宙ぶらりん(2/2)
2018.08.26.Sun.
<前話>
「何時に帰る?」
そろそろ日が沈むころ先生が時計を見て言った。
「晩飯食って行っていい?」
「俺はいいけど、親御さんは心配しないか?」
「早く帰ったら逆に心配される」
「どんな家庭だ」
期待するなよ、と先生がキッチンに立って手料理を振るまってくれた。野菜炒めと味噌汁と豆と白米。家の食卓に並んだら文句言ってるメニューだけど、先生んちだから何も言わない。食べてみると意外とうまい。味付けがうちと違うせいかな。
「先生、料理うまいね」
「割と作るからな」
「彼女にも作ってあげてたの?」
「え? ああ、まあな」
「今頃彼女は後悔してると思うよ。先生振って別の男と結婚したこと」
「どうかな。相手は管理栄養士で料理上手って噂だ」
「へえ……?」
かんりえいようしって職業がいまいちピンとこない。たぶん、調理師と似たような免許だろう。
満腹になったら眠くなった。
「泊まっていっちゃだめ?」
「だめに決まってんだろ」
さすがにそうか。
「ご飯食べるとなんで眠くなんの?」
「消化のために血液が胃に集まって脳にいく血液が少なくなるとか、色々言われてるな」
「三大欲求のひとつが満たされたら他のも満たそうとすんだろ?」
「ふはっ、食欲、睡眠欲、性欲?」
「ちょっとだけ寝たい。お願い、寝かせて」
「一時間だけだぞ」
先生の許しをもらったのでベッドに移動して寝転がった。俺の布団とは違う匂い。先生の匂い。もっとおっさんくさいのかと思ったけど、ぜんぜんそんなことなかった。加齢臭とかってもっと年いってからなのかな。先生の布団はいい匂いがする。
目を閉じたらすぐ夢の中だった。俺は学校にいた。教室で俺と先生、二人きりの授業。先生はいつもの無難な服装じゃなくて、男を主張した服で髪型もキメてた。いきなり教室の戸が開いて、ウエディングドレスを着た女が乱入してきた。
「やっぱりあなたしかいないの!」
と涙を流して叫ぶ。きっと先生を捨てて別の男と結婚した彼女だ。顔は知らんけど。
いまさら勝手すぎるだろ、と俺が口を挟む前に、先生は女の手を取って教室を出て行った。取り残された俺は、机の上のノートや教科書を手で薙ぎ払った。すごく腹が立ったし、胸が痛んだ。
「……きろ、おい、起きろ!」
先生の声でハッと目が覚めた。目の前に先生の顔。どこにも行かず、ここにいてくれた。夢だとわかってほっとした。
「変な夢みた」
「どんな」
「先生がウエディングドレス着た女と学校からいなくなる夢」
「なんだそれ」
「もし、別れた彼女がやりなおしたいって言ってきたらどうする?」
「ねえよ、そんなこと」
「もしもだって」
「さあな」
「考えて」
「やり直すなんて、ありえないな」
「いまも好きなんだろ?」
「好きとは違うな。ひどい別れ方だったから混乱のほうが強い」
「別れたとき泣いた? 俺は泣いた」
先生は俺をじっと見た。冗談で済まそうか、本当のことを言おうか、迷ってるように見える。本当のことを聞きたくて、俺も真顔でじっと見つめ返した。先生は「めっちゃ泣いた」と白状した。
先生が泣いたところなんて想像できない。成人した大人が泣くほど、恋とか愛が辛いものなんて、夢がない。
「なんで人を好きになるんだろう」
「哲学的な疑問だな」
「だってさ、必ず成就するわけじゃないし、死ぬまで別れない保証もないわけだし」
「惹かれるのは本能的なものだろ」
「子孫繁栄的な?」
「それもあるけど、人に説明できる理由なんてない場合もあるだろ」
「例えば一目惚れとか?」
「一緒にいて、なんとなく好きになっていくとか」
ふと、俺と先生が、日常の枠を外れて過ごすこの時間はそれに当てはまるのだろうかと思った。今日の約束をした日から、先生はただの担任じゃなくなった。学校の先生じゃなく、一人の生身の男として俺の目に映るようになった。生徒と教師って関係が曖昧な空間は居心地がよくて、年上の友達みたいな錯覚を抱いてしまう。
さっきの夢でもそうだ。先生を連れて行った女に腹を立てた。俺を置いて行く先生にもむかついた。
もしかして俺、先生のことを好きになれるのかもしれない。いや、もしかしたらすでにちょっと先生のこと好きになってるのかもしれない。
「俺が先生のこと好きだって言ったら?」
先生は軽く目を見開いた。
「びびる」
「そんだけ?」
「気の迷いだって説得する」
「迷いじゃなかったら?」
「体が目当てなのか?」
胸を隠す仕草で場をごまかそうとする。そうはいくか、と俺は真剣な空気を維持する。
「そうじゃないけど。でも、そうかも」
先生の腕を掴んで顔を寄せた。先生の体が強張る。
「ちょ、おい」
「俺、先生とキスできるかも」
「できるかどうかじゃなく、必要かどうかだろ」
「この気持ち確かめるのに必要だと思う」
先生がしまった、って顔をする。俺は男にしか見えない先生の顔を見つめながらキスした。彼女としたキスとかわらない。柔らかな感触。漂ってくる匂いが、女じゃなく男のものだってだけ。掴む腕がごついのも違うか。
「ばか、本当にするな」
先生が俺を突き放す。慌てる姿が珍しいし、顔が赤いのもかわいい。かわいい? 先生相手にかわいいと思うのか、俺は。
もう一回キスしようとしたら手で防がれた。
「もういいだろ、男として何が楽しい」
「好きな人とキスしたくなるの、ふつうだろ」
「好きな人ってお前なあ」
「俺、先生のこと好きだと思う、たぶん」
「たぶんて」
「先生がかわいいし、キスしたい。好きってことだろ?」
「んな短絡的な」
「先生は俺とキスしてどう?」
「どうもしない」
「顔赤いよ?」
「教師をからかうな」
「ちゃんと答えてよ」
「お前でもドキドキはする」
「俺のこと好き?」
「桶谷先生とキスしてもたぶんドキドキする」
先生は生活指導のいかつい桶谷の名前を出した。つまり、キスしたら誰とでもドキドキするとごまかしたいわけだ。
「じゃ、もっかいキス」
「なんでそうなる」
「キスして勃ったら俺が好きってことで」
「嫌だよ!」
「自信ないんだ?」
「男の生理現象甘くみんな」
「ほんとに無理なら勃たないよ」
先生の肩を掴んでベッドに押し倒した。先生がハッと息を飲んで俺を見上げる。羞恥と戸惑いと、ちょっとの怯え? そんな顔もするんだ。グッとくる。
「俺、キスうまいからね」
唇を舐めて潤してから先生にキスした。うおって驚く口に舌を差し込む。歯の隙間を抜けて、ぬるっと触れ合った舌に頭がくらりとした。男同士の嫌悪感なんか心配する必要なかった。最初から最後まで、徹頭徹尾、俺は先生に興奮できる自信がある。
膝でごりっと股間を押してみた。固くなってない? 目を開けたら先生と目が合った。俺の勝ちだね。目で笑いかける。肩を強く押されたと思ったらいきなり視界が反転した。いつの間にか俺が先生の下になっていた。
「先生?」
先生は食いつように俺にキスしてきた。俺がしたより激しく深いキスは、さっきの仕返しだと言わんばかりだ。歯の裏、口蓋、頬の裏、舌の先から裏側まで、余すところなく先生の舌が這う。
あまりの気持ち良さにうっとりしてたら、股間をギュッと掴まれた。
「大人を舐めるなよ」
先生は俺の勃起をいい子いい子すると体を起こして立ちあがった。
「送ってやる。帰るぞ」
「えっ、ちょ、この状態で無理!」
「知るか。自業自得だ」
「先生だって勃ってたじゃん!」
「ゆる勃ちな」
早くしろ、と先生が俺に背を向けた。先生の耳が赤い。俺はそれを見てまたかわいい、と思った。
帰りの車の中、先生は今日のことの口止めをした。先生と二人の秘密だ。誰にも言うつもりなんかない。
待ち合わせに使ったコンビニの駐車場に車を停めて、先生は大きな溜息をついた。
「あー、お前を家に呼ぶんじゃなかった」
「キスしておいて、それはないんじゃない」
「教え子に手を出すとか最低だろ俺」
「先に手を出したの俺だから」
「そういう問題じゃねえ」
「今度はもっとやらしいことするから」
「今度なんかねえよ」
「勃ったじゃん。俺のこと好きってことだろ」
「だから、ゆる勃ちな」
「同じだし」
「ちげえし」
「ガキかよ」
「ガキはお前だろ」
「ガキだから我慢しねえもん」
「都合よくガキになるなよ」
「俺のこと嫌い?」
先生はぐっと言葉を詰まらせた。
「……卑怯な訊き方するなよ」
ハンドルを握る腕に顔を埋めて先生は呻った。首筋を撫でたらビクッと顔をあげる。
「大丈夫、卒業までには好きになってもらうから」
「どっからその自信わいてくるんだ」
「先生の態度見て? 満更でもないっしょ」
先生は困った顔で口をモゴモゴさせてたけど、最後は諦めたように頷いた。
「満更でもない」
「ねっ」
先生の首に手をかけてキスをする。迷った末、先生がキスに応えてくれた。明日からまた学校の中では生徒と先生。傍目にみたらそう。でも俺たちはキスしてもいい関係。恋人って呼ぶにはまだ不完全だけど、いつかきっと先生を俺に惚れさせて、別れた彼女を忘れさせるし、彼女以上にメロメロにさせてみせる。
「何時に帰る?」
そろそろ日が沈むころ先生が時計を見て言った。
「晩飯食って行っていい?」
「俺はいいけど、親御さんは心配しないか?」
「早く帰ったら逆に心配される」
「どんな家庭だ」
期待するなよ、と先生がキッチンに立って手料理を振るまってくれた。野菜炒めと味噌汁と豆と白米。家の食卓に並んだら文句言ってるメニューだけど、先生んちだから何も言わない。食べてみると意外とうまい。味付けがうちと違うせいかな。
「先生、料理うまいね」
「割と作るからな」
「彼女にも作ってあげてたの?」
「え? ああ、まあな」
「今頃彼女は後悔してると思うよ。先生振って別の男と結婚したこと」
「どうかな。相手は管理栄養士で料理上手って噂だ」
「へえ……?」
かんりえいようしって職業がいまいちピンとこない。たぶん、調理師と似たような免許だろう。
満腹になったら眠くなった。
「泊まっていっちゃだめ?」
「だめに決まってんだろ」
さすがにそうか。
「ご飯食べるとなんで眠くなんの?」
「消化のために血液が胃に集まって脳にいく血液が少なくなるとか、色々言われてるな」
「三大欲求のひとつが満たされたら他のも満たそうとすんだろ?」
「ふはっ、食欲、睡眠欲、性欲?」
「ちょっとだけ寝たい。お願い、寝かせて」
「一時間だけだぞ」
先生の許しをもらったのでベッドに移動して寝転がった。俺の布団とは違う匂い。先生の匂い。もっとおっさんくさいのかと思ったけど、ぜんぜんそんなことなかった。加齢臭とかってもっと年いってからなのかな。先生の布団はいい匂いがする。
目を閉じたらすぐ夢の中だった。俺は学校にいた。教室で俺と先生、二人きりの授業。先生はいつもの無難な服装じゃなくて、男を主張した服で髪型もキメてた。いきなり教室の戸が開いて、ウエディングドレスを着た女が乱入してきた。
「やっぱりあなたしかいないの!」
と涙を流して叫ぶ。きっと先生を捨てて別の男と結婚した彼女だ。顔は知らんけど。
いまさら勝手すぎるだろ、と俺が口を挟む前に、先生は女の手を取って教室を出て行った。取り残された俺は、机の上のノートや教科書を手で薙ぎ払った。すごく腹が立ったし、胸が痛んだ。
「……きろ、おい、起きろ!」
先生の声でハッと目が覚めた。目の前に先生の顔。どこにも行かず、ここにいてくれた。夢だとわかってほっとした。
「変な夢みた」
「どんな」
「先生がウエディングドレス着た女と学校からいなくなる夢」
「なんだそれ」
「もし、別れた彼女がやりなおしたいって言ってきたらどうする?」
「ねえよ、そんなこと」
「もしもだって」
「さあな」
「考えて」
「やり直すなんて、ありえないな」
「いまも好きなんだろ?」
「好きとは違うな。ひどい別れ方だったから混乱のほうが強い」
「別れたとき泣いた? 俺は泣いた」
先生は俺をじっと見た。冗談で済まそうか、本当のことを言おうか、迷ってるように見える。本当のことを聞きたくて、俺も真顔でじっと見つめ返した。先生は「めっちゃ泣いた」と白状した。
先生が泣いたところなんて想像できない。成人した大人が泣くほど、恋とか愛が辛いものなんて、夢がない。
「なんで人を好きになるんだろう」
「哲学的な疑問だな」
「だってさ、必ず成就するわけじゃないし、死ぬまで別れない保証もないわけだし」
「惹かれるのは本能的なものだろ」
「子孫繁栄的な?」
「それもあるけど、人に説明できる理由なんてない場合もあるだろ」
「例えば一目惚れとか?」
「一緒にいて、なんとなく好きになっていくとか」
ふと、俺と先生が、日常の枠を外れて過ごすこの時間はそれに当てはまるのだろうかと思った。今日の約束をした日から、先生はただの担任じゃなくなった。学校の先生じゃなく、一人の生身の男として俺の目に映るようになった。生徒と教師って関係が曖昧な空間は居心地がよくて、年上の友達みたいな錯覚を抱いてしまう。
さっきの夢でもそうだ。先生を連れて行った女に腹を立てた。俺を置いて行く先生にもむかついた。
もしかして俺、先生のことを好きになれるのかもしれない。いや、もしかしたらすでにちょっと先生のこと好きになってるのかもしれない。
「俺が先生のこと好きだって言ったら?」
先生は軽く目を見開いた。
「びびる」
「そんだけ?」
「気の迷いだって説得する」
「迷いじゃなかったら?」
「体が目当てなのか?」
胸を隠す仕草で場をごまかそうとする。そうはいくか、と俺は真剣な空気を維持する。
「そうじゃないけど。でも、そうかも」
先生の腕を掴んで顔を寄せた。先生の体が強張る。
「ちょ、おい」
「俺、先生とキスできるかも」
「できるかどうかじゃなく、必要かどうかだろ」
「この気持ち確かめるのに必要だと思う」
先生がしまった、って顔をする。俺は男にしか見えない先生の顔を見つめながらキスした。彼女としたキスとかわらない。柔らかな感触。漂ってくる匂いが、女じゃなく男のものだってだけ。掴む腕がごついのも違うか。
「ばか、本当にするな」
先生が俺を突き放す。慌てる姿が珍しいし、顔が赤いのもかわいい。かわいい? 先生相手にかわいいと思うのか、俺は。
もう一回キスしようとしたら手で防がれた。
「もういいだろ、男として何が楽しい」
「好きな人とキスしたくなるの、ふつうだろ」
「好きな人ってお前なあ」
「俺、先生のこと好きだと思う、たぶん」
「たぶんて」
「先生がかわいいし、キスしたい。好きってことだろ?」
「んな短絡的な」
「先生は俺とキスしてどう?」
「どうもしない」
「顔赤いよ?」
「教師をからかうな」
「ちゃんと答えてよ」
「お前でもドキドキはする」
「俺のこと好き?」
「桶谷先生とキスしてもたぶんドキドキする」
先生は生活指導のいかつい桶谷の名前を出した。つまり、キスしたら誰とでもドキドキするとごまかしたいわけだ。
「じゃ、もっかいキス」
「なんでそうなる」
「キスして勃ったら俺が好きってことで」
「嫌だよ!」
「自信ないんだ?」
「男の生理現象甘くみんな」
「ほんとに無理なら勃たないよ」
先生の肩を掴んでベッドに押し倒した。先生がハッと息を飲んで俺を見上げる。羞恥と戸惑いと、ちょっとの怯え? そんな顔もするんだ。グッとくる。
「俺、キスうまいからね」
唇を舐めて潤してから先生にキスした。うおって驚く口に舌を差し込む。歯の隙間を抜けて、ぬるっと触れ合った舌に頭がくらりとした。男同士の嫌悪感なんか心配する必要なかった。最初から最後まで、徹頭徹尾、俺は先生に興奮できる自信がある。
膝でごりっと股間を押してみた。固くなってない? 目を開けたら先生と目が合った。俺の勝ちだね。目で笑いかける。肩を強く押されたと思ったらいきなり視界が反転した。いつの間にか俺が先生の下になっていた。
「先生?」
先生は食いつように俺にキスしてきた。俺がしたより激しく深いキスは、さっきの仕返しだと言わんばかりだ。歯の裏、口蓋、頬の裏、舌の先から裏側まで、余すところなく先生の舌が這う。
あまりの気持ち良さにうっとりしてたら、股間をギュッと掴まれた。
「大人を舐めるなよ」
先生は俺の勃起をいい子いい子すると体を起こして立ちあがった。
「送ってやる。帰るぞ」
「えっ、ちょ、この状態で無理!」
「知るか。自業自得だ」
「先生だって勃ってたじゃん!」
「ゆる勃ちな」
早くしろ、と先生が俺に背を向けた。先生の耳が赤い。俺はそれを見てまたかわいい、と思った。
帰りの車の中、先生は今日のことの口止めをした。先生と二人の秘密だ。誰にも言うつもりなんかない。
待ち合わせに使ったコンビニの駐車場に車を停めて、先生は大きな溜息をついた。
「あー、お前を家に呼ぶんじゃなかった」
「キスしておいて、それはないんじゃない」
「教え子に手を出すとか最低だろ俺」
「先に手を出したの俺だから」
「そういう問題じゃねえ」
「今度はもっとやらしいことするから」
「今度なんかねえよ」
「勃ったじゃん。俺のこと好きってことだろ」
「だから、ゆる勃ちな」
「同じだし」
「ちげえし」
「ガキかよ」
「ガキはお前だろ」
「ガキだから我慢しねえもん」
「都合よくガキになるなよ」
「俺のこと嫌い?」
先生はぐっと言葉を詰まらせた。
「……卑怯な訊き方するなよ」
ハンドルを握る腕に顔を埋めて先生は呻った。首筋を撫でたらビクッと顔をあげる。
「大丈夫、卒業までには好きになってもらうから」
「どっからその自信わいてくるんだ」
「先生の態度見て? 満更でもないっしょ」
先生は困った顔で口をモゴモゴさせてたけど、最後は諦めたように頷いた。
「満更でもない」
「ねっ」
先生の首に手をかけてキスをする。迷った末、先生がキスに応えてくれた。明日からまた学校の中では生徒と先生。傍目にみたらそう。でも俺たちはキスしてもいい関係。恋人って呼ぶにはまだ不完全だけど、いつかきっと先生を俺に惚れさせて、別れた彼女を忘れさせるし、彼女以上にメロメロにさせてみせる。

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宙ぶらりん(1/2)
2018.08.25.Sat.
※キス止まり
先生と、授業中に目が合った。一瞬俺の目に留まる視線。生々しいっつーか。
大胆にも微かに笑ってみせて、視線が逸らされた。誰かに気付かれたらどうすんだ。
案外先生、俺にもうメロメロなんじゃない?
♢ ♢ ♢
二週間前、塾の帰りに雨が降ってきて、コンビニで雨宿りしてたらたまたま先生が店に買い物にきた。俺を見つけると、こんな時間までウロつくなって頭をガシガシ撫でられた。
いつも学校で見る服装とは違って、もっとカジュアルでラフな先生の格好に、この人って普通の兄ちゃんだったんだなって、当たり前のことに気付いた。
塾帰りに雨宿りしているだけだと言うと、先生が車で送ってくれることになった。
コンビニに停めてある黒い車の助手席に乗った。UFOキャッチャーで取ったようなぬいぐるみとか、ダッシュボードのフェイクファーとか、面白いものは何もない。
「何さがしてる」
先生はキョロキョロする俺に苦笑して言った。
「つまんねえ車」
「車につまるもつまらんもあるか」
「女っけもない」
「俺ぁモテるぞ」
「彼女いないじゃん」
「今はな」
「でた、強がり」
「お前もいないだろ」
「なんで知ってんの」
「担任だから」
「把握してんの? キモッ」
あははって先生が笑う。学校で滅多に聞かない大きな笑い声。夜。学校外。先生の車の中。普段と違う空気が、俺に大胆な行動を取らせたんだと思う。
「先生の家行ってみたい」
思いつきが口をついて出た。
「だめ」
即答されたら余計、意地になる。
「なんでだめ?」
「時間が遅い」
「遅くなかったらいいの?」
「だめ」
「なんで」
「生徒は家に呼ばない主義」
「なんで」
「依怙贔屓って言われるだろ」
「誰にもいわないよ」
「信用できない台詞第一位だわ、それ」
「ほんとだって」
「だーめ」
「じゃ、卒業してからだったらいい?」
「そんなに来たいのか?」
呆れた顔で先生が俺をチラッと見た。対向車のヘッドライトに先生の顔が照らされる。夜の車のなかで見る先生の顔は、学校で見るのと違ってすごく大人で、車を運転する姿とか、実はけっこうかっこいいんじゃんって気付いた。俺も免許取ろう。
「行きたい。卒業してから行っていい?」
「その頃には忘れてるだろ」
「俺は忘れないよ」
「信用できない台詞第2位」
「ほんとだって」
本気にされてないことに腹が立って声が力む。
「わかったわかった」
先生はそんな俺を子供をあしらうみたいにいなす。
「行っていい?」
「必死か」
「行っていい?」
「わかったって」
「約束」
いま思えば、そこまでして先生の家に行きたいわけじゃなかった。ただ思いつきを口にして、それを速攻で断られて、ただ意地になっていただけ。
それに、いつもと違う場所で先生と話をしてたら、先生と生徒って当たり前の関係がちょっと曖昧にぼやけて、前より少し親密な関係だと錯覚してしまった。
ただそれだけだったのに。
「俺はそんな先の約束覚えてる自信ねえよ」
なかったことにされるのかと構えていたら、
「今回だけ、特別。絶対誰にも言うなよ」
「それって」
「今度の休み、来るか?」
「行く!」
生徒と教師。その境界線から先生は手を伸ばし、俺がその手を取った瞬間だった。
約束したから先生の家に行くことは誰にも言わずに一週間を過ごした。
学校にいる先生はいつもの見慣れた先生だった。でも車の中で過ごした時間が、今までなかった些細な変化を生んだ。
あの夜の先生は髪を下ろしていたけど、学校の中では前髪後ろに流してることに気付いたり。
皺のあるワイシャツを見て、本当に彼女いないんだ、と密かに笑ってしまったり。
職員用の駐車場で先生の車はすぐ見つけられるようになったり。
廊下を歩いてるときとか、先生の声は遠くからも聞き分けられるようになったりとか。
自分でも驚くくらい、先生の家に行くことが楽しみだった。
週末目前の休み時間、廊下を歩いていたら先生に呼び止められた。こっち来いって手招きされて、ピンと来たから、友達を先に行かせて先生のもとへ駆けよった。
「どこで待ち合わせする? 何時?」
「声がでかい」
「楽しみだもん」
「この前のコンビニでいいか?」
「いいよ。何時?」
「何時がいい? 朝早くはだめだぞ」
「じゃ、11時。お昼なんか食べに行こうよ」
「誰かに見つかったらどうする」
「買って行って先生の家で食べよう」
「ん。それじゃ11時ってことで」
「OK!」
元気よく返事をすると、先生は優しく笑った。
約束の日、時間より早くコンビニについた。雑誌コーナーで立ち読みしてたら先生の車が見えて店を出た。
先生は今日はジャケット姿だった。腕にはごつい腕時計。学校に着てくる日和ってる服とは違う男臭さがあった。
「何食べる?」
車を出しながら先生が言う。
「どっか連れてってくれんの?」
「せっかく出てきたんだし、家で食うのもな」
「牛丼!」
「そんなもんでいいのか」
先生が苦笑する。先生が笑うところを見るのが好きだ。
牛丼屋で並んで食べて、コンビニ寄ってから先生の家に向かった。
先生の家はマンションの二階。意外と片付いたワンルーム。ここでも面白いものが見つからないかとキョロキョロしてたら、「こら」と頭をつかまれた。
「先生ほんとに彼女いないんだね」
「今はな」
「いつから?」
「それ聞く? 涙なしでは聞けないぞ」
「聞きたい」
「まじか。教えないけどな」
「ケチ」
「お前はどうなんだ」
「俺もいないって知ってるだろ」
「なんで別れた?」
「ハンカチの用意は?」
「ティッシュがある」
前に付き合ってた彼女と別れたのは半年以上も前。よくある話だけど、彼女に二股かけられてて、しかも俺は本命のほうじゃなかった。彼女は別の高校のイケメンと付き合っていた。
彼女が男と腕組んで歩いてるって友達から聞いて問い詰めたらゲロッた。そんな女こっちから振ってやった。もちろん、泣いた。
「話したんだから、先生も教えてよ」
「やだよ」
「嘘つき」
「教えるなんて言ってないだろ」
「なんで言えないの?」
「なんつーか、まだ処理できてないっつーか」
「まだ好きなの?」
「大人の恋愛はそんな単純じゃないんだよ」
「複雑なんだ?」
「いや、単純だけど」
「どっちだよ」
「結婚したんだよ」
吐きだすように先生は言った。意味が理解できなかった。
「誰が?」
「付き合ってた相手が、別の奴と」
「うっそ、どういうこと?」
「俺とは一緒にいられないって。俺と別れて別の奴と結婚した」
「別れてすぐ?」
「そうだ。ずっと一緒にいようって言ってたくせにな」
「先生も二股かけられてたの?」
「そういうことになるな」
「俺と一緒じゃん」
うん、と先生は噛みしめるようにゆっくり頷いた。微笑を浮かべてるけど、悲しい笑顔で見てるこっちが罪悪感を持ってしまう。しつこく聞くんじゃなかった。
「だから俺、先の約束はしないことにしたんだ」
高校卒業後に、先生の家に来る、というあの夜のやりとりのことを言っているんだろう。おかげで今日、俺はここへこれたわけだ。
そのあと適当にだべりながらテレビを見たり、ビデオを見たり、成績のことで軽く説教されたり、進路相談みたいな話をしたり。とにかくあっという間に時間は過ぎていった。
先生と、授業中に目が合った。一瞬俺の目に留まる視線。生々しいっつーか。
大胆にも微かに笑ってみせて、視線が逸らされた。誰かに気付かれたらどうすんだ。
案外先生、俺にもうメロメロなんじゃない?
♢ ♢ ♢
二週間前、塾の帰りに雨が降ってきて、コンビニで雨宿りしてたらたまたま先生が店に買い物にきた。俺を見つけると、こんな時間までウロつくなって頭をガシガシ撫でられた。
いつも学校で見る服装とは違って、もっとカジュアルでラフな先生の格好に、この人って普通の兄ちゃんだったんだなって、当たり前のことに気付いた。
塾帰りに雨宿りしているだけだと言うと、先生が車で送ってくれることになった。
コンビニに停めてある黒い車の助手席に乗った。UFOキャッチャーで取ったようなぬいぐるみとか、ダッシュボードのフェイクファーとか、面白いものは何もない。
「何さがしてる」
先生はキョロキョロする俺に苦笑して言った。
「つまんねえ車」
「車につまるもつまらんもあるか」
「女っけもない」
「俺ぁモテるぞ」
「彼女いないじゃん」
「今はな」
「でた、強がり」
「お前もいないだろ」
「なんで知ってんの」
「担任だから」
「把握してんの? キモッ」
あははって先生が笑う。学校で滅多に聞かない大きな笑い声。夜。学校外。先生の車の中。普段と違う空気が、俺に大胆な行動を取らせたんだと思う。
「先生の家行ってみたい」
思いつきが口をついて出た。
「だめ」
即答されたら余計、意地になる。
「なんでだめ?」
「時間が遅い」
「遅くなかったらいいの?」
「だめ」
「なんで」
「生徒は家に呼ばない主義」
「なんで」
「依怙贔屓って言われるだろ」
「誰にもいわないよ」
「信用できない台詞第一位だわ、それ」
「ほんとだって」
「だーめ」
「じゃ、卒業してからだったらいい?」
「そんなに来たいのか?」
呆れた顔で先生が俺をチラッと見た。対向車のヘッドライトに先生の顔が照らされる。夜の車のなかで見る先生の顔は、学校で見るのと違ってすごく大人で、車を運転する姿とか、実はけっこうかっこいいんじゃんって気付いた。俺も免許取ろう。
「行きたい。卒業してから行っていい?」
「その頃には忘れてるだろ」
「俺は忘れないよ」
「信用できない台詞第2位」
「ほんとだって」
本気にされてないことに腹が立って声が力む。
「わかったわかった」
先生はそんな俺を子供をあしらうみたいにいなす。
「行っていい?」
「必死か」
「行っていい?」
「わかったって」
「約束」
いま思えば、そこまでして先生の家に行きたいわけじゃなかった。ただ思いつきを口にして、それを速攻で断られて、ただ意地になっていただけ。
それに、いつもと違う場所で先生と話をしてたら、先生と生徒って当たり前の関係がちょっと曖昧にぼやけて、前より少し親密な関係だと錯覚してしまった。
ただそれだけだったのに。
「俺はそんな先の約束覚えてる自信ねえよ」
なかったことにされるのかと構えていたら、
「今回だけ、特別。絶対誰にも言うなよ」
「それって」
「今度の休み、来るか?」
「行く!」
生徒と教師。その境界線から先生は手を伸ばし、俺がその手を取った瞬間だった。
約束したから先生の家に行くことは誰にも言わずに一週間を過ごした。
学校にいる先生はいつもの見慣れた先生だった。でも車の中で過ごした時間が、今までなかった些細な変化を生んだ。
あの夜の先生は髪を下ろしていたけど、学校の中では前髪後ろに流してることに気付いたり。
皺のあるワイシャツを見て、本当に彼女いないんだ、と密かに笑ってしまったり。
職員用の駐車場で先生の車はすぐ見つけられるようになったり。
廊下を歩いてるときとか、先生の声は遠くからも聞き分けられるようになったりとか。
自分でも驚くくらい、先生の家に行くことが楽しみだった。
週末目前の休み時間、廊下を歩いていたら先生に呼び止められた。こっち来いって手招きされて、ピンと来たから、友達を先に行かせて先生のもとへ駆けよった。
「どこで待ち合わせする? 何時?」
「声がでかい」
「楽しみだもん」
「この前のコンビニでいいか?」
「いいよ。何時?」
「何時がいい? 朝早くはだめだぞ」
「じゃ、11時。お昼なんか食べに行こうよ」
「誰かに見つかったらどうする」
「買って行って先生の家で食べよう」
「ん。それじゃ11時ってことで」
「OK!」
元気よく返事をすると、先生は優しく笑った。
約束の日、時間より早くコンビニについた。雑誌コーナーで立ち読みしてたら先生の車が見えて店を出た。
先生は今日はジャケット姿だった。腕にはごつい腕時計。学校に着てくる日和ってる服とは違う男臭さがあった。
「何食べる?」
車を出しながら先生が言う。
「どっか連れてってくれんの?」
「せっかく出てきたんだし、家で食うのもな」
「牛丼!」
「そんなもんでいいのか」
先生が苦笑する。先生が笑うところを見るのが好きだ。
牛丼屋で並んで食べて、コンビニ寄ってから先生の家に向かった。
先生の家はマンションの二階。意外と片付いたワンルーム。ここでも面白いものが見つからないかとキョロキョロしてたら、「こら」と頭をつかまれた。
「先生ほんとに彼女いないんだね」
「今はな」
「いつから?」
「それ聞く? 涙なしでは聞けないぞ」
「聞きたい」
「まじか。教えないけどな」
「ケチ」
「お前はどうなんだ」
「俺もいないって知ってるだろ」
「なんで別れた?」
「ハンカチの用意は?」
「ティッシュがある」
前に付き合ってた彼女と別れたのは半年以上も前。よくある話だけど、彼女に二股かけられてて、しかも俺は本命のほうじゃなかった。彼女は別の高校のイケメンと付き合っていた。
彼女が男と腕組んで歩いてるって友達から聞いて問い詰めたらゲロッた。そんな女こっちから振ってやった。もちろん、泣いた。
「話したんだから、先生も教えてよ」
「やだよ」
「嘘つき」
「教えるなんて言ってないだろ」
「なんで言えないの?」
「なんつーか、まだ処理できてないっつーか」
「まだ好きなの?」
「大人の恋愛はそんな単純じゃないんだよ」
「複雑なんだ?」
「いや、単純だけど」
「どっちだよ」
「結婚したんだよ」
吐きだすように先生は言った。意味が理解できなかった。
「誰が?」
「付き合ってた相手が、別の奴と」
「うっそ、どういうこと?」
「俺とは一緒にいられないって。俺と別れて別の奴と結婚した」
「別れてすぐ?」
「そうだ。ずっと一緒にいようって言ってたくせにな」
「先生も二股かけられてたの?」
「そういうことになるな」
「俺と一緒じゃん」
うん、と先生は噛みしめるようにゆっくり頷いた。微笑を浮かべてるけど、悲しい笑顔で見てるこっちが罪悪感を持ってしまう。しつこく聞くんじゃなかった。
「だから俺、先の約束はしないことにしたんだ」
高校卒業後に、先生の家に来る、というあの夜のやりとりのことを言っているんだろう。おかげで今日、俺はここへこれたわけだ。
そのあと適当にだべりながらテレビを見たり、ビデオを見たり、成績のことで軽く説教されたり、進路相談みたいな話をしたり。とにかくあっという間に時間は過ぎていった。