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おかえり(6/6)

2020.02.19.Wed.


 水垢がついて四隅は錆びついた鏡で見る自分の顔は腫れ上がって別人のようだった。可笑しくて笑おうとしたが口の中もズタズタに切れていて溜息しか出なかった。

 水で手を濡らし恐る恐る血を洗い落とす。

 ここは山本の部屋。木造アパートの一階。少年院を出た山本は実家には戻らず一人暮らしをはじめたらしい。就職が決まった工場からは少し遠いが、俺がバイトしているパチンコ店からは自転車で通える距離。それを白状したとき、山本は少し後ろめたそうだった。

「これ、冷やしとけよ」

 洗面所に顔を出した山本が氷を包んだタオルを差し出す。それを顔に当てた。冷たさより痛みしか感じない。

「俺、ひでえ顔してんな」
「あいつのほうがもっとひどい顔してるぜ」

 あいつ。丹野。二人で部屋を飛び出すときも動かなかった。

「殺した?」
「殺し損ねた。おまえが止めるから」
「よくあのタイミングで来たよな。最近、来なかったくせに」
「ほとんど毎日部屋のそばまで行ってた」

 俺が驚くと山本は気まずそうに頭を掻いた。

「だからあいつが部屋に入るところも見てた。気にするなって思っても気になって仕方なくてさ。嫉妬してまたなにするかわかんねえのに俺、コソコソ窓の下まで行って聞き耳立ててさ。そしたらおまえが……もう……、あいつぶっ殺してやるって、それしか頭になくて、後先考えずに飛び込んでた」
「俺がやったことにするから」

 山本は優しい声で「ばか」と笑った。

「俺が勝手にしたことだ。それに逃げるとき人に見られてる」

 騒ぎを聞きつけた社員が一人、様子を見にきていた。部屋を出るときばっちり目も合った。この顔じゃ咄嗟に俺だとわからなかったかもしれないが、度々来ていた山本のことはすぐわかったはずだ。逃げ出した部屋に血まみれの丹野が死んだように転がっているのも見つかっているだろう。今頃警察が来て騒ぎになっているかもしれない。

「丹野が俺にしてたこと、警察に言えばいい。俺も証言する。殴られて犯されてたところを助けてもらったって。そうすれば情状酌量も」
「その必要はねえよ。俺はただ気にくわねえおっさんを痛めつけただけだ」
「俺は女じゃない。あいつに犯されたってほかの奴に知られてもいい」
「俺はおまえを守りたいんだ。誰からも、なにからも」
「山本」
「しっ」

 表で足音が聞こえた。木製の扉を誰かがノックする。

「山本さん、開けてください、中にいますよね」

 口調は丁寧だが有無を言わせぬ押しの強さがあった。警察が来たと悟った山本は俺の肩をぎゅっと掴んだ。

「最後まで守れなくてごめんな。いつも迷惑ばっかかけてごめんな。怖がらせてごめんな。ほんとは俺のこと、怖かっただろ」
「怖がってなんかない」

 すまなさそうに山本が笑う。ほんとだって。むきになって言い募ろうとする俺の唇に、山本は素早く触れるだけのキスをして離れた。

「ごめん、最後だから」
「山本」
「ちょっとだけ、血の味がした」

 泣き笑いの顔で言うと、山本は警官が待ち受ける外の世界へと出て行った。

 ――血の味って、なんか興奮するよな。

 高校生の山本が蘇る。俺の目から涙が溢れた。

 ~ ~ ~

 買い物は休憩時間に済ませておいた。ホームセンターのバイトを終えた俺は、買い物袋を手に待ち合わせ場所へと急いでいた。

 ここのバイトは半年前からだ。重労働で体力を使うが時給はパチンコ店より少ない。それでもいまの仕事は気にいっている。大音量で耳がいかれることもないし、煙草の煙に巻かれることもないし、チンピラにからまれることもない。

 がんばり次第では社員登用の道もあるらしいが、いまはまだ仕事を教えてもらう段階の俺には縁遠い話だ。

 時間に少し余裕があったので実家に寄ってみた。母さんはスーパーで仕事中。いまだに店長と不倫は続いているらしい。お泊まり用の替えのスーツが吊るしてあった。

『また今度時間があるときに顔見せにくるよ』

 メモを残して家を出た。こうしてたまに母さんの様子を見られるよう近場で部屋を探した。母さんはまたいっしょに暮らそうと粘ったけれど俺が断り続けた。丹野のことに気づかなかった母さんを責めているのかと泣かれたが、いっしょに住みたい人がいるからとなんとか納得してもらった。

 家の近くの公園には時間ちょうどに到着した。しかし人の姿はなし。不安が胸をかすめる。一度くらいすっぽかされたって諦めないぞと気持ちを奮い立たせてベンチに腰をおろした。

 高校生の夜、木崎に偶然出会った公園。そのまま木崎の家に泊めてもらった夜の公園。

 先日顔を合わせたとき、木崎は俺の目を一度もまともに見てくれなかった。まだ俺を許していない。保護観察中の再犯。今度は山本を刑務所に入れてしまった俺を許していない。それで構わない。みんなが俺を許してしまったら俺はどこにも居場所がなくなってしまう。

 まだ六時前だというのに日が落ちるとあたりはすっかり暗くなった。肌寒くて背中を丸めた。

「河端」

 声のしたほうを振り返る。公園の入り口、階段のうえに木崎が立っていた。

「遅くなって悪かったな」

 ぶっきらぼうに言うと自分の背後に目をやる。木崎の後ろから、少し髪の伸びた坊主頭が俯いたままやってきた。見覚えのある黒い服。返り血はクリーニングされてなくなっていたが、事件当日山本が着ていたものだ。

「山本」

 俺の呼びかけに山本は顔をあげた。困っているような怒っているような複雑な表情をしている。

「……余計なことしやがって」

 唇をとがらせてぼそりと呟く。

「真実を言っただけだろ。警察に協力するのは市民の義務なんだぞ」
「俺はそんなことしてほしくなかった」
「俺だっておまえを守りたかったんだよ」

 山本の唇が硬く結ばれる。その肩を木崎がトンと叩いた。

「じゃな」

 と来た道を引き返していく。

 階段の上と下で俺たちは睨むように見つめあった。

「あいつはどうなった?」
「丹野? 一応身内だし、刑務所入れるとあとあとめんどそうだから被害届けは出さなかった。接近禁止命令? とか出て、俺にはもう近付けないことにはなったけど」
「大丈夫なのか?」
「いまんとこは。心配?」
「当たり前だろ。俺があんなにぼこぼこにしたんだから、逆恨みしてるかもしれねえだろ」
「だったらまた俺を守れよ」
「えっ」
「ずっと俺のそばにいて、俺のこと守ってくれよ」

 離れていても山本の戸惑いが伝わってくる。俺を守るためならなんでもする山本がこんなことに動揺するなんておかしなことだ。

「おまえの歯ブラシ、今日買ってきたから。俺は水色。おまえは黒な。間違えんなよ」
「河端……、おまえ、いいのか、ほんとに」
「いいに決まってんだろ」

 階段を一段一段のぼる。どんどん山本が近くなる。

「なんのためにクソ男に殴られて犯されましたって警察で証言したと思ってんだよ。なんのために貯金はたいて部屋借りて待ってたと思ってんだよ。なんのために木崎に頼みこんでおまえの出所日聞き出してここに連れてきてもらったと思ってんだよ」

 木崎にはすべてを話した。山本が倉岡を殺そうとした本当の動機。山本が丹野を叩きのめした事件の真相。そしていまの俺の気持ち。だから木崎は山本を俺のところへ連れてきてくれた。

「帰ろう、俺たちの家に。狭いワンルームだけどさ」
「だ、だけど」

 面倒臭くなって山本の唇を塞いだ。驚く無防備な口に舌を差し入れる。奥で硬直している舌を絡めとって思い切り濃厚なキスをしてやった。

「もう俺のこと嫌いになった?」
「そっ、そんなわけ」

 慌てる山本が愛おしい。正常な感情と正常な反応。それを与えてくれた山本の首にしがみついて耳元で言った。

「おかえり」



かじつ


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おかえり(5/6)

2020.02.18.Tue.



 することもなくベッドに寝転がって天井を見ていた。もうすぐ秋だというのに遠くから蝉の鳴き声がする。

 目を閉じた。頭の片隅に居座っている一人の男がまぶたの裏に現れる。そばにいないのに山本の匂いや体温が蘇って五感をくすぐる。俺を思いやる声。俺の言動に一喜一憂する表情。唇に押し当てられた柔らかさ温かさ。

 錯覚を抱いて目を開けたが部屋には誰もいない。少しだけ頬の内側が熱くなっただけだ。

 山本が姿を見せなくなって一ヶ月近くが経つ。ほっとするのが半分。罪悪感から気になるのが半分。山本をひどく傷つけた気がする。実際傷つけてしまったのだろう。

 俺を好きだというたったそれだけの理由で教師の頭をバットで叩き割り少年院に入ったのに、報われるどころか目の前でほかの男とキスしているのを見せつけられたのだから。

 なのに山本はキスひとつしただけで帰って行った。別れ際「ごめん」と謝ってさえいた。馬鹿がつくほどにお人好しなんだろう。その性格を熟知しているから木崎も俺を責めたのだ。

 腕を枕に体を丸めた。外は晴天だというのに気が晴れない。傷一つで大騒ぎする山本の優しさに涙が滲みそうになる。

 ――――コン、コン、コン。

 ノックの音に飛び起きた。池島は仕事。ほかの社員が俺の部屋を訪ねてくることはめったにない。じゃあ、外にいるのは……

「山本?」

 急いで玄関に向かって鍵を開けた。扉の向こうから顔を覗かせたのは、

「お、おじ、さん……」
「よお、ひさしぶり。やっと見つけたぜ」

 丹野は俺をおしのけて土足のまま中に入ってきた。頭のなかでノックの音がこだまする。インターフォンのあとにノックを三度。この男の癖。インターフォンがないからノックの音を聞いても結びつかなかった。来ないと高をくくっていた。油断して鍵をあけた自分を激しく呪った。

「このあと暇か?」
「あ、あの、バイトが」
「さっき店寄って店長に聞いたら今日は休みだって言ってたぞ?」

 にやりと丹野が意地悪く笑う。単純な誘導尋問に簡単に引っかかってしまった。

 突然の訪問に混乱して頭が働かない。うまい嘘が思い浮かばない。

「最近連絡ねえし、借金返す前にとんずらされんじゃねえかと思ってよ」

 靴音を立てて丹野がにじり寄ってくる。

「そんなこと、しません。最近忙しくて」
「そうか? なんだかんだ理由つけて俺を避けてたじゃねえか」
「そんなことは」
「恩の返し方が金だけじゃねえことも、忘れてんじゃねえかと思ってよ」

 腰をまげて下から俺の顔を覗きこんでくる。丹野の望むもの。金。丹野の望むこと。奉仕。

 俺はカーテンをしめた。薄暗くなる室内。久し振りのことで心臓が乱れた鼓動を打つ。

 後ろから丹野が抱きついてきた。

「最近、良子さん調子いいみたいじゃねえか。新しい男でもできたか?」

 耳に舌を突っ込みながら喋る。生温かい息と唾液で耳が汚されていく。

「さあ……家出てからあんまり会わないんで」
「あの女もたいがい売春婦だよな」

 耳元で笑い声。頭に血がのぼったのも一瞬、俺は冷静になって感情を殺すスイッチを入れた。

「も、って俺もそうだってことですか」

 腕の中で体を反転し丹野と正面から向きあう。

「違うのか?」
「おじさんがそうしたんじゃないですか」

 笑ってみせると俺はそこへ跪いた。ベルトを外しファスナーを下す。すでに固い丹野の性器をしゃぶる。

 こいつの言う通り俺は売春婦だ。しばらく丹野とセックスしなかったからって、まともな人間にでもなったつもりだったのか俺は。金を援助してもらうかわりに体を提供した。かわいがってもらうために媚を売った。すきものの淫乱を演じてきた。

「すごく大きい……おじさん……」

 欲情したような目で丹野を見上げる。丹野には我慢できない盛りのついたガキに見えているはずだ。

「欲しいか? ん?」

 欲しいよ――言い終わる前に殴られていた。

「そうすりゃ俺が甘い顔すっと思ったか? ああ? おまえが嫌々抱かれてんのに気づかねえほど俺を馬鹿だと思ってたのか? 生憎だったな、俺はおまえの寒い演技を利用してただけだよ。クソガキが精一杯善がってるふりしてんの見て腹んなかで笑ってたんだよ、このくそ馬鹿野郎が!」

 今度は腹を蹴られた。丸まる俺のうえに丹野が跨り拳を叩きこんでくる。頭を庇う腕の隙間から胸倉を掴んで持ち上げられ、そのまま床に打ちつけられた。何度もそれが繰り返される。意識が朦朧となってくる。腕のカードが弛むと顔を殴られた。自分を守るために体を動かすこともできない。無抵抗のまま何度も殴られていた。

 このまま殴り殺されるんだろう。そう覚悟した。恐ろしかった。はやく気を失ってしまいたいのにそれが叶わない。悪鬼の形相で拳を叩き込んでくる丹野を見続けることしかできない。

 咽喉に血がつまって咳き込んだ。丹野はゼエゼエと肩で息をしながら自分の股間のものを取り出し、扱き始めた。衣類を剥ぎ取るようにして俺の下半身を露出させると足を肩に抱え上げる。

「俺から逃げられると思うなよ、クソガキが」

 そんな気力もねーよ。

 むりやり中にねじ込まれた。体を裂かれる痛みは不思議となかった。ただもう演技をしなくていいと俺は体から力を抜いて目を閉じただけだ。

「だ、誰だ!」

 丹野の慌てた声に目をあける。ちょうど黒くて大きい影に丹野が蹴倒されるところだった。視界に入らない場所で丹野の呻き声と肉を打つ鈍い音が聞こえる。さっきまで俺の脳を揺さぶっていた音と同じ種類のものだ。

 のろのろと体を起こした。黒い影は山本だった。山本は最前の俺たちのように馬乗りになって丹野を殴りつけていた。何度も。何度も。拳が血で赤く染まっても、その動作をやめない。

 さっきまで呻いていた丹野が静かになった。ばたつかせていた手足も弛緩して床に放り出されている。死んだか、と俺は思った。それでもまだ殴り続ける山本を俺はしばらく眺めていた。

「もういいよ」

 発した声は自分で予想していたより小さくて呂律がまわっていなかった。山本が止まらないので聞こえていなかったか、意味が理解できなかったのだと思い俺はもう一度、今度は大きな声で言った。

「山本、もういいいよ」

 俺の言葉が通じたらしい。山本は振り上げた拳をだらんとおろした。馬乗りになったままの体勢で、ぴくともしない丹野を見下ろしている。

「ありがとう、助けてくれて」
「ありがとうなんて言うな。助けられなかった。俺はおまえを助けられなかった」
「助けてくれたよ」

 山本がゆっくり振り返る。血飛沫で真っ赤になった顔を辛そうに歪めていまにも泣き出しそうだ。

「もっと早く来てたら、もっと早く気づいてたら、おまえをこんな目に遭わせなかったのに」

 震える手を伸ばしてくる。触れるか触れないかのところで、俺の頬を包むように手を添えた。

「おまえを助けたかったのに、俺はなにもできなかった。今も、昔も。おまえを守りたいのに守れない。こんな方法じゃ、なにも解決しないのに!」

 山本はドンと床を殴りつけた。涙を流しながら。もどかしそうに。腹立たしそうに。

「山本、俺、山本に助けてほしいなんて思ってないよ」
「俺が守ってやりたいんだ!」
「あのときも、今回も、助けてほしいなんて言ってないだろ、俺」

 潰れた片目をなんとか開いて、俺は山本を見据えた。

「そういうの、すっごい迷惑。自分に酔っちゃってんの見え見えだし、俺の気持ち完全に無視だし。俺が木崎を好きなこと知ってて付き纏うなんて嫌がらせじゃん。待ち伏せとかストーカーみたいできもい。助けてくれたのは感謝するけど、こいつ」

 俺は丹野の足を軽く蹴った。

「俺の叔父なんだよ。身内をこんなにボコボコにしてくれちゃってさ。ほんと迷惑。はやく消えろよ。ここ俺の部屋だぞ。早く出てけよ」
「河端」

 すっかり萎れてしまった山本が頼りなさげに俺の名前を呟く。捨てられた犬の有り様だ。そんな目で見るな。早く出てけって言ってんだ。ほとんどの社員は出勤だけど、休みの社員が寮にいるかもしれないだろ。

「早く行けってば。もう俺に構うな。もう二度と現れんな。迷惑なんだ、早く出てけ!」

 カーテンの外をよぎる人影が見えた。俺の視線で山本もそれに気づいた。俺に向きなおると、右手を出して言った。

「逃げよう、いっしょに」

 俺は反射的にその手を掴んでいた。




おかえり(4/6)

2020.02.17.Mon.



 山本が三日とあけず俺に会いに来る。仕事が終わるのを待ち伏せされていたことも何度だってある。頻繁に姿をあらわす山本は寮の社員にも知られるようになり、名前まで覚えられていた。

 食堂で夕食をとっていたら、休憩でコーヒーを飲みに来た社員から「山本くん来てたぞ。またあとで寄るってよ」と教えられた。とたんに食欲が失せた。

 仕事をかえようか。知り合いのいない場所へ行っていちからやり直す。住所は誰にも教えない。母親には仕送りをすればいい。丹野からも逃げられる。

 そんなことを真剣に考えはじめたら落ち着かない気分になった。仕事中もいつ辞めるか、そればかり考えていた。

「最近元気ないな、おまえ」

 仕事を終えてタイムカードをきるとデスクの池島が声をかけてきた。閉店するといつもやっているパソコン業務。なにかしらの数字をごまかしていると薄々気付きながら、みんな知らないふりをしている。

「夏バテ、ですかね」
「ちゃんと食ってるか」
「食べてますよ」

 ネクタイを弛めながら笑ってみせる。

「おまえ明日休みだったよな。このあとちょっと付き合えよ」
「あ、なんか奢ってくれるんですか」
「給料日前の俺に無理させんなよ」

 池島はパソコンに向きなおった。池島がほかのスタッフを食事に誘ったことがあるのか俺は知らない。少なくともそんな話は聞いたことがない。プライベートが謎な人物。休みの日は出かけていることが多い。以前、バイトの女の子から、休日はなにをしているのかと聞かれ、よその店に偵察に行ってると答えていたが、池島はそこまで仕事熱心じゃないから本当かどうか疑わしい。

 更衣室で制服を着替えてからまた事務所へ戻って池島の仕事が終わるのを待った。日付がかわる直前、ふたりで店を出た。

 山本はどうしているだろう。まだマンションの前で俺の帰りを待っているだろうか。もう諦めて帰っただろうか。暗がりで佇む山本の姿を想像したら胃が痛くなった。

 寮のほうは振り返らずに、先を行く池島のあとをついて歩いた。

 池島が向かったのは店から二十分ほど歩いたビルのサウナだった。よく来るのか慣れた様子で受付をし、ロッカーの前でさっさと服を脱ぐ。自販機でタオルを二枚買うとその一枚を俺にくれた。

 狭い廊下に扉が並ぶ。カラオケボックスのような印象だ。そのひとつの扉を池島が開けてなかに入った。予想以上に狭い個室。むっと蒸し暑くすぐに汗が吹き出た。

 板を渡しただけのベンチに腰をかける。二人でギリギリの室内。膝を閉じていないと池島とぶつかってしまう。

 五分が限界だった。風呂に入ったあとのように体中が汗で濡れていた。拭っても拭っても溢れてくる。目にも汗が流れ込んで何度も瞬きで押し出した。

「山本って友達となんかあったか?」

 黙っていた池島が急にしゃべり出した。膝に腕を乗せた前傾姿勢で覗きこむように俺を見ている。

「いえ、別になにもありませんけど」
「最近よく来てるみたいだな」
「すいません」
「泊めてやってんのか?」
「あ、いえ。そんなには」
「禁止されてるわけじゃねえけど、あんま部外者出入りさせんなよ」
「はい、すいませんでした」

 このことを言いたくて池島は俺を誘ったのかもしれなかった。パチンコ屋にはトラブルがつきものだ。従業員が関わる犯罪もないではない。まだ半年も働いていない俺が信用されないのも無理はない。

 サウナを出たり入ったりして一時間。池島がやっと「出るか」と言ってくれた。池島はさっぱりとした顔をしていたが、俺は初めてのサウナ体験でくたびれていた。

 サウナを出ると駅前通りの商店街に連れて行かれた。見逃しそうな細い横道に入り、壁にへばりついたような狭い立ち飲み屋ののれんをくぐる。

 普段あまり酒をうまいと感じない俺も、この時ばかりは五臓六腑に染み渡るビールがうまいと心底思えた。

 焼き鳥をつまみに酒をちびちび飲んでいる池島の横で俺は酒をがぶ飲みし、水分が行き渡ると餃子やらから揚げやらを頼んで平らげた。

 店を出てすぐ吐いた。煙草をふかす池島が呆れたように笑いながらなにか言う。地面が綿のようにふわふわする。誰かに裾を引っ張られたみたいにバランスを崩して倒れこんだ。手を伸ばした。池島が手を掴んだ。引っ張り起こされ、息のかかる距離で池島と見つめあう。

 煙草をよけて顔を近付けた。口の端に触れる。たまらなくなって俺は笑い出した。

「しゃんと立て。帰るぞ」

 池島に抱えられるように誰もいない商店街を歩く。

「ホテルないんですか、このへん」

 池島は答えない。

「俺ね、初めてじゃないんですよ、男とやるの。こう見えて意外と経験豊富なんです」

 へらへら笑いながら池島の顎に手を添える。誰でもよかった。この体にこもる熱を取り去ってくれるなら、池島でも丹野でも、誰でもよかった。

 煙草をとりあげて口を寄せる。直前でかわされた。乗り気じゃない池島の態度に安堵するような腹が立つような。

「ゲロ臭いんだよ、おまえ」

 苦笑交じりの一言。少しだけ酔いがさめた。



 誘いに乗らない池島と部屋の前で別れた。うえにあがっていく足音を聞きながらポケットに手を入れて鍵を探り出し、部屋の扉をあける。靴を脱ごうとして足がもつれ、玄関に倒れこんだ。冷たいフローリングに頬をひっつけていたら溜息が出た。

「なにやってんだ俺」

 明日からどんな顔で池島に会えばいいんだ。酒の勢いでとんでもない告白をしてしまった。しかもホモだと思っていた池島に相手にもされないなんて滑稽すぎる。

 背後で物音がした。重くなってきたまぶたをあける。

「主任?」

 首をひねって後ろを見る。眠気も酔いも吹っ飛んだ。

「山本」
「大丈夫か」

 俺が起き上がるのと山本が屈みこむのはほぼ同時だった。狭い玄関で間近に顔を合わせる。暗くても山本が怒っているのはすぐわかった。普段は優しい二重が吊りあがっている。

「どうして、ここに」
「待ってた。ずっと」
「ずっと」
「今日、仕事休みだから」
「そうなんだ」
「いっしょにメシでも行こうかと思って」
「ご、ごめん」
「さっきの、誰?」

 池島の話題が出た途端、きゅっと締めつけられたように胃が痛んだ。

「主任。上司だよ。メシ誘ってもらって」
「メシだけじゃないだろ?」

 山本の唇が左右に持ち上がる。こんなに恐ろしい微笑を俺は見たことがない。

「メシ、だけ」
「サウナも行ったろ」
「見て……俺をつけてたのか」
「そのあとメシ行って、あいつにキスしてただろ」

 暗がりで山本の目が光る。俺は身動きできずに、近づいてくる山本の顔を見つめた。

「あいつが好きなのか?」

 唇に山本の息がかかる。どちらかが顎を少しもちあげただけで唇が触れ合う距離。眩暈がするほど近い。

 俺は声も出せずに首を横に振った。

「好きじゃないのか?」

 今度は縦に首を振る。山本がふっと笑った。

「好きでもないのに、キスできるのか?」

 どちらにも振れずに俺は固まる。

「だったら俺にもしてくれるか?」

 山本が顎を持ちあげたので、俺たちの唇は簡単に合わさった。手をついて前のめりになる山本から逃げるように俺は後ろに手をついて体勢を維持した。

 山本は角度をかえて何度も口付けてきた。乾いていた唇が湿り気を帯びてくる。友達だと思っていた山本の柔らかな唇に戸惑う。

 山本はむりやり中に入ってこようとしなかった。俺も体が硬直して口をあけることはなかった。

 しばらくして山本は離れていった。

「ごめん」

 震える声で謝罪する。

「ごめん、河端」
「山本」

 立ち上がると山本は素早く部屋を出て行った。間際に見た顔が泣きそうに歪んでいたので、俺はなにも言えなくなった。




おかえり(3/6)

2020.02.16.Sun.


 今日はとくにイベントもなく店は暇だった。俺の顔を覚えた常連客に呼び止められ、なかなか当たりがこないと長い愚痴に付き合わされた。時間の流れが遅い。何度も時計を見てしまう。

 突然インカムから池島の声が聞こえてきた。

「おまえに客。トイレ横のベンチで待ってる」

 ぱっと頭に浮かんだのは山本だった。少年院を出てすぐ俺を探し出した山本。付きまとわれる恐怖が膝を固くする。よろりと最初の一歩を踏み出して、パチンコの島を抜け出しベンチのあるほうへ向かった。

 途中で池島とすれ違った。訪ねてきたのが誰であれ仕事中だ、池島には一応頭をさげておいた。

 俺より大きく育った観葉植物の奥にベンチはある。ジーンズの足とスニーカーが鉢の向こうから見えていた。この場合は叔父の丹野のほうがマシだったが、これで違うことが確定して俺の足取りはさらに重くなった。

 気配に気づいたのか足が動いた。立ち上がって姿を見せたのは意外な人物――木崎だった。

 高校のときより髪の色が落ち着いていて短くなっていた。だから最初、誰だか咄嗟にわからなかった。全体的な雰囲気や見覚えのあるパーツから襲ってくるデジャヴュに目が眩んだ。

「急に悪い。話がある」

 懐かしむ気配がまったくない木崎の硬質な声と態度。現実へ引き戻される。

「いま?」
「できれば」

 どうせ今日は暇だ。少しくらい抜けても大丈夫だろう。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 俺が自動ドアを抜けてそとへ出ると木崎もあとをついてきた。駐車場へ繋がる出入り口から店の奥へまわりこむ。ここなら人目は避けられる。

「久し振り、木崎」
「山本が会いに行っただろ」

 俺の挨拶を無視して木崎は一方的な会話を始めた。木崎はまだ俺を許していない。俺を憎み続けている。俺を睨む目を見てすぐわかった。

「来たよ、先週」
「あいつに構うな」

 思わず鼻で笑ってしまった。

「構ってなんかない。山本のほうが俺に会いに来たんだ」
「ちゃんと振ったんだろうな」
「振るもなにも、山本は俺になにも言わなかった」
「あいつの気持ちは知ってんだろ! あいつを弄ぶのがそんなに楽しいか? これ以上山本の人生をめちゃくちゃにするな!」
「勝手なこと言うなよ!」

 木崎が怒鳴るので俺まで感情的になって声をあげていた。

「俺があんなこと望んだと本気で思ってんのかよ! あれは山本が……! なにも知らないくせに勝手なこと言うなよ!」
「ああ! 俺はなにも知らねえよ! おまえは関係ねえって山本はいまでもおまえを庇ってる! それが俺は許せねえんだよ! あいつを利用してるおまえが!」

 木崎は空調の室外機を思いっきり殴った。側面がへこんでしまっている。

「利用なんてしてないし、誰もあんなこと頼んでない! 人の気も知らないで、よくそんな――」
「おまえの気持ちなんて知ったことかよ!」

 投げ捨てられた言葉。怒りが急速に冷めていく。俺の気持ちは木崎にはどうだっていいことなのか。事情もなにも知らないくせに、木崎は疑うこともしないで山本の味方になり、俺を敵とみなした。あの事件が起こるまでは友達だと思っていたのに、俺は微塵も信用されていなかったのか。友達のように振舞ってくれていたのは、山本がいたからなのか。誤解が解ければまた以前のような関係に戻れると期待していた俺が愚かだった。

 木崎に嫌われ背を向けられたあの日、母さんが自殺未遂を図ったあの日、あの時以上の疲労と絶望感が這い上がってくる。

「もう二度とあいつに近づくな、いいな」

 ナイフで刺すように木崎は俺に指を向けた。その指先を見ながら俺は歪んだ笑みを浮かべていた。

「俺じゃなくて山本に言ってくれよ」
「なんだと」
「迷惑してるのは俺のほうなんだからさ」
「おまえ……!」

 木崎に胸倉を掴まれた。間近に木崎の顔を見たのは本当に久し振りだ。こんなときなのに、男前だなと感心してしまっている。

「俺が好きなのは木崎だ。ずっと好きだった」
「なに、な……」

 突然の告白に木崎が戸惑って瞬きをする。おそらくこれが見納めになるだろう木崎の顔を見ながら、俺はずっと言えなかった言葉を言った。

「木崎が好きだ。高校のときから。嫌われても憎まれてもずっと好きだった」
「ばかなこと、言うな」

 動揺した木崎の声はへんな抑揚がついていた。

「な、こんなこと言われても迷惑だろ? 嬉しくないだろ? 俺が山本に好かれて迷惑してるってわかったかよ」

 言い終わるや否や木崎に殴られていた。その衝撃のまま尻もちをつく。顔を上げると心底軽蔑しきった目が俺を見おろしていた。

「最低だな。山本はおまえなんかのどこがいいんだ」

 吐いて捨てるように言うと木崎は踵を返し去っていった。

「そんなの俺が知りたいよ」

 似たようなことが以前にもあったなと思い出しつつ口の端を拭う。手に血がついていた。

 ~ ~ ~

 仕事前の時間、部屋でのんびりしていたらノックの音がした。てっきり池島かほかの社員だと思って確認せずにドアを開けてしまった。スーパーの袋を手に佇む山本を見て激しく後悔した。

「山本……」
「今日はすぐ帰るよ。じつは就職決まってさ。いっしょに祝ってくれるか?」

 先日の木崎とのやりとりを思い出したが断れるわけもなく中に通した。

「就職ってこないだ言ってた工場の?」
「あぁ。来週から俺、パイプ椅子作るから」

 笑って言いながら山本は袋からジュースやら酒を取り出す。

「いまから仕事か?」
「うん」
「じゃあ酒はまずいな」

 とジュースの蓋をあける。俺はキッチンからコップをふたつ用意して山本の向かいに座った。

「就職、おめでとう」
「おお。ありがとな」

 カチンと軽くグラスをぶつけてあまり冷えていないジュースを咽喉に流し込む。笑みを浮かべてそんな俺を見ていた山本が、急に表情をかえた。

「どうした、これ」

 伸びてきた手が唇に触れる。木崎に殴られた場所はすでに傷がふさがりかさぶたとなって盛り上がっていた。

「なんでもない」

 山本の手を振り払う。

「なんでもないことないだろ。誰にやられた?」

 恐ろしいほど厳しい眼差しを向けられる。こんな目で見られながら嘘をつける自信がない。

「別に。山本には関係ない」

 答えながら視線が下がった。木崎が会いに来たことを山本はどうやら知らないようだ。俺が告白なんてしてしまったから木崎は言えなかったのかもしれない。俺も黙っているほうが賢明だと判断し、木崎のことは隠しとおすことにした。

「関係ないっておまえ……放っとけねえよ。誰にやられたんだよ?」
「そんなたいした傷じゃないんだし、どうだっていいだろ」
「よくねえよ」
「うるさいな。うざいんだよ、おまえ」

 少しきつい言い方をすると山本は口を閉ざした。不満そうな顔で俺を睨み続けている。

「俺、もうバイトの時間だから」

 携帯と財布をポケットに捻じ込んで立ち上がった。顎をしゃくって出るように促すと、山本はしぶしぶ腰をあげた。

「じゃ。仕事頑張れよ」

 戸締りし、店に向かって足早に歩く。本当は出勤時間には早すぎたが、背中に感じる山本の視線から逃げたくて、俺は店の事務所へ駆け込んだ。



のみ×しば

おかえり(2/6)

2020.02.15.Sat.
<1>

 バイトを終えて店を出ると地面が濡れていた。いつ降ったのかと真っ暗な空を見上げる。雲の切れ間から星が見える。きっと通り雨だったに違いない。

 同じ寮住まいの社員から部屋でやる飲み会に来ないかと誘われていた。俺が未成年だろうがおかまいなしだ。元気があったら行きますと返事をしたけど実はあまり気が進まない。なぜなら参加者のなかにはアルバイトの女の子も何人かいて、明け方近くに目を覚ますときっとまた押し殺した喘ぎ声を聞くはめになるからだ。前回がそうだった。俺はトイレに行きたいのを必死に我慢してその行為が終わるのを待った。飲み会に女の子が参加するとこうなるに決まってる。

 まっすぐ部屋に戻ると誰かに捕まりそうだったので、交差点のそばにあるコンビニに寄って行くことにした。

 夕飯は食堂で済ませていても一日動きっぱなしで小腹がすく。おにぎりとパン、1Lパックのお茶、スナック菓子を買って帰った。

 店の2階は事務所と食堂になっている。勤務中は交代で食事をとり、休みの日も食堂まで行けばまかないが出る。この条件があるからここの面接を受けた。食事つきと言ってもこうやってよくコンビニで買い物しているからお金をおろすときには罪悪感が沸く。

 いったん店に戻って駐車場から同じ敷地内の寮へ向かう。一階の左側が俺の部屋。ポケットの鍵を探っていたら駐輪場の陰からぬっとなにかが現れた。強盗か。心臓がひやりと冷える。

 暗がりからエントランスの照明のしたに姿を現したもの、それは──

 ある意味、俺がいま一番恐れているものだった。

「山本……」

 手から鍵が滑り落ちた。カチャンという音にさえ怯えて俺は全身黒尽くめの山本を見つめた。黒いブルゾン、黒いジーンズ、黒く短い頭髪。以前は肩に届く茶髪だった。

 どうして山本がここにいるんだ。いつ少年院を出たんだ。なぜここを知っているんだ。俺を待ち伏せしてたのか。なぜ。なぜ──。

 そんなの答えは決まっている。俺を憎んでいるから。俺のせいで人生が台無しになったから。俺に復讐するため、この場所を探しあてたんだ。

 恐怖で動けないでいると、目の前までやって来た山本は屈んで鍵を拾いあげた。短い髪の毛から水が零れ落ちる。その時になって初めて、山本がびしょ濡れなことに気づいた。

「ほら」

 広げられた山本の手に鍵が乗っかっている。手を伸ばしたとたん捕まえられそうな気がして躊躇っていると、小さく肩をすくめた山本が俺のかわりに部屋の鍵を開けた。開錠された音を聞いたとき、瞬間的にしまったと頭のなかがゆだったが、山本は元の場所にさがって両手をポケットにしまった。部屋に押し入るつもりはないらしいがまだ安心はできない。

「ありがとう」

 硬くぎこちない声で礼と言うと「別に」と山本はちらりと笑みを見せた。懐かしい山本の笑顔なのに俺は怖くてたまらない。

 首を傾けた山本の笑みが苦笑にかわった。

「おかえりくらい言ってくれよ」
「えっ」
「年少、やっと出たんだぜ、俺」
「あっ、あぁ……おかえり」
「それだけかよ」

 肩をゆすって山本が笑う。

「え、えと」

 不意に真顔に戻った山本がポケットから両手を出す動作を見せた。殴られる! 咄嗟にガードした両腕ごと体を固定された。きたる衝撃に備えて体中に力をこめていたが暴力の気配は一向にない。恐る恐る目を開くと腕の隙間から山本の首筋が見えた。抱き締められていると気づくまでに少し時間がかかった。

「弱ったな」

 耳のすぐそばで山本の声。

「なに震えてんだよ」

 指摘されて初めて自分が震えていることに気づいた。

 ~ ~ ~

 危害を加えるつもりじゃなさそうだとわかっても、俺にとって山本はタイマー表示の見えない時限爆弾のようだった。思いも寄らないタイミングで爆発しそうで、山本に「部屋、見てもいいか?」と訊かれたときは首を縦にふるしかなかった。

 たぶん標準的だと思うワンルームの部屋を、山本は物珍しそうに眺める。玄関の前から動こうとしないので声をかけたら「濡れてるから」と言う。寮の社員からもらったおさがりの服を山本に出してやった。黒いと思ったジーンズは水を吸って黒っぽく見えていただけだと気づく。きっと通り雨にやられたんだろう。

「いつから待ってたんだよ」
「10時前」
「よくここがわかったな」
「おまえの母ちゃんに聞いた」

 口止めしておいたのに。俺の友達ならいいかと思ってしゃべってしまったんだろう。

「家、出てたんだな。聞いてなかったから驚いた」

 誰に――木崎だ。

「木崎にはもう会ったんだ?」

 つい場を繋ぐために木崎の名前を出したが失敗だった。穏やかだった山本の目に剣呑なものが宿るのが見えた。

「あいつとは今でも連絡取り合ってるのか?」

 俺は急いで首を振る。

「嫌われてるから」
「おまえには会うなって言われた。なんかあったのか?」
「山本が少年院はいることになったのは俺のせいだって」
「確かにおまえのせいだよな」

 山本は愉快そうに笑いながら言うが俺は少しも笑えない。身じろぎせず固まっていると、

「冗談だって」

 困り顔の山本に頭をごしごし撫でられた。
 
 山本は担任だった倉岡の頭を金属バットで叩き割り、少年院に入ることになった。倉岡が教師という立場を利用して俺を犯していたと知ったからだ。頭から大量の血を流している倉岡を見おろしながら山本は俺に電話をかけてきた。そこで俺に愛していると言った。俺のために倉岡を殺ったと。

 突然の山本の凶行、それに対する俺の反応を見て、木崎は事情を知らないのに敏感に勘付いた。警察にも誰にも言わなかった山本の動機を俺のためだと見破った。山本が俺に抱く特別な感情にも気づいていた。

 事件後、山本が少年院に入ることになったのはおまえのせいだと木崎は俺を責めた。学校にいるあいだ、身を貫くような鋭い視線を何度も感じた。俺はマゾヒストの心境で木崎の視線に射抜かれた。卒業するまで木崎の憎悪は温度を下げることがなかった。

 まだ木崎のことが好きなのか自分でもよくわからない。だけど、卒業後顔を見てない木崎のことを山本の口から聞いたときは、木崎の温度やにおいをわずかながら思い出して胸がしめつけられた。

 木崎はどうしているだろう。いまでもまだ俺のことを忘れずに、激しく憎んでいるだろうか。

~ ~ ~

 帰ると言わない山本を追い出せないまま日付がかわり、仕方なく泊まっていくか訊ねたら山本は「ごめん」と申し訳なさそうに頷いた。最初からそのつもりだったのかもしれない。

 どちらが床で寝るか押し問答していたらふたり一緒にベッドで寝る展開になっていた。俺は壁側。寝返りが打てない身体的苦痛より、全身に感じる山本の体温とそばで聞こえる息遣いのほうが俺を精神的に窮屈にして苦しめていた。

 寝る体勢が決まらないのか、山本は何度も狭い範囲内で小刻みに体を動かして最適な寝相を見つけようとしていた。その振動が俺に伝わる。腕や背中が俺に当たる。バツの悪そうな咳払いが聞こえる。

「仕事はどうすんの?」

 壁に向かって声をかけた。

「紹介もらった工場に面接行く予定」
「学校は?」
「もう面倒だし、最終学歴中卒でいいや」

 なんでもないことのように軽い口調でさらりと言い放つ。今後ずっとついてまわる高校中退の学歴。履歴書を見た担当者はきっと疑問に思ってなぜ辞めたのか質問するだろう。山本がなんて答えるつもりかなんて、俺には重すぎて考えたくもない。

「別に前科がついたわけじゃねえし、年少入ってたなんて言う義務もないからな。それに高校中退なんて珍しくもねえよ」

 もしかして俺に気を遣わせまいとそんな強がりを言っているんだろうか。だとしたら俺は――。

 その場で寝返りを打った。山本は右腕を枕にして仰向けで寝ていた。首を少し捻って俺と目を合わせると「ん?」と眉を跳ね上げる。高校生のままの、実に子供らしい悪戯っぽい目だった。

 それから目を逸らし、俺は山本に密着した。怖いくらいの緊張を味わいながらふとんのなかで手を動かす。そっと触れた場所は硬くなっていた。

「おい、河端」

 驚きと戸惑いの入り混じった山本の声を無視し、その形に指を添わせる。積極的に男を誘うのはこれが初めてだった。発作を起こしそうなほど心臓が苦しい。だけど俺ができることと言ったらこれくらいしかない。山本だって最初からこれを期待して俺に会いに来たんだ。倉岡を殺そうとしたのもこれのため。丹野や倉岡もそうだった。見返りが必要なんだ。

 先端を包むように指を曲げた。

「やめろ」

 擦れた声とともに手首を捕まれた。熱い手はギリギリと骨を軋ませるほどの握力で握りこんでくる。

「いっ……」

 全身から血の気が引く思いがした。山本を怒らせたことに俺はやっと気がついた。

「こんなことすんなよ。するんじゃねえよ。おまえはもう、こんなこと、すんな……」

 山本の顔が苦しそうに歪むのを見てしまった。俺の視線から逃れるように山本は背を向けた。丸まった背中がなんだか悲しそうで罪悪感がわきあがってくる。それと同時に疲れと苛立ちも感じた。こんなときにそんなことを言える山本がひどく幼稚に思えた。

 何事も起こらないまま時間が過ぎ、朝起きたときには山本の機嫌はなおっていた。

「また来ていいか?」

 帰り際、靴をはいたあと意を決したように振り返って訊ねる。ためらいながら頷くと、とても嬉しそうな笑顔で山本は部屋を出ていった。