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アイヲシル(14/14)

2020.10.22.Thu.
10111213

 今までで一番感じた夜かもしれない。木村に触れられる場所全て、敏感に反応してしまった。

「今日の有は激しいね」

 木村にからかわれても何も言い返せなかった。貫かれ、体をゆさぶられていると何度か意識を失いそうになった。絶頂の幸福感、その中で弾けてしまうならそれもいいかもしれない。そんなことを思って理性を手放した時、俺ははしたなく木村を求めていた。それに応えようとする木村の顔は切なくて、幸せなのに涙が出てきそうだった。

 木村に楔を打ち込まれても、何度口付けされても、どれだけ強く抱きしめられても、まだまだ全然足らなくて、気がついたら窓の外が明るくなっていた。

 もつれるように抱きしめ合ったままベッドに身を沈め、薄ぼんやりと明るい室内を眺める。

 俺と同様、熱い木村の体が心地よくて密着した。体が汗と体液でべたつくがまったく気にならない。いつか木村に言われた「エロい好きもん」になってしまったのかもしれない。

 俺がクスリと笑うと、木村が「どうした?」と不思議そうに聞いてきた。

「今日が休みで良かったなと思って」
「腰、大丈夫? けっこうガンガンやっちゃったけど」
「少しくらいつらいほうがいい」
「おまえってマゾだったのか?」
「馬鹿。そっちのほうが、おまえを受け止めたんだって実感できるから、なんだか嬉しいんだ」
「なんだそれ」

 と笑う。

「最近のおまえは聞きわけが良すぎて物足りなかったんだ。俺はもっと甘えて欲しかったのに、おまえは一人大人になって平気な顔をするから寂しくて仕方なかった」
「あははっ、俺って大人に見えた?」

 と、悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべる。

「サンジャイに言われて大人の振りしてただけだよ。俺があんまり素直に感情ぶつけてたら一ノ瀬に迷惑がかかるって、だから大人になれって言われてさ。おまえが留学してる間に俺も色々考えたわけさ。で、おまえから頼られるような大人になろうって思ったんだけど、やっぱそれ、難しいよ、俺には」

 今度は苦笑を浮かべた。

「前に映画館で会った、阿賀見って言ったっけ? 俺、あいつにめちゃくちゃ嫉妬したんだよね。あいつがやたらおまえに馴れ馴れしくて、挙句に好きだと抜かすからすげえ頭に来た。おまけにおまえはあいつを庇うし、俺に似てるだとかほざくし。なんかあるのかと疑っておまえに八つ当たりしてさ。やっぱ俺には大人の真似なんて出来ねえなぁと思ったね」
「大人になんてなるな」

 木村の胸に抱きつく。

「嫉妬してるのは自分だけだと思ってた。俺はもっとおまえにこだわって欲しい。大人の振りなんてして欲しくない」
「そんなこと言っていいの? 本音解禁したら俺、ほんとに前みたいにガキになるよ?」
「構わない、それでいい」
「まぁ、海外赴任が決まったらそうするつもりだったんだけどね」
「そういえば、どうして海外赴任なんか?」
「捉え方の違いでは日本のが住みやすいって意見もあるようだけど、俺には海外のが向いてるかなって気がして。おまえってさ、人の目を気にして、外でいちゃつくの嫌がるだろ。だから日本から引っ張り出して、もっと理解のある国に行きたかった。アメリカなんかは州によっては同性婚が認められてるだろ。ゲイタウンなんかがあるくらいだし。誰彼構わず一ノ瀬有は俺の恋人だって言いふらしてまわるつもりはないけど、俺はおまえを好きだってことを隠したくないし、嘘をつくのも嫌だ。だからあっちに行けたら俺は正直に俺らしく生きたい。それが大学三年からの俺の夢ってわけ」

 嬉しいやら、呆れるやら、感心するやら。そんなに前からそんなことを考えていたのか。

「ひとつ言っておきたんだけど、たとえアメリカに行ったとしても、俺は人前ではイチャついたりしないから」
「やだ、する。そりゃどこでだって全員の理解を得られるわけじゃない。アメリカはオープンで自由な国だなんておめでたいこと信じてるわけじゃない。でも日本よりゃマシだろ」

 と明るい顔で言った。その顔を見て、木村は仕事が楽しくて働いていただけではなかったと気付く。俺との未来を想像して、その実現のために毎日遅くまで働いていたのだ。

「海外駐在員の人事を握ってる人がいてね、それがこのまえ一緒にソープに行った人なんだけど、この人直々に今回のアメリカ出張の命令もらったから、たぶん、いけるとは思うんだけどね。決まったら絶対おまえと一緒に行く。嫌がっても連れて行く。そのために、おまえの兄貴に挨拶しに行ったんだから」

 あれも海外移住の布石だったと言うのか。用意周到というか、根回しがいいというか。やはり俺より一枚も二枚も上手だ。

 ベッドの上で肘をついて体を起こす。成長した木村のなかに、高校生の頃とかわらない表情を見つけて嬉しくなってキスした。俺の体に木村の腕が絡まり組み敷かれた。キスするだけでまた体が熱くなっていく。

「一生大事にするから、死ぬまで俺のそばにいてくれ」

 その言葉に嘘や偽りがないと信じられる。俺も応えたくて、今の気持ちを素直に伝えた。

「論、君を愛してる」


(初出2008年)
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アイヲシル(13/14)

2020.10.21.Wed.
101112

 あれから四日が経ったが、そのあいだ木村から連絡は一切なかった。怒っているのだから当然か。それとも俺に呆れて話もしたくないのか。もしくは女上司と過ごす時間が楽しくて俺のことは忘れているのか。こんな状況になっても、黒坂という上司のことを思うと胸が黒く焼け付いた。

 明日木村が帰ってくる。どんな顔でなにを話せばいいのかと不安になる。今回のことで俺に愛想を尽かしたかもしれない。やっぱり女がいいと再確認したかもしれない。

 帰って来た木村はどんな顔と態度で俺と接するのだろう。想像するのが少し怖い。

 最近食欲もなく睡眠も十分にとれていなかったせいで、職場の先生たちから顔色が悪いと心配された。風邪気味で、と誤魔化す。

 授業や部活で阿賀見を見ると、昔はもっと単純だったような気がする、と胸が痛くなった。学生の頃に戻りたいなんて馬鹿なことを願うほどにネガティブになっている。

 家に帰っても何もする気がせず、食欲もまったく感じないので、服を着替えて布団に入った。

 隣に木村はいない。また少し泣いた。

 不意に玄関から物音。

「有!」

 静かな部屋に大声が響く。木村の声。嘘だ。帰国は明日のはず。ベッドから身を起こし、物音が聞こえてくる扉を見つめた。足音が近づいて来て、勢いよく寝室の戸が開き、パッと部屋の明かりがついた。

「ゆ……! おまえ、泣いてんの?」

 俺の顔を見た途端、木村の険しい顔が戸惑ったものにかわった。大股でベッドに近づいて来て辛そうに目を細める。本物だ。本物の木村が目の前にいる。

「ごめん」

 ぎゅっと抱きしめられた。走ってきたのか木村の息は荒い。

「おまえを泣かせることはしないってサンジャイと約束したのに。ごめん」

 先輩といつそんな約束をしたのかと頭の隅で思いながら木村の背中に腕をまわした。止まっていた涙がまた溢れてくる。避けられなかっただけでこんなに嬉しくて安心してしまう。

「連絡しなくてごめん。俺の方が頭冷やさなくちゃいけなかったから」
「いい、そんなこと。どうして、今日……帰ってくるのは明日だって」
「あぁ、おまえが心配だったからむりやり早く繰り上げて帰って来た。ねぇ、女がどうのこうのって、おまえはなにをそんなに心配してたの」

 ベッドに腰掛けた木村に泣き顔を覗きこまれた。

 言うのを躊躇って何度か瞬きする。目蓋に押し出されて零れ落ちた涙を木村の指が拭った。自分があやされる子供になったような気分だ。

「一緒に……、出張に一緒に行った黒坂さんて上司、女なんだろ」
「うん、そうだけど。まさかそれで怒ってたの?」
「上司が女だなんて聞いてない。出張に二人で行くことも聞いてない」
「ちょっと待って、俺があの人と何かあると思ってる? それは100%ないね。絶対ない。まずあの人俺よりだいぶ年上だよ、確か49歳だったかな」

 そんなに年が離れていたのか。電話の声は若く聞こえたが。

「その年齢でも綺麗な人は綺麗だろ」
「あの人と一晩過ごせってのは俺にとっては罰ゲームだよ。見た目云々より、あの性格が無理。口を開けば人の悪口か噂話してんだよ。仕事もろくにしないでさ。飲みに行ってもそんな話ばっかだからみんなから敬遠されてるし、仕事もたいして出来るわけでもないし。俺が今までどれだけ迷惑被ってきたか。部長もそれをわかってるから俺を評価してくれてる。それがなかったら我慢出来ない。そんな人だよ、過ちなんて絶対犯さない、その気にもならない」

 木村は本当に嫌そうに顔を歪めた。クソ上司呼ばわりしていたわけが少しわかった。

「でも、あの人はおまえに好意を持ってるんじゃないのか」
「あの人、男なら誰でもいいって人だから。俺以外にも個人的に食事に誘われた男の社員はたくさんいるよ。みんな断ってるけど」

 だんだん黒坂という女性像が見えて来た。

「黒坂さんが女だってことを言わなかったのは謝る。今回の出張が黒坂さんと二人ってことも黙っててごめん。なんとなく言わなくてもいいかなって思ってた。隠すつもりじゃなかったけど……やっぱり有を心配させたくないって思ってたのかもしれない。それは謝る、ごめん」

 目元に優しくキスされた。

「嫉妬して不安になってあんなこと言ったんだ? 別れたいなんて本心じゃないよね」
「ん」

 頷いて木村に抱きついた。温かい頬、首筋。木村の匂い。また胸が苦しくなった。

「おまえが別れるなんて言い出したとき目の前が真っ暗になったよ。よりによってアメリカなんて離れた場所にいるときにさ。めちゃくちゃ頭にきたから、自分でも何言い出すかわかんなくて電話切ったけど……切ってから後悔した。仕事終わって帰って来た時におまえが家にいなかったらどうしようってすごく焦ったし不安だった。せっかく俺の夢が実現しそうって時だったのにさ」
「夢?」
「うん。俺ね、入社した時から海外赴任の希望出してんの」

 海外赴任。今までのように日本から通うのではなく、そこに住むということだ。

 こいつは自分の夢を叶えることに夢中で、俺のことは何も考えてない。一週間や二週間の出張とはわけが違う。何年と言う単位、離れ離れになるというのに、どうしてこいつはそんなに嬉しそうに語るんだ。カッとなって枕を木村に叩きつけた。

「馬鹿! さっさと行けよ! やっぱり俺と別れたかったんじゃないか!」
「待てって、話聞け」

 冷静に木村は俺から枕を取り上げた。

「まさか俺が一人で行くと思ってんの?」

 苦笑を浮かべて木村が言う。

「俺がおまえを残して一人で行くと本気で思ってんの? そんなことするわけないだろ。おまえが嫌だって言ってもむりやり連れて行くつもりだよ。このために大学生の時から頑張って来たんだから」
「俺も……?」

 一緒に連れて行くと言うのか。それを入社する前から考えていたのか。就職先を商社に決めた時からそれを夢にしていたと言うのか。

「そりゃさ、こっちの仕事を辞めさせることになるからそれは申し訳ないと思うけど、向こうでもどこでも教師の仕事はできるだろ。英語を活かして通訳とか翻訳の仕事もあるだろうし。そのための協力は全力でするつもりだよ」

 やっぱりこいつは俺のことなんて何も考えてない。俺の意思はそこにはない。俺が行かないと嫌がったらどするつもりなんだろう。

 そんなふうに考え行動するするのは、あんまり昔の木村らしくて、今度は別の涙が出た。木村を信じずに疑って暗く落ち込んでいた自分が恥ずかしくなる。俺は寂しさから過去のことばかり思い出していたが、木村は未来を見ていた。

「そんな大事なこと……どうしてもっと早くに言わないんだ」
「だってさ、これってプロポーズみたいなもんだろ、一人前になってから言いたかったんだよ」

 と、恥ずかしそうに頭を掻く。プロポーズという言葉に俺まで緊張した。

 木村が俺の手を握る。

「まだ決まったわけじゃないし、何年も先になるかもしれないけど、海外赴任が決まったら俺について来てくれる?」

 真摯な目が俺を見つめてくる。木村と離れ離れになるなんて考えられない。もしこの先、木村に捨てられる日がくるとしても、それまでは一緒にいたい。振られる前に別れてしまうだなんて、馬鹿な選択はもうしない。

 俺も目を見つめ返して頷いた。木村の顔に笑みが広がる。

「一生はなさないから」



アイヲシル(12/14)

2020.10.20.Tue.
1011

 明日からの海外出張は二週間弱と少し長い。ドイツに一週間、そのあとアメリカという日程。

「ドイツの仕事はこれが大詰め。これをうまくまとめたら俺の評価もあがる。もしかしたら今度のアメリカでの仕事を任せてもらえるかもしれない」

 夕食後、ソファに座りながらバレンタインにもらったチョコを口に放りこんで木村が言う。明るい顔で目が輝いている。そんなに仕事が楽しいのかと驚いてしまう。

「あー、もう無理。口ん中が甘ったるい」

 食べかけの生チョコの蓋を閉じ、その箱をテーブルに放り投げた。

 今年のバレンタインもたくさんのチョコレートを持って帰って来た。20個近く。明らかに義理とわかるものが大半だが、中には気合の入っていそうなものもある。

 総合商社の海外営業部、その中でもおそらく木村は有能な方だろう。女子社員から目をつけられないはずはない。女性には優しい木村のことだから受けもいいだろう。嫉妬するなというほうが無理な話だ。

「腐る前に責任持って食べるんだぞ。俺は手伝わないからな」

 今年俺がもらったチョコは5個。3個は先生から、あとの2個は学生から。もちろん全て義理。こんな行事は必要なのかと首を傾げてしまう。

「一ノ瀬からもらったチョコなら喜んで食べるんだけどなぁ。おまえはいつもくれないね。なんで」
「毎年たくさんもらってるんだ、十分だろう」

 その中に埋もれてしまうのは嫌だ。

「もしかして妬いてるとか?」
「お返しが大変だと同情してる」
「あー、それ言わないで。頭が痛くなる」

 頭を抱えて俺にもたれかかってきた。膝の上に頭を乗せ、下から俺を見て来る。

「明日から二週間いなくなるけど我慢してね。今夜はいっぱい可愛がってやるからさ」
「馬鹿なこと言ってないで風呂に入ってさっさと寝ろ。明日は早いんだろう」
「へいへい」

 起き上がって風呂場へ。しばらくしてシャワーの音が聞こえて来た。

 テーブルに乱雑に置きっぱなしのチョコを紙袋に仕舞う。けっこう重い。俺の気持ちまで重くした紙袋をテーブルの脇に置いた。

 木村の携帯電話が鳴った。23時過ぎ。こんな時間に誰からだろう。急用かもしれないと思い、携帯を手に取った。ディスプレイに黒坂という名前が表示されている。例のクソ上司か。まだ鳴り続ける携帯を持って浴室へ向かう。途中で留守電に切り替わった。聞くつもりはなかったが、ふと魔がさしたというか、クソ上司の声を聞いてみたくなり、電話を耳にあてた。

 留守電のガイダンスのあと、ピーという発信音。そのあとに続く声。

『こんな時間にごめんね。明日のドイツ出張、初日はフリーになったから一応報告をと思って。せっかく二人で行くんだから、どこかお洒落なレストランで食事がしたいわ。木村君、詳しいんでしょ、明日はエスコートよろしくね。じゃ、明日遅刻しないで来るのよ。おやすみなさい』

 プツと通話が切れた。

 女性の声だった。黒坂という人が木村の直属の上司だという言うことは知っていたが、女性だとは聞いていなかった。意図して隠していたのか、わざわざ言う必要もないと黙っていたのか。

 どちらにせよ、俺にはショックだった。電話の女性はずいぶん親しげに木村に話しかけていた。馴れ合いの含まれた口調で、明日から二人きりでドイツだと言い、レストランでの食事に誘い、自分をエスコートしろとまで言っていた。木村に好意を持っているとわかる弾んだ声で。

 黒坂から何度か電話がかかってきていたことを思い出す。そのほとんどは仕事のことだろうが、今思うとやけに回数が多かったような気がする。俺が学校の先生に電話をすることなんてほとんどない。職業柄なのかもしれないが、そんなに何度も個人に電話をしなければいけないのかと、一度芽生えた疑念は、どうしても物事を穿った見方にさせてしまう。

 あの女性と明日から二人きりで出張。そんなこと木村は一言も教えてくれなかった。こんなふうに木村以外の誰かから知らされるのは、本人の口から聞かされるよりショックが大きい。わざと隠していたのではないかと疑ってしまう。電話の女性と何かあるのではないかと勘繰ってしまう。

 そんな疑惑の人物と一緒に明日、木村はドイツに発つのだ。

 俺はリビングに戻り、携帯電話を元あった場所に置いて寝室に向かった。着替えをし、布団に潜り込む。木村の顔を見たくなくて、壁のほうを向いて寝た。今あいつの顔を見たら黒坂という上司のことを問いただしてしまいそうだ。仕事仲間に嫉妬して木村を煩わせたくない。ただの上司、仕事の出張、やましいことは何もないはずだと自分に言い聞かせる。

 寝室の戸が開いて木村が入って来た。

「有? 寝たの?」

 ベッドが軋んだ。横に座った木村が顔を覗きこんでくる気配。俺は目を瞑って寝た振りをした。

「有?」

 肩をつかまれた。近くに吐息を感じる。目蓋が震えていることに気づかれるかもしれない。緊張して息を止めていたことに気づく。

 木村の小さな溜息が聞こえた。

「おやすみ」

 囁いて俺の頬にキスし、部屋の明かりを消した後、木村も布団の中に入ってきた。後ろから抱きすくめられる。

 動けないまま暗闇の中で目を開け、俺は何をしているのかと急激に気持ちが沈んだ。明日から木村は出張だというのに、こんなモヤモヤした気持ちのまま見送らなければならないなんて。かといって、あの電話をなかったことにはできない。明日から出張というときに聞きたくなかった。盗み聞ぎをした罰だ。

 翌朝、木村は俺の顔色が悪いことと、元気がないことを心配しながら家を出て行った。

 もし黒坂という上司が木村に好意を寄せていたら。そしてもし、その上司がとても積極的な女性だったら。

 誘われてソープに行ったくらいだから、そんな状況になれば木村はその女性と関係を持つかもしれない。

 そんなことになったら、俺はどうすればいいんだ?

~ ~ ~

 木村の留守をこんなに長いと思ったのは今回が初めてだ。

 ドイツについた夜に連絡をくれたが、その横に黒坂がいるのではないかと思うと素直に喜べなかった。時間的に木村はそのあと夕食の頃だった。あの女性と一緒に。まわりからは恋人同士と見られたかもしれない。俺に見せるマメさで、上司をエスコートしたのだろう。

 鉛でも入っているように心が重い。ぎゅっと締め付けられたように苦しくて痛い。人を好きになるというのは、どうしてこんな苦しみや痛みを伴うのだろう。

 留学中は木村の存在で勇気をもらえた。気持ちを強く持って半年間、遠いアメリカで耐えることが出来た。

 それなのに今はどうだ。たった二週間が果てしなく長く感じる。木村もあの時こんな気持ちだったのだろうか。それなのに俺は突き放すようなことしか言わなかった気がする。待っていてくれ、耐えてくれ。そんな言葉で励ましたつもりになっていた。とんでもない思いあがり。木村が俺に頼らなくなるわけだ。

 一週間が経ち、いまアメリカにいる、と木村から連絡があった。その声はとても明るい。女性と一緒だからかと思ってしまう。嫉妬は人の心を醜くする。声を尖らせ、言葉に棘を生やし、ひねくれて本心ではないことを言わせる。

「楽しそうだけど、浮かれるのもほどほどにするんだな。仕事で行ってるんだから遊びは控えろ」

 言ってからしまった、と思ったが、止まらなかった。

『どういう意味?』

 声のトーンを落として木村が言う。

「おまえに好きな女が出来たら俺はいつでも別れてやるつもりだ」
『はぁ? 何の話してんの?』

 電話越しでもわかる木村の苛立った声。それに俺の神経も逆撫でされる。

「俺もおまえも男だ。世間的に認められない関係を続けていたらおまえの出世にも響くだろう。別れるタイミングを探しているなら、いつでも遠慮なく言ってくれと言ってるんだ」

 電話の向こうで木村の舌打ちと溜息が聞こえた。

『おまえの性格考えたらいつかそんなこと言い出すんじゃないかと思ってたけど……、実際言われたら、かなりムカつくな』

 声は押し殺していたが、木村がひどく怒っていることは伝わってきた。

『なんで今そんなこと言うかな。なんで今このタイミングで言い出すかな。俺が今まで何のために人一倍働いて来たと思ってんの? 俺がなんのために色んなことを我慢してきたの思ってんの? ぜんぶおまえのためにやってきたんだろうが!』

 最後は怒鳴り声だった。それを聞いた俺も止められなかった。俺だって今までずっと色んなことを我慢してきた。それがすべて逆流して口から溢れ出してきた。

「これからは我慢せずに好きなことをすればいいだろ! 俺のためと言って俺のせいにするな! 俺だって馬鹿じゃない、おまえに浮気されたら腹が立つし、女と一緒にいたら嫉妬だってする、こんな惨めな気持ちになるくらいならおまえと別れた方がマシだ!」
『……それ、本気で言ってんの』

 一瞬で我に返るような低く硬い声色。取り返しのつかない一言を発したと気付いて俺は言葉と顔色を失くした。

『ねえ、それ本気かって、聞いてんの』

 鋭い声に何も言い返せない。

『もう無理。めちゃくちゃ頭に来た。今は冷静に話なんか出来ない。帰ってからゆっくり話そう。それまでにお前も頭冷やしとけ』

 吐き捨てるように言い、通話が切られた。心が凍えるような冷たい声だった。怒鳴られるより迫力があり、返す言葉を奪われる。あそこまで木村が怒ったのは初めてのことだ。

 携帯を持つ手が震えていた。もしかしたら俺たちは駄目になるかもしれない。俺が何もかも壊してしまった。

 別れたくないのに、こんなに辛い思いをするくらいなら別れてしまいたいと思うのも事実だった。矛盾した思いから、あんな言葉を吐き出していた。

 目から溢れて来た涙を拭う。

 木村が帰ってくるまであと五日。こんな気持ちで五日も待たなければいけないのか。絶望的な気持ちになった。



鬼滅の刃 8

煉獄しゃん涙

アイヲシル(11/14)

2020.10.19.Mon.
10

 正月に一度実家に戻り兄二人に挨拶をした。木村は結局家には戻らなかった。昔から、あまり家族や家に愛着を持っていないようだった。醒めている、というか何も期待していないような冷淡さで両親のことを語る。

 勉強漬けにされ、言葉を失うまで追い詰めた両親を恨んでいるのだろうか。今になっても踏み込めない木村の心の闇だった。

 休みも終わり、仕事が始まった。今度は新年会だと木村の帰りはまた遅くなった。それが一段落付くと、次は名古屋へ出張。帰って来ても、仕事部屋にこもって書類と向き合い、最近まともに会話していない。

 一緒に暮らしているのに、なんだか木村の存在が遠く感じる。それがとても寂しいが、構って欲しいなんて我侭は言えないから我慢する。

 学校の授業終わり、部活動の指導についていたら阿賀見に掴まり、映画館で鉢合わせたときの話題になった。

「二人の内、一人に決められたようだな」

 俺がそう言うと、

「あぁ、あれ、結局どっちとも付き合わなかったんだ。こないだの子は別の子」

 とあっけらかんと答えた。言葉もなかった。

「先生と一緒にいた木村さんって言ったっけ? なんかすげぇ大人って感じの人だね」
「そうだな」
「俺も大人になったらあんなふうになると思う?」
「さぁ、どうだろう」
「あの人、モテるでしょ? 先生、自分に彼女がいないからって、あの人付き合わせてたんだろ」

 いつものからかう口調だったが、俺はその言葉に深く傷つけられた。

「そうかもしれないな」

 自虐的な気分で肯定する。

 昔からチラチラ見え隠れしていた思い。俺と木村では釣り合わないのではないか。木村が中学時代に付き合いのあったバスケ部主将に言われた「おまえにはもったいなさすぎる」という言葉。女子生徒の木村を慕う声。まったく面白みもなく、魅力もない自分と、学校の人気者だった木村。卑屈になるなというほうが難しい。

 自分は自分だと言い聞かせ、その考えに間違いはないと信じてきたが、やはり傍目に見ると俺たちは不釣合いな組み合わせなのだろう。

「冗談じゃん! そんな顔しないでよ」

 俺が暗い顔をしていたからか慌てたように阿賀見が言う。

「君の言う通りだと思って」
「なわけないよ、ごめんってば。冗談だったのに間に受けないでよ。そんなさ、寂しそうな顔されたらどうしていいかわかんないよ」

 一瞬、目の前の景色が霞んで見えた。この既視感。高校生の頃、考え事をしていたり、ぼんやりしていたりすると、木村によく「なに寂しい顔してんの」と心配された。まったく心当たりのないことで俺はそう言われるたび返答に困った。

 そんな事を知らない阿賀見がどうして木村と同じことを口にするのか。

 いや、俺がむりやり結び付けているのかもしれない。高校生の頃の、無邪気に俺を好きだと言って体に触れてきた木村を懐かしむあまり、阿賀見を当時の木村のように見立てたいだけなのかもしれない。

 そうだとしたら俺は本当に最低な教師だ。そして最低な恋人だ。

~ ~ ~

 あっという間に二月になった。今日は珍しく木村が俺より先に帰って来ていた。エプロンをつけ、キッチンに立って料理をしている。驚く俺に、

「たまにはこんな日もいいだろ」

 とワイングラスを寄越し、そこへワインを注いでくる。揺れる赤い液体を見ていたら、

「今抱えてる一番でかい仕事がやっと片付きそうなんだ。これでやっとしばらくは日本でゆっくりできそう」

 と木村は上機嫌に言った。そんな木村を見ていると俺まで嬉しくなってくる。

「手伝うよ」

 腕まくりをして木村の隣に並ぶ。肩を持ってキスされた。酒の味。年末年始に胃が荒れるほど飲んだのにまだ飽きないのか。

「有は何もしなくていいよ。ソファに座ってて。今日は俺が全部するから。たまには家族サービスしないとね。夜もたっぷりサービスさせて頂きます」

 恭しく頭をさげる。ノリは親父臭いが本当に機嫌がいい。

「今までほったらかしでごめんね。これがうまくいけば俺の評価がぐっとあがる仕事だったんだ。だから気が抜けなくて有のこともちゃんと構えなかった」

 木村に出世欲があるとは少し驚きだ。そんなものには興味がないと思っていたが俺の思い違いだったようだ。木村も一人の男として身を立てたい思いがあるのだと知る。

「仕事なんだから仕方ないだろう」
「まぁそうなんだけどさ。寂しい思いさせてんじゃないかなぁって心配だったからさ」

 鍋の乗ったコンロに火をつける。タオルで手を拭いて、木村は俺の前に立った。優しい目で俺を見る。

「寂しかった?」
「仕事なんだ、仕方ない」
「正直な気持ちを教えてよ」
「寂しかったに決まってる」
「ごめんね」

 ぎゅっと抱きしめられた。深い口付けを受けながら、服を脱がされて行く。

「何を」
「フルコースの前菜」
「馬鹿、鍋」

 木村は舌打ちし、手を伸ばしてコンロの火を止めた。俺の体をシンクに押し付け、またキスをしてくる。手が服の中に入って来た。

「あっ」

 もっとも敏感な一部を触られ、声が出た。木村の荒い息遣いを聞きながら扱かれ、気持ちがどんどん高まっていく。

「たまにはこういう場所でするのもいいな」

 なんて楽しげに言いながら手を動かす。本気でここで?

「あっ、やめ、あっ、あ」
「今日は解禁。腰が抜けるまでやる」

 しゃがんだ木村にズボンを脱がされた。俺の腰を抱えて口を寄せる。熱い口腔内に含まれ、漏れる吐息を手で塞いだ。舌と唇から与えられる刺激に咽喉からは引きつった喘ぎ声。

「挿れていい?」

 上目遣いに見てくる。

「早く……」

 木村が立ちあがり、余裕のない顔で俺の片膝を抱え上げた。

「おまえの顔、エロ過ぎ」

 とキスする。

「めちゃくちゃ興奮する」

 とまたキスする。

「久し振りだから俺、早いかも」

 とはにかむ木村に俺からキスした。木村が俺の体の中に入ってくる。下から貫かれる痛みに眉を寄せる。耳元で木村が深く息を吐いた。

「ほんとにあっという間にイッちゃうかもしんない」

 言いながら腰を打ちつけてくる。後ろ手にシンクを掴む俺の足が床から離れ、木村の動きに合わせて跳ねるように動いた。

 キッチンという場所。不安定な結合。頭が真っ白になっていく。

「はっ、あぁ、あ」
「大丈夫? つらくない?」
「ん、だいじょ……ぶ、あ、あぁっ」

 木村に前を弄られて果てた。その直後、俺の中に木村の熱い奔流。息を整えながら木村が前髪をかきあげる。男らしい顔つきを見ていたら切なくなってくる。

「シャワー浴びて、ごはんにして、その後またやろう」

 予定を確認するような口調で言い、木村は俺を抱えて浴室へ移動した。そこでも離れるのが惜しいと言わんばかりに抱き合ったまま体を洗い合った。合間合間に何度もキスをする。

「ここでもう一回する?」
「ベ、ベッドで」
「OK」

 バスローブを羽織り、木村に手を引かれ寝室へ。ベッドに倒れこむ。

「食後のデザートだったのに、順番めちゃくちゃになったね」

 裸の胸にキスされた。シャワーで火照った体は敏感に反応した。木村は俺の体のあちこちにキスする。

 遠くから、小さく携帯の着信音が聞こえた気がした。

「静かに」

 木村の口を手で押さえて耳を澄ます。リビングの方で携帯が鳴っている。あの着信音は木村の携帯電話だ。

「いいよ、ほっとけ。あとで留守電聞くから」

 と俺の手をはがす。呼び出し音が止まった。その直後にまた着信。

「何か大事な用なんじゃないのか」
「……くそう、どこのどいつだ」

 悪態をつきながらベッドから起き上がり木村はリビングへ行った。かすかに聞こえてくる話し声をベッドの上で聞く。

「僕じゃありませんよ、黒坂さんに渡しましたから……そんなことないと思います、確かに覚えてますから。はい……そうです……それですね……いや、ほんとに俺は黒坂さんに渡しましたよ……わかりました、今から行きます」

 寝室に戻ってきた木村はとても不機嫌な顔をしていた。会話を聞いていなくても問題が起こったのだとわかる顔つき。

「ごめん、今らかちょっと行って来る。あのくそ上司、俺からメモリを受け取ってないなんて言いやがんだよ。確かに俺はあの人の目を見て渡してんのに。あぁ、もう! あのクソ上司使えねえ!」

 苛々とクローゼットから服を取り出し、身につける。

「車で送るよ。俺は飲んでないし。すぐに済む用事なら外で待ってる」
「でも……、いいの?」
「俺は構わないよ」

 返事を聞く前に俺も立ち上がり服を着た。

 二人で車に乗り込んで木村の会社へ。

「遅くなるようなら連絡してくれ。また迎えに来る」
「すぐ戻るよ」

 そう言い残し、木村は走ってビルの中に消えて行った。木村の働く会社。車の窓から見上げる。木村はこのビルのどこで働いているのだろう。俺の知らない木村がこの中にいる。俺の知らない人達に囲まれ、俺の知らない顔で、俺の知らない仕事をしている。

 またおかしな事を考え出しそうだ。とりあえず車を出し、近くのパーキンクで木村を待った。

 三十分後、木村が戻って来た。険しい顔つきで車に乗り込み、「引き出しに入ってたってさ。会議は明日だってのに、今頃なにやってんだか、あの人は」と吐き捨てる。

「おまえは帰って大丈夫なのか?」
「あぁ、会議に出るのは俺の仕事じゃない。ドイツ語が苦手だっていうから、俺が翻訳してやってただけだし。それなのに大事な資料をなくしておいて俺のせいにしやがって」

 俺を見て、あ、という顔をした。

「ごめん、一ノ瀬に愚痴っても仕方ないのに。俺もこんなこと言いたくないのに。ごめん。帰ろう。帰って飯食って、さっきの続きしよう」

 体を伸ばして俺にキスをする。誰かに見られたらどうするんだ。体を押し返すと、木村は「ごめん」と笑い、前に向き直った。

 マンションに戻って間もなく、また木村の携帯が鳴った。ディスプレイに表示された文字を見て木村が顔を顰める。さっきのクソ上司からのようだ。

「はい」

 顔は面倒臭そうに、それでも声色だけは普段通りで電話に出る。さすがビジネスマンだと感心しつつ俺はそれを眺めた。

「いえ、もういいですよ、見つかったんだし。明日の会議、よろしくお願いします……それはもういいですから。はい、じゃ、お疲れ様です、失礼します」

 後半は強引気味に電話を切っていた。

「給料に見合う仕事をしろ!」

 と携帯電話をソファに投げつける。

「さ、飯作るか」

 気持ちを切り替えた木村はキッチンに立ち、さっきの鍋に火をつけた。しばらくして部屋に漂ういい匂い。とたんに空腹を感じた。



アイヲシル(10/14)

2020.10.18.Sun.


 俺の嫌いな年末、いわゆる忘年会シーズンがやってきた。クリスマスが終わったあたりから、毎日毎晩、木村は忘年会という名の飲み会に出かけ、午前様の日々を過ごしていた。

「血ヘド吐いてなんぼの商社マン」

 心配する俺に、木村が諦めの表情で笑った。そこまでしなければいけないのかと俺は言葉を失くす。

 28日になり、ようやく木村の体は毎日の過酷な労働と付き合いから解放され、気の済むまでベッドの中で過ごすことが許された。朝食も昼食も抜きで眠り続け、起きたのは15時過ぎ。

「軽く食べに行こう」

 と誘われ、シャワーを浴びてすっきりした木村の運転でイタリアンの店に向かった。

「年末年始はどうするんだ?」
「なにが?」

 軽くパスタを平らげた木村は口を拭きながらきょとんと首を傾げる。

「実家には帰るのか」
「あぁ、俺はいい。一ノ瀬は?」
「挨拶には行こうと思ってる。おまえも顔くらい見せたほうがいいんじゃないか?」
「ま、考えとく」

 とナフキンをテーブルの上に無造作に置いた。

 木村は俺の兄にちゃんと挨拶をしてくれた。交際を許して欲しいと頭までさげてくれた。木村のご両親に挨拶をしなくていいのだろうか。そんなことをされるほうが木村には迷惑なのだろうか。

 俯いて考えていたら、

「なに考えてんの」

 と木村が手を伸ばして俺の頬に触れてきた。隣のテーブルには客がいる。咄嗟に身を引いて木村の手から逃れた。

「別に何もない。このあとどうするか考えていただけだ」
「そうだなぁ、映画でも観に行く?」

 と木村は伝票を持って立ち上がった。外食をした時はいつも木村が支払いをする。あとで払おうとしても「カッコつけさせてよ」と受け取らない。

 木村の提案に乗って映画館へ。9つのスクリーンが集まるシネコン。張り出された上映スケジュールを確認する。観たいと思うものが二人とも一致した邦画を観ることに決まった。

「待ってて」

 と木村は売店で飲み物とポップコーンを買って戻って来た。女性相手でも、こいつはきっとこんな風にマメなデートをするんだろうなと考え、苦い気持ちになる。

 年末だからなのか、今日は客数が多い。時間は19時なので子供の姿は少ないが、かわりに男女のカップルが目立つ。俺たちはどういう関係に見えているのだろう。

「先生!」

 先生と言う肩書きと、その声が自分に向かって言われている気がして声のしたほうを見た。見覚えのある顔が駆け寄ってくる。

「あ、阿賀見」

 私服姿は初めて見るので一瞬誰かわからなかった。制服を着ていないとやけに大人びて見える。

 阿賀見は俺の前までやってくると屈託ない笑顔で「偶然だね」と言った。

「そうだな、君は一人か?」
「いや、彼女と。映画見終わって、今はトイレの行列に並んでる」

 阿賀見の目が木村に向かう。妙に焦った。なんて紹介すればいいのか咄嗟にわからず、言葉に詰まる。

「あ、彼はうちの生徒で阿賀見君。こちらは友人の木村」

 木村は社交的な笑みを浮かべ「どうも、阿賀見君」と落ち着いた声で言った。阿賀見も「ども」と笑いながら会釈を返す。

「一ノ瀬が先生なんて呼ばれてんの初めて見た。へんな感じだな。どう、一ノ瀬はちゃんと先生してる?」

 と木村が阿賀見にたずねる。

「真面目すぎてちょっと面白みがないかな」
「そこがこいつのいいとこなんだよ」
「うん、それは俺もわかってる。先生って絶対ふざけたりしないんだよね。いつも姿勢正しく張り詰めてて、怒る時も静かにキレるからちょっと怖いけど、少なくとも俺は先生のこと、好きかな。話しやすいし、馴染みやすい感じがして」
「そうか、ありがとう」
「どうして木村さんが礼言うの」
「俺はこいつの一番親しい友達だから」

 木村の笑みが濃くなる。

「ねぇ、先生」

 阿賀見が俺の腕を引っ張り、木村に背を向けた。声を潜め「俺に似てるのってこの人?」と言う。やはりバレたか。諦めて頷いた。

「そんなに似てるかなぁ」

 と自分の頬をさする。

「顔よりも、言動が似てるんだ」
「へぇ。ってことはあの人も相当女好きでしょ?」

 ふざけただけの軽い気持ちで発した一言だっただろうが、阿賀見の言葉は俺の心に鋭く突き刺さった。

「まぁ……、昔から女の子に好かれるタイプだったかな」
「やっぱねー。男の俺から見ても格好いいと思うもん」
「一ノ瀬」

 木村に肩を叩かれた。

「そろそろ上映時間だから、中に入るぞ」

 腕時計を指で叩いて木村が言う。

「あぁ、悪い。じゃあ、阿賀見、遅くなる前に帰るんだぞ」
「はは、まぁ、覚えてたらね」

 早く帰るつもりのない顔で笑う。彼女とデートしているのだから、いつまでも一緒にいたいのだろう。その気持ちはわかる。俺も昔は後ろ髪をひかれる思いで木村と別れていた。

「年末だからって羽目を外すな」

 最後の釘を刺し、木村と一緒に中に入った。

「最近のガキは口の聞き方も知らねえのか」

 しばらくして木村が不機嫌そうに呟く。あっけに取られその横顔を見た。どの口がそんなことを言うのか。

「おまえもひどいものだったぞ」
「俺の場合は使う相手を選んでたんだよ」

 そうだろうか。誰に対してもタメ口だったような気がするが。

「おまえもおまえだ、俺の時はうるさく注意してきたくせに、生徒が教師にタメ口きくのを許すのか。ちゃんと指導しろよ、なめられてんじゃねえの」
「なにをそんなにムキになってるんだ。彼はああいう子なんだ。昔のおまえに似てるんだよ」
「俺に?」

 眉を寄せ、睨んできた。そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいじゃないかと思う。

「ぜんぜん似てねえよ。おまえ、子供相手に妙な気起こすなよ」
「なに……馬鹿なこと言うな、相手は生徒なんだぞ」

 木村は黙って前に向きなおった。拗ねた顔でさっさと歩いて行く。もしかして阿賀見に嫉妬したのだろうか。こんな露骨な態度を見せるのは久し振りのことだった。

 6番スクリーンに入り、チケットを確認しながら一番後ろの座席につく。八割方席が埋まって来たところで照明が落ちて暗くなった。スクリーンに映像が映し出される。不意に木村が手を握って来た。驚いたが、こんなに暗ければ誰にも見つからないだろうと、俺も手を握り返した。

「さっきはごめん。変なこと言った」

 小さな声で木村が言う。

「……いや、気にしてない」

 気にしてないと返事をしつつ、今の俺にはこの聞き分けの良さが物足りなく感じてしまう。もっと俺にこだわって欲しい。

 我侭で自分勝手な願望だ。弱気になってまったく自分に自信が持てない。こんな俺は嫌だ。また自己嫌悪が積み重なっていった。



Artiste(1)

非BL。大人買いしてしまった