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君が笑った、明日は晴れ(5/89)

2020.04.07.Tue.
1話前話

 河中の家についた。家の中には誰もいない。二人きりだと知って俺は妙に居心地が悪くなった。河中相手に妙な気を起こすなんてことはないと思うが、河中の奴、さっきからやたら俺に触ってくるのだ。

「ねぇ、先輩」

 とまた俺の腕を触った。

「飲み物、お茶とジュース、どっちがいいですか」
「お茶でいい」
「わかりました。持ってくるのでくつろいで待っててください」

 河中が部屋から出て行き、俺はほうっと長く溜息をついた。なんだか肩がこった。

 一人になって河中の部屋を見渡した。勉強机とベッド、本棚、テレビ、タンス。俺の部屋はとっちらかってどこに何があるのかわからないのに、河中の部屋は綺麗に片付いている。なんか負けたような気持ちになった。俺も今日帰ったら片付けしようかな。

 河中が戻ってきた。手にお茶の入ったコップが2つ。

「じゃあ、見ましょうか」

 言ってDVDをデッキに入れて再生ボタンを押す。間もなくテレビに映像が流れる。

 ベッドに背を預け、二人並んでテレビを見た。やっぱり集中できない。

 河中は三角座りで画面をじっと見ている。長い睫毛がゆっくり上下した。

 頭では河中が男だとよくわかっているのに、河中が座る右半身が妙に熱を持ってあつい。そわそわして尻が落ち着かない。俺はお茶を飲み干した。それでも咽喉がかわく。

 座り直した河中が床に手をついた。肩が俺の腕に触れる。

「あ、ごめんなさい」

 俺を見て河中が謝る。

「いや、別に」

 ぎこちなくそれに答えながら、俺は河中から目が離せなくなった。透き通るような白い肌、濡れた瞳、ふっくらした唇、そこから赤い舌がちらりと見える。

「先輩」

 河中の唇がゆっくり動く。

「僕、先輩のこと、ずっと好きでした」
「か、河中……」
「キスしても、いいですか」

 床についた手に体重を乗せ、河中が顔を近づけて来る。俺は何の反応も出来ないでそれを見ていた。河中が目を閉じた。長い睫毛が震えている。

「やめろ」

 我に返り、河中を突き飛ばした。河中はよろけて後ろに倒れ、驚いた顔で俺を見る。

「へんな冗談、やめようぜ。男同士でこんなのないって、おかしいよ、な」
「男同士だからって、関係ありません……」

 顔を伏せて、弱々しい声で河中が言う。

「中学の時からずっと先輩の事が好きだったんです」
「それは、あれだ、ほら、憧れ? っていうか、なんだ、俺もよくわかんねえけど、とにかく勘違いだよ」
「勘違いで3年も片思いなんかしません」
「うっ」

 伏せられた河中の顔からポタポタ涙が床に零れるのが見えて言葉につまった。

 3年。短いとは言えない年月だ。その間、河中はずっと俺のことを好きだったと告白した。

 そうだ、こいつは屋上で会った時からずっと俺のことを好きだと言い続けてきた。 俺はそれをまともにとりあわず、はぐらかしたり無視したりしてきた。

 今更だが、こいつにはずいぶん悪いことをした。一度きちんとはっきり振ってやらねばならない。それが河中のためだ。

「河中、あのな」

 河中の細い肩に手をおいた。

「いいんです、なにも言わないでください。泣いたりしてすみません。DVD見ましょう、今日は楽しく過ごしたいんです」

 顔をあげ、河中は笑った。泣き笑いの悲しい笑顔。目許はまだ赤い。

「ごめんな」
「謝らないで下さい。僕も吹っ切れましたから」

 リモコンを手に取って巻き戻す。見逃したところで再生し、河中はまた三角座りでテレビ画面に集中した。

 俺、まだここにいていいのかな。もう帰ったほうがいいんじゃないのかな。河中の奴、俺と一緒にいて辛くないのかな。

 二人とも黙ったまま、一言も口をきかない。部屋に映画の音声だけがやたら響いた。




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君が笑った、明日は晴れ(4/89)

2020.04.06.Mon.
1話前話

 暗い映画館の中、 俺は横目で隣に座る河中を盗み見た。河中は前を向いて映画に集中している様子で、俺の視線に気付く気配はない。

 どうして俺は河中と映画を見ているんだろう、と思う。

 先日、河中が映画のタダ券をくれた。律子と見に行こうと誘ってみたが無理だという返事。仕方なく戸田を誘ったが、戸田の奴も用事で無理だという。童貞のくせに、日曜に何の用事があるというのか。

 チケットの処理に困り、無駄にするのも勿体ないので、これをくれた張本人を誘って今、二人並んで映画を見ている次第なのだ。

 しかし、河中って奴は本当にかわいい面をしている。

 長い睫毛を上下させて瞬きする横顔に、思わず見とれた。気付き、慌てて前に向きなおる。

 なんだろう、顔が熱い。妙に照れくさい。懐かしいこの感覚。小/学生の時、席替えで好きな女の子が隣に座った時のような、なんともむず痒く甘酸っぱい感じ。ウキウキして浮かれるのを、そっけない態度で誤魔化す、あのウブな子供時代を思い出した。

 いやいや、相手は河中。男だし。いくらかわいい顔をしていると言ったって……。

 もう一度横目でチラと見た。河中もこちらを見ていて目があった。にっこり笑いかけてくる。

 どきりと心臓が跳ねた。気まずくて目を逸らす。

 いやいや、ないない。俺は宮本じゃないんだ、しっかりしろ。

 ほとんど上の空のまま、上映が終わり、館内がぱっと明るくなった。

「面白かったですね」

 河中が笑顔で言う。

「ああ、まあ、ぼちぼちな」

 曖昧に返事をし、階段をおりた。映画の内容を言えと言われたら、俺は言う事が出来ない。

「あっ」

 河中が足を踏み外し、体勢を崩した。咄嗟に腕を掴んで引き寄せていた。ドンと、俺の体にもたれかかってくる。前も思ったが、華奢な体つきだ。

「ありがとうございます」
「気を付けろよ」

 ぶっきらぼうに答えて手を離す。なんだこれ、なんだ俺。何をこんなに照れまくっているんだ。

 ~ ~ ~

 昼食のためファーストフード店に入った。

「先輩が映画に誘ってくれた時は本当に嬉しかったんですよ」

 頬を染め、河中が言う。

「ああ、そう。でも、チケットはもともとお前のだしな」
「でも先輩は俺を誘ってくれたでしょう」

 その前に戸田、戸田の前には律子を誘ったけどな。

「まぁ、たまたまな」
「先輩、僕と一緒にいてもつまらないですか? 戸田さんと一緒にいる時はいつも楽しそうなのに、今日の先輩はぜんぜん笑ってくれないし、あまり目も合わせてくれない」

 と顔を曇らせる。

「いや、そういうわけじゃねえけど」

 焦って否定する自分が恥ずかしくて死にたくなった。何こいつの機嫌とろうとしてんの俺ってば。河中といると普段の自分を保てなくなる。調子を狂わされる。どう接すればいいのかよくわからない。それもこれも、この外見のせいだ。

「あれから宮本はどうよ」

 いたたまれずに話題をかえた。

「宮本さんですか。何も言ってこなくなりました。先輩のおかげです。先輩強いんですね。かっこいいです」
「あのさぁ」
「はい」
「そういうこと言うのやめろ。恥ずかしいから。言ってて恥ずかしくないの、お前は」
「ぜんぜん恥ずかしくないです。思ったことは全部言うことにしたんです。もう後悔したくありませんから」

 なんだか知らんが、やけに張りきってるなこいつ。

「先輩、僕んち来ませんか」
「えっ」

 急な提案。どぎまぎする自分を叱咤した。

「今日の映画と同じ監督のDVDがあるんです。この前買ったばかりでまだ見てなくて、一緒に見ませんか?」
「え、いやぁ、でも……」

 部屋に二人きり? それってまずくない? 

 ……ん? 何がまずいんだ? 何を警戒してるんだ? 俺がこいつに何かしてしまう、そんなこと思ってなかったか。そんな心配をする前に、自分の頭を心配しろ!

「まぁ、いいけど」
「やった。じゃ、さっそく行きましょうか」

 河中が立ち上がった。 その時ふわりといいにおいがした。こいつ、なんでこんなにいいにおいがするんだろう。

 店を出る時、こいつのために扉を押さえている自分に気付いた。

 女扱いしてしまっている……!

 やっぱり家に行くのはやめたほうがいいかもしらん。思わず頭を抱えた。




君が笑った、明日は晴れ(3/89)

2020.04.05.Sun.
1話前話

 中学に入って僕はバスケ部に入った。緊張でガチガチになる僕たち一年生に、二年の山口先輩が冗談を言ったりして笑わせてくれた。

 笑顔がとても素敵で、男らしい人だな、と思った。

 僕にドリブルの仕方を教えてくれた時も、どうしてもうまく続けられない僕に、

「はじめから完璧にこなそうと思うな。長いスパンで最終的にうまくなっていればいいんだ。人よりうまくなりたかったら人よりたくさん、毎日練習を欠かさずにやれよ」

 と励ましてくれた。

「見てろ」

 そう言ってドリブルしたあと3ポイントシュートを決めた先輩に、僕は恋をした。

 先輩が3年生と喧嘩をして部をやめてもずっと好きだった。僕はずっと先輩を遠くから見ていただけ。何も話すことが出来ないまま、先輩は中学を卒業してしまった。

 先輩と会えなくなってから僕は後悔した。だから先輩を追いかけて、先輩と同じ高校を受験した。

 入学してから何度か先輩を見かけた。少し背が伸びて大人びて見えたけど、あまりかわっていなくて嬉しかった。

 宮本という三年生の人に声をかけられ、僕は咄嗟に先輩の名前を口走っていた。 宮本さんと一緒に屋上へ行った時、高校に入って初めて間近に先輩を見た僕は、先輩があまりに格好よくて感動した。

 昔から喧嘩っぱやい先輩らしく宮本さんをあっという間にやっつけたあと、追い縋る僕を置いて屋上から逃げるように去って行った。久し振りに先輩に会えて浮かれすぎたことを反省した。

 だから今日は落ち着いて話をするぞ。

 前日用意した映画のチケット。先輩を映画に誘うつもりだ。

 朝、教室で寝ていた先輩を廊下に呼び出してチケットを差し出した。

「これ、次の日曜までなんです。良かったら……」
「お、くれるのか。悪いな。サンキュ」

 僕の手からチケット二枚を取り上げ、先輩は教室に戻った。

「え、ちが、先輩、違うんです、先輩っ」
「早く教室戻らねえと、もうすぐチャイム鳴るぞ」

 先輩が言い終わる前にチャイムが鳴った。

 そんな……。僕は先輩にチケットをあげに来たんじゃなくて、映画を一緒に見ようと誘いに来たのに。

 先輩はさっさと自分の席について、前の座席の人と話をしている。いいなぁ、僕も先輩と同じ年に生まれて同じクラスになりたかった。

 かなり後ろ髪引かれながら自分の教室に向かって歩き出した。

 先輩ひどいよ。僕のことなんてまったく眼中にないんだから。屋上で再会した時も僕のこと覚えていなかったものな。なんか急に落ち込んでしまった。




君が笑った、明日は晴れ(2/89)

2020.04.04.Sat.
<1>

 休み時間、廊下を走る足音が近づいてくる。それを聞きつけた重夫の顔が難しい顔つきになっていく。

 ガラリと扉が開き、 1年の河中が教室に姿をあらわした。

 可愛い顔を赤く染めた河中の目が重夫を探す。見つけた途端、顔に笑みが広がった。

「先輩!」

 教室に響き渡る声。みんなの視線が河中に集まった。

「河ちゃん、今日も可愛いねぇ。頼むから1回やらせて」

 下品なからかいに困った笑顔を浮かべ、河中はまっすぐ重夫の席へ。頬杖をついて顔を逸らしている重夫の前に立ち、「先輩、お昼食べに行きましょう」と声をかけた。

「俺は戸田と行くから」

 そっけない返事。河中はしゃがんで重夫と顔の高さを合わせた。

「じゃあ3人で行きましょう。いいですよね、戸田さん」

 と、俺を仰ぎ見る。ああ、本当に可愛い顔をしている。

 子供みたいに肌もきれいで、走って来たせいで頬は上気してピンク色。笑う唇の間から覗く白い歯。これで胸があれば、本当に女の子に見える。

 どうしてこんなに可愛い子が男なんだろう。どうして、こいつは俺じゃなくて重夫に懐いてるんだろう。重夫が羨ましくて仕方がない。

「戸田さん?」

  ぼんやり顔を見つめる俺をいぶかしんで河中は首を傾げた。そんな仕草も可愛い。

  河中は重夫のことは「先輩」と呼ぶ。 それ以外は名前にサン付け。俺も河中から「先輩」と愛情こめて呼ばれてみたいもんだ。

「俺は構わないよ、むしろ河中君がいてくれた方が飯もうまくなるしね」
「おい、戸田」

 咎める目で重夫が俺を見る。いいじゃないか、本当のことだ。重夫と顔を突き合わせて食う飯より、河中の顔を見ながら食う飯のほうがうまいに決まっている。

「じゃ、行きましょう。食堂いっぱいになっちゃいますよ」

 動かない重夫の腕を持って立たせる。そのまま腕を組んで歩こうとするのを、重夫はうるさそうに振り払う。なんてもったいないことを。

 俺も男子校に一年いて感覚が麻痺しているのかもしれない。入学したての河中に声をかけた宮本の気持ちがよくわかる。

 その宮本は河中を取り合って重夫とやりあい、重夫に負けて今はおとなしくしている。それでもたまに校舎ですれ違うことがあると、重夫のことをすごい目つきで睨んでくるから、あれは相当恨みに思っているに違いない。

 食堂へ向かう道中、河中は楽しそうに一生懸命重夫に話しかけている。重夫はポケットに両手を入れ、河中から顔を背けて「ああ」とか「うん」とか気のない返事。もっと優しくしてやれよ。河中がかわいそうじゃないか。

  同じ中学のバスケ部(と言っても短い期間だったらしいが)。重夫が河中にドリブルの仕方を教えた。ただそれだけでこんなに可愛い後輩から慕われているのに、重夫は何が不満なのかと思う。

 俺も河中からあんなふうに笑いかけて欲しいもんだ。とりあえず今は重夫のそばにいてそのおこぼれで我慢するか。

「河ちゃんは本当に重夫が好きなんだね」

 俺がそう言うと河中はびっくりした顔で俺を見て、

「中学の時から憧れの先輩でしたから」

 顔を赤くして笑った。

 かわいい……! 胸がキュンとなったぞ。なんか久しく忘れていた感覚。

 俺が重夫だったら、間違いなく間違いを犯しているな。

 ああ、本当にかわってくんないかな。




君が笑った、明日は晴れ(1/89)

2020.04.03.Fri.
なんでも許せる人向け。視点コロコロ、各話長さまちまち、脇役とエロ行為あり、リバあり、女性との絡みあり、皆わりとクズい


 えらく可愛い一年が入学してきた、と戸田がウキウキで話す。男子校の不毛な会話。昼食のあとにわざわざ聞くものじゃない。俺は煙草を指で弾いて捨てた。

 この高校に入るまで、男子校ではホモ行為が横行しているなんて信じていなかったが、実際入ってみると女っけなしで、ちょっと顔の可愛い男は、若い性を持て余した男共からその対象として狙われていた。

 まわりがそんなだからか、あまりそういう行為に対して抵抗が少なく、その中で本物の同性愛者もいれば、ただの性処理としてその行為にはまるものもいて、わりとおおっぴらに、そういう会話もなされてきた。

「なんて名前だったかなぁ、えーっと」

 腕を組んで戸田が考え込む。

「あ、そうだ、河中だ。さっそく三年の宮本さんに呼ばれたらしいよ。あの人、可愛い子好きだからなぁ。あいつ絶対社会に出たら犯罪者になると思うね」
「あー、わかるわ、ソレ。普通に未成年略取とかしそうだもんな、あの人」

 宮本。三年生。ガタイがいい。そしてちょっと頭がおかしい。上級生がいた頃は、宮本に狙われても部活や知り合いの先輩に頼んで助けてもらえたが、宮本が三年生になった今、救ってもらえるアテがなくなり、見目がいいと自覚している男は毎日尻の心配をしなくてはならなくなった。

 可愛いという新入生の河中も色キチの宮本も、俺にはまったく関係ない奴らだ。

「重夫、おまえさっきから携帯いじって何やってんのよ」

 背の低い戸田が俺の手許を覗きこむ。

「律子にメール」

 律子は合コンで知り合った彼女だ。俺よりひとつ上の高校三年生。

「重夫はいいよなぁ、女がいて。俺って童貞のまま高校生活終わるのかなぁ。絶対今年中に童貞を捨ててやる!」

 童貞馬鹿の戸田を無視して律子にメールを送信した。携帯をポケットに仕舞い、立ち上がる。

「戸田、煙草一本ちょうだい」
「ダメ、お前は童貞じゃないから、ダメ!」

 目を吊り上げて腕でバッテンをする。 こいつ、ほんとにバカだわ。

 呆れていると屋上の扉が勢い良く開いた。デカイ図体の男が一人、やってきた。

「山口重夫ってのはどいつだ」
「げっ、宮本じゃん」

 戸田が小さく呟く。

「俺が山口だけど」

 宮本は俺の目の前に立ち、見下ろしてくる。俺の身長が177だから、こいつ、180以上はあるな。

「何か用?」
「河中、こっちに来い」

 宮本が振りかえる。屋上の出入り口からおずおずと一人の生徒が姿をあらわした。

「うそぉ、俺初めて見た、まじ可愛いじゃん」

 戸田が感心したように言う。これがさっき戸田が話していたえらく可愛い一年生、河中か。

 栗色でさらさらした髪の毛、色の白い顔、大きな目、長い睫毛に小さくて赤い唇。確かに、男には見えない。

 河中は怯えた目で俺と宮本を交互に見る。

「河中がお前の事が好きなんだとよ。お前はどうなんだよ」
「はぁ?」

 宮本の言葉に驚いた。

「俺とそいつ、面識ないんだけど」
「こいつはこう言ってるぜ。河中、どういうことだよ」
「あ、あの、僕のこと覚えてませんか? 同じ中学のバスケ部だったんですけど」

 確かに俺は中学の時バスケ部だった。二年にあがったとき先輩と喧嘩してやめた。こんな奴いたっけ?

「僕がバスケ部に入った途端、先輩は喧嘩して部をやめちゃったけど、僕、先輩にドリブルの仕方教わったこと、今でも忘れてませんっ」

 赤い顔で河中が言う。ぜんぜん思い出せない。

「ごめん、覚えてねえわ」

 頭をかいて作り笑いを浮かべた俺を見て、河中は両手で顔を覆った。

「僕、先輩に会いたくてこの高校来たのに」

 あれ、泣いちゃった? 俺が泣かしたの? 自分の顔を指差し、戸田を見た。戸田は無言で頷く。俺が泣かしたのか?

「諦めついただろ、俺と付き合えよ。男子校に入ったら危ない奴に狙われるんだぜ。俺が守ってやるからよ」

 いまこの学校で一番危ない宮本が、河中の肩に腕をまわして耳に囁く。可哀相な一年生の河中君、とんでもない奴に目をつけられちゃったね。それもこれも可愛く生まれて来たせいだよ。そんな顔して男子校に進学してきたからだよ。ご愁傷様。心の中で合掌した。

「嫌ですっ、僕、先輩が好きなんです! 宮本さんとは付き合えません!」

 河中がタッと走って俺に抱きついた。ふわっといい匂い。こいつ、女の律子よりいいにおいする。

 河中が俺に抱きついたのを見て宮本が青筋を立てた。ひきつる笑みを浮かべ、指を鳴らす。

「こうなったらどっちが河中を取るか、勝負といこうや」
「え、ちょっと、俺は別にこいつを取り合ってなんかないんだけど」
「先輩、負けないで! 僕を守って!」

 なに俺の応援してんだ。宮本の顔に青筋が増えてるじゃねえか。

「河中君、危ないからこっちおいで」

 フェンス際に立つ戸田が河中を手招きする。はい、と返事をし、河中が俺から離れ、戸田の横に立った。

「かかって来いや、こらあ!」

 唾を飛ばして宮本が叫ぶ。面倒くさい。

「俺とあんたがやり合う意味、なくない? そこの河中っての、つれてってくれて構わないから」
「お前をぶっ倒してからもらって行くよ!」

 宮本が殴りかかってきた。本気だ、この人。咄嗟によけてその腹を殴った。前に傾いた顎に膝をあてる。のけぞった右頬を殴りつけた。宮本が後ろに倒れる。

「あぁ、やっちゃった。俺、先に教室戻ってるから」

 気が短くて喧嘩っ早い性格がこの時は幸いした。それなりに喧嘩慣れしているおかげで、とち狂った宮本に殴られずに済んだ。

 教室に戻ろうとする俺の背中に河中が抱きついてきた。

「先輩、僕のためにありがとうございます。やっぱり僕、先輩のことが好きです」

 振りかえって河中の真っ赤な顔を見た。本当にぱっと見は可愛い女の子に見える。宮本でなくても、こいつを気に入ってものにしたがる男はたくさんいるだろう。

「お前、気を付けろよ。男子校はお前が思う以上に危険な場所だぞ。暗い所や人気のないとこに行くなよ」

 同じ中学のバスケ部だった(らしい)よしみで忠告してやった。

「だったら先輩が僕を守ってください。僕と付き合ってください」

 胴体にしがみついたまま俺の顔を見上げてくる。潤んだ目で見られると、こいつが男だか女だかわからなくなってくる。

 おいおい、俺には律子がいるだろう。女に飢えて男を食ってる童貞と同じにはなりたくない。

 河中の肩を持って引き剥がした。細い肩だ。

「俺は彼女いるし、宮本みたいな趣味もないから。ごめんな、他の奴探してくれよ」

「嫌です、先輩じゃないと嫌です! 僕本当に先輩に会いたくてここまで追って来たんですよ。そんなこと言わないで下さい」

 そう言われましても……。俺は河中の事覚えてもいなかったんだぜ。

「戸田!」

 しゃがんで宮本の顔に落書きしていた戸田が顔をあげた。そんなことしてあとで宮本に殺されても知らんぞ。

「こいつのこと頼むわ。なんか、俺の苦手分野だから」

 何か言い募る河中を突きはなし、屋上をあとにした。

 河中の存在が今後の俺の高校生活に大きな影響を与えてくるなんて、この時は思いもしなかったわけで。




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