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ドッペルゲンガーくん(3/3)

2020.03.02.Mon.


 怯える今田の手を引いてホテルに入った。部屋の中に来ても今田はそわそわと落ち着きがない。まだ文ちゃんとそこまで経験してないんだな。付き合って一週間だから、キスくらいかな。……キスはしたのか。自分で考えたことにむかついた。

 今田の肩を持ってこちらに向かせ、僕は自分から唇を押しつけた。初めてキスした相手が男か、頭の隅でそんなことを思ったが、すぐ柔らかな感触に夢中になった。見様見真似で舌を入れて口の中をまさぐる。

「んっ」

 鼻から抜けるような声が聞こえた。色っぽい。男なのに、馬鹿の今田のくせに、すごく色っぽい。僕はどうしようもなく興奮している。

 今田のほうが背が高くて、僕は爪先立つのに疲れ、今田をベッドに押し倒した。上になってさらに唇を貪る。

「はっ、あ……ちょ……っ」

 喘ぎながら今田が軽く僕の体を押し返す。弱い抵抗。五分ほどキスしていた。それだけで頭がぼうっとなるほど気持ちいい。キス以上のことをしたら、もっと気持ちよくなるのだろうか。

 目を動かし、ベッドのそばのアイテムを確認する。ティッシュ良し。あれはコンドームか、良し。あのボトルはなんだ? もしかしてローションか? ならば良し。

 今田の制服のボタンを外した。

「えっ、わ、ちょ」

 慌てた今田が体を起こし、僕の手を握る。

「ちょっと待って、ぶ、文ちゃん」

 こんなときに別の男の名前を呼ばれるのってショックだな。僕を文ちゃんだと思い込んでいるなら今夜のことはひどい思い出になるようにしてやろうか。そうしたら今田は文ちゃんを嫌いになって僕のところへ来るかもしれない。

 邪悪な考えに思いを巡らせていると、今田に両手で頬を挟まれた。

「本気なの?」

 額をひっつけて真面目に聞いてくる。

「本気だよ」
「駄目だよ」

 意外にも今田は即座に拒否した。僕が尾崎悟だと見破られたのか。がそんな心配は必要なかった。

「俺、君のことがすっごく好きなんだ。初めて見た時から大好きなんだよ。大事にしたいって思ってるんだよ。勢いだけでこんなことしたくないよ」

 今田は本物の馬鹿だった。馬鹿の上に、嫌になるくらい純情だった。そこまで思われている文ちゃんが心底羨ましかった。そして猛烈に嫉妬した。

「僕はあんたが好きだ、あんたにも僕を好きになってもらいたい」

 文ちゃんとしてでなく、尾崎悟として告白した。だけど今田は文ちゃんから言われたと思って泣くほど感激している。泣くなよ。慰めるだけの余裕、いまの僕にはないんだから。こんな思いをしなきゃいけないなんて、入れ替わるのもなかなか辛いな。

「俺、嬉しい、嬉しいよ」

 今田はヒックとしゃくりあげた。

「俺も好き、大好き、もうね、理屈抜き、運命だったんだよ俺たち」

 黙っててくれ。キスして口を塞いだ。今田も積極的に舌を絡めてくる。僕が制服を脱がせても抵抗しない。あらわになった胸板にもキスする。小さな突起を口に含んで舌で転がす。

「はっ、あ、んっ」

 ビクビクと今田の体が浮き上がる。僕の愛撫に感じてくれてる。ツツと舌を這わせながら下におりていく。

「だめ、だめだよ、そんなとこ……」

 弱々しい声。それを無視して半立ちのものを咥えた。いままでまともな恋愛経験のなかった僕が、キスした上フェラまでしている。だけど相思相愛の相手じゃない。やっぱり僕はまともな恋愛なんて出来ないのかもしれない。

 舌の先に独特な味のものを感じた。今田の先走りか。初めての相手が今田で良かったよ。僕のこと好きじゃなくても、僕は君が好きだから、なんだってしてやるよ。

 吸い上げながら顔を上下に動かす。指は今田の乳首をいじりながら、舌と頬を使って性器を揉みしだくように舐め上げた。

「あっ、あ……ぅん……く、だめ、だめ、やめて、出ちゃうよ、やだよ……」

 今田に肩を揺さぶられたが続けた。今田の精液を飲みたかった。これで最後なら、余すところなく、今田の全てを味わいつくしたかった。僕は速度をあげた。

「ああぁっ、だめってば、ほんとに、だめっ、あっ……やだ……やっ……イッちゃうよ、あ、イク……ごめん、おざき、くん!」

 最後の言葉に僕は動きを止めた。次の瞬間口の中に溢れるほど吐き出された精液をのどに詰まらせ、大きく咳き込んだ。

 苦し、マズッ! いや、待て、いま、なんて言った。尾崎って呼ばなかったか? 僕の聞き間違い? 違う、いくらこいつの滑舌が悪いからって、文ちゃんと尾崎くんの区別がつかないほどじゃない。じゃどうして文ちゃんじゃなく、尾崎と呼んだんだ?

「ど、して……?」

 涙目になりながら今田を見る。自分で気付いていないようで、今田は「出しちゃってごめんね」と手を合わせた。

「どうして、僕を尾崎って呼んだんだ?」

 今田がハッと息を飲む。失敗を思い出したバツの悪そうな顔で目を泳がせる。僕の頭に一つの可能性が閃く。

「最初から僕が尾崎だとわかっていた?」
「ごめん!」

 ベッドの上に今田は土下座した。待て待て、落ちつけ僕、冷静になるんだ、よく考えるんだ。

「いつから僕が尾崎だと……いや、そうじゃないな、そうじゃない……」

 もつれていた糸がほどけるように、いろいろなものが見えてきた。

「最初から文ちゃんなんて……存在、しないのか?」

 シーツに頭をこすりつけ、今田は「ごめん!」と叫んだ。つまりは肯定。文ちゃんは存在していない。

 文ちゃんと僕を間違えたのも、最初からこいつの芝居、嘘だったわけか。僕に似ている人物を作り、人間違いのていで僕に話しかけてきた。

「どうしてそんなこと?」
「尾崎くんが好きだから! これはほんとに嘘はないよ! それだけは信じて!」

 今田は必死の形相だった。短い付き合いだけれど、それが演技でないことはわかる。

「さっき泣いたのは」
「尾崎くんから好きだって言われて嬉しかったんだよ。それが文ちゃんの振りしてるだけでも、俺、すっごい嬉しかったんだよ」

 その目にまた涙が浮かび、あふれたものがポタリと下に落ちた。目元に口を寄せると、今田は目を閉じた。少ししょっぱい涙を舐めとる。

 まだ混乱しているけれど、とりあえず僕たち、両思いってことでいいんだよな。小賢しい真似をされたことは不愉快だが、それもこれも僕に近づくため、僕を好きであるが故だと許してやろう。

「あれは文ちゃんの振りして言ったんじゃない、僕の本心だ」

 目を開けて「ほんとに?」と訊ねてくる今田は頼りない小動物のようだった。安心させるように僕はゆっくり、力強く頷いた。

 今田が飛び掛かってくる。抱きしめられたまま、今度は僕が押し倒された。今田からの熱烈なキスを受けながら服を脱がされていく。

 今田が塾の帰りを待ち伏せしていたのは、僕が制服を着ていない、且つ、いつも決まった時間と場所に現れるからだろう。制服が違えば人間違いという前提が成立しにくいし、僕と同じ学校という設定にしたら、僕に文ちゃんという架空の人物を探されてしまう。それじゃ計画がうまくいかなくなる。

 今田の頭が胸元にさがり、僕の平らな胸を吸い上げる。いつの間にか全裸になっていた僕の股間は、なんら手を加えられることなくフル勃起。それを今田が掴んでゆっくり扱いていく。

 他人に触られるのってすごく気持ちいい。人の肌の温もりや感触って、とても落ち着くし、心地がいい。すべてを今田にゆだねてもいいと思えてくる。

「気持ちいい?」

 遠慮がちに今田が問う。

「……気持ちいいよ」

 僕の声と息遣いが乱れる。

「よかった、俺、下手かもって心配した」

 可愛いことを言う。

「じゃあ、もうかわってもらえる? 僕はこっちのほうが性に合ってるみたいだ」

 再び今田をベッドに寝かせる。イチかバチかで、ベッドの脇のボトルを掴みとる。蓋をあけて中身を出すと、僕の読み通り、ローションだった。

「入れるよ」

 ん、と体を硬くする今田の後ろの穴に指を差し込む。あったかいな。早くこの中に入りたいな。僕は一生恋人を作れずに、童貞のまま死んじゃうかもしれないと絶望した時期もあったけれど、これで大丈夫だ、はれて童貞卒業だ。

 僕の指をくわえ込む今田は、顔も体も赤く染めて壮絶に色っぽい。時折、なにかスイッチが入ったみたいに、僕の指の動きに合わせて体を震わせる。感じているみたいだ。本当にここで感じることができるんだな。感心しつつ、面白くなっていろいろ中で動かしてみた。

「あっ、や……、そこっ、尾崎くん、へんな感じした……、もう、やだって……!」

 ビクビクと体を浮かせる。本当にこいつは可愛い。初めて手にいれた恋人をぜったい手放すものか。いままで恋愛したことがなかった僕の執念はすごいんだぞ。

「尾崎くん、俺、イッちゃうよ……」

 半泣きになって今田が訴える。だから? 僕はとぼける。

「だから、もう……入れてよ、俺、もたないよ」

 擦れた声で甘えたように言う。めちゃくちゃにしたくなるほど可愛い。

「いままで何人と付き合った? 僕はゼロだ」
「俺、ふ、たりっ……、尾崎くん入れて三人……!」
「男? 女?」
「おんな、ふたりとも……あ、あっ」

 僕の指が抜けると名残惜しそうに尻を締めつけた。安心しろ、またすぐ入れてやるから。

「僕が初めての男、だね」

 今田の腰を引き寄せながらズブリと突き入れる。丹念に丁寧にほぐした甲斐あってか、一気に奥まで入り込んだ。想像以上に温かくて柔らかい。全体からぎゅうぎゅう僕を締めつけて絡みついてくる。これは癖になる。

「は……あ、あぁ……、すご、尾崎くん……俺、幸せすぎてどうにかなりそう」
「なっていいよ、僕が責任取ってあげるから」

 僕はゆっくり腰を抜きさしした。そうやってだんだん今田の中が僕の形に慣れていく。摩擦によってローションが温められ、滑りがよくなり、グチャグチャと卑猥な音を立てる。スムーズに、早くなっていく腰の動き。夢にまで見たピストン運動。

「うっ……んっ、あっ、あぁっ……、恐いよ、こんなに……感じちゃっていいのかな……あ、んっ」

 いいに決まってる。お互い敏感な部分を擦り合わせてるんだ、感じなくてどうする。気持ち良くならなくて、体を繋げた意味があるのか。

「あっ、んあ…っ…あっ……あっ……お、ざき、くんっ……気持ち、い……気持ちいいよ……は、あん!」

 気持ちいいと言われて嬉しくなる。夢中で腰を振った。今田を気持ちよくさせるため、僕が気持ちよくなるため。僕のすべてを、今田に捧げるため。

 恋愛にうつつを抜かす連中を馬鹿にしてた。好きだの嫌いだの一喜一憂して騒ぐ奴らを見下していた。僕のほうこそ馬鹿だった。人を好きになるってなんて素晴らしいことなんだろう。今田の勇気がなければ、僕はこの感情を知らずにいたんだ。

「好きだ、好きだ、好きだ、好きだ……」

 うわ言のように繰り返す。17年、誰にも言えなかった言葉、誰にも捧げることのできなかった愛情、ありったけ全部を、僕は今田の中に注ぎ込んだ。

 ~ ~ ~

「今年の文化祭、あのときに俺、尾崎くんに一目惚れしたんだよねぇ。ちなみに文ちゃんの由来も文化祭から」

 ホテルを出て、僕たち二人は駅に向かって歩いていた。いろいろ聞きたいことがあった。そのひとつがまず、いつどこで僕を知ったのか。

「尾崎くんさ、焼きそば作ってただろ? 親のカタキ! みたいな、すっごい恐い顔で。作り終わったらダルそうな感じ丸出しで、嫌々店番してたっしょ?」

 覚えてる。今年の文化祭、うちのクラスは露店を出した。交代で店番をしたのだが、途中よそのクラスを見る約束があるとか、友達が来てるから案内してくるとか言って、一人、また一人と抜け、最後は僕だけになってしまった。三十分ほど、僕一人で店番をさせられた。

 今田が言う通り、僕は嫌々焼きそばを作っていた。誰も来るなというオーラを全身から発散させまくっていた。あれのどこに一目惚れする要素があったんだ?

「すっげえ恐い顔で焼きそば作ってんなーって思って見てたんだけどさ、途中、小さい子供がやってきて、尾崎くん、その子にやきそば奢ってやっただろ? あれってお金足りなかったんじゃないの? だからお金はもういいって追い返してたんだろ? 俺見てたよ」

 あー……、あったな、そんなことが。小学校低学年くらいの子供が焼きそばを買いに来た。だけど300円しか持ってなくて500円の焼きそばは買えなかった。面倒だったから、一皿渡して追い返したんだ。

「すんごい嫌そうな顔してたくせに、すんごい優しいことするからさ、俺、惚れちゃったんだよねぇ」

 思い出してしみじみ語る。優しさというより、ただ店の前でベソかかれたのが面倒だったから奢っただけなんだけど。それにあのあと、お金入れてないし。奢ったというか、パクッたのを渡したというか。まぁいい。今田のなかで美化されているものをわざわざ汚す必要はない。

「僕はそんなに優しくないよ」
「優しいよ、尾崎くんは」

 僕が優しくなれるのは今田に対してだけだ。それもあえて言う必要はないか。

 駅の前についた。

「だけど尾崎くん」
「うん?」
「ほんとに俺なんかでいいの? 尾崎くんが言うように俺馬鹿だし、男同士だし、得なことなんかなんもないよ?」

 逆に僕なんかでいいのかと問いたい。本当に優しくて可愛い奴だ。

「そばにいてくれるだけで僕は充分幸せだ」

 顔を赤くして今田はコクリと頷いた。黒幕が誰かわかったことだし、今田とは次に会う約束をして駅で別れた。この近所に住んでいるのは、文ちゃんではなく、今田本人だった。

 ~ ~ ~

「あいつがバラしたのか?」

 黒幕はずばりおまえだ、と指差したら太田はすんなり認めた。

「バラしてないよ、残る登場人物で黒幕に当てはまるのはおまえだけだ。うちの文化祭は入場券がないと入れない。おまえは友達が来たからと僕に店番を押し付けた。友達って今田のことだったんだ、そうだろう?」 
「しかしそれだけじゃ俺が黒幕だって言いきるには甘いな」
「ドッペルゲンガー作戦、とでも言っていたのか?」

 太田はハッとした顔つきになった。図星か。安直なコードネームだ。

「あの馬鹿にあんなまどろっこしいやり方は思いつかない。あいつは僕を紹介して欲しいとおまえに言ってきたはずだ。おまえはそれじゃ面白くないから、こんな手の込んだくだらない遊びを思いついたんだ。僕には恋愛経験がないから、例え人違いでも口説かれたら簡単に落ちるとか言って、あいつを口車に乗せたんだろう。辻褄合わせの細かい指示は、おまえが裏でその都度出していたんだ、違うか」

 天井を見上げて太田はゆっくり首を振った。

「ご名答。あいつが馬鹿じゃなけりゃバレなかったのに」
「俺の今田をおまえが馬鹿って言うな」
「ずいぶんあいつに入れ込んでる様子だけど、俺を責めるのか?」
「責めたりしないよ、おまえの掌で踊っていたのかと思うとむかつくけど、今回は見逃してやる。ただし今後、僕たちに余計な手出ししてきたら許さないからな。……井本さんと言ったっけ?」

 太田は本気の動揺を見せて顔色をかえた。井本は太田が中学の頃好きだったという女子。二度告白して二度とも振られたらしい。昨夜、今田から聞き出した。聞き出したのはそれだけじゃない。井本のメールアドレスもついでに教えてもらった。

「今回のお礼に、僕がかわりに告白メール送っておいたから」
「えっ、お、おまえ……!」

 ちょうどその時、太田のポケットから携帯の着信音が聞こえた。時間通り。いいタイミングだ。

「出ろよ、きっと井本さんからだ」
「えっ、なんで」
「告白の返事は電話で直接して欲しいって書いておいた。いまがちょうど指定した時間だ」

 教室の時計を見た太田は、僕に向きなおると憎々しげに舌打ちした。

「おまえってほんとに性格悪いな」
「お互い様だ」

 にっこり微笑む。そんな僕を睨みつけながら太田は携帯電話を取り出し、耳に当てた。会話を聞かれたくないのか、僕から離れていく。案外、三度目の正直があるかもしれないぞ。そんな可能性は限りなく低いだろうけれど。振られたって僕には関係ない。ざまあ見ろと笑ってやるよ。




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ドッペルゲンガーくん(2/3)

2020.03.01.Sun.
<前話>

「興味深いな、ドッペル君」

 僕の話を聞いた太田は、にんまり笑った。なんだドッペル君て。あいつは今田だ。

「いままでの話でわかったのは、文ちゃんとおまえが似てること、年も同じなこと、おまえが行ってる塾の近所に住んでること、茶髪パーマのホモに好かれてること、茶髪パーマはおまえと文ちゃんの区別もつかないほど頭が悪いこと、くらいか」

 と確認してくるので「今田は運動神経も悪い」と付けたした。でなきゃボールを顔で受けたりしない。そうだった、と太田が頷く。

「三度も間違えておいて、いまだに学習しないなんて、今田って奴は本当に馬鹿だな」

 太田は呆れたように言った。僕も同感だ。同じ場所、同じ時間帯で見かけたら、文ちゃんじゃなくて僕かもしれないと普通疑うと思うのだけど、あいつは僕を文ちゃんだと思い込んで話しかけてくる。

 待ち伏せするくらい好きらしいから、会えた嬉しさに舞い上がって過去の失敗を忘れてしまうのかもしれない。だとしたらニワトリ並みの記憶力だな。

「それくら馬鹿な奴なら、文ちゃんのふりして話合わせたら最後まで気付かないんじゃないか?」
「さすがにそこまで……」

 言いかけて口を噤む。今田のアホ面を思い出したらそれもありえそうな気がしてきた。

「だからって僕はやらないよ、あとでバレたら怒るだろ」
「バレやしないって。だって馬鹿だもん、ぜったい気付かない」

 人前で言うことじゃないと良識人ぶってたくせに、おまえだって馬鹿馬鹿言ってるじゃないか。なんだか気分が悪い。

「一度も会ったことないくせにあいつのこと馬鹿って言うな」
「でも馬鹿なんだろ? おまえの話で何回、馬鹿って単語出てきたと思う? 10回は出てたぞ」

 僕はいいんだ。実際あいつの馬鹿を目の当たりにしてるんだから。

「じゃ、バレるかバレないか賭けようぜ。俺はもちろんバレないほうに賭ける」

 悪い顔つきで太田は身を乗り出す。目が自信に輝いている。僕だってバレないほうに賭けたいのに、それじゃ勝負にならない。言ったもん勝ちか。ずるいじゃないか。太田を睨んでいたら、

「あ、やっぱ俺、バレるほうに賭ける」

 と言い直した。

「なぜ」

 驚いて聞き返した。

「だって、あいつが本当に馬鹿かどうかの検証なのに、賭けに勝つためにおまえがわざとバラす可能性があるだろ。それじゃ意味がない。だから俺はバレるほうに賭ける。勝ちたかったら、せいぜいバレないように演技しろよ」

 なるほど、そういうことか。

 チャイムが鳴った。

「ビビんなよ」

 ボソリと呟き、太田は自分の席に戻って行った。ビビッてるわけじゃない。あんなアホ怒らせたって恐くてもなんともない。いいだろう、やってやろうじゃないか。

 いつの間にか、文ちゃんの振りをする気になっていた。太田に乗せられた。

 ~ ~ ~

 今日は雨が降っていた。霧みたいな小雨で、たまに風が吹くとふわりと流されてくる。傘をさすほどでもないけど、ささないと服の表面に雨の粒がまとわりついて鬱陶しい。嫌な天候。さすがに今日は今田も待っていないよな、と思いながら塾を出て傘を広げた。

 少し歩いたビルの軒先から、僕を待ち構えていたように人影が飛び出してきた。顔を確認するまでもなく、今田だった。僕は溜息をついた。

「雨が降ってるのに今日も待ってたのか。ほんとに暇だな」

 しかも傘もささずに。馬鹿じゃないか。

「だって文ちゃんに会いたいんだもん。一目見られただけで俺は幸せなのさ」

 文ちゃんというワードが出た。ここで否定してやるのが人の道というものだ。

 迷ったとき「ビビんなよ」と人を見下すように言った太田の顔を思い出した。だからビビッてなんかないって。

「そんなに僕が好きなの」

 冗談めかして言う。バレたとき、言い訳できるように。僕の軽口を受けて今田は顔を真っ赤にした。見ている僕が驚くほどのかわりよう。

「あ、うん、好き。大好き。寝てるときも、起きてるときも、俺、文ちゃんのことばっか考えてるよ」

 照れているのか、体をくねらせながらデレデレと笑う。ほんとにベタ惚れなんだな、文ちゃんに。そこまで好きなくせにどうして赤の他人と間違えるんだ。やっぱり馬鹿なんだな。

「僕のどこが?」

 好奇心で訊ねる。

「それ聞いちゃう?」

 赤い顔のまま、今田は首の後ろをかいた。

「聞かせて」

 僕とそっくりな文ちゃんを、男同士ってことが問題にならないくらい、なぜそんなに好きになれるのか、興味があった。

 僕はいままで恋愛に夢中になったことはない。小/学生の頃、人並みに好きになった女の子がいたけれど、当時の僕はがり勉で嫌味な奴という評判だったからみんなから嫌われていた。意中の女子もその例外ではなかった。だから僕も結果的に自分を嫌っている奴らを嫌い、親しい友人すら作れないまま中学にあがった。

 中学でモテるのはちょっと悪ぶった奴と、スポーツができる奴。どちらにも当てはまらない僕はやっぱりがり勉のまま。こいつら全員見返してやるつもりで勉強一筋に頑張ってきた。

 だから僕は恋愛の経験がほとんどない。今田みたいに、好きな人に好きだと言えないし、一度断られても諦めないで待ち伏せを続ける根性もない。そのエネルギーと勇気はどこからわいてくるのだろうか。不思議でたまらない。

 僕にじっと見つめられて、今田は落ち着きなく目を泳がせた。

「文ちゃんの好きなとこはね……」

 ポツリとしゃべり出す。

「こう、なんていうか……恐いっていうか、鬼気迫る感じのときと、優しいときのギャップ? っていうの? そういうの好きだし、はっきりしゃべる感じも好きだし、強そうで近寄りがたいんだけど、守ってやりたくなるっていうか守られたくなるっていうか、全部知りたくなるっていうか、こう、ぎゅっと抱き締めたら最後、一生離したくなくなっちゃうような、魔性を秘めてるっていうか、可愛いっていうか、構いたいっていうか……」

 思いつく限りの感情を必死に説明しているのはわかるが、とりとめなくて僕にはなにがなにやら。本当にそれ、文ちゃん一人のことを話してるのか? 僕に似てるはずなのに、自分とは当てはまらないものが多すぎる。文ちゃんっていったいどんな奴なんだ。

「男同士でも好きなのか」
「一目惚れだもん、関係ないよ」

 ずいぶんあっさり言うんだな。僕ならその事実にずっと悩まされそうだけれど。

「文ちゃん」

 熱っぽい目で今田が僕を見る。舌を出して唇を湿らせてから

「俺、本気だよ、本気で文ちゃんが好きだよ。俺と付き合えないか、もう一度よく考えてみてくれないかな?」

 今田は真剣だった。真剣に、文ちゃんだと思って僕を見つめている。自分が告白されたみたいに動悸が早くなった。隙間のない一途な視線が僕の呼吸を乱れさせ、胸を苦しくさせる。

 だけど今田の目は僕を見てはいないんだ。尾崎悟じゃなく、文ちゃんを見ているんだ。馬鹿だな、相手は文ちゃんじゃなくて僕なんだぞ。そんなに好きなのにどうして気付かないんだ。早く気付いてくれたら、こんな気まずい思いしなくてすんだのに。

「ごめん、僕、文ちゃんじゃないんだ」

 賭けなんかどうだっていい、僕は罪の意識から逃れたくて白状した。今田が「え」と虚をつかれたような顔をする。

「もう、ここで文ちゃん待つのやめてくれる。場所、かえて。間違われるの、これで四度目だ」

 今田の顔から目を逸らして早口に言う。いくら馬鹿でもさすがに怒っただろう、傷付いただろう。それを直視する勇気はなかった。だって今田はいつも笑っていたから。それ以外の表情なんて想像つかない、見たくない。

「じゃっ」

 逃げるように駅の中へ駆け込む。改札を抜けたところで「ごめん!」と声がかかった。

「俺気付かなくって、変なこと言ってごめん! 尾崎くん、ごめん!」

 騙されていたと知っても今田は怒らなかった。逆に僕を気遣いごめんと謝ってきた。本当に馬鹿がつくほどお人好し。

 背中に感じる視線。今日はとても居心地が悪い。

 ~ ~ ~

 今日はさすがにいないだろうと思って塾を出たが、今田はガードレールにもたれて待っていた。それを見た瞬間、緊張と安堵が入り混じって複雑な気分になった。なぜほっとしたのかわからないからうっちゃったら、次に怒りがこみあげてきた。ほんとにこいつ、学習しない。場所かえろって言っただろ。なんのために僕がバラしたと思ってるんだ。賭けを無効にしたからって、結局太田にメシ奢らされたんだからな。

「僕は尾崎だよ」

 すり抜けざま、今田の顔を見ないで言い放つ。

「わかってるよ、ついさっきまで文ちゃんと会ってたから」

 文ちゃんと? 思わず足が止まってしまった。振り返った僕と目が合うと、今田はにこりと無垢な笑顔を見せた。いつもの、無防備な笑顔。火照ったように顔が少し赤いのは、さっきまで文ちゃんといっしょだったからか。

 今田は先日のことをまったく怒っていないようだった。逆に機嫌よさげにニコニコ笑っている。面と向き合うのが妙に気恥ずかしくて、僕は道路の向こうにある店の看板に視線を逸らした。

「じゃあいったいなんの用?」
「報告。実はね、俺、文ちゃんと付き合えることになったんだぁ。尾崎くんには何回か迷惑かけちゃったみたいだから、一応、教えておこうと思ってさ」

 とても幸せそうな顔で今田は体をよじる。舞い上がると体をくねらせる癖があるみたいだ。

「へぇ、付き合うの、それは、おめでとう……」

 自分でも気の抜けた声だと思った。想像したこともなかったことを突然聞かされたから、どう反応していいかわからなかった。まさかこいつが文ちゃんと付き合うなんて、考えもしなかった。ずっと片思いしてるんだと思い込んでいた。僕に似てる文ちゃんが、こいつを好きになるはずないんだから。

「やっぱり僕と文ちゃんは似てなかったね。僕はあんたみたいな軽薄な奴、ぜったい好きにならないよ。第一男同士っていうのがありえない」

 今田の笑顔が凍りつく。僕はなにを言っているんだろう。どうしてわざと今田を傷つけるようなこと言ったんだろう。僕はこいつを怒らせたいのかな。いや、現時点で怒ってるのは僕のほうだ。そうだ、僕は怒ってる。とても頭にきてる。なにに? こいつが文ちゃんと付き合うことに? なぜ?

「これでもうあんたの顔、見なくてすむね。清々するよ。じゃ、さよなら」

 今田をさらに傷つけることを言いながら、なぜか僕まで傷ついていた。今田に背を向けて歩き出す。追いかけてくる気配に「ついて来るな!」僕は怒鳴った。背後で足音が止まる。

「尾崎くん……」

 頼りない今田の声。

「あんたの顔見たくないって言ってるんだ。察しろよ。だから馬鹿なんだ!」

 僕は駆けだした。今田はついてこない。駅まで走って階段を駆け上がる。ホームについて呼吸を整える。胸が苦しい。肺が痛い。なんだろう鼻の奥がツーンと痛む。じわじわとなにかが目元まであがってくる。

 電車がホームにやってきた。それを見る僕の視界は、水槽の中みたいに滲んでいた。

 ~ ~ ~

「最近、ドッペル君のはなし聞かないけど、会ってないのか?」

 頬杖ついて窓の外を見ていたら、太田が隣にやってきた。だるいから無視する。

「この一週間ほど元気ないけど、もしかして自分のドッペルゲンガーに会ったのか?」

 茶化すように言う。むかつくから二度無視しよう。

「ドッペルゲンガーに会ったらなぜ死ぬと思う? ドッペルゲンガーが、本人と入れ替わるためなんだってさ。もしかして本物の尾崎はもう死んでいて、いま俺が話してるおまえがドッペルゲンガーのほうだったりしてな」

 馬鹿馬鹿しくて否定するのも面倒臭い。三度無視しよう。

 いま、僕の頭の中は今田のことでいっぱいだった。あの日以来、今田には会っていない。塾終わり、ガードレールにもたれて待っていることもない。駅までの短い距離、どこにも今田の姿はなかった。

 あんなこと言われたんだから当然だ。どれだけ気が優しくてお人好しだとしても、顔も見たくないと言われたらさすがに怒るだろう。もう二度と会いたくないだろう。

 それに今田は僕を待っていたんじゃなくて文ちゃんを待っていたんだ。その文ちゃんとも両思いになり、待ち伏せする必要もなくなった。もう僕が文ちゃんと間違えられることもない。

 今田に言った通り、清々していいはずなのに、僕の心は晴れない。今田にあんなことを言ってしまった後悔もあるが、それとは別に、今田が気になった。

 たぶん、僕は今田のことを好きになりかけていた。いや、もう好きになっていたのかもしれない。

 人違いとは言え、好きだの付き合って欲しいだの熱く口説かれていたんだ。恋愛の免疫がゼロの僕には我がことのようにドキドキする出来事だった。

 あの頭のネジが緩んでいそうな顔も可愛く思えてきていた。滑舌の悪さも耳に甘ったるく聞こえてきていた。いつも笑っている顔に胸がときめいた。馬鹿がつくほどのお人好しにたまらなく庇護欲がかきたてられた。アホ過ぎて放っておけない。あれは誰かがそばで面倒をみてやらなければ無事に生きていけない。

 弱肉強食のこの世界、あいつは真っ先に獣に狙われるタイプだ。僕が守ってやりたいと思い始めた頃、目の前で文ちゃんに掻っ攫われた。僕と似ている男に。こんな悔しいことがあるか。

 内も外も似ているなら、文ちゃんじゃなく僕があいつから好かれていてもいいはずなんだ。たまたまタイミングが違っただけ、どちらが先で後だったか、たったそれだけの違いで、あいつは文ちゃんを好きになった。

 考えれば考えるほどむかつく。最近、鏡を見たら見たことのない文ちゃんと姿がだぶって朝から精神がささくれ立つ。

 僕が自分の気持ちにもっと早く気付いていたなら、今田にあんなこと言わなかった。あんな最悪な別れ方をしたんだ、僕はきっと今田に嫌われた。もう二度と会えない。なのに僕とそっくりの文ちゃんは今田に堂々と会える。それどころか恋人としてあんなことやこんなこともヤッてるに違いないんだ。

 あぁ、くそう、考えたら余計むかついてきた。第一なんだよ文ちゃんて名前! 文鳥か!

 今田が、男同士なんて関係ないと言っていたけれど、今の僕ならそれがよくわかる。そんなのほんと、どうでもいい。僕はもう一度今田に会いたい。会ってこの間の暴言を詫びて、改めて僕と文ちゃん、どっちを選ぶか決めてほしい。……僕に勝ち目はないだろうけれど。

 ~ ~ ~

 僕が今田にひどいことを言った、実に一週間ぶりの塾帰り、ひょっこり今田は僕の前に姿を現した。今日も制服姿。僕を見てはにかむ。

「や、文ちゃん」

 僕を見て、今田は文ちゃんと言った。会えた嬉しさが一瞬で消し去る。むっとなる僕の眉間に皺が寄る。

「あれ、なんで怒ってんの? 待たせちゃった?」

 今田は腕時計を見た。

「待ち合わせの時間より10分早いよ、どうしたの?」

 なんて勘違いしたまま僕に優しく訊ねる。ふぅん、今日は文ちゃんとデートなわけか。よりによってどうしてこんなところで待ち合わせしてるんだ。僕へのあてつけか。いや、今田は僕の気持ちなんか知らないか。待てよ、僕と似てるなら文ちゃんの差し金か? 疑心暗鬼は底がない。

 僕は尾崎だよ、訂正しかけて口を閉ざした。

『ドッペルゲンガーに会ったらなぜ死ぬと思う? ドッペルゲンガーが本人と入れ替わるためなんだってさ。もしかして本物の尾崎はもう死んでいて、いま俺が話してるおまえがドッペルゲンガーのほうだったりしてな』

 太田の言葉がまるで天啓のように僕の頭にひらめいた。そうだ、僕が文ちゃんになればいいんだ。今田は馬鹿だから言われるまで気付かない。今度はぜったい自分から教えてなんてやるもんか。

「ねぇ、なんで怒ってんの?」

 僕がむっつり黙っているので、今田が心配そうな顔をした。僕はにっこり笑った。

「ホテル行こう」

 一拍置いたあと「えええぇえぇっぇぇっ!」今田は目を剥いて絶叫した。




ドッペルゲンガーくん(1/3)

2020.02.29.Sat.
 塾を出た途端、くしゃみが出た。誰か僕の噂話でもしてんのか。単に、パーカーって薄着だからか。鼻をこすったら指に鼻水がついた。風邪か。

「あーれぇ? こんなところでなにしてんの?」

 いきなり甲高い声がしたと思ったら背中をばしんと叩かれた。痛みに顔をしかめながら振り返る。茶髪パーマの高校生が、アホみたいな顔して笑っていた。見たことのある制服。たしか、自分の名前を間違えずに書けて、二桁の足し算、引き算が出来たら誰でも入学できると噂の、県内でも最低ランクの学校。

 ずいぶん親しげに笑いかけてくるけど、こんなアホ、僕の知り合いじゃないぞ。

「どちらさんで」

 言いかけてはたと気付いた。

「カツアゲですか?」

 こんな頭の軽そうな奴に金を取られるのは癪だけど、僕は鞄の中の財布を探した。抵抗したら仲間が出てきてボコボコにやられるんだ、だったら最初からおとなしく金を渡したほうが利口だ。

「なに言ってんだよぉ、おまえってば」

 茶髪パーマは裏返ったような声で言い、また僕の肩を叩いた。

「俺だよ、今田だよ」

 男の滑舌は悪かった。かろうじて聞き取れたが、つい「ヒマダ?」聞き返してしまった。茶髪パーマは怒らず爆笑する。うるさい。

「そりゃ俺いつも暇だけどさぁ、暇田なんて名前じゃないよぉ、もう、うける」

 とまた手を振り上げたので横にずれてそれをかわした。こいつ、いったいなにがしたいんだ?

「ご飯は? ご飯食べた? 俺まだなんだけど、文ちゃん、いっしょに行かない?」

 ぶんちゃんて誰だ。

「人違いしてますよ、僕、文ちゃんじゃありませんから」
「なに言ってんの、どっからどう見ても文ちゃんじゃん」

 だから大声出すな。僕をじろじろ見るな。

「僕は尾崎です、尾崎悟です」
「おざきさとる……」

 茶髪パーマは神妙な面持ちで呟いた。

「文ちゃんじゃないの?」
「違うと言ってるでしょう。それじゃ」
「え、あ、ちょ、文……」

 茶髪パーマの声が途中でやんだ。だから僕は文ちゃんじゃないって言ってるだろ。

 振り返らなくても、今田がまだ僕を見ていることはわかっていた。だって背中に痛いほど視線を感じる。そんなに僕と文ちゃんという奴は似ているのだろうか? あんな脳足りんの友達と似ているなんて、なんだか不愉快だな。

 ~ ~ ~

 翌日、同じクラスの太田に昨日の茶髪パーマの話をした。

「ドッペルゲンガーかもしれんぞ」

 僕の机に腰掛けて、太田は顎を撫でさすった。なに気取りだそれ。

「オカルトは好きじゃない」
「芥川龍之介は自分のドッペルゲンガーを目撃したことがあるらしいぞ」
「きっと脳の機能障害だ」
「でも茶髪パーマはおまえとそっくりの奴と知り合いなんだろ、幻じゃない」
「じゃ、ただのそっくりさんだ。あいつ、頭が悪そうだったから、記憶力も悪いんだよ」
「おまえの性格悪いとこ、俺はなかなか好きだけど、あんまり人前でそういうこと言うなよ」

 自分は良識あるみたいな顔で太田は眼鏡をくいと持ち上げた。おおきなお世話だ。小さい頃からこんな性格なんだ。放っておいてくれ。それにこんな僕と友達でいられる時点で、自分も似たような性格のはずのくせに。

 休み時間終了のチャイムが鳴った。僕の机から腰をあげた太田は「自分のドッペルゲンガーに会ったら死ぬらしいぞ」意地の悪い顔で笑った。ほら見ろ、おまえも性格悪い。

 ~ ~ ~

 三日後。塾を終えて駅に向かう途中、くしゃみが出た。噂話か。風邪か。それともなにかの前兆か。

 思わず振り返る。誰もいない。茶髪パーマの影はない。なにやってるんだ僕は。自分の愚かさに心の中で苦笑しつつ前に向きなおり「うわっ」と声をあげた。体がびくっと飛び上がった恥ずかしさは、突然目の前に現れた茶髪パーマへの怒りにかわる。

「おす、文ちゃん」

 と言って今田は僕の肩をポンと叩いた。この馬鹿は何度間違えれば気が済むのだろう。

「俺さぁ、こないだ、文ちゃんそっくりの子に間違って声かけちゃってさぁ、もう恥ずかしいったらなかったよ。だけどほんと似てんだもん。実は双子とかじゃないよね」
「違いますよ」

 僕は文ちゃんじゃない、双子でもない、両方の意味で否定し、今田の横をすり抜けた。相手にする時間が無駄だ。

「ねぇ、文ちゃん、こないだの返事聞かせてよ」

 返事? なんの話だろう? 僕にはまったく関係ないことだが、そんな言われ方をしたら気になるじゃないか。

「返事って?」

 横に並んでついてくる今田のほうを見る。今田は少し顔を赤くした。

「やだなぁ、知らんぷり? 照れ隠し? 可愛いんだから文ちゃんは。俺、そういうとこも好きだけどね。改めて言うよ、文ちゃん大好き、俺と付き合って」
「断る」

 今田の馬鹿っぽい顔を見ながら付き合ってと言われたら、自分のことじゃないのに、背筋にぞわぞわとした悪寒が走って、つい断ってしまった。でもまぁいいか、間違って告白してくるコイツが馬鹿なんだし、文ちゃんも、こんなのに好かれて迷惑なはずだし。っていうか、男同士だろ。僕と同じ顔した奴がこんなのと付き合って欲しくないし。

「文ちゃん、けっこう容赦ないなぁ、ちょっと傷ついちゃったよ俺」

 と両手を胸にあてる。

「でも諦めないからね!」

 知るかばーか。今田を無視して駅に入り、改札を抜けた。背中に刺さる奴の視線。人違いだって言うのに鬱陶しい。

 ~ ~ ~

 毎度の塾終わり。今日は厚着をしてきたからか、くしゃみをすることなく駅へ向かう。ガードレールに腰掛けていた今田が僕を見つけて笑顔になった。僕の目は、今田の左目を大きく覆うガーゼに吸いつけられる。

「や、文ちゃん、よく会うね、運命だよね」

 待ち伏せしてんだろ、とは言わず「それ、どうしたの」と訊ねた。今田が「アハッ」と笑い声をあげる。

「馬鹿だよねぇ、今日の体育の授業、野球やったんだけどさ、平凡なフライなのに、顔面でボール受けちゃってさぁ、眉んとこ、切れちゃったんだよ、恥ずかしいよねえ」
「ほんとに馬鹿だね」

 冷たく言い放ち、前を通り過ぎる。腰をあげて、今田もあとをついてくる。連れだと思われるからあっち行けよ。

「僕、文ちゃんじゃないんだけど」
「えーっ、じゃあ、尾崎くんのほう?」

 目を見開いて今田が驚く。僕の名前、覚えてたのか。僕はそれに驚きつつ頷く。

「うわぁ、ごめんごめん、俺またやっちゃった? だってほんとに似てんだもん、顔も体も声も、全部そっくり!」

 と目を輝かせる。そんなに似てるのだろうか。こいつが馬鹿だからそう見えるだけなのだろうか。まさか太田が言うように本当にドッペルゲンガーなのか? いや、まさかそんなはずはない。自分に似ている人は世界に三人いるというし。

「文ちゃんてどんな人?」
「俺がいま最高に好きな奴」
「ごめん、言葉足らずだった、文ちゃんと僕、違うところはどこ?」

 今田は困った顔で「えっとねぇ」と目をくりくり動かす。すぐ出てこないのかと僕は苛々する。

「何歳?」

 仕方なく僕から訊ねた。

「俺? 16」

 おまえのことじゃないよ。というか僕より年下なのか。それともまだ誕生日がきてないだけか。

「あんたのことじゃなくて文ちゃん」
「あぁ、俺とタメ、高2」

 なんだ僕と同じ年か。年齢一つ確認するだけでどうしてこんなに回りくどくなるんだ。

「文ちゃんとあんたは同じ高校?」
「えー、違うよぉ、毎日会えないから寂しくって寂しくって」

 だからって待ち伏せか。行動力はあるが、迷惑な奴だな。

「どうしていつもここにいるんだ?」
「だって文ちゃんち、この近所だもん、駅前で張ってたら会えるっしょ」

 なぜか威張って答えているけど、それ、ストーキングじゃないのか。常識ないのかこいつ。

「そんなに文ちゃんと僕は似ている?」
「めちゃくちゃ似てる!」

 今田は何度も大きく頷いた。

 「なんていうんだっけ、うつ……うつり……いけ、うつり……」

 たぶん、あれのことを言いたいんだな。

「生き写し?」

 そうそう、と今田が手を叩く。ほんと、馬鹿の相手って疲れる。それに僕と文ちゃん、血縁関係にないし。

「二人並んだら見分けつかないもん」
「でも会話したらどっちかわかるだろ」
「えー……、俺、わかんないよ」

 テヘッ、と今田は笑った。自分の馬鹿をひけらかしてどうする。いちいち人をいらつかせる奴だ。

 自分で言うのもなんだけど、僕は性格がよくない。口も悪い。文ちゃんとやらもそうなのだろうか。外見も中身も自分とそっくりの奴がいるなんて薄気味悪い。そいつがなにかやらかして、それが僕のせいにならなきゃいいけど。自分で蒔いたタネならいざ知らず、他人が蒔いた恨みのタネまで刈り取るのは嫌だからな。

 結局今田は駅前までついてきた。途中で僕が文ちゃんでないとわかったのに、どうしてついて来るんだ。本当に暇なんだな。今日は怪我したんだから、おとなしくしていればいいものを。

 今田の左目はガーゼに隠れて見えない。眉を切ったという話だけれど、あたる場所が悪ければ失明していたかもしれないのに、どうしてこいつは能天気に笑っていられるのだろう。

「目は大丈夫なのか」
「えっ、あ、うん、これ?」

 と左目をふんわり手で覆う。

「ぜんぜんヘーキ、大丈夫だよ。っていうか心配してくれんの? 優しいね、そういうとこも文ちゃんに似てるよ。好きになっちゃいそう。本当は文ちゃんなんじゃ……ないよね?」

 疑わしそうに僕を見る。もしかして文ちゃんがしらばっくれていると思ったからついてきたのか? なるほどなるほど。無駄に思えた行動にも、一応意味はあったわけか。

「文ちゃんは優しい奴かもしれないけど、僕は優しくないから。次からもう僕と文ちゃんを間違えないでくれ、じゃ」

 改札を抜けて階段をのぼる。背中がじわじわと熱い。あいつ、いつまで僕を見送ってる気だ。




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