酔っぱらって、友引に管を巻き始めた。慣れた様子の友引は「はいはい」とただの前ふりである愚痴を聞き流す。

 充分もったいつけたあと、俺はやっと本題に手をつけた。

「好きになんかなるんじゃなかった。好きになったのがそもそもの間違いだった」

 そう切りだした俺に「やっぱ失恋したんだ?」と友引。

「失恋、っていうか、そもそもスタートラインにも立たせてもらえてないっていうか。もともと、男同士の恋愛とか絶対ありえないって奴だから。実は一回、そいつに告白して、こっぴどく振られてんだよね。俺のトラウマ」
「え、なにそれ。聞いたことない」
「言ったことないもん。まじでトラウマになってて、何回も夢見て魘されてる」
「聞いてやろうじゃないか。そのために今日は俺を呼んだんだろ?」

 頷いて、俺は卒業式に池田に告白したところから話し始めた。友引は池田の名前を聞いた途端「2、3年前に電話してきた、離婚するっていう知り合いだ」とすぐ思い出した。

「よく覚えてたな」
「珍しく必死な感じだったし、特別な人だって自分で言ってただろ」

 そう、特別だった。池田だけは、今までもこれからも、きっとずっと特別な男なんだ。 

 卒業式の玉砕後、午前4時42分に電話がかかってきたことから、今朝までのことを友引に話した。長い長い物語になった。友引はたまに質問したり相槌を打つだけで、何時間も話を聞いてくれた。

「相手が女と決まったわけじゃないんだろ?」

 最後まで話を聞いた友引が言う。

「女以外ありえないだろ。泊まりだぞ」
「実家に帰省もありえなくない」
「なくはないだろうけど、そういう雰囲気でもなかった。俺の勘だけど。ぜんぜん、気が重いって感じじゃなかった」
「友達との小旅行かも」
「だったら最初にそう言いそうなもんだろ」
「行き先聞かなかったくせに」

 痛いところを突いて来る。聞くのが怖かった。池田が女と行動するデートプランなんて聞いたところで今の俺には百害あって一利なしの情報だ。

「きっともうすぐ出て行くつもりなんだろうなぁ」

 軽くなった酎ハイの缶を揺すった。チャプンチャプンと音が跳ねる。残りは一口分。俺が池田と一緒にいられるのも、きっと残りこのくらい。

「一度振られてるなら、もう一回ダメ元で告白してみたら?」
「無理無理! 池田に嫌われる! また嘘ついてたのかって怒って軽蔑される。それだけは絶対嫌だ。せっかく友達に戻れたのにそれだけは壊したくない。それに、借金肩代わりした俺が言うのは駄目な気がする。なんか、卑怯になる気がする」
「残りをチャラにするかわりに一回だけ……」

 ギロリと睨みつけたら「冗談」と友引は目を逸らした。

 チャラにするかわりに? 一回お願いするって? 想像しかけた妄想を慌てて振り払った。そんなことを思うことすら池田に申し訳ない。いや、そんな妄想を始めたら身も心も自制が効かなくなってしまう。

「今日はとことん飲みましょう」

 新しい缶酎ハイを開けて、友引が俺に渡す。それを受け取って口をつけた。記憶がなくなるまで飲んで。気が付いたら朝になっていればいい。池田のいない夜なんて、覚えていないほうがいい。

 その後、二時間ほど飲んだ。二人ともかなり酔っぱらって呂律は回らないし、思考も覚束ない。当然電車はもうないし、車の運転も出来ないから友引はうちに泊まることになった。

「一緒に寝よう!」

 とリビングの隣の俺の部屋へ誘う。ふざけあって、抱き合うようにベッドに飛び乗った。友引の笑う顔がすぐ目の前にある。そこそこ付き合いは長いほうだが、友引と寝たことはない。キスはおろか、そういう雰囲気になったこともない。

「どうして俺たちは今までセックスしなかったんだろ?」

 不思議に思って友引に問うてみた。

「単純にタイプじゃないからじゃない」
「友達同士でヤッちゃう人もいるのに」
「俺としたいの?」

 少し考えて、俺は首を横に振った。

「しちゃったら、今まで通り、とはいかなくなる気がする。普通に飲んでるのに、今日はする?しない? って探りあったりとかして」
「俺もそう思う。俺たちはしないほうがいい関係を続けられる」
「それに俺、出来ればやっぱり池田としたい」

 優しい微笑を浮かべた友引が、慰めるように、励ますように、俺の頭をポンポンと叩いた。それが合図だったみたいに、俺は目を閉じ、眠りの底へ落ちて行った。




関連記事

電話が鳴る(4/7)

2016.07.01.Fri.
第1話はこちら 前話はこちら

 俺と池田の共同生活が始まった。

 バイトは、以前の勤め先は遠くなったからと、駅の近くにある同じ系列のスーパーで面接を受け直して採用が決まった。勤め先まで変えさせてしまったのは申し訳なかったが、店長が嫌味な奴だったからかえって良かったと池田は嘘かほんとかわからない言葉で俺を気遣ってくれた。

 池田は家事のほとんどをやってくれた。早い時以外は、二人分の朝食を作り、夜は俺の帰宅時間に合わせて夕食を作って待っていてくれた。

 一週間もすればネタ切れになるほど料理のレパートリーは少なかったが、味付けは悪くなく、火の通り切れていない野菜がたまにある程度の失敗しかしない。

 高校時代は人並みにあったはずの食欲が今ではだいぶ細くなって池田は心配するほど少食だった。遠慮しているわけでもなく、長年の生活苦から自然と量が減ってしまったのかもしれない。

 たまに外でも食べた。とにかく精をつけさせるために肉系をメインに。緊張して咽喉を通らない初デートか、というくらい池田は食べない。

 それでも日に日に顔色はよくなっていくし、肉付きは相変らず薄いが不健康そうな雰囲気は薄れたように思う。

 表情も少し豊かになった。大口開けて笑い転げるまでには程遠いが、笑顔を見せるようになったし、自発的な会話も増えて来た。

 最初の月末、池田は銀行から4万おろして俺に渡してきた。生活費なのだそうだ。

「4万じゃ少ないのはわかってるんだけど、今の俺にはそれしか。いまは借金の返済まで手が回らないけど、バイト増やして返すようにする」

 つまりこの4万には借金返済が含まれていないというのだ。

「生活費は俺のお節介でやってることだから受け取らない。第一、池田をここへ呼んだ意味がなくなる。余裕があるならともかく、今は養育費もあって大変なんだから。返済も月3万が上限。これは返す」

 1万を池田に返した。池田は戸惑いながらも受け取った。

「いま行ってるスーパーの鮮魚コーナーが人手不足みたいで、そっちに入ってくれないかって言われてるんだ。俺にできるかわからないけど、迷ってる場合でもないし、来月からそっちで働く。生活費を入れないのはさすがに俺が困る。来月分からは給料も増えるし、少しは受け取って欲しい」
「そういうことなら貰う。でもきつい時は無理するなよ」

 池田はじっと俺の目を見つめた。

「どうしてそこまでしてくれるんだ?」

 ギクリとなった内心を気取られないよう目を逸らしつつ「友達放っておけないだろ」とぶっきらぼうに答えた。

「ここまでしてもらって、どう恩返しすればいいかわからない」
「そんな必要ないよ。俺の自己満足なんだし」

 池田は俺の本心を探ろうとするようにしばらくじっと見ていたが、「わかった」と言って視線を外した。俺の顔は炙られたように熱くなっていた。

 理由なんて、お互い気付かないに越したことはないのだ。かつての親友を助けたい、それが大半だが、ひっくり返してみたら同じだけの好意が隠れているのが真実だ。

 池田がどんな姿になっても、結婚して子持ちだろうが、落ちぶれていようが、許せないと軽蔑されようが、いつまでも俺の初恋は尾を引いて人生に影響を与え続ける。きっと一生、この気持ちは消えることがないんだろう。



 池田と暮らし始めて最初の年末年始。二人とも休みがそろった貴重な数日。池田を誘って買い物へ行ったり、映画を見たり、洒落た店で食事をしたりした。大晦日には二人で蕎麦を食べながらバラエティ番組を見て、零時前には近所の小さな神社に初詣をしてきた。

 帰り道に実家に帰らないのかと尋ねてみた。家を出てから実家と連絡を取りあっていない、と池田は答えた。

 俺は専門家じゃないからわからないが、池田が鬱になってしまった原因が実兄の事故死だとしたら、それを思い出す場所には帰さないほうがいいのかもしれない。それきり、池田に実家の話はしなくなった。

 暦上では春になったある日、仕事から帰ると部屋が真っ暗だった。池田は18時までにはいつも帰宅しているのに。仕事が長引いているのだろうかと思いつつ、靴を脱いで中に入ると、いきなりパン! と乾いた音がして飛び上がった。

「誕生日おめでとう」

 池田がクラッカーを手に壁際に立っていた。悪戯が成功した子供みたいな顔をしている。

「驚かすなよ、心臓止まるかと思った」
「これ、プレゼント」

 小さな包みを渡された。

「ありがとう、よく覚えてたな」
「早生まれで、いつもプレゼントもらえないって嘆いてたから」

 そういえばそんなことを愚痴っていた気がする。小さい頃、みんなは仲のいい友達から誕生日を祝われていたのに、春休み真っ只中の3月生まれの俺の誕生日は忘れ去られてしまうのだ。

「開けていい?」
「どうぞ。たいしたものじゃないけど」

 と池田は不安そうに俺の手元をに目をやる。包装紙を破り、出て来た箱の蓋を開けるとシンプルな名刺入れが出て来た。

「いいじゃん、これ。すごい使いやすそう。今使ってるの、出しにくくってさ。いつもお客さんの前でもたついてて、新しいの買おうかなって思ってたんだ。まじで嬉しい。ありがとう。大事に使う」

 感激した。人からもらったプレゼントで一番嬉しかったかもしれない。池田はほっとした顔で「良かった」と笑みを浮かべた。

 その日の料理は豪華だった。勤め先のスーパーの惣菜も混ざっているらしいが、どれも美味しかったし、なにより池田の祝おうとしてくれる気持ちが嬉しかった。

 酒も進んだ。池田も口が軽くなって、絶え間なく喋り続けていると高校時代に戻ったような気になった。くだらない話で、たくさん笑って、いつまでもこの時間が続けばいいと思うほど、心地のいい空間だった。

「俺の他に、誰かからプレゼントはもらった?」

 ビールの缶をゆらゆら揺らしながら池田が言った。料理もほとんど平らげ、酒の残りも少なくなってそろそろお開きかという時間。

「誰からも」

 首を振って肩をすくめてみせた。

「付き合ってる人とかいないのか?」
「いないよ。一緒に住んでんだからわかるだろ」
「好きな子とか。仕事先に」
「いまはそういう暇ないし」
「俺は邪魔になってないか?」
「なってない。むしろ楽しいし助かってる面が大きい」

 プレゼントももらえるし、と名刺入れの入った箱を指でコンコンと叩いた。

 池田は缶を持ったまま目を伏せた。

「北村は、男が好きなのか?」

 一瞬で酔いが吹っ飛ぶ一言だった。豪速で剃刀のような切れ味を持つドストレートな質問。胃が持ちあがるのを感じて、俺はごくりと唾を飲みこんだ。

「え……」

 答える言葉が出て来ない。池田は目を伏せたまま続ける。

「卒業式の時に……もしかしたら、そういう意味じゃなかったのかもしれないけど……」

 ぶわっと毛穴が開いて汗が噴き出した。思い出さないようにしてきた俺のトラウマ。池田がなにも言わないから。許されていると思って。もしかしたら忘れたんじゃないかと、都合のいい希望を抱いて。俺もあの悪夢から逃れられたような気で過ごしていたのに。いきなり急所を突かれた。

「そういう意味じゃない!」

 気付いたら裏返った声で否定していた。

「いや、そういう……なんていうかな、あの時は、友情と愛情となんか、ごっちゃになってたっていうか。友達の好きを、恋愛の好きと混同してたっていうか。ぶっちゃけ、恋愛もちょっとは混じってたかもしれないけど、なんか、なんていうかな、そういう意味の好きっていうよりかは、卒業するけど、これからもよろしくなっていう意味の! 寂しかった……うん、寂しかったから、ちょっと言葉間違えちゃっただけで深い意味は全然!」

 酔いのせいじゃない熱が顔にあがってくる。俺の顔はいま真っ赤っかだろう。池田は窺うように上目遣いに俺を見ている。その目線に頭のなかが白熱する。俺のすべてを見透かされそうだ。借金の肩代わりも、この同居話も、全部、ただの親切心だけじゃないと。

 また池田に軽蔑される。その言葉を聞く前に逃げだしたい。

 実際に足が動きかけた時、池田の視線が俺から外れてテーブルへ落ちた。

「あの時、すごい驚いたから、北村に酷い言い方したなって、ずっと気になってたんだ」
「いいって。おかしなこと言い出したのは俺なんだから」
「卒業後に初めて北村に電話した時のこと、覚えてるか?」

 覚えている。忘れもしない午前4時42分。

「アドレス整理してたらって……」
「あの時、死のうと思ってたんだ。最後に誰かの声が聴きたくなって、アドレスで北村の名前を見つけた。卒業式のことがずっと気になってたから、死ぬなら謝ってからだと思って電話したんだ。結局謝れなかったけど」

 静かに息を飲んで池田の伏せられたままの顔を見た。

「なにかと口実つけて電話をしたけど、切りだし方もわからなくて。あの時の北村の言葉がどういう意味だったかはともかく、酷い言い方をしてごめん。隠されてた怒りとか、気付かなかったショックとか、そうだったのかっていう恥ずかしさとかで、テンパッて傷つけた。ごめん」

 こんな風に真剣に謝られると誤魔化そうとした俺はどう対応したらいいんだ。

「いやほんと、俺の言い方が悪かったんだって。池田が怒るのも無理ない。そんなことより、死のうとしてたって?」

 必死に話題を変える。事実、めちゃくちゃ気になるワードを何気なくぶっこまれて混乱に拍車をかけていたのだ。

「鬱だったって言っただろ」

 これ以上の理由があるかと言いたげに池田は言いきった。そして言い終わった。

「今はもうそんな気ないよな? 謝ったから、もう心置きなく、なんて」
「それはない」

 池田は苦笑した。

「北村にお金も返さないといけないし。それに気付いたら結婚して子供も生まれたし簡単に死ねない」

 半分ほっと安堵しつつ、なんとなく避けて来た話題を向こうから振って来たこの機を幸いに、俺は池田に尋ねてみた。

「別れた奥さんって、どんな人?」

 池田の心を射止め、子供まで産んだ女性。気にならないわけがない。

「同じ大学だった子。俺が鬱になったって知ったら心配して連絡してきて、いろいろ世話してくれた。兄貴のことを話したら、うちにおいでって誘われて、一緒に暮らしてるうちに彼女が妊娠した。責任を取るために結婚したけど、そんな甲斐性もないのに無責任だった。あの時は自分の生きる支えが出来たような気がしてたけど、逆に余計に追い込まれる結果になって、彼女は実家に帰った」
「そうだったんだ」

 元奥さんもこの状態の池田を放ってはおけなかったのだろう。きっと在学中から池田に好意を抱いていたのだ。俺とまったく同じ。

「子供には会ってる?」
「今はあまり。彼女の実家は近くないし、新しい彼氏が出来たらしくて、あんまり俺に会わせたくないみたい。事情はわかるから、俺も邪魔はしたくない」

 ビールの缶に口をつけ、池田はそれを煽った。すべてを飲みほしたのか、テーブルに置いた時の音は軽い。

「飲み過ぎたな。いま……もう一時半だ。そろそろ寝ないと」

 池田がテーブルの上の皿を片付け始める。俺も手持ちのビールを空にして手伝った。洗い物は明日にして寝ることにした。

 寝支度を済ませ、自分たちの部屋へ引っ込む。布団に入ったがなかなか寝付けそうになかった。

 今日は一度にいろんなことがありすぎた。サプライズの誕生パーティとプレゼント。俺の告白を覚えていたこと。男が好きなのかとド直球な質問。池田の自殺願望。過去の電話の真相。池田の元嫁と子供の話。全部を処理するのは一晩では難しそうだ。

 結局複雑な気持ちのまま、その日は朝まで眠れなかった。




関連記事