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ラプラスの悪魔(3/3)

2019.08.17.Sat.


「すぐ用意するね」

 部屋に入るなり、夏目は腕まくりするように着ているものを脱いで全裸になった。そしてエプロンでもつけるように首輪をつけた。これが一番問題な気がする。普通にしてれば、神永に好きになってもらえるんじゃない? こんなに好かれて尽くされて、神永も悪い気はしないはずだ。

「悪いね。呼ばれたからってまたお邪魔しちゃって」
「いいよ」

 神永は今日も口数少ない。

「今日は常夜鍋だってさ」
「鍋か」

 ひとりごちると神永はちらりとエアコンを見上げた。夏目から聞いた汗かきエピソードを思い出して吹き出しそうになる。

「夏目さんってほんとに神永のこと好きだよな。全身から好きオーラダダ漏れてるもん」

 はは、と神永が笑う。

「ぶっちゃけ神永はどうなのさ」

 テーブルに身を乗り出し、声を潜めて訊いてみた。神永は笑みを消し、俺をじっと見た。何も言わない。

「嫌いだったら、さっさと追い出すよな。そう命令すりゃいいんだし」
「嫌いじゃないよ」
「その言い方はずりいよ」
「あの人は男だから」
「男とか関係なくない? 好きかどうか、神永の気持ちが大事だろ」
「あの人ああ見えてすごく優秀なんだ」

 神永はキッチンの夏目に目をやった。

「過去の罪悪感だか知らないけど、しょうもない男の奴隷に収まる器じゃないんだよ」
「神永はしょうもなくないよ。俺のがしょうもない。それに夏目さんは好きで奴隷になったんだろ。あの人の気持ちをないがしろにしてやるなよ」
「やに肩持つな。俺にはわかる。あの人はいつか絶対目が覚めて後悔する。何年かして自分がしたこと思い出してのたうちまわる。俺のことなんか、忘れたいって思うようになる」
「夏目さんに忘れられたくないのか?」

 神永は軽く目を見開くと押し黙った。喋りすぎたと言うように口を固く結ぶ。

「なんだよ。神永も夏目さんのこと好きなんじゃん。振られんのが怖いから夏目さんの気持ちに応えないって卑怯だろ」
「違う。あの人の人生を壊したくないだけだ」
「じゃあ、さっさと追いだしゃいいじゃん。神永がズルズル先延ばしにしてんのも、夏目さんの人生に充分影響与えてると思うけど」

 神永の態度がじれったくてついきつい言い方になった。神永は難しい顔でまた黙ってしまった。

 ふたりして興味もないテレビに視線を注ぐ。

「もうすぐできるから、テーブルの上、場所空けといて」

 夏目がこっちに向かって声をはりあげる。重かった空気が少し軽くなった。神永がテーブルの上を片付けている間、俺はお茶椀やらお箸やらを運んだ。

 夏目が作った常夜鍋はおいしくて箸が止まらなかった。ビールもおいしい。神永も汗を流しながら頬張っている。夏目はそんな神永が愛おしくてたまらないという顔で汗を拭いてやっていた。

 俺がいない夜も、二人はこうして夕飯をとっているんだろう。夏目が作ったおいしいご飯を、神永は汗をながしながら食べる。夏目はにこにこ笑いながらそれを眺める。どんなに優秀で出世しようが金持ちになろうが、これが夏目にとって幸せなことなんだろう。こんなに愛されているのに、怖がって尻込みしている神永は馬鹿だ。

 食べ終わったあと、デザートにスイカが出た。そういえば今年初めて食べる。種を吐きだしながら、無言の神永を見た。夏目はキッチンで食器を洗っている。

「これ食べたら帰るよ」
「そうか」
「お節介焼いてごめん」
「いや、別に」

 神永は俺と目を合わさない。強情。意地っ張り。

「夏目さんを本気で追い出したいなら、こう言えばいいよ。お前の顔なんか見たくない、出てけって」

 神永の目が俺を見た。いや、睨んだ。

「……え?」
「さっき、スーパーの帰りに夏目さんが言ってた。神永にそう言われたら、ここ、出てくんだってさ。自分からは離れられないから、神永から言われるの、待ってるんだって」
「あの人がそう言ったのか? ここを出て行きたいって?」
「いつまでも神永の重荷でいられないって言ってた」
「……そうか」

 暗い声。丸めた背中にがっくりと落ちた肩。素直じゃない。俺に言われただけでそんなにグラグラ気持ちが揺れるくせに、本気で夏目を手放す気なんかないじゃないか。

「神永が言えないなら、俺が言ってあげるよ。夏目さーん! ちょっとこっち来てよ!」
「え、おいっ」

 首を傾げながら夏目さんがやってくる。慣れってこええ。俺もいつの間にかこの人の全裸を見慣れている。

「神永が、夏目さんのこと嫌いだって。もう顔も見たくないって。だから出てって欲しいんだって」

 穏やかな笑顔だった夏目さんから笑みが消え、顔からみるみる血の気が引いて、真っ白になった。

「俺は言ってない!」

 大声で神永が否定する。慌てて立ちあがり、夏目の両腕を掴む。こんな神永を見るのは初めてだ。

「俺はそんなこと言ってない! 言ってないぞ!」

 茫然としている夏目の体を神永が揺する。顔を覗きこみ、何度も「言ってない」と繰り返す。

「俺がいらないなら、死ねって言って、お願い……秀人」

 聞こえていないのか、夏目は青ざめた顔のままポロポロ涙を零した。

「そんなこと言うか。俺にはあんたが必要なんだ。いなくなられると困る。だからここにいろ。ずっと俺のそばにいろ、いてくれ、頼む」
「いていいの……?」」
「いていい。いて欲しい。俺のそばにいて欲しいんだ」

 わっ、と夏目は泣きだした。大の大人が手放しの号泣。神永はひしっと抱きしめて、子供をあやすように夏目の体を撫でた。

 あ、そーだ。アイス買ったんだった。

 二人の横をすり抜け、冷蔵庫からアイスを出す。ガリガリ君をたべながら、2人の愛の素を出た。

 ○ ○ ○

 講義のあと講堂を出たら神永に呼び止められた。夕飯のお誘い。よろこんでOKの返事をした。

 神永とスーパーで買い物をしてからマンションに向かった。
 夏目はまだ仕事でいない。

「夏目さんとはうまくいってんの?」
「おかげさまで」
「よかったね」

 神永の顔がほんのり赤くなった。素直に感情表現できるようになってきたんじゃない? これも愛の力?

「まこ兄が、どうしてもお礼したいって」
「夏目さんのことまこ兄って呼んでんの?」
「昔からそう呼んでる」
「なにそれ、くそかわ」

 ついこの前までは反抗期の中/学生よろしく夏目のことをずっと「あの人」呼ばわりしてたくせに。なに。この変わりよう。

「俺も感謝してる」
「へええ」

 顔がにやける。

「俺も行き詰ってたんだと思う。だから飲み会の帰り、家に寄っていいかってお前に言われた時、断らなかったんだと思う。いまの状況を変えたくて。お前に変えて欲しくて」
「俺っていい働きしたよな」
「ありがとう」
「いいってことよ」

 神永と友情を育んでいたら夏目が帰ってきた。

「いらっしゃい、すぐご飯作るね」

 と言いながらネクタイを緩める。首輪こそしないが、全裸になるのは変わらない。

「なんでまだ全裸になる必要があるんですか。もう奴隷じゃなくて、恋人でしょ」
「楽だから」

 と夏目がはにかむ。楽? こうなってくると単純に夏目が裸族なんじゃないかと思てきた。 それともただの変人。釈然としないが、神永は当然の顔で受け入れているので外野がとやかく言うのはやめた。

「秀人、味見して」

 小皿を持った夏目が神永の横に座る。煮物っぽいものをフーフーしてから神永に食べさせる。

「おいしい?」
「おいしい」
「良かった。俺もちょっと味見」

 と俺が見ている前でキスをする。動きとか長さからして、ディープキスだ。俺がいること忘れてんじゃないかこいつら。呆れて目を逸らそうとしたら、夏目の天を向く一物が目に入った。うわ……。

「うん、おいしい。秀人はどこを食べてもおいしいね」

 と、夏目は神永の首に抱きついた。

「ちょちょ、ストップ! それ以上は俺が帰ってからにしてくれ!」
「あはは、ごめんごめん」

 悪びれもせず夏目が笑う。この前号泣してなかった?

「開き直りすぎじゃね? あんた、神永にいたずらしたこと死ぬほど反省してなかった? そのわりに神永にフェラしたりしてたよな? 俺知ってんだかんな。泊まったとき寝たふりしてたけど起きてたから!」
「反省はしてるけど、好きな人がすぐそばで寝てたら我慢できなくなっちゃったんだもん。口でさせてってお願いしたら秀人もさせてくれたし。それに奴隷のお仕事って言ったら性処理でしょ」
「神永、こいつぜんぜん反省してねえぞ。付き合うのは考え直したほうがいいと思う」
「秀人に変なこと吹きこむのやめてよ」

 神永の頭をぎゅっと抱え、夏目が俺を睨みつける。

 その瞬間、とんでもない可能性に気付いてしまった。

 これ全部、夏目が仕組んだことだったんじゃないか……?

 最初からこれを狙って甲斐がいしく世話を焼き、健気に反省したふりをして、ほだされた神永が自分の手に落ちてくるのを待っていたんじゃないのか、と。

 偶然街で会った俺を夕飯に誘ったのも、なかなか進展しない状況に焦れたから。俺にいろいろ話してくれたのも、お節介を焼いた俺が神永になにかアクションを起こすことを期待して。

 全部計算だったとしたら──

「夏目さん、あんた、恐ろしい奴だな」
「秀人がいないと生きていけないのは本当だもん」

 いたずらがバレたような顔で悪魔は笑った。





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ラプラスの悪魔(2/3)

2019.08.16.Fri.
<前話>

 この布団は、ある日突然やってきた夏目のために神永が買った布団なのだそうだ。だが「奴隷の自分には必要ない」と一回も使ったことがないらしい。夏目はいつも、神永の部屋の床で寝ているという。

 好奇心で聞いて後悔した。

 夏目は今夜も床で丸まって寝ている。床に布団を敷いた俺の隣、と言えなくもない近距離に、全裸の夏目。見たくないのでずっと夏目に背を向けて寝たふりをしている。

 こんなんで眠れるわけがない。でも意地でも寝ないと朝まで長い。こんなことなら帰ればよかったかな。

 けっこうな時間が経った頃、人の動く気配がした。隣の夏目が立ちあがり「秀人」と小声で神永を呼んでいる。俺は完全寝たふりで耳を澄ませる。

「秀人、寝ちゃった?」
「ん……今日は、おとなしく寝ろよ」

 起こされたのか、神永の寝ぼけた声。

「大丈夫、お友達は寝てるよ」
「んん……」

 ベッドの軋む音がした。それと、布ずれの音。

「やめろって」
「毎日してるから、やらないと気持ち悪くて」
「俺は寝てたのに」

 しばらくしてチュックチュッと水音が聞こえてきた。まさかキスしてる?と思ったが「今日はもういいって」と神永の声が聞こえたのでキスじゃない。それに聞こえる位置が頭より下の場所からだ。まさか!

 チュッグチュッヂュポッと生々しい音といっしょに夏目の荒い息遣い。どう考えてもフェラだろこれ! 時折「ハアァッ」と夏目が大きく息を吸いこむ音と、シュッシュッと手で扱いているような音も聞こえる。顎が疲れたから休憩しているだろう。振り返らなくてもわかる。

 こいつら、何考えてんだ。俺がいるのに。

 こんなこと毎日してるのか? 神永はホモじゃないと夏目は言うけど、これ許してる時点でホモじゃん。素質はあるじゃん! 実はもう突っ込んだり突っ込まれたりしてんじゃないの?! ホモの巣窟じゃん。俺ピンチじゃん! 襲われる!!

 布団をぎゅっと強く握りしめた。いつでも逃げられるように背後の二人へ全神経を集中させる。

「俺のこと変態って言わないの?」
「言わないよ」
「気持ち悪いって言っていいんだよ」
「言ってどうなるもんでもない」

 変態と言わせたい夏目と、なぜか言うことを避ける神永。夏目がマゾなのは間違いない。

「ごめんね、ひとりで死ぬ勇気なくて」
「死ぬほどじゃない」
「ごめんね、秀人のこと、好きになっちゃって」
「謝ることじゃない」
「ごめんね、秀人の優しさに甘えてばっかりで」
「家のことやってくれて俺も助かってる」
「秀人がいないと俺、生きてられない」
「知ってるよ」

 涙で濁った夏目の声。神永は初めて聞く優しい声だった。なんか知らんがわけありっぽい。そして夏目はメンヘラっぽい。男にもメンヘラっているのか。

 たまに鼻水を啜りながら夏目はフェラを続け、神永は口に出したらしかった。

「うがいしておいで」

 と神永に促され、夏目は俺を跨いで洗面所へ行った。俺は固く目を瞑り、必死に寝たふりを続けた。

 ○ ○ ○

 同じゼミ仲間に呼び出され、恋愛相談を受けながら飲み食いした帰りだった。方向の違う友人とは店で別れ、駅に向かって歩いていたら知った顔を見つけて足が止まった。

 一瞬誰だかわからなかった。しばらくして、夏目だと気付いた。服を着ている姿を初めてみるからすぐわからなかったんだと思う。

 スーツで夜の街を歩いている夏目は、年下の幼馴染みの家にある日突然「奴隷にしてくれ」と泣いて頼みこみ、全裸で首輪をつけて居座っている変態だとは思えない、まともな社会人に見えた。

 急いでいるのか腕時計を見て、足早に歩いている。こんな場所で会うなんて奇遇だ。なんとなく気になって声をかけた。

「夏目さん!」

 夏目は弾かれたようにこっちを向いた。俺だとわかると笑顔になった。

「やあ、ひさしぶり」
「仕事ですか?」
「もう終わったよ。いまから買い物して秀人のところへ帰るとこ」

 今日も神永のいるワンルームへ帰り、全裸になって首輪をつけるのだろう。その格好で料理や洗濯をするのだ。

 前に泊まったとき、夏目が作ってくれた朝食はお世辞抜きにおいしかった。味噌汁とシャケ、だし巻き卵、ほうれん草のおひたしと漬物もあった。旅館の朝食か!と思わず突っ込んだくらい。いつもこうだよ、と神永は無感動に味噌汁を啜って言った。この時ばかりは少しうらやましくなった。

 夕食はどんなものを作るんだろう。さっき飲み食いしたばかりなのに、考えただけで胃が動いて場所を空けた。

「良かったら一緒に夕飯どうかな」

 テレパスか。それとも俺が物欲しそうな顔をしていたのか。

「いいんですか?」
「秀人も喜ぶと思うよ」

 今日は雨も降ってないし、ご飯食べたらさっさと帰ろう。そしたら変なものを聞かされずにすむ。

 夏目といっしょに電車を乗り継ぎ、神永の家の最寄り駅で一緒に下りた。夕飯の材料を買うためスーパーに立ち寄る。

「今日は君もいるし鍋にしようかな。やっぱ暑いかな。エアコンきかせれば問題ないよね。秀人はすごい代謝がよくて、ご飯食べるとすぐ汗かくからなあ。だからなのかな。いっぱい食べてもぜんぜん太らないんだよね。うらやましいと思わない?」

 大きい独り言かと思ったけど俺に話してたのか。

「神永のこと、大好きなんですね」

 神永がいないと生きてられないって言ってたっけ。夏目は蕩けるような笑顔で「うん」と頷いた。こっちが恥ずかしいわ。

「いつからホモ……男が好きなんですか?」

 周りに誰もいないことを確認して訊ねた。

「物心ついたころには秀人が好きだったよ」

 ほうれん草をカゴに入れて夏目は言った。

「そんな昔から?」
「家が近所の幼馴染みだからね。秀人が俺の初恋」
「でも神永は男にその気にならないんですよね」
「うん。体に触ることは許してくれるけど、俺には触ってくれない」
「諦めて他の男いくとか」
「前に一度ね、俺もそう考えてチャレンジしてみたけど、土壇場で怖くなって逃げだしちゃった。その時頭に浮かんだのは、やっぱり秀人だった。実家出てから秀人とは会ってなかったんだけど、どうしても秀人の顔が見たくなってあの手この手使って調べて会いに行った。会って、顔を見て謝りたかったんだ」

 と今度は豚肉をカゴに入れた。

「謝るってなにを?」
「俺が中/学生で、秀人がまだ小/学生だった時にね、俺、秀人にいたずらしたことがあるんだよ」

 いたずら。落書きしたとか物を隠したとか、そういういたずらじゃないんだろう。

「精通もまだだった秀人に、教えてあげるって。酷いだろ。最低だろ」

 と夏目は自虐的に笑った。

「ま、でも、こども同士じゃありそうっちゃありそうですけど」
「俺ははっきり秀人が好きって自覚してたから。無垢な秀人を、自分の欲望のままに汚したんだ。それを謝りたくて急に押しかけたんだけど、秀人の顔を見たら、頭から杭を打たれたみたいに動けなくなった。俺は秀人のそばでしか生きていられないって、思っちゃったんだ。秀人には迷惑な話だよね」

 ポン酢をカゴに入れて、「アイス見に行こう」と夏目は通路を先に歩いた。

「だから、奴隷になったんですか?」

 背中に声をかける。夏目は前を向いたまま頷いた。

「あの時のことを謝ったら、秀人は「そんなことでわざわざ?」ってきょとんとしてたよ。その顔が死ぬほど好きだなって思ったら勝手に涙が出て来て、泣きながらここに置いて欲しいって頼んでた。なんでもするからって、土下座もして。秀人は優しいから俺をそばに置いてくれてるんだ。それ以上でも以下でもない。俺が奴隷になったのは身の程知らずな期待をしないようにね」
「こんなこと、いつまで続けるつもりなんですか?」

 夏目はパピコと雪見だいふくをカゴに入れた。俺はガリガリ君。

「いつまで続けられるんだろう。いつまでも俺がいたら迷惑だってわかってるんだけどね。秀人の重荷にはなりたくないけど俺から離れることは無理だから、秀人にお前の顔なんか見たくないってって言われるまでかな。そんなこと言われたら、取り乱しちゃうと思うけどね」

 振り返った夏目は寂しげに笑った。

 スーパーを出た時、ちょうどホタルの光が流れだした。

「今日は急な仕事が入ったから、遅くなっちゃったな」

 腕時計を見て夏目が言った。神永の家へ急いだ。

 角を曲がったら、前から歩いて来る人物が見えた。先に気付いたのは夏目だ。

「秀人!」

 飼い主を見つけた犬みたいに駆け寄る。

「どうしたの? 出かけるの?」
「遅いから、どうしたのかと思って」
「お腹すいた? 帰ったらすぐご飯作るね。あ、そうだ。途中で秀人の友達に会ったんだ」

 と夏目が振り返る。神永もいま俺に気付いたようにこっちを見た。

「ご飯いっしょにどうかと思って誘ったんだけど、いいよね」

 神永は俺と目を合わせてにやりと笑った。

「飯に釣られたな」

 その通りなので笑い返した。

 ちょっと遅くなったからってわざわざ迎えに来るあたり、神永も満更じゃないんじゃないかと思う。夏目が言うほど、可能性はなくはない気がする。





ラプラスの悪魔(1/3)

2019.08.15.Thu.
※第三者視点。フェラまで。未挿入

 クラスに一人は変わった奴っていたけど、大学で知りあった神永とその同居人ほど変わった奴らには、まだ出会ったことがない。

 飲み会をした帰りだった。雨が降っていた。方向が同じ数人はタクシーで帰り、女同士は相合傘で駅に向かい、何人かはコンビニ傘を買い、俺はどうしようかと店の軒先で雨が降り続く夜空を見上げていたら、傘を持たない神永が「おつかれ」と俺の横を通り抜けた。

「神永はどうすんの? 傘ないだろ」
「家、近いから」

 そういえば一人暮らししているんだっけと思い出した。

「神永んち行っていい?」

 神永は振り返り、少し考えてから「いいけど」と答えた。雨の中、神永の隣に並んだ。

 神永の家は「近い」と言うわりに少し遠くて、マンションにつく頃には2人ともけっこう濡れた。神永は玄関で服を脱ぎ捨てると洗濯機に放り込んだ。

「先にシャワー浴びといでよ」
「いいの?」
「服貸すよ」

 お言葉に甘え、俺も玄関で服を脱いで、手前の浴室でシャワーを浴びた。脱衣所の洗濯機の上にタオルと、着替えが置いてあった。パンツはまだ封を切ってない新品だ。こりゃ買って返さなきゃな。

 明かりがついている奥の部屋へ行った。普通のワンルーム。ベランダの前にベッドがあって、手前に小さいテーブルとテレビ、座椅子。壁には天井まである本棚。神永は座椅子に座ってテレビを見ていた。

「ありがと、すげえ助かった」
「うん。俺もシャワー浴びてくる。適当にくつろいでて」

 立ちあがった神永の横に人がいることに初めて気付いた。誰かいるなんて思わなかったし、聞いていなかったから驚いた。

 挨拶しなきゃ、と顔を作って声を出そうとした時、ある物が目に入って固まった。

「ああ、この人なら気にしなくていいから」

 言葉を失って硬直している俺に言って、神永は浴室へ向かった。シャワーの音が聞こえてくる。俺もさっきシャワーを浴びたばっかなのに背中に冷や汗が流れた。

 神永が「この人」と言ったのは、俺らより少し年上の二十代前半ぽい男。男は無表情に俺を見ていた。異常なのはその格好。男は全裸で、黒い首輪をつけていた。

 20年という人生経験のなかで得た色んなヤバい情報が頭のなかをグルグル回った。これ監禁だよな。SMプレイなのかな。神永は危険人物で、俺殺されちゃうんじゃないかな。とか。心臓バクバクさせながら立ち尽くしていたら、首輪の男が「とりあえず座ったら?」と声をかけてきた。

 そこ普通なんだ。普通に会話してくるんだ。

 神永の尻の形に合わせて凹んだのだろう、年季の入った座椅子に座ろうとしたら、男に「そこはだめ」と止められた。なので玄関に近い手前に座った。

 あ、座っちゃった。神永がシャワーのあいだに帰ったほうが良かったんじゃないかこれ。今からでも遅くない。やっぱ帰ろう。ここは怖い。

 腰を浮かしかけたら「秀人の大学の友達?」と男から話しかけられた。軽く自分の紹介とか全裸で首輪の説明とかしてくれたらすごく助かるんだけどする気はないみたいだ。俺からも聞きにくい。

「まあ、はい」
「学校の秀人ってどんな感じ?」
「どんなって、普通の。ああ、神永は静かなほうですかね。落ち着いてるっていうか」
「だよね。そこがかっこいいんだよね。モテるでしょ」
「えっ、いやあ、どうかな」

 パッと見、雰囲気イケメンなんだけど、ほんとに静かっていうか口数少なくて沈黙が苦じゃない奴だから、あんまり女の子と発展しにくいタイプだ。実際、付き合ってる子を過去も現在も俺は知らない。

「えーっと、神永の、お兄さん? ですか?」

 こんな得体の知れない男と過ごす異様な空間が耐え切れなくてついに訊ねた。

「あははっ、こんな格好のお兄さん嫌でしょ。君の兄弟は全裸で首輪してんの? してないでしょ。俺は秀人の奴隷だよ」

 奴隷だよって、軽い口調で言われても。

「奴隷って、あの、奴隷ですか?」
「ほかの奴隷を知らないけど、秀人の命令には絶対服従の、あの奴隷」

 首輪から伸びるリードを持ち上げて、奴隷のお兄さんは笑った。とりあえず監禁とか犯罪系じゃない。プレイだ。合意の上での奴隷プレイ。神永も俺に見られてよく平気な顔していられるな。そもそも家に呼ぶなよ。行きたいって言われても断れよ。でも断らないとこが神永っぽい。とりあえず俺をプレイに巻きこまないで欲しかった。

 ということは、神永ってホモだったのか。そんでSM好きで奴隷飼っててS側なんだ。今まで知らなった意外な一面。猥談にも乗ってこないから淡白だと思ってたのにむしろ別次元までステージ進ませてたから興味なかっただけなのかよ。

「お、俺やっぱそろそろ帰ろうかなー」
「ゆっくりしていきなよ。秀人が友達連れて来るなんて初めてなのに」

 いやいや。俺の身の安全! 神永に襲われちゃうかもしれないじゃん。

「もしかして怖い? 秀人に襲われちゃうとか思ってる? そんな心配いらないよ。間違っても秀人は君にその気にならないから」
「どうしてそう言いきれるんですか」
「秀人は男が好きなわけじゃないから」
「え、でもお兄さんとSMプレイしてんですよね」
「お兄さんじゃなくて、夏目。SMプレイはしてないよ。この格好は俺が好きでしてんの。俺の全部、秀人のものだってわかって欲しくて。俺は逆らわないからいつでもなんでも命令していいって言ってんだけどね。死ねって言われたら死ぬ覚悟もできてるのに、秀人は俺になにひとつ命令してくれないんだ。冷たいだろ」

 冷たいとかじゃない。この人をなにに分類したらいんだ。押しかけ系ストーカーマゾ? 神永もどえらいもんに好かれてしまったんだな。

 そこではたと気付いた。なんでも命令を聞くなら、「出て行け、付き纏うな」と命令すればいいのでは? いや、こういう人はそれとこれは別って言って結局聞いてくんないんだよな。

 シャワーの音が止んで神永が戻ってきた。冷蔵庫から缶酎ハイを二本取り、一本を俺に渡すと座席に腰をおろした。夏目の分はない。

 夏目は神永の背後にまわり、濡れた神永の頭を拭き始めた。されるがままの神永は無頓着に酎ハイを飲む。夏目の存在すら目に入ってないみたいに振る舞う。このふたりはいつからこういう関係なんだろう。

「神永がシャワー浴びてるあいだに、そこの夏目さんと話してたんだけど」
「ああ、そう」

 家に奴隷がいることへの説明も釈明もする気はないみたいだ。

「神永の奴隷なの?」
「自称だよ。俺はそんなの求めてない」
「どこで見つけたの?」
「実家。もともと家が近くだった」
「あー、え? 幼馴染み的な?」
「そう」

 もっと自分からペラペラしゃべってくれれば楽なのに。なんで全部俺から質問せにゃならんのだ。

「いつから奴隷なの?」
「半年前……ぐらい?」

 後ろの夏目へ問いかける。夏目は「そうだね」と頷いた。

「なにきっかけで?」
「急にやってきて俺の奴隷にしてくれて言いだしたんだ。さすがに面食らった。意味わかんなくて」
「で、神永はどうしたの?」
「奴隷なんかいらない、帰れって言った」
「そしたら?」
「ここに置いてくれって泣きだしたから、仕方なく家に入れた」

 いやいや、普通入れんだろ。俺だったら何がなんでも追い出すわ。それか実家に連絡して夏目の親に引きとりに来てもらうわ。でもそれを受け入れるところも、なんか神永っぽいと納得させられてしまう。なんなのこいつの懐でかいキャライメージ。

「俺、お風呂掃除してくるね」

 首輪からリードを外すと夏目は風呂場へ行った。自分で取り外し自由の拘束って意味ないじゃん。

「あの人、家事やってくれんの?」
「料理上手だよ」
「へー、べ、便利だね(?)」

 神永は目を伏せてフフと笑った。自分でもなにを言っているのかよくわからなかった。

「今日泊まっていけば? 朝ご飯食べていきなよ」
「いいの?」
「いいよ」

 そう言うなら泊まって行っちゃおうかな。俺に危害が加えられることはないようだし。外はまだ雨が降ってるし。神永たちの妙な関係もちょっと興味あるし。夏目が作る朝ご飯も食べてみたい。

「あ、でも布団が」
「大丈夫。あの人に取ってこさせるから」

 どこから?

 風呂掃除を終えた夏目が戻ってきた。

「今日泊まるから、俺が前に買った布団持って来て」

 神永が夏目に言う。

「あ、お泊りするの? すぐ持ってくるね」

 夏目は季節外れのコートを羽織ると外へ出て行った。

「えっ?」
「あの人、隣に部屋借りてるんだ。寝泊りはしてないけど」
「えっ。なにそれ。神永がいるから、越してきたの?」
「うん」
「怖くない?」
「怖くは、ないかな。もう慣れた」

 慣れってこええ。しばらくして布団を抱えた夏目が戻ってきた。




ハレルヤ ベイビー 1


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