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往時渺茫としてすべて夢に似たり(15/15) 

2018.06.21.Thu.
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 翌日、現地スタッフが運転する車に乗せてもらい、国見さんとマネージャーの林田さんと一緒に撮影場所へ向かった。

 中国の俳優と国見さんが談笑している。片言の中国語と英語と日本語。あとは身振り手振りでなんとかなるらしい。

 監督らしき男がやってきて二人に指示をした。通訳がその言葉を国見さんに伝える。国見さんの表情は真剣そのものだ。彼の仕事風景を見られるなんて幸運だ。

 興奮していて、ポケットの携帯がマナーモードで震えていることになかなか気づかなかった。スタッフらしい若い女性が近づいてきて電話を耳にあてる仕草で私に教えてくれた。

「謝謝了」

 覚えたての言葉で礼を言い、少し離れた場所で電話に出た。

『おう。うまくいったのか』
「おかげさまで。広田には感謝してもしきれないよ」
『中国土産頼むぞ』
「もちろん。みんなに買って行くよ。迷惑なのはわかってるんだけど、もう少しこっちにいてもいいか。今週、彼の誕生日だから一緒に祝いたいんだ」
『今月一杯そっちにいてもいいぞ。有給溜めすぎなんだよお前は』
「ありがとう。甘えさせてもらうよ」

 国見さんがこちらへ駆けてきた。小声で「もうすぐ撮影始まるよ」と教えてくれた。

「オーナーから。もう切るよ」

 と応えた声を広田は聞き逃さなかった。

『そこに国見栄一がいるのか? 代われ』
「え、いや」

 大きな声が漏れ聞こえていたのか、国見さんが何か察した顔で自分の顔を指さす。申し訳なく頷くと、国見さんは手を出した。私のスマホを彼に渡す。

「もしもし、国見です」

 広田が失礼をしないか心配になり耳を寄せた。

『諸井の上司の広田です。初めまして』
「初めまして。諸井さんが仕事を放って中国に来たのは僕のせいなんです。すみませんでした。お詫びします」
『とんでもない。なかなか有給取らない奴なんで、助かりましたよ。今月一杯休みにしてありますから、戻ってこないようそっちで縛りつけておいてください』
「わかりました、そうします」

 国見さんが苦笑する。

『今度またうちの店に来てください。最高の料理でおもてなしさせていただきます。諸井の恋人なら私にとっても身内のようなものですから』
「ありがとうございます。是非うかがわせていただきます」

 通話を切って、私にスマホを返した。

「いい人だね」
「お節介な奴なんですよ」
「ちょっと嫉妬する」

 国見さんの唇が小さく尖る。

「あいつとは何にもありませんよ」
「大学生の時からの付き合いなんだよね。僕はその頃の諸井さんを知らない」
「あいつが知らない私をあなたは知っていますよ」
「例えば?」
「ベッドの中の私とか」

 声をあげて彼は笑った。嫉妬されるのは嬉しいが不安にはさせたくない。

「それならいいや。もうすぐ撮影だから。見てて」

 国見さんは元いた場所へ戻って行った。現場の緊張感が高まっていくのがわかる。部外者の私は邪魔をしないよう、端っこに立って息を潜めた。

 しかし待っていてもなかなか撮影が始まらない。中国語だからなにを喋っているのかもわからない。

 手持無沙汰にしていると林田さんが隣に来て映画のことを教えてくれた。内容はサスペンス。国見さんは中国と日本のハーフという設定で、美しき殺人鬼の役らしい。優秀な刑事との絡みはちょっと同性愛を思わせる演出がなされる予定だそうだ。

「作りものなんで、妬かないでくださいね」

 林田さんが冗談めかして言う。

「事務所は黙認なんですか。私と国見さんのことは」
「僕は国見さんが十代の時からの付き合いなんですよ。引退しようかと真剣に相談されたこともありましたけど、そんなことで引退させるなんて勿体なくて。うちの社長も同意見です。俳優としてこれ以上ない才能があります。これはファンだけじゃなく、世間も認めざるを得ない才能です。国見さんは私生活が安定している時のほうがいい仕事をするんですよ。ひとりのファンとして、ずっと見守ってきた者として、国見さんの恋愛は応援しますが、良くない相手だと思ったら全力で止めます」

 林田さんが横目に私を見た。彼を守る一人の男としてシビアに私を見定める目だ。

「この程度のスキャンダルで潰れる男じゃありません。この先もっと飛躍しますよ、国見栄一は」

 誇らしげに語る林田さんにつられて国見さんを見た。私が見たことのない顔でカメラの前に立つ、俳優国見栄一がいた。

 ※ ※ ※
 
 今日は、先月の誕生日に国見さんからプレゼントされたスーツに袖を通した。オーダーメイドのスーツは体にピタリとフィットして動きやすい。既成のスーツとはやはり着心地が違う。

 同じく一昨年の誕生日にもらった濃紺のネクタイを締め、去年のクリスマスにもらった腕時計をつけてて振り返った。全身、国見さんからのプレゼントだ。

 ベッドに腰かける国見さんは「似合う」と顔をほころばせた。

 立ちあがって360度私の体を眺める。途中襟を直したり、皺を引っ張ったりする。

「やっぱり千秋さんはスーツ姿が一番かっこいい」
「おほめに預かり光栄です」

 恭しく礼をしてから彼の腰に腕を回した。

「本当に一人で大丈夫?」
「大丈夫。もう仕事辞めろなんて言わないよ」
「連休を取って会いに行くから」
「待ってる」

 彼に引きよせられてキスした。しばらく触れられなくなる体を名残惜しく求めてしまう。国見さんは今日、中国へ発つ。久し振りの芸能活動だ。

 一昨年開始した中国での映画を撮り終わると国見さんは一年間の休業宣言をした。

 急な休業宣言に日本のワイドショーは連日それを取りあげた。しかしその少し前のお祭り騒ぎに比べればおとなしいものだ。

 撮影終盤の頃、国見さんは中国の雑誌のインタビューを受けた。そこで撮影現場に連れて来た男は恋人かという質問に、そうだと答えた。

 彼はそこでバイセクシャルを公表し、私を恋人だと認めた。日本のマスコミは大盛り上がりを見せた。日本の芸能リポーターがわんさか中国へやってきた。邪魔になるからと撮影現場から芸能記者はシャットアウトされた。私は帰国したあとだったので、彼らは2ショットは撮りそこねた。

 このことはもちろん私も彼の所属事務所も全て了承済みだ。話し合って決めた。言いだしたのは国見さんだった。嘘をついたり隠したりすることに疲れてしまったと言った。私は反対しなかった。彼の恋人として世間に知られることの恐れはもちろんあったが、私自身、彼に嘘をつかせるのも、彼を隠すこともいやだった。

 事務所側は時期尚早だという考えだった。話し合いが長引きそうだと思った時、味方してくれたのはマネージャーの林田さんだった。国見さんの意思が固いということ。もうずっと我慢させ続けてきたこと。この程度で潰れる彼ではないことを訴え、説得してくれた。

 撮影が終わると同時にマスコミ各社へ休業宣言のファックスが送られた。

 十代の頃からずっと仕事を続けてきた。一度芸能の仕事から離れ、自分を見つめ直す機会が欲しいと思った。なにが大事でなにを大切にすべきなのか、今後芸能活動を続ける上で休業は必要不可欠な選択だった。

 という内容だ。

 ワイドショーは彼のバイセクシャルの公表と交際宣言だけでお祭り騒ぎだったのに、その熱も冷めやらぬうちに今度は休業宣言。

 交際相手が一般人であること、自分も休業に入ることを理由に、取材および報道は控えて欲しい旨も伝えられていたが、マンションの外に怪しげな車が止まっているのを何度も見かけたし、二人で出かけた姿が週刊誌に載っていることもあった。

 大手の雑誌社は事務所と話しあいがついているらしく行き過ぎた取材はなかった。そのかわり、復帰後の便宜が図られるのだろう。

 一年間、国見さんを独占してゆっくりしていられると思ったが、休業して間もなくまた中国から映画の出演オファーが入った。以前とは違う監督だ。

 最初キャスティングされていた中国の俳優が降板し、急遽代役を探すことになって国見さんに白羽の矢が立った。イメージにぴったりで国見栄一しかいないと熱烈な出演依頼だったそうだ。

 今度の映画は時代もの、日本でも有名な三国志。彼は三国志に出てくる周瑜という武将の役だ。
 
 日本人が中国人の役を、と批判もあったらしいが、監督は「国見栄一こそ美周郎にふさわしい。私は何も心配していない。努力家で完璧主義の彼なら中国語も吹き替えが必要ないレベルにしてくるだろう。それに、映画を観た観客が彼が大陸の人間かどうかなんて気にしなくなることもわかっている。なぜかって、みんな彼の虜になるからだ」とべた褒めだ。

 他の演者のキャスティングやスケジュールの都合で、どうしても今しかなったらしいが、そこまで言われたら、と国見さんは予定を半年早めて復帰することになった。

 と言っても雑誌やテレビの取材はNG、ただ映画の撮影をするだけという条件だ。

 映画の撮影が終わってもゆっくりはできない。

 復帰後の彼のスケジュールはすでに予定が詰まって真っ黒になっている。林田さんの言っていた通り、この程度のスキャンダルで潰れる男ではなかった。さらなる高みへ飛び立とうとしている。

 私は彼との家でその帰りを待つ。疲れて帰って来た彼を癒してあげられる存在でいたいと思う。

 国見さんが日本に戻ってきてすぐ二人で暮らす部屋探しをした。この半年間は誰にも邪魔されない二人きりの時間を過ごした。蜜月だった。

 深く口付けするほど、彼の体に触れるほど、別れが辛くなる。

「そろそろ林田さんが来る頃ですね」

 理性で唇を引きはがした。濡れた唇が「そうだね」と返事をする。

「夜に電話するから」
「体に気を付けて」
「僕がいなくても浮気しないでよ」
「しません。栄一くんこそ、向こうのイケメンに口説かれないように」
「これがあるから大丈夫。お守り」

 左手を私に向けて微笑む。薬指には私とおそろいの銀の指輪が嵌めてある。なんの法的拘束力もないが、私と彼の永遠の誓い、その証だ。

 国見さんのスマホから着信音が流れて切れた。林田さんが駐車場についた合図だ。

「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」

 彼の左手に唇を落とす。この指に指輪を嵌めたときの誓いを改めて心に誓う。病める時も健やかなる時も、喜びの時も悲しみの時も──。

 私はもう完全に過去から脱していた。いま現在を、愛する人と共に生きている。これ以上の幸せがあるだろうか。

 




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往時渺茫としてすべて夢に似たり(14/15)

2018.06.20.Wed.
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 19時過ぎ、中国に到着した。タクシーに乗って国見さんが宿泊しているとされるホテルへ向かう。国見さんに会わせて欲しいとフロントへ言っても相手にされないだろう。

 駄目元で国見さんの携帯へ電話をかけてみた。呼び出し音が続く。

 国見さんのマネージャーを思い出して、今度はそっちへかけてみた。事件のあと必要があって連絡先を交換しておいたのが役に立った。呼び出し音が続いて、駄目かと諦めかけた時『はい、林田です』繋がった。

「お久しぶりです、諸井です」
『お久しぶりです。お変わりありませんか』
「はい。林田さんに折り入って頼みが。国見さんに会わせてくれませんか」
『えっ、知ってると思いますけど、いま中国に来てるんですよ?』
「私もこっちに来ています」
『そうなんですか?! でもどうして僕に?』
「怒らせてしまって、電話に出てくれないんです」
『ハハハ、なんとなく国見さんの様子を見てそうじゃないかなと思ってましたけど』

 笑い事じゃない。いいから会わせてくれ。

『国見さんはいま監督と打ち合わせ中なんで、電話に出れなかったんだと思いますよ』

 それが本当ならどんなにいいか。

「体調を崩していると聞いたんですが」
『ああ、ちょっとこっちの空気に合わなかったっていうか。今はもう平気です。アクションのトレーニングも再開してますしね』

 それを聞いて安心した。テレビでは軽い鬱だとかなんだとか言っていたから、心配でたまらなかった。

『僕から諸井さんに電話するように言っておきましょうか?』
「お願いします」

 礼を言って電話を切った。そういえば今晩泊まる宿を確保していなかった。国見さんと同じホテルに空き部屋があったので、チェックインして部屋で電話を待った。

 テレビをつけても言葉がわからない。窓から外を眺めたり、ベッドに寝転がって時間を潰した。23時を回った頃、やっと電話が鳴った。

 ベッドから飛び起きてスマホを耳に当てた。

「諸井です、国見さん?」

 沈黙。かすかに物音が聞こえるので繋がっているのは確かだ。

「林田さんから聞いたでしょう。私もいまこっちに来ています。一度会って話がしたい」
『なんでこっちに来たの』

 よそよそしく硬い声だったが、間違いなく国見さんの声だ。

「あなたに会いたいからです。体調を崩したと聞きました。大丈夫なんですか?」
『あんたとはもう別れるって言っただろ』
「嫌です。私は納得してません。ちゃんと会って話をさせて下さい。君はあんな終わり方で本当にいいんですか?」

 長い間のあと、ボソッと部屋番号だけを伝えると国見さんは通話を切った。それだけで充分だ。

 教えてもらった部屋へ急いで向かう。ノックをして待った。ドアが開き、難しい顔の彼が私を出迎えた。思っていたより元気そうで安心する。役柄のためなのか、前に会ったときより髪が短くなっていた。

「その髪型、よく似合ってる」
「うん」

 私から目を逸らし、彼は自分の襟足を撫でた。短い返事は照れ隠しだろうか。だとしたらまだ望みを持っていいということだろうか。

「あんなに中国へ行くの嫌がってたのに、どういう風の吹きまわし?」

 この嫌味も、まだ私に関心があるからだと思ってもいいのだろうか。

「何が大事がわかったんですよ」
「仕事。でしょ?」
「君が本当に私に仕事を辞めて欲しいなら、いつだって辞めますよ」
「嘘だ」
「なにが大事か、やっとわかったんです。私はできるだけ君と対等でいたかった。君に釣りあう男でいたかった。そんなつまらないことにこだわる自分がいかにちっぽけだったかやっと気付いたんです。仕事より何より一番、君が大事だ。君のいない人生は考えられない。私には君が必要だ。君がまだ私を必要としてくれるなら、このままずっとここに残ります」

 彼は疑わしそうに私を見た。

「本当に仕事を辞めてもいいの?」
「まずは休職できないか頼んでみます。駄目なら辞める。でも日本へ戻ったら仕事は探します。君に養ってもらうのも悪くないが、そうなると対等に話ができなくなってしまいそうで、それは嫌なんです。働きながらでもできるだけ君のそばにいられる仕事を探してみます。君も私のスーツ姿を好きだと言ってくれたでしょう?」
「そうだけど……本当にそれでいいの?」
「君と仲直りできるなら」 

 私を凝視していた国見さんの端麗な顔が歪んだ。唇が震える。

「国見さん?」
「……ごめんなさい……! 仕事、辞めないで……っ」

 彼の赤く潤んだ目に涙が溜まる。やはり彼は泣き顔も綺麗だ。以前感じた別人のようには見えなかった。私が愛した生身の国見栄一だ。腕を伸ばすと彼が胸に飛び込んできた。体中で感じる国見さんの感触と温もりに私まで目が熱くなる。視界が潤む。

「ごめんなさい、馬鹿なことを言って……僕が間違ってた……、あの時はもう、諸井さんについてきて欲しくて、わけわかんなくなってて……」
「あの頃は色々あった直後でしたから。私も意地になっていたしね。君から求められることがどれほど幸せなことか、私はつい、そのことを忘れてしまってたんです」
「僕が悪い……、僕が……わがままを言って諸井さんを困らせて……」

 私の胸に額を擦りつけて彼はかぶりを振った。頭を撫でて柔らかな髪にキスした。私の指も震えていた。

「別れないでくれますか?」
「別れない。諸井さんはこんな僕でいいの?」
「君がいいからここに来たんですよ」
「こっちに来てから、ずっと後悔してて……、なんであんなこと言っちゃったんだろうって……、絶対愛想尽かされたと思ってた。電話もメールも怖くてできなかった。諸井さんに嫌われたと思って……」
「前よりもっと君のことが愛しくなりました。君の言う通りにして良かった。後悔したくなかったので、必死になってみました」

 自分の言ったことを忘れているのか、彼はきょとんとした顔を見せた。頬は赤く、目は涙で潤んで、唇は赤くなっていた。あどけない表情に胸が締め付けられた。もう二度と見られなくなっていたかもしれないのだ。

「君を失ったかもしれないと思って、すごく怖かった」

 彼にしがみついた。私の震える声を聞いた彼が、優しく背中を撫でてくれた。

 ※ ※ ※

 お互い泣きやんだあと、ベッドに座って近況報告をしあった。私が統括マネージャーになったと聞くと「すごいね。お祝いしないと」と自分のことのように喜んでくれた。

「自分のことばっかで、諸井さんの話をぜんぜん聞いてなかったんだね。何でも話してって僕が言ったのに」
「今度からなんでも言うようにするよ。じゃあ早速ひとついい?」
「なに?」
「城田さんはどうしてここに来たの?」

 彼はあっ、と気まずそうな顔をした。

「知ってるの?」
「たまたま日本でテレビを見て知った」
「向こうも僕が体調崩したってテレビで知って、大丈夫かって電話くれたんだ。その時に、ちょっと愚痴ったらわざわざ来てくれて。以前は僕の主治医みたいなもんだったから」
「城田さんはまだ君のことが好きなんだね」
「ぜんぜん! そういうんじゃないよ。向こうも研修医のこと僕に愚痴ってきたんだ。付き合うことになったらしいんだけど、その途端病院でも彼氏面されて先輩後輩の立場がどうとかって喧嘩になったんだって。そういうのと付き合ったのはそっちなんだから知らないよって話なんだけど。こっちに来たのは完全に研修医へのあてつけだよ。僕は利用されただけ」

 と国見さんは苦笑した。その話を聞いてもやはり嫉妬してしまう。

「妬けるよ、正直」
「ごめん」

 彼は笑みを引っ込めた。

「でも城田さんには感謝もしてる。あの人がここに来てると知って、ブチ切れて飛んできたんだから」
「諸井さんがブチ切れたの? 想像つかないよ」
「仕事もほっぽりだしてきた。お詫びにお土産を買って帰らないと」

 彼の顔が少し曇ったように見えた。

「まだ帰らないよ。ここにいる」

 申し訳なさそうな安堵の笑みを浮かべ、私にもたれかかってきた。

「あまり僕を甘やかさないほうがいいよ。諸井さんがいなきゃ、なにもできなくなる」

 肩を抱きよせてキスした。ベッドへ倒れこみ深く口づける。彼の手が背中にまわされる。服をたくしあげ、胸に吸い付いた。

「あっ、待った! シャワー! 今日トレーニングしたから汗かいたんだ!」
「このままでいいよ。君の匂いが好きなんだ。それに私が待てない」

 ベルトに手をかけた時だった。携帯電話の着信音が部屋に鳴り響いた。顔を見合わせたあと、彼はテーブルの携帯電話を取った。画面を見て舌打ちする。私に視線を戻すと電話に出る仕草をした。私は頷いた。

「はい。こんな時間になんの用……、あっそう、明日帰るの。わざわざ報告してくれなくてよかったのに。彼によろしく。あっ、あんたのこと日本のワイドショーで話題になってるって。俺のせいじゃないよ。そっちが勝手に来たんだろ。……はいはい、わかったわかった。あ、一応礼だけ言っとく。心配してくれてありがとう。……言われなくてもとっくに仲直りしたよ。たった今ね」

 彼は私に目配せして悪戯っぽく笑った。電話の相手は元彼の医者。どうやら明日帰るらしい。

「そういうこと。だからもう切るよ。じゃあね。気を付けて」

 電話口に吹きこむように言って彼は通話を切った。ついでに電源も落とした。前に城田さんと電話をしているのを見た時は、元彼に会いに行く国見さんを見送る立場だった。今日は私の元に残ってくれる。この違いに密かに感動してしまう。

「さて。続きしよう」

 彼は自ら服を脱ぎすてた。前より引きしまった体になっている。

「少し痩せた?」
「ちょっと」
「私のせいだね」
「違うよ。役作りで落としただけ」

 彼の額にキスする。愛しさが際限なく溢れてくる。学生の時の遊びでは得られなかった感情。小泉さんの時には与えられなかった満ち足りた幸福感。幸せ過ぎて死んでしまいそうだ。


 

うつくしい体(1)

往時渺茫としてすべて夢に似たり(13/15)

2018.06.19.Tue.
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 エリア巡回のあと、オーナーに呼び出されていたので指定された店へ向かった。黒い壁に囲まれた、一見するとなんの建物なのかもわからない店だ。

 内装も黒で統一されていて照明も薄暗く、通路を歩くことも覚束ないほどだ。右手にカウンター、左手は全て個室。店員の出入りでチラリと見えた客層は若い。

 奥の部屋で広田が待っていた。

「先にやってる」

 とグラスを傾ける。

「お疲れさまです」
「お疲れ。どうこの店」
「暗すぎます。これじゃ食事どころか、一緒に来た連れの顔も見えやしない」
「こういう店、増えたよなあ。若いのに流行ってるらしい」
「まさかうちの店も照明を絞る気ですか」
「うちは舌でも目でも料理を味わってもらうまっとうなレストランだからそんな真似はしないよ」
「それを聞いて安心しました」
「隣の客と顔を合わせたくない奴にはいいんだろうな。芸能人とか」

 また広田のお節介虫が騒ぎだしたのだろうか。その手には乗らない。

「店の売り上げですが、いま現在前年比を上回ってはいるものの、常連のお客様にはそろそろ目新しいメニューをお出しする必要があると思いますね」
「売り上げがいいのは国見栄一効果だな。お菓子の詰め合わせは通販しないのかって問い合わせがいまだにくる」
「検討されてもいいかもしれませんね。それで、新メニューですが──」
「うまくいってるのか、お前たち」
「従業員のプライベートに上司が首を突っ込まないでください」
「テレビで見たけど、いまは中国にいるんだろ」
「らしいですね」

 先日、中国へ発ったとネットニュースで知った。ホテルで喧嘩別れしてから連絡は一度もこない。私からしても無視をされる。もう駄目なのだろうか。望みが小さく萎んで行く。

「休み取って会いに行っていいんだぞ。お前は変に義理堅くて真面目だから遠慮してんだろうけど」
「そんなことは……。彼とは喧嘩中なので」
「だったらなおさら、仲直りのために会いに行けよ。尻込みしてたら手遅れになるぞ」

 耳に痛い。もうすでに手遅れかもしれないのだ。

「人の恋愛なんかどうでもいいだろ」
「よくない。相手はあの国見栄一だぞ。嫁と麻帆が大ファンなんだと。その恋人と噂される男が俺の店で働いてるんだ。家の中で俺の株爆上りよ。会わせろなんだのやかましいんだ」

 弱々しく笑い返した。奥さんとお嬢さんの頼みはきいてやれないかもしれない。

 私の表情の変化に、敏い広田はすぐ気がついた。

「喧嘩って、深刻なやつなのか?」
「誰にも譲れない部分はあるだろう」
「まあな」

 広田は少し黙って考えこんだあと、頭をガシガシと掻いた。

「俺から言えるのは、理性で恋愛すんなよってことだけだ。本能で国見栄一と向き合え」
「彼と出会ってから煩悩まみれの私が理性的だとでも?」
「俺の目にはまだそう見えるね。喧嘩した恋人が中国に行ったら普通追いかけるだろ」
「追いかけたところでまた口論になる。同じことの繰り返しだ」
「口論上等。仲直りのあとのセックスは最高に燃えるぞ」
「ばか」

 私が吐き捨てると広田は笑った。

 お嬢さんの名前が出たとき、記憶の襞から何かが零れ落ちてきた。それは懐かしい小泉さんの記憶。お嬢さんが連れて来た相手が、まさかの小泉さんの元彼だった。

 小泉さんが去ったあと毎日思い出していたのにいつの間にか思い出すことを忘れていた。私の全部を国見さんが占めている。

 小泉さんのことが遠い過去になったのなら。いつか国見さんとのこともそうなるのだろうか。

 少し考えてみただけで、胸が引き裂かれたように痛んだ。

※ ※ ※

 アラームで目が覚めた。くるまった布団から出たくない。覚悟して布団を出て、冷たいフローリングに足を置く。いつの間にか肌寒い季節になっていた。

 朝食をとりながら新聞に目を通す。食器を片付けてから身支度をした。ストライプの濃紺のネクタイを横目に見ながら違うネクタイを選んで首に巻いた。コートを腕にかけて家を出る。

 11月半ば。もうすぐ国見さんの誕生日だ。11月に入ってからずっとそれを意識している。しかしプレゼントを渡したい相手は日本にはいない。

 ホテルで喧嘩別れした日が、彼に会った最後の日になってしまったら──。

 あんな終わり方をするなんて本意じゃない。彼が帰国する頃にまた連絡をしてみるつもりだった。その頃には彼も冷静になって話を聞いてくれるかもしれない。祈る気持ちでそう願う。

 午前中、店を回って新メニューの試食とアドバイスをした。昼は古巣のまかないを頂くことにした。なんだかんだ長年働いた店が一番居心地がいい。

 店の駐車場に車を入れ、裏口から入った。支配人室をノックしたが木原さんはいなかった。休憩室のほうへ足を向ける。馴染みの顔が私を見て挨拶を寄越す。

「支配人は?」
「厨房だと思います」
「ありがとう」

 厨房へ向かうと、途中で話声が聞こえてきた。

「俺の仕事は料理を作ることだ。それに集中させてくれよ」
「もちろん集中してもらわないと困ります。でも新人教育も三井さんの仕事なんですよ。キッチンスタッフは三井さんがリーダーになってまとめてもらわないと」
「そんなのスーシェフに任せりゃいいだろう。そもそも連絡なしにブッチするような奴、どうまとめろっていうんだ」
「聞いたら初日の挨拶だけで、それ以降まともに話もしてないそうじゃないですか」
「当たり前だろ。なんで俺が新人相手にご機嫌取りしてやらなきゃなんないんだ」
「三井さんは怖いんですよ! 話しかけにくいし、口も態度も悪い!」
「なっ、誰がそんなこと言った? 木原ちゃんもそう思ってるのか?」
「私のことは支配人と呼んでくださいって、何回も言ってますよね」
「今更呼びづらいんだよ。別にいいだろ、俺は」
「よくありません。いいですか、三井さんの評価を上げるも下げるも私の印象次第なんですからね」
「おい、それは職権乱用だろう」

 たまらず吹きだしてしまった。二人が揃って振り返る。私を見て木原さんは笑顔になり、三井くんは少し照れの混じった気まずそうな顔をした。

「いらしてたんですか。恥ずかしいとこ見られちゃいましたね」
「うまくやっているようじゃないですか、問題児の三井くんと」
「ちょ、俺は問題児なんかじゃないでしょ」
「本気でそう思ってるんですか?」

 木原さんの鋭いツッコミに三井くんは言葉を詰まらせた。最初は不安だったが、案外この二人はいいコンビのようだ。

 まかないの用意を待っている間、支配人室で木原さんと仕事の話をした。入って二週間目の厨房スタッフが今週から無断欠勤をしている話も聞いた。

「三井さんって横柄じゃないですか。あの人のせいで辞めたスタッフ何人いるか」
「腕は確かなんだけどね」
「ですよね。料理の腕だけは男前なんですけどね」

 木原さんの表現に笑ってしまう。言い得て妙だ。大胆であり、繊細。彼の料理は確かに男前だ。

 スタッフに呼ばれてホールへ出た。テーブルに並ぶまかない料理。作った若いスタッフの説明を聞いてからみんなで食事をとる。三井さんが厳しくも的確な指導をしている。下のものに慕われるようになれば、彼も一人前だ。

 食事のあと、外へ出かける者、椅子を並べて仮眠を取る者、みんなそれぞれの方法で時間を潰す。私は他の数名と一緒に休憩室へ移動し、コーヒーを飲みながら三井くんが作る新作メニューの完成を待っていた。

 休憩室のテレビがついていた。ワイドショーの司会者が女性アイドルの熱愛スクープを伝えている。

「それじゃ、次。こちらも熱愛と言っていいのかな。映画の撮影のために中国へ渡った国見さんなんですが、ついてすぐ、体調を崩したそうなんですね」

 国見さんの名前が出て休憩室はシンと静かになった。休憩室にいるスタッフが私をチラリと見る。

 国見さんが中国へ行って体調を崩したなんて話は、テレビを見ない私には初耳だった。国見さんから連絡もきていない。私はもう頼られる存在じゃないのだろうか。まだ怒っているだけだと信じたい。あんな喧嘩ひとつで別れてしまうなんて納得できない。

「やっぱり生活環境がかわって、言葉も通じませんしね、体調も崩しますよね。それにあの事件のことがありましたから。普通の人だって体調崩しますよ。だって怖いですよ。家帰ったら知らない女がいたなんて。ねえ」
「普通に怖いです。トラウマになります」

 アシスタントの女性が深く頷く。

「あの事件があって連日マスコミに追いかけられて、気が休まらないからって中国行きを早めたらしいんですが、言葉通じないでしょ、生活環境もがらりとかわって精神的に相当参って、軽い鬱状態だっていう話らしいんですよ」

 良かれと思った選択が裏目に出たんですかね、とコメンテーターが訳知り顔で言う。

「で、ですよ。国見さんと親しくされていた例のお医者さんが中国まで会いに行ってるそうなんです。国見さんの泊まってるホテルにそのお医者さんが出入りする姿が何度も目撃されてるそうなんですね」

 体中の血が逆上した。みんなテレビを見ていて良かった。私の顔はいま般若のようになっているだろう。私の知らないところで、知らないうちに二人が再会していた。それをワイドショーの芸能ニュースで聞かされるなんて。

「異国の地で不安になっている時に駆けつけてくれるってかなり心強いですよ」

 アシスタントの言葉に司会者が同意する。

「国見さんが呼んだのか、お医者さんが心配になって会いに行ったのかはわかりませんけど、二人の絆は相当強いってことですよね。仕事休んでちょっと中国行ってくるってなかなかできませんよ」

 今度は燃えてしまいそうなほど自分が恥ずかしくなった。いっそ燃えて消えてしまいたいくらいだ。

 彼から涙ながらにあんなに懇願されたのにそれを突っぱねた私と、彼の体調不良を聞いてすぐに中国へ飛んだ医者の元彼。彼にも仕事が、待っている患者がたくさんいるだろうに、それを差しおいて国見さんを選んだ。何が大事かを、よくわかっている。

 仕事にしがみついた私はなんて小さな人間だ。本当は自分に自信がなかったから、仕事を理由に国見さんの頼みを断ったんだ。芸能人の彼に内心引け目を感じていた。元彼の医者にも。

 自分の仕事に誇りを持っている。だが無意識に二人の仕事と比べていたのではないか。私にはかわりがたくさんいる。現に支配人を辞める時、木原さんに引き継いでもなんの問題も起らなかった。統括マネージャーの仕事も、いつだって他の誰かへ引き継げる。

 だが国見さんの代わりはいない。国見栄一だから仕事の依頼がある。人の命と健康を守る医者の仕事も立派だ。私とは比べ物にならない。

 三ヶ月くらい休めばいいと国見さんに言われて、私が彼に抱く一番のコンプレックスを刺激された。だから私も意地になった。今になってわかった。

 何より大事だと思っていた国見さんより、私は自分のプライドを優先していたのだ。彼なしの人生など考えられないと思っていたのに。それが本音なら、事件があって不安な彼を一人にはさせなかったはずなのに。

 そうだ、彼は不安がっていた。距離があけば心も離れると。医者と別れた理由もそれだった。すれ違いが続いて、医者が研修医によそ見した。あの二の舞を恐れていた。私ならわかったはずなのに、なぜ失念していたのだろう。

「でもこの二人って、レストランで喧嘩して以来、仲違いしてたんじゃないですか? それで、国見さんはレストランの支配人と親しくなったって」

 コメンテーター席の女性タレントが言う。まるで私を嘲笑うかのような顔で。

「芸能リポーターの人にきいた話では、支配人の方とはあの事件以降、会ってないそうですよ。まあ、マスコミとか世間の目がありますから会わないようにしてたのかもしれませんが。でも今回、国見さんが体調崩した時に飛んで行ったのがお医者さんだったってことは、やっぱまだこの二人は続いてたってことじゃないですか」

 司会者が締めくくったことで次の話題へ移った。

 ここが店の休憩室で良かった。自分の家なら私は喚いて家中のものを壊していたかもしれない。いや。なぜ休憩室で良かったと? 大事なものもわからずに、一番愛する人を傷つけて、その結果失ったのに、私はまだ外面やどうでもいいことを気にするのか? なんて愚かしいことだろう。

 私はまた同じ間違いを犯した。小泉さんを元彼に奪われたのと同じように、国見さんも医者に奪い返されてしまった。

『あんた、物わかりいいふりして、指咥えて見てそうだもん』

 国見さんに言われた言葉が頭に蘇った。一言一句、彼との会話を覚えているほど好きだったのに。

『ほんとに好きなら必死になったほうがいいよ。後悔しても遅いから』

 胸が苦しくなった。今更遅いかもしれない。彼が私を見限り医者を選んだのなら潔く身を引くしかない。だが、もう一度、それを確かめるチャンスだけは与えて欲しい。

 休憩室を出て支配人室をノックした。

「すみません、急用ができたので帰ります。三井くんには申し訳ないと伝えておいてください」

 驚く木原さんを残し、すぐに店を出た。車に乗り込みエンジンをかける。ハンズフリーで広田へ電話をかけた。

『おう、どうした』
「諸井です。私をクビにしてください」
『なんだ急に。なにかあったのか?』
「中国に行ってくる」

 電話の向こうで広田が息を飲む音が聞こえた。そして、笑い声。

『本能で恋愛する気になったか。いいよ。有給扱いにしてやる。行って来い』
「恩に着る」

 急いで自宅へ帰り、パソコンを開いた。調べれば彼が宿泊するホテルの名前がすぐに出てきた。セキュリティーはどうなっている。近くの空港を調べ、すぐ乗れる飛行機を予約し、パスポートを持って家を飛び出した。




百と卍

往時渺茫としてすべて夢に似たり(12/15)

2018.06.18.Mon.
1011

 豪華なブレックファーストを前に、国見さんはまだ眠そうな顔であくびをした。

 彼と共に寝て、共に起きる。同じ空間で同じものを食べることの幸せはなにものにも代えがたい。この時間が永遠に続けばと願ってしまう。

「ぐっすり眠れたの、久し振り」

 パンに手を伸ばして国見さんが言った。

「そんなに眠れてないんですか?」
「色々あったし、片付けなきゃいけない仕事があったりね」
「いまくらい、少し仕事をセーブしてもいいのでは?」
「一応、そういう方向でやってくれてるんだよ。今月はあとCM撮影一本と雑誌の取材一本だけだし」
「それならいいですが。ホテルにはいつまで? 新居はまだ見つからないんですか?」
「しばらく家は探さないかもしれない」
「なぜ?」

 彼はちぎったばかりのパンを皿に戻した。

「もっと前に話そうと思ってたんだけど……あんなことがあってタイミングを逃しちゃって。電話で言う話でもないし」
「なんのことです?」

 彼が真剣な顔つきなので、私もナイフとフォークを置いた。

「来月から映画の撮影が始まる」
「そうですか。また忙しくなりますね」
「うん……、実は中国の映画なんだ。監督がたまたま僕のことを見てオーディションを受けないかって。好きな監督だったから受けてみたら役が決まっちゃって」
「良かったじゃないですか。おめでとうございます」
「ありがとう。それで、撮影は当然中国でするんだけど、あんなことがあったから少し早めにあっちに行ったらどうかって。中国語も練習しなきゃならないし、アクションもあるからその特訓もあるし」

 だんだん話が見えてきた。

「早めって、どのくらい?」
「こっちの仕事が終わったらすぐだから、来週には。丸三ヶ月はあっちにいることになると思う」

 三ヶ月も。この一カ月でさえ半身を引き裂かれたような思いで過ごしていたのに、日本で彼の帰りをそんなに長く待てるだろうか。

 本音を言えば行って欲しくない。だからと言って、彼のキャリアを潰す真似もしたくない。ここは彼を想う年上の男として、気持ち良く送りだすのが正しい選択だ。

「寂しいですが、仕事なら仕方ないですね」
「断ってもいいんだ」
「断るなんて駄目です。やりたいんでしょう?」
「やりたい。けど、三ヶ月も会えないなんて寂しいし、その間に諸井さんが僕のこと好きじゃなくなるかもしれない。諸井さんはモテそうだから僕以外の誰かと……そんなの、絶対嫌だし……」

 彼の声が自信なさげに小さくなっていく。

「私はモテないし、君以外の誰かとなんてありえない。私の方こそ常にその不安と戦ってる」
「離れたくないんだ」
「私だって」
「じゃあ一緒にきてよ!」

 叫ぶように彼が言った。

「同じホテルに泊まって、毎日こうして一緒にご飯を食べて、時間があったら二人で観光して……、三ヶ月、諸井さんとそうやって過ごたい」
「それは……私だって、そうできたらどんなに幸せか」
「だったら! 一緒に行こうよ!」
「私にも仕事があります」
「休めばいいじゃないか」

 簡単に言ってくれる。説得しようと彼も必死だったのかもしれないが、私の仕事を軽視しているように思えていい気はしなかった。少し腹も立った。

「あなた方の世界では簡単に休めるのかもしれませんが、私のような一般の勤め人は三ヶ月もそう易々と休めないんですよ。よほどの事情がない限りは」
「これはよほどの事情じゃない?」
「恋人の仕事に付き合って三ヶ月休むなんてオーナーに言ったらクビにされます」

 広田なら事情を離せば許してくれそうな気がした。むしろ、喜んで送りだしてくれそうだ。さんざん迷惑をかけたのに、それに甘えるわけにはいかない。

「クビになったら僕のところに来ればいいよ。諸井さん一人くらい食べさせていける。不自由のない生活をさせるから。諸井さんは働かなくていい。僕のそばにいてくれるだけでいいから」
「飼い殺しですか、私を」

 怒りを押し殺した低い声になった。あまりに私を馬鹿にした発言だった。いくら国見さんでも許せるものじゃない。

 私の異変に気付いて国見さんも顔色を変えた。

「言い方が悪かったなら謝る。でもお願いだから、一緒に来てよ。僕は諸井さんと一緒じゃなきゃ中国へ行かない。離れるなんて不安でたまらないんだ」
「駄々っ子みたいなことを言うのはやめなさい。引き受けた以上はきっちりやるのが筋です。私もここで与えられた仕事をしてあなたの帰りを待ちます」
「嫌だ。一緒に来てくれないなら中国に行かない。行ったら諸井さん、絶対浮気するでしょ」
「しません。誰が私なんか相手にするもんですか」
「三ヶ月の間、何があるかわからないじゃないか。会えなくなったら気持ちも離れちゃうんだよ。そうなったらもう終わりだ。だったら捨てられる前に別れる。今、諸井さんと別れる!」

 感情が昂った国見さんの目は涙で濡れていた。泣き顔もこんなに美しいのに、今日はなぜか別人を見ているような気分になる。

「それは脅しだ、卑怯ですよ」
「脅しじゃない、本気だ。あんたみたいな薄情な人とは別れる! わかったらもう出てけよ!」

 立ちあがった国見さんが私の腕を引っ張る。こんなことで終わるだなんて冗談じゃない。

「落ち着いて。ちゃんと話を──」
「話はもう終わった。一緒に来てくれないんだろ?」
「それは──、一ヶ月待てたんだから三ヶ月だって乗り越えられる」
「ずっと一緒にいるって誓ったくせに」

 綺麗な目からぽろりと涙が滑り落ちた。昨夜、彼が寝る間際の私の言葉。ちゃんと届いていたのか。

「本当です。ずっとあなたのそばにいます」
「だったら一緒に、」
「それとこれとは話が別です。仕事とプライベートの区別はつけないと、私たちの関係も長続きしなくなくなる」
「そっちこを俺を脅してるじゃないか。明日も明後日も、ずっと一緒にいてくれるって言ったくせに。嘘つき。出てけよ、出て行けってば!」

 興奮した国見さんにはもうなにを言っても無駄だった。力任せに突き飛ばされて、よろけながら部屋を追い出された。

 あんなに取り乱した彼を見たのは初めてだ。ストーカー女に襲われた時も、こうはならなかった。

 確かに三ヶ月は長い。私だって出来ることなら彼のそばにいたいし、いてあげたい。だからと言って仕事は休めない。そのくらいの分別はある。彼も同じだと思っていたのに。やはり芸能人と一般人とでは、そのあたりの感覚が違うのだろうか。

 それとも、彼の言いなりになると思われていたのだろうか。下に見られていたとしたら、とても残念だし悲しい。

 携帯電話をテーブルに置いたままだったが、諦めて立ち去った。

 ホテルに置きっぱなしの携帯電話は後日、店のほうへ郵送されてきた。「さよなら」と書かれたメモと一緒に。電話した。メールも送った。どちらも無視された。

 これは一時的なもので、彼が頭を冷やして冷静になれば仲直りできるはずだ。だがもし万が一、メモに書かれた言葉が彼の本心なら、私はどうすればいいのだろう。




往時渺茫としてすべて夢に似たり(11/15)

2018.06.17.Sun.
10

 事件から一週間、ワイドショーでは連日トップニュース扱いで報道されていたが、二週目になると他の芸能人が起こした追突事故がトップニュースに入れ替わり、三週目はこの事件をきっかけにうちがなかなか予約の取れない店になっているというどうでもいい情報をわざわざテレビで流していた。

 最初の一週間はマスコミが店に押しかけて来て大変だった。食事に来た客からも「国見さんを助けた支配人はいますか?」との問い合わせが多かった。ずっと裏方業務に徹していたが、呼び出された時は対応した。みんな国見さんのファンのようで、私の怪我の具合を心配してくれる人がほとんどだった。中には国見さんを助けてくれてありがとうございましたと礼を言う人もいた。

 彼がどれだけ多くの人から愛されているのかを実感した。

 彼とは会えなかったが電話連絡は頻繁にしていた。事件のことも彼から電話で教えてもらった。

 あの女はハウスクリーニングのスタッフだった。以前から国見さんのファンではあったが、彼の部屋を掃除するようになってから勝手に運命を感じ、自分の存在をアピールするためにリモコンの場所を変えたり、マウスの電池を逆に入れたりしていたのだという。カーテンを取り返たのもこの女だった。

 なかなか自分の存在に気付いてくれない。どころか、国見さんは他に恋人を作った。それは間違った選択だ、と女は思いこんだ。間違いを正すために、姿を見せることにした、というのだ。

 あの日も他のスタッフたちと一緒に国見さんの部屋の掃除をしていた。掃除が終わる頃に体調が悪いと先に帰ったように見せかけてずっと国見さんの部屋に隠れて待っていたというのだ。

 そこへ私と国見さんが帰宅した。国見さんの次の恋人は自分だと思いこんでいた女は、私を見て激高し、襲い掛かって来た。頭突きをされた傷はもう治った。ひっかき傷も消えた。

 だが今でもあの女の喚き声が耳に残っている。不気味な声と目が、頭から離れない。

 国見さんの事務所の弁護士を通して、女の家族から治療費、慰謝料として60万円が送られてきた。それとは別に、国見さんの事務所から見舞金も送られてきたがそれはもらう意味がないので送り返した。

 国見さんはマンションを引き払い、今はホテル住まいをしている。ホテルでも部屋に入る瞬間は怖いと漏らしていた。当然だ。出来るなら私が常にそばにいてあげたいが、世間の目があるのでできない。それがもどかしい。

 四週目に入り、大物芸能人同士の結婚報道があって国見さんのニュースはやっと消えた。店に押しかけて来たマスコミもいなくなった。

 今月から私が統括マネージャーになって一つの店に常駐することがなくなったのも大きい。

 担当する店へ出向くと、そこの従業員から好奇の目を向けられた。それは仕方がない。今回のことを遠慮なく訊いてくる者もいた。それも最初だけで、今は普通に接してくれている。

 統括マネージャーの仕事は忙しく、国見さんに会えない寂しさを紛らわすにはちょうどよかった。本音は心配でたまらないし、今すぐ会いに行って抱きしめたい。そんな時間も機会もなく、仕事に没頭するしかなかった。

 支配人の立場では見えなかったことが見え、出来なかったことができる。やらなければならないことは増えたが、やり甲斐はある。きっかけは広田に強引に誘われたからだったが、この業界の仕事が好きなのだと思う。引き止めてくれた広田には感謝しかない。

 事件から一ヶ月目にして、ようやく国見さんに会える日がきた。こんなに時間がかかるとは思ってもいなかった。

 仕事を終え、車は店の駐車場に残してタクシーに乗った。降りるとビルとビルの細い裏道を抜け、またタクシーを拾った。尾行の気配がないことを確認しながら、国見さんと待ち合わせをしたホテルに到着した。もちろん、寝取りまりしているホテルとは違うホテルだ。

 事前に教えてもらった部屋へ向かう。あたりを見渡してからドアチャイムを鳴らした。しばらくしてドアが開いた。一ヶ月ぶりの国見栄一が私を見て微笑んだ。

「入って。早く」

 部屋の中へ身を滑り込ませる。ドアが締まると彼が抱きついてきた。久し振りの匂いに胸が痛くなった。

「会いたかった」
「私もです」

 キスをしながら彼を壁に押しつけた。最初は普通に話をしようと思っていたが無理だった。学生みたいに抑えがきかない。体中が彼を欲しがっていた。

 剥ぎ取るように服を脱がせた。露わになっていく肌に順に口付けた。彼も同じように性急な手つきで私の服を脱がせていく。転げそうになりながら部屋の中を移動し、ベッドへ倒れ込んだ。

 息を乱れさせながら彼が私を見上げる。美しく凛々しいのに、こういう時の彼の表情は非常に煽情的でオスの部分を掻き立てる。

 一カ月分のキスをしながら彼の体をまさぐる。うち震えるそれを扱いたら甘い声が漏れた。もっと聞かせて欲しくて口に咥えた。彼の手が私の髪をくしゃくしゃに乱す。いつもより早く彼は達した。

 早く彼の中に入りたかったが、離れていた分、彼の体を堪能したい思いもあって、結局泣かせてしまうほど体中を愛撫した。

「早く、きて。おかしくなる」

 私をせがむ彼は本当にかわいらしかった。挿入し、少し呼吸を整えた。彼の中は熱く脈打っていた。

「まだ動かないで」

 私の背中に爪を立てた。ようやく会えた喜びと、体中を愛され敏感になった体には刺激が強すぎたようだった。脇の下から腕を入れて彼の肩を掴んだ。ピタリと密着する。さらに奥へと進む。先端に吸い付く様な感覚があった。

「だっ……あ、ああ──ッ!!」

 最奥に到達すると彼は私にしがみついた。

「動いても? まだこのまま?」
「もうすこし、このまま……っ」

 顔の横で彼がかぶりを振る。熱い頬にキスする。耳を舐めたら奥が締まった。

 緩く腰を動かした。小さくリズムを刻む。私の形に慣れてきた頃、大きくグラインドさせた。彼がまた達した。彼の色気はそのたびに増していく気がする。

 煽られるまま、本能が欲しがるまま、腰を振った。

 もう二度と、彼のいない人生には戻れないだろう。



 シャワーのあと、二人でベッドに寝転がった。もう明け方近い。流石に彼は疲れた様子だ。シャワーの間もぐったりしていた。やりすぎを謝ったら、「最高だった」とご褒美のキスをくれた。

「僕があげたネクタイ、使ってくれてる?」

 天井を見つめたまま、彼がぽつりと言った。

「もちろん。会えない間、君を近くに感じられるように」
「クリスマスにはスーツをプレゼントしたいな。オーダーメイドの。諸井さん、スーツがすごく似合うからプレゼントのし甲斐がある」
「先に君の誕生日だよ。何か欲しいものはある?」
「どこでもドア。毎日諸井さんに会いに行ける」
「それは私も欲しいな。毎日君の寝込みを襲いに行ける」
「セクシーな下着買っておかなきゃ」

 私のほうを向いて無邪気に笑う。頬に手を添えると目を閉じた。キスに応じる動きは緩慢だ。

「疲れた?」
「ホテル暮らしのせいか最近熟睡できてないんだ。諸井さんがそばにいると安心する」
「ずっとそばにいるよ」
「ほんとに? 明日も明後日も、一年後も、十年後も、ずっと……」

 呂律のまわらない口調でかわいらしいことを言う。

「君のそばにいると誓うよ」

 私の胸に顔を埋めて、彼は眠ってしまった。