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大人のスーツ(12/12)

2020.10.08.Thu.
1011

 一ノ瀬はキスに弱い。最後は酸欠にでもなったように喘いで呼吸をする。今も焦点を失った目がぼんやりと俺を見上げている。

「大丈夫?」

 額を擦り合わせて聞く。頷く一ノ瀬の服を脱がせながら、あらわれた肌にキスをしていく。ピクンと一ノ瀬の体が反応した。

 鉄雄さんの店の二階。仕事で疲れた時にたまに寝泊りさせてもらっている。まさかここに一ノ瀬を連れこむことになるとは思っていなかった。

 キスの場所を変え、反応を見せている一ノ瀬のものを口にくわえた。

「あっ、木村っ」

 起き上がろうとする胸を押し返す。一ノ瀬はフェラに抵抗があるみたいでなかなかさせてくれない。今日くらい俺のやりたいようにやらせて欲しい。

 先端の小さな口から溢れてくるものを舌の先で味わいながらそれを誘い出す。一ノ瀬の口からは押し殺すことの出来なかった声が漏れる。何よりも俺を昂らせる。

 いったん口をはなし、自分の指に唾液を絡めた。その指を一ノ瀬の後ろに入れる。

 留学したいと打ち明けられたあの夜以降、数えるほどしかセックスしていない。一ノ瀬の体は案の定緊張に硬くなった。

 二本目の指を入れ、筋肉をほぐす。俺の指が一ノ瀬の敏感な場所を擦ると、それに合わせて体がビクンと跳ねた。

 それと同時に一ノ瀬の屹立を握る手を上下に動かす。

「はぁ、あっ、あぁ……っ」

 前より感度がいいような気がする。浮気を疑ったが、一ノ瀬に限ってそれはない。きっと一ノ瀬も久し振りの行為に気持ちが昂ぶっているのだろう。

 俺の手の中で一ノ瀬が爆ぜた。手の平に受けたものを自分の猛ったものに擦り付ける。

 一ノ瀬の中から指を抜き、かわりに二人の体液で濡れ光るものを入れた。一ノ瀬の顔が苦しそうに歪む。

「ごめん、俺、余裕ない」

 ベッドに手をついて体を支えながら腰を動かした。締め付けが想像以上にきつい。搾り取られるような感覚に早くも限界が見えてきて焦った。

 一ノ瀬の足の下に膝を進め、背中に腕をまわして抱えあげる。

「あっ!」

 突然抱き起こされ、一ノ瀬が驚いて声をあげた。その口にキスしながら、一ノ瀬の前を触る。

「あっ、やめ……」

 と、俺の首にしがみ付いてくる。そのまま後ろに倒れ、今度は俺が下になった。

「動ける?」

 抱きついたまま一ノ瀬は首を振る。まだ無理か。下から突き上げた。

「あっ」

 深く突かれる度に一ノ瀬は声をあげた。唇を噛み、睫毛を震わせながら、俺と目があうと恥ずかしそうに目を逸らす。自慰の姿すら想像が難しい普段はすまし顔の折り目正しい優等生の一ノ瀬が、俺を咥えこんだらこんなにエロくなる。下からそんな一ノ瀬を見ていると目茶苦茶にしてしまいたくなる。凶暴な銀色の炎が頭の中で燃える。

「なんて顔してんの、おまえ」
「な、なに、がっ」
「エロすぎんだろ、たまんない、もっと乱れろよ」
「なに言って……っ」

 後ろ手に体を起こし、一ノ瀬の膝を抱えこんでまた上になった。

「先にイカせてあげる」  

 一ノ瀬の先端から零れるものを指に絡めて手を動かす。

「あぁっ、嫌だ、木村っ」
「名前呼んで」
「はなせっ」
「ね、名前、呼んで」
「論っ……はなせ、嫌……」
「イキたくない?」
「いやだ、こんなの……恥ずかしい」

 こんなに早く二度目を出してしまうことに躊躇っているのかと気付く。そんな事、気にする必要なんてないのに。

「二回位じゃ終わらせないよ。空っぽになるまでやるんだからな。早く出したほうが明日の体力残せると思うけど」

 最後の理性を剥がしてやろうと先端を揉みしだいた。声をあげ、一ノ瀬の体が痙攣する。白濁が噴き上げられ一ノ瀬の体を汚した。

 荒い呼吸をする一ノ瀬の口に舌を差し入れながら腰を動かした。少し休んだつもりなのにあっという間に俺も果てた。まさに三擦り半。俺は一回目だからご愛嬌と心の中で言い訳する。

「このまま二回目やっていい?」
「え……」
「ぜんぜん、おさまんない」

 一度吐き出したというのに俺のものは硬度も大きさも衰える気配がない。直に一ノ瀬の肌に触れて伝わってくる体温が、俺に貫かれ喘ぐ一ノ瀬の声が、俺を締め付ける一ノ瀬の体が、目の前に一ノ瀬がいるという事実が、俺の興奮を煽って休ませてくれない。

「おまえがアメリカなんて遠いとこに行くから、俺、欲求不満でたまりまくってんだからな」

 腰を打ちつける度、卑猥な濡れた音が聞こえる。一ノ瀬が俺の肩をぎゅっと掴んで顎をそらせる。

「浮気もしないでおまえのことばっか考えて、夢の中でやりまくって、夢精までして待ってたんだからな」
「論っ、あ、待て!」
「待てない、待ちくたびれて気が狂いそうだったんだぞ俺は!」

 怒鳴るように言いながら、今まで我慢していたものが噴き出してきた。自分でもコントロール出来ない欲望を一ノ瀬にぶつけた。

 ~ ~ ~

 気がついたら俺はぼんやり天井を眺めていた。正直、何度したのか覚えていない。肌寒さに体を震わせ、膝を引き寄せる。隣で一ノ瀬が布団に包まって眠っていた。

「一ノ瀬……」

 夢か、と思った。一ノ瀬はアメリカだ。俺の隣にいるはずがない、と。

 その頬に触れる。暖かい。手の平に包むと一ノ瀬がうっすら目蓋を開いた。俺と目が合うと、

「馬鹿」

 と夢の中の一ノ瀬は言った。夢でもこいつは俺を馬鹿呼ばわりするのかと苦笑する。

「がっつきすぎだ。おまえは理性のある人間だろう、獣じゃないんだから」
「何のことを言って……」

 はっとなって起き上がった。鉄雄さんの店の二階。ベッドの上。リアルによみがえる一ノ瀬との情事。

「俺!」
「なんだ? 寝ぼけてるのか?」
「ごめん! 無茶なことした!」
「おまえが無茶なのは昔からだ」
「ごめん!」

 布団の上から一ノ瀬に抱きつく。

「大丈夫? 平気だった?」

 布団の中に手を入れて、さっきまで俺を受け入れていた場所を触ろうとしたら、顔を真っ赤にした一ノ瀬に突き飛ばされた。

「何するんだ、馬鹿!」

 指でもアレでも、存分に味わった場所なのに、そういう雰囲気がなくなると途端に恥ずかしがる。俺はそういう一ノ瀬も好きだ。

「ほんとに大丈夫だった? 俺、何回した?」
「知るか、馬鹿」
「もう途中から頭真っ白で」
「ただの飢えた獣だったぞ」
「いやぁ、ほんとに飢えてたから」
「馬鹿」
「馬鹿馬鹿言うなよ。おまえだって悪いんだからな。会いたいなんて誘い出して、エロい顔して俺を挑発して、やらしい声で俺を煽ってきたのはおまえなんだからな」
「俺がそんなことっ」

 素早く額にキスした。不意をつかれた一ノ瀬がびっくりして黙る。

「お帰り。帰って来てくれて嬉しいよ」
「う、うん」

 恥ずかしそうに目を伏せる。

「大好き」

 愛しい気持ちでいっぱいになり、一ノ瀬をぎゅっと抱きしめた。このときになってようやく、一ノ瀬が帰ってきたのだと実感し、心の底から安堵することができた。

 一ノ瀬のいない半年、俺もそれなりに色々考えさせられた。一ノ瀬のことを大事に思うなら我慢することも必要だということ。俺の自立が一ノ瀬の負担を軽くするということ。一ノ瀬が絡むと理性的でいられなくなることで、あいつには迷惑がかかるということ。今まで一ノ瀬でいっぱいだった視界を広げ、人間的に成長し、頼れる男になる。

 それらは一ノ瀬のためであり、俺のためでもある。

 白樫やサンジャイに言われたこともよくわかる。樋口の考え方にも共感できるものがある。そして最終的に俺が出した答えは至極シンプルなものだった。

 俺は俺らしく生きる。


(初出2008年)
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大人のスーツ(11/12)

2020.10.07.Wed.
10

「今日はずっとニヤついてたな」

 ここは鉄雄さんの店。閉店作業をする俺に「気持ち悪い奴だな」と鉄雄さんが怪訝な顔で言う。今はなにを言われても気にならない位、俺は浮かれていた。

「今日、一ノ瀬が帰ってきたんだ」

 返事をする顔がニヤけてしまうのは仕方がない。

「あぁ、留学してたんだっけな。そうか、今日帰ってきたのか。だったら店は休んで良かったのに」
「ありがと、鉄雄さん。でも今日はあいつ、家族と一緒に過ごすからいいんだ」
「そうか。それもそうだな。また今度連れて来いよ」

 そう言う鉄雄さんに頷いた。

 家族か。あいつには入院中の爺さんと兄貴が二人いる。一ノ瀬は俺の母さんに丁寧に接して気に入られているが、俺は一ノ瀬の家族には一度も会った事がない。挨拶くらいしておいたほうがいいだろうか。サンジャイの『兄貴には気をつけろ』という言葉が頭をよぎる。いや、しかし一度くらいは……。

「今度は何を難しい顔してるんだ」

 煙草の煙を吐き出しながら鉄雄さんが笑う。無意識に険しい顔つきになっていたようだ。

「人を好きになるって色々難しいんだ」
「何を知ったふうなことを」

 笑いながら鉄雄さんが煙草を指で弾いてきた。危ないって、火、ついてるって。それを拾い上げて灰皿でもみ消す。

「じゃ、俺は先に帰るよ、あとは任せた」

 右手をあげて鉄雄さんが店から出て行った。最近、店のスペアキーを渡された。開店準備と閉店後の戸締りは俺に任せられている。

 テーブルを全部拭き終わり、椅子をあげ、箒で床を掃いた。思い出してポケットから携帯電話を取り出す。着信なし。落胆の溜息が出た。もう夜の二時半。一ノ瀬も寝ているだろう。結局あれから一度も連絡がなかった。まさか俺のこと忘れてるんじゃないよな。悪い方向へ考えそうになる思考を慌てて止める。

 洗剤と水を混ぜたバケツにモップをつけ、それで床を磨く。

 一ノ瀬が帰国した嬉しさ半分、連絡のない不安と寂しさが半分。その割合が崩れそうになり、急いで掃除を済ませた。

 携帯がメールを受信した。同じセミナーの奴からで、麻雀のメンバーを探してる、という内容だった。こんな時間から誰が行くか。返信もせず無視をした。

 二階にあがって服を着替える。今度は着信。またセミナーの奴からだと高をくくって電話に出た。

『遅くなってすまない、兄さんたちがなかなかはなしてくれなくて』
「一ノ瀬?」

 声を聞いた瞬間、仕事後のダルさも、さっきまでの不安も吹き飛んだ。

『ごめん、寝てたか?』
「いや、今、店が終わったとこ」
『あぁ、バイトだったのか。お疲れ様』
「電話くれてありがと、忘れられたんだと思ってた」
『忘れないよ。おまえが待ってると言ったんだから、忘れるわけない』

 嬉しいことを言ってくれる。

『今はまだ店にいるのか?』
「うん、着替えたところ」
『もし……、もし、面倒じゃなかったら、今から会えないか?』

 と遠慮がちに聞いてくる。面倒なわけがない。

「今からそっちに迎えに行くから!」

 ジャケットをひっつかんで店を飛び出した。急いで戸締りし、家まで走る。荒い呼吸で勝手口から中に入り、セキュリティを解除した。ガレージのシャッターを開け車に乗り込む。逸る気持ちでアクセルを踏み込んだ。

 二十分後、一ノ瀬はいつもの公園のまえに立っていた。急いで助手席のドアを開ける。

「早く乗って、寒いでしょ」

 乗りこんできた一ノ瀬はシートに膝をついて立ち、俺の首に抱き付いてきた。

「一ノ瀬?」
「早く会いたくて、明日まで待てなかった」

 と抱きついたまま言う。嬉しくて顔が綻ぶ。俺も一ノ瀬を抱きしめた。一ノ瀬も俺と同じ気持ちでいてくれた。それが何より俺を喜ばせる。

「顔見せて」

 言うと一ノ瀬は座席に腰をおろした。しばらく見つめ合う。半年という長いブランク。一ノ瀬との接し方を忘れてしまったような気がして、なんだか照れくさい。

「明日、朝から大学行くの?」
「そのつもりだ」
「だったら、それまでに帰って来ればいいよね」

 え、と一ノ瀬が聞き返してくる。それを無視して車を出した。

「どこに行くんだ?」
「二人きりになれるとこ」

 黙った一ノ瀬の手を握った。それを口元に持ってきてキスする。

「木村」
「もう我慢出来ない。空港の駐車場の続きしよ?」

 俺の横顔を見つめていた一ノ瀬が小さく頷いた。



大人のスーツ(10/12)

2020.10.06.Tue.


 三月。

 いよいよ一ノ瀬が帰ってくる日がやってきた。俺は飛行機の到着時刻の二時間前に空港について一ノ瀬を待っていた。

 朝から心臓がどきどき鳴りっぱなしだった。顔が熱を持って熱いし、妙に心が浮ついてつまらないポカを連発しているし、なにをしても何を見ても現実味がない。これを一言で「アガッてる」と言うのだろう。

 こんな感覚は初めてだ。さっきからじっとり手の平に汗が滲んでいるし、生唾を何度も飲み込んでいる。みっともない、こんな姿を一ノ瀬に見せなければいけないのか。

 一ノ瀬を乗せた飛行機がやっと到着した。椅子に座っていられなくなり、国際線の到着口の前で行ったり来たりを繰り返す。

 数人の乗客が出てきた。一ノ瀬の顔を捜す。いた! 俯いて歩いているが、出口の近くで顔をあげ、俺を見つけた途端、その顔に笑みが広がった。

「いっ、いちのせっ」

 自分の声が他人のもののように聞こえた。相当緊張している。一ノ瀬が前を歩く人の間を縫って足早にやってきた。目の前で立ち止まった一ノ瀬を前に何も言う言葉が見つからない。無言でしばらく見つめあう。久し振りに近くで一ノ瀬の顔を見た。

「ただいま」

 一ノ瀬が笑顔で言う。半年振りに生の声を聞いて鳥肌が立った。抱き付きたいのを必死に我慢して、「おかえり」と声を絞り出すのが精一杯。とにかく一ノ瀬に触れたくて、右手を差し出していた。それに気付いて一ノ瀬が俺の手を握り返してくる。暖かい手。一ノ瀬の手だ。思い出してやっと、一ノ瀬が帰ってきたのだと実感できた。

「震えてる」

 一ノ瀬が俺の手を見て言った。

「か、感極まって?」
「泣くなよ?」

 と悪戯っぽく笑う。馬鹿、そんな事言われると余計泣けてくるもんなんだ。

 一ノ瀬と駐車場に向かい、車に乗り込むまでうまくしゃべれなかった。エンジンをかけようとして鍵を探した。あれ、さっきドアを開けたのに、とポケットを探していたら「もう鍵穴にささってる」と一ノ瀬に指摘された。

「違う、携帯、探してて」

 ごまかそうとしたが、一ノ瀬は向こうをむき、肩を震わせ笑い出した。

「何笑ってんだよ」
「だって、可笑しくて」

 肩を掴んでこちらに向かせた。手で口を押さえてまだ笑っている。首に腕をまわして引き寄せると、一ノ瀬は抵抗しないで俺の胸にもたれかかってきた。笑ったまま、俺の膝に手をついて顔を寄せてくる。引きこまれるように俺も顔を寄せ、唇を合わせた。誰かに見られたって構わない。思いっきり濃厚なキスをした。間近に一ノ瀬の目を覗きこむ。

「やばい、勃った」
「えっ」

 驚いて離れていく一ノ瀬の首を引き寄せ、その肩口に顔を埋め、

「俺が運転してる間、触ってくれる?」

 と言ってみる。

「な、馬鹿、何言ってるんだ、運転に集中しろ」

 顔を赤くして怒ったように言う。以前とかわらないやり取りが嬉しくなる。

「一日中、ずっと一緒にいるっていう約束覚えてる?」
「もちろん覚えてる。でも今日は無理だ」
「明日は」
「明日は大学に行って教授に挨拶をしないと」
「だったらいつ」
「焦るな、俺はもうどこにも行かないんだから」
「無理だよ、半年も我慢したんだから。足腰立たなくなるまではなさないからね」

 絶句した一ノ瀬に笑いかけ、俺はキーをまわし、エンジンをかけた。やっと気持ちが落ち着いてきた。

 車を出してしばらくした頃、

「できるだけ早く時間を作るから」

 と一ノ瀬が真顔で言った。俺の脅しが効いたらしい。

 帰る道中、一ノ瀬からオレゴンでの留学生活の話を聞いた。とても良い経験になったと語る。そして「いつか一緒に行こう」とも言ってくれた。もちろんそのつもりだ。

 俺の話も聞かれた。話すようなことはなにもない。思い出して、サンジャイと一緒に酒を飲んだことを話した。意外な組み合わせに驚いていたが嬉しそうだった。写真の個展を見に行ったことも話した。

「おまえにそんな高尚な趣味があったのか」

 と俺をからかう。サンジャイの知り合いに誘われたのだと言うと「どうりで」と納得した顔をした。そういうムカツクとこも変わらない。

 一時間後、一ノ瀬の家に近い公園前で車を止めた。一ノ瀬の家の前は道が細く、車が一台ギリギリ通れる幅しかないからだ。だからいつも公園前まで。

 車の中で一ノ瀬の手を握った。

「落ち着いたら電話して。待ってるから」
「わかった」

 と一瞬の間。無言で見つめあう。離れたくない。手に力がこもる。キスしたいけど、ここは公園の前。子供の遊ぶ声が聞こえてくる。車の外を自転車が通り過ぎた。

 キスしたくても我慢出来るのは、俺も少しは大人になったということなんだろうか。大人というのはとても窮屈なスーツを着ているんだな。

「じゃあ、またあとで」

 一ノ瀬はそう言って車から降りた。一ノ瀬に見送られながら車を発進させた。



大人のスーツ(9/12)

2020.10.05.Mon.


 年明け一発目の授業のあと、昼食をとっていると白樫が向かいの席に座った

「久し振り」

 とぎこちない顔で笑う。「どうも」と返事をし、その微妙な顔つきの意味を考えた。樋口との話を聞いたのかな。

「あの、樋口さんから君あてに写真を預かってるんだ」

 と鞄から取り出した封筒をテーブルの上を滑らせて寄越す。オレゴンの写真を探してみると言っていたが、本当に送ってきてくれたのか。封筒には写真とメモが一枚ずつ入っていた。

『一枚しか見つからなかった。冬に撮ったからあいにくの曇り空。場所はポートランド。この川の前で、あの女の子二人の写真を撮ったんだ。君の彼氏も通った事があるかもね』

 写真を見る。ここは公園なのだろうか。よくはわからないが、川だという水面が写真の中央に写っていて、その手前には木が数本並んで立っている。川の上を高速道路らしい橋梁が走っているのが見える。確かに残念な曇り空だ。

 一ノ瀬も見たことのある景色なのだろうか。考えると自然と口元に笑みが浮かんだ。

「ありがとう。樋口さんにも礼を言っておいてよ」
「うん、わかった。個展、行ったんだってね」
「まぁ、時間があったから」
「どうだった?」
「良かったと思う。今度一ノ瀬と一緒に行くって約束したよ」
「そ、か。あ……と」

 言いにくそうに指先で口元を触る。

「なに?」
「この前のこと、なんだけど。勇樹から聞いた。僕、あの日の帰りに泣いたって。君にもそれを見られたって」

 そんなことを気にして態度がおかしかったのか。白樫は顔を赤くして目を泳がせている。

「別に恥ずかしがることないんじゃない。酒飲んで酔ってたんだし。俺も酔ってて、あまりよく覚えてないし」
「でも驚いたんじゃない?」
「それなりに。あの人をすっぱり諦めるって選択肢はないの?」

 はっと白樫が顔をあげた。俺と目が合うとまた下を向く。その顔がみるみる赤くなっていった。

「い、今のところ、それは考えてない……っていうか、考えられないっていうか。自分でも未練たらしいってわかってるんだけど、初めて好きになった人だから、別に何か見返りを求めてるんじゃなくて、ただ、日本にいる時はそばにいられたらいいと……今は、そんな感じだから」

 ただそばに、か。

「わかるよ。俺も一ノ瀬のそばにいたいだけだもん。少し欲を言えば、誰よりもあいつのそばにいて、誰よりもあいつを好きでいて、誰よりもあいつから好かれて、いつでもどこでもあいつに好きだって言ってキスしたい」
「欲張りすぎだろ。僕へのあてつけ?」
「いや。俺もあんたには幸せになってもらいたいなぁと思い始めてるとこ」
「なにそれ?」

 樋口からそう聞いたとは言わないでいよう。樋口もそんなこと俺の口から言われたくないだろうし。

「俺もいつか樋口さんが撮ったあんたの写真を見たいってこと。あんたの、笑ってる写真をさ」

 白樫は眉をひそめた。

「何かあった? なんだか前と雰囲気が違うような気がするんだけど」
「そう? 年が開けたからだろ」

 晴れ晴れと笑う俺を見て、白樫は不思議そうに首を傾げた。



大人のスーツ(8/12)

2020.10.04.Sun.


「あの子と初めて会ったのは3年位まえかな」

 俺にインスタントコーヒーを渡した後、向かいの椅子に腰をおろして樋口は言った。

「僕が初めて日本で開いた個展に来てくれたんだ。一人でじっくり時間をかけて、一枚一枚丁寧に写真を見てくれた育夫に僕はとても好感を持って声をかけたのがきっかけ。まだ高校生で、自分がゲイかもしれないって悩んでいる時期で、それを確かめるつもりで個展に来たと話してくれた。あの頃の育夫は危なっかしくてね。男を好きになることに罪悪感を持っているようで、焦燥した顔つきで、どうしたらいいのかわからないって言うんだ。僕にはもう今の彼がいたんだけど放っておけなくてホテルに呼んであの子と寝た。弁解するわけじゃないけど、育夫と寝たのはあとにも先にもその一度きり」

 樋口はコーヒーを一口飲み、ふぅと息を吐き出す。

「僕は自分に正直に生きたいと思ってるんだ。だから自分がゲイだと公表しているし、誇りも持ってる。本当の自分がわからないと言う育夫の悩みをはっきりさせてやるつもりであの子を抱いた。そのあと僕はアメリカに戻ったんだけど、半年くらいたって、僕のHP用のアドレスに育夫からメールが来た。僕の写真のファンだと言ってくれた。次に日本で個展を開くときには是非手伝わせてくれって。次に再会したのはその一年後。その頃にはもう今の関係が出来てたよ。お互い知らん顔。まわりにはバレバレなのにね」

 と力なく笑った。

「実は僕も育夫が好きなんだ。あの子が男を連れて僕のところへ来るたび心がざわつく。ただの友人だと知ってほっと胸をなでおろす。自分にはちゃんと恋人がいるくせに、あの子を繋ぎとめておきたいなんて思ってしまう。育夫が遊びと割り切れるような子なら、日本の恋人として僕も彼との関係を楽しめるんだけど、あの子はそうじゃないからね。だから早く育夫には恋人を作って欲しいんだ。これは本心。育夫には幸せになって欲しい。僕はあの子を選べないからね」

 樋口はサングラスを外し、手で顔をこすった。

「この話、勇樹にもしたんだ。彼も君と同じように、いきなり核心をついてきたよ。あいつをどうするつもりなんだって、その気がないならもてあそぶなって言われた。育夫はいい友達を二人も持ってる。僕は安心だ」
「俺は別に友達ってわけじゃ。ただ、二人がはっきりしないからムカついたんです」

 あははっ、と樋口は声をあげて笑った。

「君は本当にはっきり言うねぇ。まわりの人にカミングアウトはしてるの?」

 俺は首を横に振り「止められてる」と答えた。

「俺が良くても、あいつが耐えらんないだろうって、白樫さんとサンジャイが言うんだ」
「まだ理解されてないからね。今は懸命な判断だと思うよ」
「樋口さんはいつしたの」
「僕は高校の時。好きだった奴に、一世一代の告白をしたらこっぴどく振られて、おまけに学校中に言いふらされた。死にたくなったよ。でも開き直って自分はゲイだって胸張って生きてくことにした。だってまだセックスしたことなかったんだもん。一度は経験してからじゃないと死に切れないでしょ。それが自殺を思いとどまった理由。なんて」

 白い歯を見せて樋口は笑う。本気なのか冗談なのかわからず、俺は曖昧に笑い返した。

「学校なんて狭い世界に閉じこもってるとまわりが見えなくなるんだ。些細なことが人を死に追いやることもある。何気ないことに救われることもある。僕の写真で誰かを救えたなら、シャッターを切り続ける僕の本懐は遂げられたと言えるね」

 とカメラのシャッターボタンを押す真似をした。

「今度は彼と一緒に話をしたいな。また個展を開いたら、そのときには来てくれる?」

 椅子から立ち上がり樋口が言う。俺も立ち上がった。

「俺もあいつにあなたの写真を見せてやりたいと思う。だから、今度は一緒に見に来ますよ」
「オレゴンの写真、見つかったら来年の頭にでも送るから」

 と右手を差し出してきた。それを握り返す。いろんな人の人生を切り抜いてきた、柔らかで暖かな優しい手。

「育夫をよろしく」

 そう言う樋口に笑みを返した。

~ ~ ~

 年があけた。

 去年の初詣は一ノ瀬と行った。大晦日から俺の部屋でずっと一緒にいて、日付のかわる一時間前に家を出た。電車に乗って神社に行き、そこで除夜の鐘を聞きながらおみくじをひいた。

 どこに行っても人がたくさんいる神社を出て、二人でブラブラ散歩しながら話をした。この頃にはもう一ノ瀬は留学しようと決めていたんだろうな。

「木村は将来何をしたいんだ?」

 そんなことを俺に聞いてきた。俺はまともに受け取らずに「一ノ瀬がいて、三食昼寝付きならなんでもいい」とふざけて答えていたっけ。今思い出すと恥ずかしいくらい馬鹿な答えだ。

 正直、その時俺の頭の中にはやらしい事しかなかった。ひと気のない道をわざと選んで歩いて、誰もいない場所に来て一ノ瀬の手を握った。一ノ瀬は驚いてあたりを見渡し、誰もいないとわかると、俺の手をかすかに握り返してきた。

 曲がり角の手前で一ノ瀬を引き止めてキスした。怒られるから、触れるだけのやつ。

 恥ずかしさから俯く一ノ瀬の耳に「家、帰ろっか」と囁くと、一ノ瀬も黙って頷いた。

 部屋に戻ってから、体に触るだけの初心な行為に夢中になって、気付いたら窓の外が明るくなってきていた。

 ついでだからとまた外に出て日の出を見た。

「来年も一緒に見ような」

 俺の言葉に、一ノ瀬はただ静かに笑っていた。次の年、一緒に見られないかもしれないとわかっていたから、何も言えなかったのだと今だから気付く。

 今年は大学の奴らに初詣に誘われたが断った。鉄雄さんからも、知り合いのカウントダウンパーティがあるからどうかと誘われていたが遠慮した。

 一人で新年を向かえ、日の出を見た。昇る朝日を見ていると、誰もいない隣が寂しく感じる。一ノ瀬は今、どうしているだろう。今すぐ電話して声を聞きたいところだが、いつまでも甘えたことを言う自分にはそろそろ卒業しなきゃいけない頃だ。あいつは一人で頑張っているのに、俺はずっとあいつに励まされ支えられ続けてきた。

 弱さでなく強さを。甘えでなく自立心を。子供の時代はもう終わった。大人になる。それが今年の俺の目標だ。