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電話が鳴る(5/7)

2016.07.02.Sat.
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 今日は俺が休みで、池田は仕事という日だった。朝から洗濯機をまわし、部屋の掃除をして、昼頃買い物へ出かけた。夕飯は何がいいかと考えながらスーパーを歩く。秋の食材が店頭に並ぶ季節になっていた。

 池田と暮らし始めて二度目の秋だ。去年の今頃、池田を強引に連れて来た。あれから毎月3万の返済を続けている。鮮魚コーナーでバイトをするようになって給料が増えた分、生活費としてさらに2万を上乗せした金額を毎月きっちり渡してくる。それ以上の金額は俺が受け取りたくないと断っている。

 これの他に、毎月別れた嫁へ、養育費としていくらか送金しているようだ。残りは貯金しているのか質素倹約な暮らしぶり。物欲がないのか、この部屋を早く出るための準備なのかは考えないようにしている。

 買い物を終え、少し昼寝をしたあと、乾いた洗濯物を取り入れた。数少なかった池田の服は一年で少しは増えた。畳んだものを池田の部屋へ運ぶ。

 以前は物置として使っていた部屋だ。池田が来る前に片付けた。あるのは折りたたまれた布団と、あとから買い足した小さな棚。備え付けのクローゼットがなければ今より狭くなっていただろう。棚の上に洗濯物を置いて部屋を出た。

 暗いなと思って窓の外を見れば灰色の雲が広がっていて雨が降りそうだった。もうすぐ池田が帰ってくる頃だ。車のカギを持って外へ出た。

 スーパーへ向かう途中、雨が降りだした。細かく静かな雨がフロントガラスを濡らしていく。

 スーパーには17時ちょうどについた。従業員用の裏口のある通りに車を停めた。

 池田の頑張りが認められたのか、少し前に研修に行った際、社員登用の話をされたそうだ。そうなれば給料は単純にいまの倍にはなるだろうし、福利厚生の恩寵も受けられる。そのためには研修のあとの実技試験で合格しなければならないらしく、最近食卓に魚料理が増えていた。

 もちろん応援しているが、社員になったら池田は家を出て行ってしまうだろう。池田の自立は喜ばしいことなのに、それを寂しく思ってしまうのは隠しようのない本音だ。

 裏口の戸が開いて、主婦らしき女性が一人出て来た。後ろの誰かへ向かって話しかけながら傘を広げる。続いてまた一人が出て来て、二人は店の駐輪場で別れると雨のなか自転車で走り去った。

 それから数分後に池田が出て来た。右手を耳にあてている姿を見て、クラクションを鳴らす手を止めた。池田は電話中だった。もしかしたら俺に迎えに来て欲しいと電話しているのかもと携帯電話を確かめたが着信は一件もなし。

 再び池田へ視線を戻した。駐輪場の軒下へ雨宿りの場所を移した池田は誰かと通話中らしく、口元が動いているのが見えた。白い歯が零れた。雨が降り続ける空を見上げながら電話の相手へ向かって笑いかけている。きっと俺の好きな目尻の笑い皺を作りながら。

 親しい人間なのだろうと、池田の穏やかな笑顔と頷き方を見て思った。池田の友達は俺だけじゃないし、俺以外に親しい付き合いをする人間がいてもおかしくない。そんな当たり前のことに気付かされた瞬間だった。

 まだ鬱を引きずっているような、生きる気力を失って、存在そのものが半透明で幽霊のようだった池田が頼り心を開く相手は俺だけなのだと、無意識に思いこんでいた。

 しかし最近の池田は自分から喋るのは当たり前、よく笑うようになったし、社員登用を持ちかけられるほど仕事も頑張っている。すっかり回復したと言っていい。学生時代の溌剌さが戻りつつある池田が、いつまでも自分の中に閉じこもっているわけがないのに。外からのアプローチがないわけがないのに。

 もしかしたら電話の相手は恋人。またはそうなりそうな人なのかもしれない。

 いつまでも止みそうにない雨。いつまでも終わりそうにない電話。

 ギアをドライブに入れ、俺は静かにその場から離れた。



 数日後の朝、向かい合ってトーストをかじっていた時だった。池田は気になることでもあるのか食事の手が遅かった。なにかのタイミングを探っているようで、俺は嫌な予感がした。

 意を決したような目が俺を見据え、池田は口を開いた。

「今日、ちょっと出かけて来る」

 これまでも休日になると一人で映画を見に行ったり遠くへ買い物へ行ったりはしていたようだが、こんなふうに前もって宣言されたのは初めてだ。

「わかった」

 と池田の顔を見ずに返事をして、残りのトーストを口に詰め込んだ。

「泊まるつもりだから、帰りは明日になると思う」

 スーパーまで迎えに行った雨の日から、いつかこんな日がくるだろうとは予測していた。泊まりのデート。女の影。

「一応、行き先を知らせておく」
「いいって、そんなの」

 早口で遮った。

「大の大人が一泊するくらいでおおげさだって。わざわざ教えてくれなくていいよ。いちいち報告の義務なんかないんだしさ」
「でも」
「楽しんで来いよ。俺もたまには一人でのんびりするから」

 最後に添え物のプチトマトを口に放り込んで「ごちそうさま」と手を合わせて席を立った。まだ話は終わってないと言いたげな目を無視して、自分の皿を流しへ運ぶ。

「じゃあ、行ってくる」
「もう?」

 壁の時計を見て池田は眉をひそめた。

「朝一で内見の予約入ってるんだ。じゃあ、戸締りよろしく」

 逃げるように部屋を出た。ついに池田との共同生活終了のカウントダウンが始まったのだ。

 最初から期限付きだったことは百も承知だ。俺の意思で引き延ばせることではないことも。池田次第では、それが早まることもあるとわかっていたはずなのに。

 朝起きると池田がいて、仕事が終わって帰ると池田が出迎えてくれる。食後の二人きりの時間がこの上なく居心地が良くて幸せだった。テレビを見て笑ったり、レンタルしてきた映画を見たり、暇な時は本を読んだり、コンビニへ行くついでに散歩したり。

 家事はそれぞれ得意なこと、出来る方が分担して、共同生活は順調だった。不便や不満は何一つなかった。今更池田のいない生活なんて考えられない。

 初恋を引きずっている自覚はあった。でも、学生の時のようには好きにならないでいようとした。淡い淡い恋心に留めて、憧れるだけの、いい思い出になるように、理性と節度を持って、踏み込まないよう近づきすぎないよう、注意してきたつもりだった。

 なのに、カウントダウンの足音を聞いた途端、どうだこの恐れようは。卒業式の時みたいに耳を塞いで目を閉じて一目散に逃げだした。

 もともと好きだったのに、好きにならないでいるなんて不可能だったのだ。

 池田は今夜、愛する者と一緒に過ごす。その事実に、胸が潰れそうになる。



 今晩飲まないか、と友引にメールを送ったら、迎えに来てくれるなら行くと返事があった。仕事が終わったあと一旦家に帰り、車で友引を迎えに行った。自宅へ向かうと、「店じゃないんだ?」と友引が言った。

「今日はとことん飲みたいから」

 友引はちらりと俺を見ただけで深くは追及してこない。俺もまだ話せる気分じゃない。

 池田のいない部屋に友引を入れ、さっそくテーブルに酒を並べた。なにかつまみを、と腕まくりした友引がキッチンに立つ。その姿が池田とダブる。それを見ただけで心が痛んで泣きそうになった。

 手際よくつまみを作った友引と宅飲みが始まった。俺はすぐ酔っぱらって、友引に管を巻き始めた。慣れた様子の友引は「はいはい」とただの前ふりである愚痴を聞き流す。

 充分もったいつけたあと、俺はやっと本題に手をつけた。

「好きになんかなるんじゃなかった。好きになったのがそもそもの間違いだった」

 そう切りだした俺に「やっぱ失恋したんだ?」と友引。

「失恋、っていうか、そもそもスタートラインにも立たせてもらえてないっていうか。もともと、男同士の恋愛とか絶対ありえないって奴だから。実は一回、そいつに告白して、こっぴどく振られてんだよね。俺のトラウマ」
「え、なにそれ。聞いたことない」
「言ったことないもん。まじでトラウマになってて、何回も夢見て魘されてる」
「聞いてやろうじゃないか。そのために今日は俺を呼んだんだろ?」

 頷いて、俺は卒業式に池田に告白したところから話し始めた。友引は池田の名前を聞いた途端「2、3年前に電話してきた、離婚するっていう知り合いだ」とすぐ思い出した。

「よく覚えてたな」
「珍しく必死な感じだったし、特別な人だって自分で言ってただろ」

 そう、特別だった。池田だけは、今までもこれからも、きっとずっと特別な男なんだ。 

 卒業式の玉砕後、午前4時42分に電話がかかってきたことから、今朝までのことを友引に話した。長い長い物語になった。友引はたまに質問したり相槌を打つだけで、何時間も話を聞いてくれた。

「相手が女と決まったわけじゃないんだろ?」

 最後まで話を聞いた友引が言う。

「女以外ありえないだろ。泊まりだぞ」
「実家に帰省もありえなくない」
「なくはないだろうけど、そういう雰囲気でもなかった。俺の勘だけど。ぜんぜん、気が重いって感じじゃなかった」
「友達との小旅行かも」
「だったら最初にそう言いそうなもんだろ」
「行き先聞かなかったくせに」

 痛いところを突いて来る。聞くのが怖かった。池田が女と行動するデートプランなんて聞いたところで今の俺には百害あって一利なしの情報だ。

「きっともうすぐ出て行くつもりなんだろうなぁ」

 軽くなった酎ハイの缶を揺すった。チャプンチャプンと音が跳ねる。残りは一口分。俺が池田と一緒にいられるのも、きっと残りこのくらい。

「一度振られてるなら、もう一回ダメ元で告白してみたら?」
「無理無理! 池田に嫌われる! また嘘ついてたのかって怒って軽蔑される。それだけは絶対嫌だ。せっかく友達に戻れたのにそれだけは壊したくない。それに、借金肩代わりした俺が言うのは駄目な気がする。なんか、卑怯になる気がする」
「残りをチャラにするかわりに一回だけ……」

 ギロリと睨みつけたら「冗談」と友引は目を逸らした。

 チャラにするかわりに? 一回お願いするって? 想像しかけた妄想を慌てて振り払った。そんなことを思うことすら池田に申し訳ない。いや、そんな妄想を始めたら身も心も自制が効かなくなってしまう。

「今日はとことん飲みましょう」

 新しい缶酎ハイを開けて、友引が俺に渡す。それを受け取って口をつけた。記憶がなくなるまで飲んで。気が付いたら朝になっていればいい。池田のいない夜なんて、覚えていないほうがいい。

 その後、二時間ほど飲んだ。二人ともかなり酔っぱらって呂律は回らないし、思考も覚束ない。当然電車はもうないし、車の運転も出来ないから友引はうちに泊まることになった。

「一緒に寝よう!」

 とリビングの隣の俺の部屋へ誘う。ふざけあって、抱き合うようにベッドに飛び乗った。友引の笑う顔がすぐ目の前にある。そこそこ付き合いは長いほうだが、友引と寝たことはない。キスはおろか、そういう雰囲気になったこともない。

「どうして俺たちは今までセックスしなかったんだろ?」

 不思議に思って友引に問うてみた。

「単純にタイプじゃないからじゃない」
「友達同士でヤッちゃう人もいるのに」
「俺としたいの?」

 少し考えて、俺は首を横に振った。

「しちゃったら、今まで通り、とはいかなくなる気がする。普通に飲んでるのに、今日はする?しない? って探りあったりとかして」
「俺もそう思う。俺たちはしないほうがいい関係を続けられる」
「それに俺、出来ればやっぱり池田としたい」

 優しい微笑を浮かべた友引が、慰めるように、励ますように、俺の頭をポンポンと叩いた。それが合図だったみたいに、俺は目を閉じ、眠りの底へ落ちて行った。




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電話が鳴る(4/7)

2016.07.01.Fri.
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 俺と池田の共同生活が始まった。

 バイトは、以前の勤め先は遠くなったからと、駅の近くにある同じ系列のスーパーで面接を受け直して採用が決まった。勤め先まで変えさせてしまったのは申し訳なかったが、店長が嫌味な奴だったからかえって良かったと池田は嘘かほんとかわからない言葉で俺を気遣ってくれた。

 池田は家事のほとんどをやってくれた。早い時以外は、二人分の朝食を作り、夜は俺の帰宅時間に合わせて夕食を作って待っていてくれた。

 一週間もすればネタ切れになるほど料理のレパートリーは少なかったが、味付けは悪くなく、火の通り切れていない野菜がたまにある程度の失敗しかしない。

 高校時代は人並みにあったはずの食欲が今ではだいぶ細くなって池田は心配するほど少食だった。遠慮しているわけでもなく、長年の生活苦から自然と量が減ってしまったのかもしれない。

 たまに外でも食べた。とにかく精をつけさせるために肉系をメインに。緊張して咽喉を通らない初デートか、というくらい池田は食べない。

 それでも日に日に顔色はよくなっていくし、肉付きは相変らず薄いが不健康そうな雰囲気は薄れたように思う。

 表情も少し豊かになった。大口開けて笑い転げるまでには程遠いが、笑顔を見せるようになったし、自発的な会話も増えて来た。

 最初の月末、池田は銀行から4万おろして俺に渡してきた。生活費なのだそうだ。

「4万じゃ少ないのはわかってるんだけど、今の俺にはそれしか。いまは借金の返済まで手が回らないけど、バイト増やして返すようにする」

 つまりこの4万には借金返済が含まれていないというのだ。

「生活費は俺のお節介でやってることだから受け取らない。第一、池田をここへ呼んだ意味がなくなる。余裕があるならともかく、今は養育費もあって大変なんだから。返済も月3万が上限。これは返す」

 1万を池田に返した。池田は戸惑いながらも受け取った。

「いま行ってるスーパーの鮮魚コーナーが人手不足みたいで、そっちに入ってくれないかって言われてるんだ。俺にできるかわからないけど、迷ってる場合でもないし、来月からそっちで働く。生活費を入れないのはさすがに俺が困る。来月分からは給料も増えるし、少しは受け取って欲しい」
「そういうことなら貰う。でもきつい時は無理するなよ」

 池田はじっと俺の目を見つめた。

「どうしてそこまでしてくれるんだ?」

 ギクリとなった内心を気取られないよう目を逸らしつつ「友達放っておけないだろ」とぶっきらぼうに答えた。

「ここまでしてもらって、どう恩返しすればいいかわからない」
「そんな必要ないよ。俺の自己満足なんだし」

 池田は俺の本心を探ろうとするようにしばらくじっと見ていたが、「わかった」と言って視線を外した。俺の顔は炙られたように熱くなっていた。

 理由なんて、お互い気付かないに越したことはないのだ。かつての親友を助けたい、それが大半だが、ひっくり返してみたら同じだけの好意が隠れているのが真実だ。

 池田がどんな姿になっても、結婚して子持ちだろうが、落ちぶれていようが、許せないと軽蔑されようが、いつまでも俺の初恋は尾を引いて人生に影響を与え続ける。きっと一生、この気持ちは消えることがないんだろう。



 池田と暮らし始めて最初の年末年始。二人とも休みがそろった貴重な数日。池田を誘って買い物へ行ったり、映画を見たり、洒落た店で食事をしたりした。大晦日には二人で蕎麦を食べながらバラエティ番組を見て、零時前には近所の小さな神社に初詣をしてきた。

 帰り道に実家に帰らないのかと尋ねてみた。家を出てから実家と連絡を取りあっていない、と池田は答えた。

 俺は専門家じゃないからわからないが、池田が鬱になってしまった原因が実兄の事故死だとしたら、それを思い出す場所には帰さないほうがいいのかもしれない。それきり、池田に実家の話はしなくなった。

 暦上では春になったある日、仕事から帰ると部屋が真っ暗だった。池田は18時までにはいつも帰宅しているのに。仕事が長引いているのだろうかと思いつつ、靴を脱いで中に入ると、いきなりパン! と乾いた音がして飛び上がった。

「誕生日おめでとう」

 池田がクラッカーを手に壁際に立っていた。悪戯が成功した子供みたいな顔をしている。

「驚かすなよ、心臓止まるかと思った」
「これ、プレゼント」

 小さな包みを渡された。

「ありがとう、よく覚えてたな」
「早生まれで、いつもプレゼントもらえないって嘆いてたから」

 そういえばそんなことを愚痴っていた気がする。小さい頃、みんなは仲のいい友達から誕生日を祝われていたのに、春休み真っ只中の3月生まれの俺の誕生日は忘れ去られてしまうのだ。

「開けていい?」
「どうぞ。たいしたものじゃないけど」

 と池田は不安そうに俺の手元をに目をやる。包装紙を破り、出て来た箱の蓋を開けるとシンプルな名刺入れが出て来た。

「いいじゃん、これ。すごい使いやすそう。今使ってるの、出しにくくってさ。いつもお客さんの前でもたついてて、新しいの買おうかなって思ってたんだ。まじで嬉しい。ありがとう。大事に使う」

 感激した。人からもらったプレゼントで一番嬉しかったかもしれない。池田はほっとした顔で「良かった」と笑みを浮かべた。

 その日の料理は豪華だった。勤め先のスーパーの惣菜も混ざっているらしいが、どれも美味しかったし、なにより池田の祝おうとしてくれる気持ちが嬉しかった。

 酒も進んだ。池田も口が軽くなって、絶え間なく喋り続けていると高校時代に戻ったような気になった。くだらない話で、たくさん笑って、いつまでもこの時間が続けばいいと思うほど、心地のいい空間だった。

「俺の他に、誰かからプレゼントはもらった?」

 ビールの缶をゆらゆら揺らしながら池田が言った。料理もほとんど平らげ、酒の残りも少なくなってそろそろお開きかという時間。

「誰からも」

 首を振って肩をすくめてみせた。

「付き合ってる人とかいないのか?」
「いないよ。一緒に住んでんだからわかるだろ」
「好きな子とか。仕事先に」
「いまはそういう暇ないし」
「俺は邪魔になってないか?」
「なってない。むしろ楽しいし助かってる面が大きい」

 プレゼントももらえるし、と名刺入れの入った箱を指でコンコンと叩いた。

 池田は缶を持ったまま目を伏せた。

「北村は、男が好きなのか?」

 一瞬で酔いが吹っ飛ぶ一言だった。豪速で剃刀のような切れ味を持つドストレートな質問。胃が持ちあがるのを感じて、俺はごくりと唾を飲みこんだ。

「え……」

 答える言葉が出て来ない。池田は目を伏せたまま続ける。

「卒業式の時に……もしかしたら、そういう意味じゃなかったのかもしれないけど……」

 ぶわっと毛穴が開いて汗が噴き出した。思い出さないようにしてきた俺のトラウマ。池田がなにも言わないから。許されていると思って。もしかしたら忘れたんじゃないかと、都合のいい希望を抱いて。俺もあの悪夢から逃れられたような気で過ごしていたのに。いきなり急所を突かれた。

「そういう意味じゃない!」

 気付いたら裏返った声で否定していた。

「いや、そういう……なんていうかな、あの時は、友情と愛情となんか、ごっちゃになってたっていうか。友達の好きを、恋愛の好きと混同してたっていうか。ぶっちゃけ、恋愛もちょっとは混じってたかもしれないけど、なんか、なんていうかな、そういう意味の好きっていうよりかは、卒業するけど、これからもよろしくなっていう意味の! 寂しかった……うん、寂しかったから、ちょっと言葉間違えちゃっただけで深い意味は全然!」

 酔いのせいじゃない熱が顔にあがってくる。俺の顔はいま真っ赤っかだろう。池田は窺うように上目遣いに俺を見ている。その目線に頭のなかが白熱する。俺のすべてを見透かされそうだ。借金の肩代わりも、この同居話も、全部、ただの親切心だけじゃないと。

 また池田に軽蔑される。その言葉を聞く前に逃げだしたい。

 実際に足が動きかけた時、池田の視線が俺から外れてテーブルへ落ちた。

「あの時、すごい驚いたから、北村に酷い言い方したなって、ずっと気になってたんだ」
「いいって。おかしなこと言い出したのは俺なんだから」
「卒業後に初めて北村に電話した時のこと、覚えてるか?」

 覚えている。忘れもしない午前4時42分。

「アドレス整理してたらって……」
「あの時、死のうと思ってたんだ。最後に誰かの声が聴きたくなって、アドレスで北村の名前を見つけた。卒業式のことがずっと気になってたから、死ぬなら謝ってからだと思って電話したんだ。結局謝れなかったけど」

 静かに息を飲んで池田の伏せられたままの顔を見た。

「なにかと口実つけて電話をしたけど、切りだし方もわからなくて。あの時の北村の言葉がどういう意味だったかはともかく、酷い言い方をしてごめん。隠されてた怒りとか、気付かなかったショックとか、そうだったのかっていう恥ずかしさとかで、テンパッて傷つけた。ごめん」

 こんな風に真剣に謝られると誤魔化そうとした俺はどう対応したらいいんだ。

「いやほんと、俺の言い方が悪かったんだって。池田が怒るのも無理ない。そんなことより、死のうとしてたって?」

 必死に話題を変える。事実、めちゃくちゃ気になるワードを何気なくぶっこまれて混乱に拍車をかけていたのだ。

「鬱だったって言っただろ」

 これ以上の理由があるかと言いたげに池田は言いきった。そして言い終わった。

「今はもうそんな気ないよな? 謝ったから、もう心置きなく、なんて」
「それはない」

 池田は苦笑した。

「北村にお金も返さないといけないし。それに気付いたら結婚して子供も生まれたし簡単に死ねない」

 半分ほっと安堵しつつ、なんとなく避けて来た話題を向こうから振って来たこの機を幸いに、俺は池田に尋ねてみた。

「別れた奥さんって、どんな人?」

 池田の心を射止め、子供まで産んだ女性。気にならないわけがない。

「同じ大学だった子。俺が鬱になったって知ったら心配して連絡してきて、いろいろ世話してくれた。兄貴のことを話したら、うちにおいでって誘われて、一緒に暮らしてるうちに彼女が妊娠した。責任を取るために結婚したけど、そんな甲斐性もないのに無責任だった。あの時は自分の生きる支えが出来たような気がしてたけど、逆に余計に追い込まれる結果になって、彼女は実家に帰った」
「そうだったんだ」

 元奥さんもこの状態の池田を放ってはおけなかったのだろう。きっと在学中から池田に好意を抱いていたのだ。俺とまったく同じ。

「子供には会ってる?」
「今はあまり。彼女の実家は近くないし、新しい彼氏が出来たらしくて、あんまり俺に会わせたくないみたい。事情はわかるから、俺も邪魔はしたくない」

 ビールの缶に口をつけ、池田はそれを煽った。すべてを飲みほしたのか、テーブルに置いた時の音は軽い。

「飲み過ぎたな。いま……もう一時半だ。そろそろ寝ないと」

 池田がテーブルの上の皿を片付け始める。俺も手持ちのビールを空にして手伝った。洗い物は明日にして寝ることにした。

 寝支度を済ませ、自分たちの部屋へ引っ込む。布団に入ったがなかなか寝付けそうになかった。

 今日は一度にいろんなことがありすぎた。サプライズの誕生パーティとプレゼント。俺の告白を覚えていたこと。男が好きなのかとド直球な質問。池田の自殺願望。過去の電話の真相。池田の元嫁と子供の話。全部を処理するのは一晩では難しそうだ。

 結局複雑な気持ちのまま、その日は朝まで眠れなかった。




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